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真実の男は笑う  作者: 品川太朗


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第3章 逆転のカード



面会室。


透明な仕切り。


トシアキは椅子に座り、


弁護士が来るのを待っていた。


以前とは違う。


背筋が伸びている。


目にも力が戻っている。


数週間前まで。


この部屋に来るたび、


弁護士から悪い話を聞かされていた。


謝罪した方がいい。


示談した方がいい。


実刑になるかもしれない。


そして。


実際に負けた。


だが今日は違う。


今日は。


トシアキの方から、


話を持っている。


扉が開く。


弁護士が入ってくる。


「お待たせしました」


いつものように書類を置く。


「今日はどうされました?」


トシアキは、


いきなり言った。


「俺は女だ」


弁護士の手が止まった。


「……」


数秒。


沈黙。


「すみません」


弁護士が聞き返す。


「もう一度お願いします」


「聞こえただろ」


トシアキは椅子にもたれる。


「俺は女だ」


弁護士は、


しばらく何も言わなかった。


冗談なのか。


挑発なのか。


あるいは。


本気なのか。


判断しかねている顔だった。


「トシアキさん」


「なんだ」


「これは……どういう意味でしょうか」


トシアキは鼻で笑う。


「日本語の説明が必要か?」


「そういう意味ではありません」


「だったら、そのままだ」


「これまで、そのようなお話は一度も――」


トシアキが遮る。


「だから何だ」


「……」


「昨日まで言ってなかったら、今日も違うのか?」


弁護士は黙る。


トシアキは、


新聞の切り抜きを取り出した。


《収容区分再審査制度》


机の向こうへ見せる。


弁護士の顔が変わる。


「ああ……」


理解した。


その反応だけで。


トシアキには十分だった。


「知ってるんだな」


「制度自体は知っています」


「なら話は早い」


「待ってください」


「何を」


「まさか」


弁護士が記事を見る。


そして。


トシアキを見る。


「この制度の利用を考えているんですか」


「申立てする」


即答だった。


「俺の収容区分を再審査させろ」


「トシアキさん」


弁護士の声が低くなる。


「あなたはこれまで――」


「ああ」


「事件現場で何を主張していたか」


「ああ」


「SNSに何を書いていたか」


「ああ」


「裁判記録にも残っています」


「全部知ってるよ」


「では――」


「それで?」


弁護士が止まる。


トシアキは身を乗り出した。


「過去に何を言ったかで」


一言ずつ。


「人間の現在の性別認識を否定していいのか?」


「私はそう言っているわけではありません」


「なら申請しろ」


「希望だけで決まる制度ではありません」


「知ってる」


「面談もあります」


「受ける」


「安全性も審査されます」


「やればいい」


「あなたには暴力歴があります」


「それも含めて審査させろ」


弁護士は、


しばらくトシアキを見ていた。


「本気なんですね」


トシアキは笑った。


「最初からそう言ってる」


---


その夜。


独房。


トシアキはベッドに横になっていた。


天井を見る。


久しぶりに。


眠れない。


だが。


以前の眠れなさとは違う。


あのときは、


敗北を考えていた。


今は。


逆転を考えている。


頭の中に浮かぶ。


法廷。


傍聴席。


あのクイーン。


その周囲にいた人間たち。


判決。


自分が連れていかれたときの空気。


そして。


今度は逆の光景。


自分が女性刑務所へ入る。


新聞になる。


ニュースになる。


きっと。


あいつらは慌てる。


――そんなはずはない。


――認めるな。


――制度の悪用だ。


トシアキは、


勝手にその顔を想像する。


そして。


笑った。


「でもよ」


天井に向かって呟く。


「お前らが言ってきたんだろ」


誰もいない。


「本人の声を尊重しろって」


口元が上がる。


「だったら」


「俺の声も尊重しろよ」


---


数日後。


弁護士との面会。


書類が置かれる。


「申立てを行いました」


トシアキの目が光る。


「やっとか」


「ただし」


弁護士が言う。


「誤解しないでください」


「何を」


「申立てをしたことと、希望する施設への移送が認められることは別です」


「分かってる」


「本当に分かっていますか」


「そればっかりだな、お前」


「それを説明するのが仕事です」


弁護士は書類をめくる。


「本人申立て」


一枚。


「施設側の確認」


一枚。


「専門職との面談」


さらに一枚。


「生活歴、本人の説明、医療上の事情、安全面その他を総合的に審査します」


トシアキは、


書類を見ながら笑う。


「ずいぶん面倒なんだな」


「当然です」


「まあいい」


トシアキは、


申立理由の欄を見る。


「通せばいいんだろ」


「審査を受けるんです」


「同じだ」


「違います」


トシアキは笑った。


「俺にとっちゃ同じだ」


---


数日後。


再び面会室。


弁護士が入ってきた。


今日は。


いつもと少し様子が違った。


手に、


一枚の紙を持っている。


「何だ、それ」


トシアキが聞く。


弁護士は座る。


「あなたの申立てについて」


一瞬。


間を置く。


「外部で報道が出ました」


トシアキの目が動く。


「……へえ」


「事件当時、被害者を支援していた団体も声明を出しています」


その瞬間。


トシアキの表情が変わった。


「なんて?」


「聞きたいですか」


「当たり前だろ」


弁護士は紙を見る。


「概要だけ伝えます」


読み上げる。


「今回の申立てについて、事件の経緯を踏まえれば非常に重大な懸念がある」


トシアキは黙っている。


「本人の権利は適切に尊重されるべきである一方、過去の暴力行為や収容先の安全も十分に考慮すべきだ」


トシアキの口元が上がり始める。


弁護士は続ける。


「そして」


紙を見る。


「この申立てを形式的、あるいは額面通りに受け入れるべきではない。慎重な審査を求める」


沈黙。


トシアキは。


俯いた。


肩が震える。


弁護士が怪訝な顔をする。


「トシアキさん?」


「……ハ」


小さな声。


「ハハ」


顔を上げる。


笑っていた。


「何がおかしいんです?」


「効いてんじゃねえか」


「何がですか」


「効いてる」


トシアキは笑う。


「めちゃくちゃ効いてるじゃねえか」


「これは――」


「焦ってんだよ」


「そういう意味とは限りません」


「じゃあなんで声明なんか出す?」


弁護士は答える。


「社会的な関心がある事件だからでしょう」


「違うね」


「トシアキさん」


「怖いんだ」


笑みが深くなる。


「俺が本当に女として認められたら困るんだ」


「その解釈はあなたのものです」


「分かってるよ」


トシアキは、


ますます嬉しそうだった。


「いいじゃねえか」


「何がです?」


「やる気が出た」


弁護士の顔が曇る。


「トシアキさん」


「何だ」


「審査で虚偽の説明をすることは勧めません」


笑みが止まる。


「誰が虚偽だと言った」


「私は――」


「俺は女だ」


トシアキは、


まっすぐ弁護士を見る。


「そう主張している」


「……」


「それを疑うのか?」


弁護士は黙った。


トシアキが、


さらに笑う。


「ほら」


「……」


「難しいだろ」


---


その夜。


独房。


トシアキは、


団体の声明を何度も思い出していた。


受け入れるべきではない。


慎重な審査を。


その言葉が。


トシアキには。


悲鳴に聞こえた。


「嫌なんだろ」


一人で呟く。


「俺が女になるのが」


違う。


正確には。


彼らは安全性への懸念を述べている。


だが。


トシアキは。


そうは受け取らなかった。


「だったら証明してやるよ」


ベッドから起きる。


頭の中で。


理屈を組み立て始める。


過去の発言について聞かれたら。


どう答える。


なぜ今まで言わなかったのか。


どう説明する。


自分自身への違和感。


社会への恐怖。


過去の攻撃的な言動との矛盾。


質問。


回答。


質問。


回答。


一つずつ。


準備していく。


最初は。


制度の穴を見つけた。


それだけだった。


しかし。


団体が反応したことで。


これはトシアキにとって。


ゲームではなくなった。


戦争になった。


再び。


彼の中だけで。


---


専門職との面談。


「ご自身の認識について、お話しいただけますか」


トシアキ。


「俺は女です」


以前より。


迷いがない。


「いつ頃から、そのように認識していましたか」


「はっきり言葉にできたのは最近です」


「それ以前は?」


「自分でも認められなかった」


「なぜでしょう」


トシアキは。


少し間を置く。


「怖かったから」


「何がですか」


「自分がそういう人間だと認めるのが」


職員はメモを取る。


表情を変えない。


トシアキは。


それを観察している。


どこまで通った。


どこが弱い。


次はどう言う。


面談が終わるたび。


頭の中で。


自分の回答を修正する。


---


弁護士との面会。


「過去の発言との矛盾について、当然質問されます」


「された」


「何と答えました」


トシアキが説明する。


弁護士は。


難しい顔をする。


「何だよ」


「いえ」


「言えよ」


「あなたは」


少し考える。


「非常によく準備していますね」


トシアキは笑う。


「そりゃそうだ」


「褒めているわけではありません」


「どっちでもいい」


そして。


一言。


「負けられねえからな」


「誰にです?」


トシアキは。


答えなかった。


答える必要もなかった。


彼の頭の中では。


相手は決まっていた。


---


安全性評価。


過去の暴力。


収監後のトラブル。


衝動性。


対人関係。


質問は。


トシアキの思い通りには進まない。


「被害者への暴行について、現在どう考えていますか」


トシアキの顔が硬くなる。


「やりすぎたと思っています」


「被害者には?」


一瞬。


あのクイーンの顔。


怯えた目。


トシアキは。


それを押し込める。


「怪我をさせたことについては悪かったと思っています」


それ以上は言わない。


「直接謝罪する意思はありますか」


トシアキが止まる。


「……今の審査に関係ありますか」


「あなたの対人認識や再発リスクを確認しています」


トシアキは。


拳を握る。


だが。


怒鳴らない。


以前なら。


机を叩いていた。


今は。


耐える。


ここで暴れれば。


奴らが喜ぶ。


そう考える。


それだけで。


耐えられた。


---


書類。


面談。


待機。


追加面談。


審査。


また待機。


数週間。


数か月。


トシアキは。


演じ続けた。


少なくとも。


本人はそう考えていた。


ところが。


何十回も。


何百回も。


同じ言葉を口にしているうちに。


不思議なことが起きる。


「俺は女だ」


その言葉を。


言うこと自体には。


もう何の抵抗もなくなっていた。


最初は。


口にするたび。


心の中で笑っていた。


――こんなもの。


――全部演技だ。


だが。


いつからか。


笑わなくなっていた。


それでも。


トシアキは気づかない。


目的しか見ていない。


---


ある日。


弁護士が来た。


いつもより。


書類が少ない。


トシアキは座るなり聞く。


「どうなった」


弁護士は。


書類を机に置く。


「決定が出ました」


トシアキの身体が。


わずかに前へ出る。


「それで」


「収容区分の変更が認められました」


トシアキは。


動かない。


「……どこだ」


弁護士は答える。


「女性受刑者施設です」


沈黙。


トシアキの口が。


ゆっくり開く。


「……そうか」


「ただし」


弁護士が続ける。


「厳格な安全措置が条件になっています」


聞いていない。


「個別のリスク評価も継続されます」


聞いていない。


「他の受刑者への安全配慮も――」


「勝った」


弁護士が止まる。


「何です?」


トシアキが。


俯いたまま。


笑う。


「まず」


肩が震える。


「あの時の借りは返した」


「トシアキさん」


「法廷で」


顔を上げる。


「俺が連れていかれるの見てたよな」


もちろん。


そこに団体はいない。


クイーンもいない。


だが。


トシアキには。


見えている。


「終わったと思ったんだろ」


弁護士が静かに言う。


「これは、あの団体が決めたことではありません」


「分かってるよ」


「では――」


「だからいいんだよ」


トシアキは。


満面の笑みを浮かべた。


「お前らが作れって言った世界だ」


「……」


「お前らが守れって言った理念だ」


「トシアキさん」


「その理念で」


一言。


一言。


噛みしめる。


「俺が」


「お前らに」


「勝つ」


弁護士は。


何も言わなかった。


「まず一つ返した」


トシアキは笑う。


「あの判決の借りだ」


そして。


目を細める。


「でも」


「まだ終わりじゃねえ」


---


移送の日。


護送車。


鉄格子。


手錠。


窓の外は見えない。


トシアキは。


静かに座っている。


頭の中に。


団体の声明が浮かぶ。


この申立てを受け入れるべきではない。


トシアキが笑う。


「残念だったな」


誰もいない。


「通ったぞ」


護送車が揺れる。


「お前らが作った法で」


トシアキは。


ゆっくりと顔を上げる。


「お前らの理念で」


拳を握る。


「お前らに勝つ」


そして。


初めて。


次のことを考える。


女性刑務所に。


ただ入るだけではない。


入ったあと。


何をするか。


何を起こせば。


あいつらは無視できなくなる。


何をすれば。


もう一度。


声明を出さずにはいられなくなる。


その発想が。


トシアキの中に芽を出す。


「見てろよ」


薄く笑う。


「ここからだ」


---


巨大なゲートが開く。


女性受刑者施設。


職員が待っている。


トシアキが。


護送車から降りる。


新しい建物。


新しい収容区。


遠くに。


女性受刑者たち。


何人かが。


こちらを見ている。


トシアキも。


彼女たちを見る。


だが。


その目に。


彼女たち個人は映っていない。


見えているのは。


遠く。


ここにはいない。


自分が宿敵と決めた人間たち。


トシアキが。


小さく笑う。


――借りは返した。


――次は。


――俺の番だ。


背後。


巨大なゲートが閉まる。


ガシャン。


トシアキは。


女性刑務所の中で。


ただ一人。


笑っていた。

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