第61話 十三本目の見えない流路
十二本の主流路とは別に、ほとんど反応していない十三本目の経路がある。
その報告を受けた翌朝、エレナが最初にしたことは、現地へ人を送ることではなかった。
「百年以上前の鉱山記録、見つかりました」
国際合同調査所へ入ってきたベルナールが、丁寧に包まれた複写紙を机へ置いた。前夜、エレナたちが十三本目の延長方向に旧火山地帯があると突き止めたあと、各国の古文書担当へ急ぎ照会を出していた。その返答の第一便だった。
「どこの記録ですか?」
「エルグラン王国南東部。現在は廃坑になっている銀鉱山の作業日誌です。年代は百二十七年前」
「百五十年前の大異常とは別?」
「ええ。二十年以上後です」
それだけで、エレナの関心はさらに強くなった。
もし百五十年前の広域異常と同じ日に書かれた記録なら、当時の現象に引っ張られた証言かもしれない。しかし二十年以上ずれているなら、十三本目の先にある地域固有の特徴を示している可能性がある。
ベルナールが該当箇所を指した。
『南西火山旧道付近、深夜に地鳴りあり。翌朝、廃熱谷の地面暖かく、魔石灯を近づけると火を入れずとも淡く光る。三日後には元へ戻る』
「……火を入れなくても?」
ノアが通信石越しに聞き返した。
「記録どおりなら」
エレナは文面を何度も読み返した。
「周囲の環境魔力だけで灯具が反応した可能性があります」
『でも百二十七年前ですよね。中央高地の大異常と関係あるんですか?』
「分かりません。ただ」
エレナは大陸地図の十三本目を指でなぞった。
中央高地。
そこから南西。
人の少ない山岳地帯を抜け、その先には古い火山群がある。今では活動を終えたとされ、一部の谷では地熱だけが残っている。
「方向は合っています」
『偶然の地熱現象かもしれない』
「はい」
『天然の魔石層かもしれない』
「はい」
『じゃあ――』
「だから調べます」
ノアが小さく笑った。
『いつものやつですね』
「大事なので」
それから一時間後、エルグラン側からさらに三件の古記録が届いた。
一つは火山麓の牧畜村。
『夏にもかかわらず谷底より白き靄立つ。家畜近づかず。翌日、魔力計測具が振り切れる』
もう一つは修道院。
『南西の谷より青光を見た。雷鳴なし。風なし』
最後は古い街道管理記録。
『地熱谷付近、携帯結界具が過剰反応。通行を三日停止』
「別年代?」
エレナが尋ねると、ベルナールは三枚を並べた。
「それぞれ九十四年前、八十一年前、四十三年前です」
「一回きりじゃない」
『それなら』
ノアの声が少し真剣になる。
『十三本目が時々動いていた?』
エレナはすぐには答えなかった。
そう考えれば、説明しやすい。
中央高地に魔力が溜まりすぎたときだけ十三本目が開き、旧火山地帯へ余剰を逃がす。
そして何日か経つと止まる。
けれど、説明しやすいからといって正しいとは限らない。
「まず十三本目が本当にそこへ続いているか確認します」
『現地へ?』
「十三本目そのものを追います」
午前中、地下流路班が中央構造の再測定へ入った。
エレナ自身は今回は入口側の統合観測所に残った。十三本目の追跡は地下流路班が主担当であり、エルグランの技師たちのほうが地質反応の読み取りに慣れている。
数日前なら、自分も中へ入りたくて仕方なかっただろう。
今も、もちろん入りたい。
ただ、入りたいことと、自分が入る必要があることは別だった。
「十三番反応、確認」
通信石から現地技師の声が届く。
「中心機構から?」
『正確には中心本体から直接ではない。十二本の主分配環の外側から分岐している』
「外側?」
『ああ。主回路とは構造が違う』
エレナは図面へ新しい線を書き加えた。
十二本の主流路は、中心機構から放射状に伸びている。
十三本目は違う。
中心を一度囲むように走る外周環から、斜めに抜けている。
「補助路に近い」
『俺もそう見る』
「流路断面は?」
『主路の三分の一程度』
「細いですね」
『常時流す量じゃないんだろう』
その一言に、エレナの胸が少し高鳴った。
常用ではない。
必要なときだけ。
そういう設計に見える。
「遮断機構はありますか?」
『探している』
数分。
通信が途切れる。
やがて。
『あった』
「形は?」
『中央環に近いところに、円盤状の機構が一つ。完全に閉じてる』
「魔力反応」
『ほぼゼロ』
「動作痕」
『古いが、ある。開閉式だ』
エレナは席を立った。
「図を送ってください」
『もう送った』
受信紙。
粗い。
しかし。
分かる。
円盤。
その周囲に。
段階式の制御溝。
「安全弁みたい」
リナが横から言った。
エレナはすぐ否定しなかった。
「かなり似ています」
「圧が上がったら開く?」
「可能性はあります」
ハロルドが別卓から図面を覗き込んだ。
「軍用の過負荷逃がし弁と発想は同じだな」
「規模が違いますけど」
「規模が違っても、壊れる理屈はそう変わらん」
余剰が出る。
本体へ負担が集中する前に、別経路へ逃がす。
今、自分たちが作った過剰魔力遮断核も、根本は同じだった。
「もし十三本目が安全放出路なら」
エレナは言った。
「今起きている広域偏流の説明が一つ増えます」
「どういうこと?」
リナが尋ねる。
「主分配が途中で詰まる。それでも中心へ魔力は入ってくる。本来なら十三本目を開いて余剰を逃がす。でも今は十三本目も閉じている」
「だから中央に溜まる?」
「可能性があります」
「じゃあ」
リナが少し身を乗り出した。
「十三本目を開けば――」
「待ってください」
エレナは即座に止めた。
言ってから、少し強すぎたかと思った。
「すみません」
「いえ。私も今、開けばいいのにって思いました」
「私も思いました」
「思ったんですか」
「かなり」
だからこそ危ない。
壊れたものを見ると直したくなる。
閉じた弁を見ると開けたくなる。
けれど。
「出口が分かっていません」
エレナは地図を指した。
「この先が旧火山地帯だからといって、どこへ出るかは分からないです」
「もし町へ繋がってたら?」
「大量の魔力を一気に送り込むことになります」
「天然魔石層なら?」
「過充填するかもしれません」
「地下水なら?」
「影響が読めません」
ハロルドが短く言う。
「撃つ先を確認せずに大砲を撃つ馬鹿はいない」
「すごく軍人らしい説明ですね」
「分かりやすいだろう」
「はい」
午後の国際技術会議では、案の定「試験的に十三本目を開けないか」という意見が出た。
「一パーセントでもいい」
東方王国の代表が言う。
「本当に安全弁なら、中央高地の魔力濃度を下げられるかもしれない」
「その一パーセントが、どこへ出るのか分かりません」
エレナは答えた。
「しかし現在の中央高地そのものが危険だ」
「分かっています」
「では何もしない?」
「出口を確認します」
「何日かかる」
「分かりません」
「その間に次の異常が来たら?」
痛いところだった。
次の広域偏流がいつ起きるか。
誰にも分からない。
明日かもしれない。
一月後かもしれない。
それでも。
「分からない場所へ魔力を流すほうが危険です」
「慎重すぎる」
「慎重です」
「認めるのか」
「はい」
エレナは相手から目を逸らさなかった。
「世界規模の設備なので」
それで十分だった。
誰か一人の工房で。
失敗して。
部品を取り替える。
そういう規模ではない。
「もし出口側に人が住んでいたら」
エレナは続けた。
「私たちは、その人たちに何も知らせずに高濃度魔力を送ることになります」
「旧火山地帯は無人だ」
「今の地図では」
そこでベルナールが補足した。
「季節放牧者や採掘者が入る可能性はあります。それに、無人なら何をしてもいいという話でもないでしょう」
「環境影響か」
「ええ」
最終的に、十三本目の開放試験は見送られた。
代わりに。
出口探索。
決定。
方法は二つ。
一つ。
中央側から、十三本目へ微弱な識別波を入れる。
ただし自然流動へ影響しない強さ。
二つ。
旧火山地帯へ複数の受信班を配置し、その信号を探す。
「問題は距離ですね」
ノアが言った。
「直線でもかなりあります」
「地下ならもっと」
「あと」
ノアは紙を持ち上げる。
「信号を入れたら、それ自体が流路を刺激する可能性」
「最小出力で」
「検出できるぎりぎり」
「お願いします」
『こっちで決めます』
「はい」
『今、口出ししそうでした?』
「少し」
『正直でよろしい』
翌日。
旧火山地帯への先行調査隊が出発した。
エレナは行かなかった。
今回の中心は、地質。
地下流動。
環境観測。
自分より適任がいる。
帝都から来たエルグランの地下魔力技師長が現地統括を担当し、カルディアから地熱・大気観測班、帝国から通信技師と安全技師が同行する。
地図の上では。
何もない土地。
でも。
古記録には。
何度も。
異常が残る。
初日。
異常なし。
二日目。
地熱谷到着。
『地表温度、周辺比プラス六度』
『大気魔力、平常比プラス三』
『地下簡易値、プラス九』
高い。
でも。
危険域ではない。
三日目。
受信器を。
谷。
北斜面。
旧鉱山跡。
三か所へ。
配置。
中央高地側。
微弱識別波。
準備。
信号。
単純。
三短。
一長。
三短。
「やけに古風ですね」
リナ。
「ノアさん案です」
『聞こえてますよ』
通信石から。
声。
「もっと複雑なのかと」
『地下で識別できればいいので、単純なほうがいい』
「なるほど」
エレナ。
時計。
見る。
「開始します?」
『こっちの確認は終わってます』
「旧火山側」
『三地点待機』
「出力」
『通常試験の百分の一以下』
「では」
一瞬。
胸。
速い。
「お願いします」
送信。
一回目。
三短。
一長。
三短。
待つ。
谷側。
反応。
なし。
二回目。
少し。
周波数。
変える。
待つ。
『北斜面、微弱反応』
通信室。
空気。
変わる。
「形は?」
『識別不能。雑音が多い』
「もう一度」
三回目。
同じ。
受信。
『北斜面――三短、一長、三短』
ノアが。
思わず机を叩いた。
『通った』
エレナは。
息を吐く。
「十三本目」
『旧火山地帯へ繋がってます』
少なくとも。
どこか。
そこまで。
来ている。
「受信強度の差」
『北斜面が最大。谷底は弱い。旧鉱山跡はほぼゼロ』
「北斜面寄り」
『そう見ます』
探索範囲。
狭まる。
翌日。
北斜面。
追加。
十地点。
識別波。
測る。
さらに。
絞る。
地表。
何もない。
黒い岩。
低木。
古い火山灰。
でも。
地下。
反応。
強い。
『一地点だけ、異常に吸われる』
エルグラン技師長の声。
「吸われる?」
『送った識別波が返ってこない』
「遮断?」
『違う。減衰の仕方が変だ』
「地下へ広がる?」
『そんな感じだ』
その言葉。
エレナ。
図面。
見る。
十三本目。
逃がし。
行き先。
もし。
単なる出口ではなく。
何か。
大量の魔力を。
受け止める。
場所。
だとしたら。
「掘らないでください」
『分かってる』
「先に地響き式で」
『もうやってる』
「すみません」
『本当に口を出したがるな』
「かなり」
数時間後。
地下反応図。
届く。
エレナは。
最初。
意味。
分からない。
「何です、これ」
リナが。
覗く。
十三本目。
細い。
一本。
旧火山地帯へ。
来る。
そして。
地表下。
深い場所。
そこで。
突然。
反応。
広がる。
線。
ではない。
面。
でもない。
大きな。
層。
厚い。
何層にも。
重なる。
「天然構造?」
エレナ。
聞く。
『その可能性が高い』
エルグラン技師長。
『人工物みたいな直線がない。火山岩と多孔質鉱物層が混ざってる』
「魔力反応」
『異常に低い』
「低い?」
『周囲は高めなのに、この層だけほとんど出してない』
「吸収している?」
『断定はしない』
今度は。
相手が。
慎重。
エレナ。
少し。
笑う。
「ありがとうございます」
『何が』
「それ」
『そっちの癖がうつった』
「良い癖です」
『どうだかな』
でも。
可能性。
見える。
十三本目。
非常時。
開く。
余剰魔力。
旧火山地帯。
地下。
巨大。
天然の。
吸収層。
「ここへ」
リナ。
言う。
「逃がしてた?」
「かもしれません」
「それなら」
エレナ。
図。
見る。
何百年。
古い装置。
世界。
魔力。
偏り。
それを。
整える。
主流路。
十二。
それでも。
余る。
危険。
そのとき。
十三本目。
開く。
世界のどこか。
町。
ではなく。
人の少ない。
火山地帯。
そこへ。
逃がす。
「すごいですね」
リナが。
静かに。
言う。
「作った人」
「はい」
危険。
想定。
していた。
壊れること。
想定。
していた。
余ること。
想定。
していた。
そして。
人が暮らす場所ではなく。
天然の。
受け皿。
選ぶ。
「でも」
エレナ。
新しい。
観測値。
見る。
「まだ開けられません」
「どうして?」
「この吸収層が」
昔と。
同じ状態。
とは限らない。
地熱。
地殻。
鉱物。
百年以上。
いや。
装置。
もっと。
古い。
「どのくらい受け止められるのか」
分からない。
「一杯だったら?」
リナ。
「そこへ追加したら」
「逆に噴き出す?」
「可能性があります」
あるいは。
周辺地下。
過剰。
高温。
破砕。
地下水。
何が。
起こるか。
分からない。
十三本目。
見つけた。
出口。
たどり着いた。
でも。
だから。
すぐ。
直せる。
ではない。
夕方。
国際技術会議。
エレナ。
報告。
「十三本目は」
地図。
示す。
「旧火山地帯へ到達している可能性が、かなり高くなりました」
「終端は?」
「天然の多孔質魔力吸収層とみられる地下構造」
ざわめき。
「安全弁」
誰か。
言う。
「その可能性が高いです」
初めて。
そこまで。
エレナ。
認める。
「なら開けられる」
「まだです」
即答。
何人か。
予想していた顔。
「また?」
「はい」
「今度は何が足りない」
「容量」
エレナ。
見る。
「その吸収層が、今も安全に受け止められる量を確認します」
「時間が」
「必要です」
「中央高地は」
「まだ高いです」
「なら」
「だからこそ」
エレナ。
言葉。
強く。
「出口を壊してはいけません」
中央。
壊れている。
だから。
焦る。
でも。
安全路まで。
壊したら。
次。
ない。
「直せばいい」
そう。
簡単。
ではない。
壊れたもの。
その先。
繋がる。
世界。
全部。
見ないと。
触れない。
会議後。
エレナは。
十三本目。
図面。
見る。
昨日まで。
ほとんど。
見えなかった。
細い。
反応。
誰も。
主流路。
と思わなかった。
でも。
もし。
それが。
壊れた世界を守るための。
最後の。
逃げ道。
だったなら。
「目立たないものほど」
エレナ。
小さく。
言う。
「大事なこともあるんですね」
リナが。
少し。
笑う。
「エレナさんが、それ言います?」
「どうして?」
「昔、見えない仕事を全部やってた人なので」
エレナ。
一瞬。
止まる。
そして。
少しだけ。
笑った。
「そうでした」
目立たない。
だから。
いらない。
ではない。
普段。
使わない。
だから。
役に立たない。
でもない。
十三本目は。
何十年。
何百年。
静か。
だったのかもしれない。
それでも。
世界が。
限界へ来たとき。
必要になる。
そんな。
場所。
だったのかもしれない。
翌朝。
旧火山地帯から。
吸収層の詳細測定。
第一報。
届く。
そして。
その数字を見た。
エルグランの地下魔力技師長が。
一言。
送る。
『容量、思ったより少ない』
さらに。
追加。
『一部層が潰れている可能性あり』
エレナは。
その文。
何度も。
読んだ。
十三本目。
生き返らせれば。
終わり。
ではない。
その先の。
受け皿まで。
長い時間の中で。
壊れ始めていた。




