第60話 世界を直すための設計図は、一人では描けません
# 第60話 世界を直すための設計図は、一人では描けません
中央高地地下構造の修復可能性調査が正式に承認された翌朝、エレナが最初に作ったのは、巨大装置の修理図面ではなかった。
誰が、何を調べるのか。
その一覧表だった。
現地宿営所の長机いっぱいに大陸地図と地下構造図を広げ、その横へ真新しい紙を置く。紙の上には十二本の主流路、故障が疑われる四番から五番の区間、停止した補助流路、円形の中央機構が描かれているが、肝心の修理方法については一行も書かれていなかった。
「国家魔導技師長が作る最初の修復計画書に、修理方法が書いてないんですか?」
ノアが通信石越しに聞いてきた。
彼は帝都の国際通信室に残り、中央高地と各国を結ぶ通信網を統括している。朝一番から呼び出されたらしく、声にはわずかに眠気が残っていた。
「書けません」
「そこまで堂々と言われると、こっちが困りますね」
「分からないので」
「さらに堂々とした」
エレナは気にせず、紙の一番上へ大きく書いた。
『国際中央魔力循環修復計画――専門分野別責任案』
ノアが数秒黙った。
「長い」
「必要な情報は入っています」
「もう少し格好よく――」
「正式名称ですから」
「はいはい」
聞き慣れたやり取りに、現地にいるカルディアの高地技師が笑った。
「帝国ではいつもこんな感じなんですか?」
「だいたい」
ノアが即答する。
「違います」
エレナも即答した。
「ほら」
「何がです?」
「息が合ってます」
エレナは少しだけ頬を熱くしながら、話を戻した。
「まず地下魔力流路です。これはエルグランの鉱山・地下魔力研究班を中心にしてください。私は流路そのものの地質評価はできません」
エルグランの技師が腕を組む。
「中心は引き受ける。ただし魔導構造との接続部はそっちだぞ。岩と回路の境目なんて、俺たちだけでは判断できん」
「そこは帝国研究院と、故国の結界技師班が共同で」
次に、カルディア。
「大気魔力との交換については、カルディアの気象魔力観測班にお願いします。地下から大気へ何がどの程度放出されているのか、こちらだけでは分かりません」
「引き受ける。でも、空だけ見ていても駄目でしょう」
「はい。エルグラン側と観測時刻を完全同期してください」
医療。
アメリア。
「現地救護所の運用と、高魔力環境下での人体影響監視をお願いします」
『もちろん。ただし“技師は異常値が出るほど近づきたがる”という前提で医療計画を組むわ』
通信石から聞こえた声に、現地の技師たちが何人か目を逸らした。
「否定できませんね」
エレナが言うと、アメリアはすぐ返した。
『あなたが筆頭よ』
「最近は気をつけています」
『最近は、ね』
ハロルドには安全遮断と高魔力環境での装備保護。グレゴールには現地宿営、水、排熱、避難経路など公共設備。バルクとユルゲンには物資輸送。マティアスには長期工事を見据えた食料備蓄と高地での保存計画。
そしてノア。
「国際通信網の責任者」
『それは分かってます』
「中央高地専用の非常通信計画も」
『作り始めてます』
「最低限符号だけでなく、修復工程ごとの専用符号も――』
『主任』
「はい?」
『そこは俺の仕事です』
穏やかな言い方だった。
それでもエレナの口が止まる。
『必要になったら相談します。先に全部決めないでください』
「……はい」
『納得してない?』
「しています」
『顔が見えないのに嘘っぽい』
現地で笑いが起きる。
「少しだけ考えたかったです」
『それを言うなら、俺も回路設計に口を出してみたいですよ』
「それは困ります」
『でしょう?』
「分かりました」
エレナは通信の欄から手を離した。
簡単ではない。
任せることには慣れてきたつもりだったが、巨大な問題を前にすると、手を伸ばしたくなる癖はまだ残っている。
けれど、その手を引っ込めることも、もうできる。
午前のうちに作った表には、十以上の責任分野が並んだ。
内部回路。
地下流路。
大気交換。
地質。
遮断・安全。
医療。
宿営・水道。
輸送。
通信。
食料・農業。
歴史記録。
国際調整。
そして最後。
『全体技術調整――エレナ・ヴァリエ』
自分の名前を書いたあと、エレナは少し考えた。
その横へ。
『各分野の専門判断を上書きしない』
と付け加えた。
午後、その責任案は国際合同会議へ持ち込まれた。
反応は、予想以上に悪かった。
「責任を分散しすぎではありませんか」
最初に異議を唱えたのは、東方王国の政治代表だった。
「この計画の技術責任者は、エレナ国家魔導技師長では?」
「全体調整責任者です」
「同じでしょう」
「違います」
エレナは資料をめくった。
「私は地下地質の専門家ではありません。高地気象も、医療も、長距離輸送も、土木も専門外です。その分野の最終技術判断まで私が持つほうが危険です」
「しかし問題が起きたとき、誰に責任を問う?」
「問題の種類によります」
「それでは責任逃れでは?」
言われると思っていた。
それでも、少し胸に刺さった。
責任を逃れたいのではない。
むしろ逆だ。
誰もが「全部エレナが決めた」と言えてしまう仕組みこそ、危ないと思っている。
「では、一つ例を出します」
エレナは中央高地の地質断面図を示した。
「地下掘削中に岩盤崩落の危険が出たとします。私が続行可能だと言い、エルグランの地質責任者が撤退すべきだと言った場合、どちらの判断を採用するべきだと思いますか?」
「地質責任者でしょう」
「はい」
「ですが――」
「医療ならアメリアさんです。通信ならノアさん。輸送ならユルゲンさん。私はそれぞれの判断をつなぎ、全体として矛盾しないよう調整する立場です」
東方代表は不満そうに指を組んだ。
「それでは国家魔導技師長という肩書が軽すぎる」
「肩書を重くするために、専門外の命令権を持つほうが危険です」
エレナ自身、その言葉を口にして、少し不思議な気持ちになった。
昔の自分なら。
任されたのだから全部やるべきだと思った。
できるかどうかより先に、やらなければと考えた。
でも今は違う。
「私は」
エレナは会議室を見渡した。
「何でもできるから、この仕事を任されているわけではありません」
静かになった。
「何が分からないかを確認し、分かる人をつないで、互いの仕事がぶつからないようにする。それが今の私の役割だと思っています」
「ずいぶん控えめな技師長ですね」
「そうでしょうか」
「もっと、“私が世界を直す”と言ったほうが国民受けはいい」
「言えません」
エレナは即答した。
「事実ではないので」
ベルナールが吹き出しそうになり、咳払いで隠した。
「エレナ技師長らしい」
「褒められてます?」
「今回は」
そこへ、帝国側の出席者席から声が上がった。
クロムウェルだった。
本来、技術部会の日常会議へ皇帝が毎回出席することはない。しかし今日は、国際修復計画の統治構造を決める重要会議ということで、後半から参加していた。
「帝国としても、その責任案を支持する」
東方代表が振り向く。
「皇帝陛下は、国家魔導技師長へより強い統括権を与えるお考えではない?」
「ない」
あまりに短い返事だった。
「理由を伺っても?」
「専門外の人間へ強い権限を集めれば、決断は速くなる」
「ならば――」
「間違うのも速くなる」
会議室が静まる。
クロムウェルはエレナではなく、各国代表を見た。
「私はエレナに、すべての答えを持つことを求めていない」
その言葉。
エレナの胸へ。
静かに届く。
「必要な答えを持つ者を見つけ、その判断を国境を越えて接続すること。それが彼女へ求めている仕事だ」
「ですが最終責任は?」
「統治判断なら私が負う。各技術分野なら、承認された責任者が負う。全体技術調整についてはエレナが負う」
クロムウェルは淡々と続ける。
「責任を一人へ集めておけば、事故が起きたとき首を一つ切れば済む。政治的には分かりやすい。だが、世界の魔力循環を直すには役に立たん」
かなり冷たい言い方だった。
けれど。
分かりやすい。
東方代表も、それ以上は「責任逃れ」とは言わなかった。
最終的に、専門分野別責任制は採択された。
エレナの役割は、全技術決定の頂点ではない。
横断調整。
分野間衝突の処理。
国際技術記録の統合。
そして、複数分野へまたがる変更だけを共同承認へ持ち上げること。
「つまり」
会議後、リナが資料を見ながら言った。
「エレナさんの仕事、減ったんですか?」
「……どうでしょう」
「増えてません?」
「少し」
「ですよね」
決めることは減った。
しかし聞くことが増えた。
各分野が何をしているか。
何が必要か。
どこでぶつかるか。
それを把握しなければならない。
「楽にはなってませんね」
「でも」
エレナは採択済みの責任表を見る。
「いいです」
「何が?」
「私が倒れても」
そこでリナが睨んだ。
「例えです」
「続けて」
「私がいなくても、各分野は動けます」
「それ、前なら寂しがってませんでした?」
「少しは今も」
「正直」
「でも」
エレナは笑った。
「そのほうが安心です」
翌日から、各専門班の本格調査が始まった。
エルグラン班は十二本の地下流路へ仮番号を振り、地質境界と流動方向の再測定へ入る。
カルディア班は高地上空へ無人観測器を増設し、地下脈動と大気魔力の位相差を追う。
アメリアは、作業員が自覚しにくい魔力酔いの初期症状を一覧化し、本人申告だけに頼らない交代基準を導入した。
グレゴールは現地宿営を見て、「こんなものは基地ではなく大きな野営だ」と言い放ち、水路、排水、便所、避難坑道まで含めた再整備計画を出した。
ユルゲンとバルクは、高地まで直接魔導列車を伸ばすという無茶な期待を即座に退け、既存軌道、馬車、河川輸送、山岳荷役をつなぐ現実的な輸送網へ組み直した。
ノアは通信。
こちらは早かった。
『主任』
「はい」
『修復工程専用の共通符号、第一案できました』
「もう?」
『通信は待ってくれないので』
「見せてください」
『見せますけど、直すのは相談してからにしてくださいね』
「信用がない」
『実績です』
アメリアと同じことを言う。
少し。
悔しい。
でも。
エレナは笑った。
午後。
久しぶりに。
自分の専門。
内部回路班。
そこへ入る。
故国の結界技師。
帝国研究院の精密技師。
ベルナール。
壁いっぱい。
円形中心機構。
十二本の主流路。
焼損箇所。
補助迂回路。
「ここ」
エレナが指す。
「四番と五番の間だけ、主路材の層構成が違います」
ベルナールが拡大図を見る。
「補修歴?」
「可能性があります」
「古代の?」
「はい」
最初から同じではない。
何らかの時代に。
一度。
直している?
「試料を採れますかな」
「構造本体からはまだ」
「崩落片」
「あります」
その日の後半は。
夢中。
だった。
材質。
層。
回路。
そこ。
エレナ。
得意。
楽しい。
でも。
途中。
自分で。
気づく。
「この試料分析」
「はい」
「材料班へ回してください」
精密技師が。
少し。
驚く。
「技師長が見ないんですか?」
「見ます」
「なら」
「主担当は材料班」
自分。
調整。
「私は回路側を見ます」
「……本当に変わりましたね」
「そんなに?」
「前なら三日寝ずに全部見てました」
「それは誇張です」
ベルナールが咳払い。
「私は、似たようなものだったと記憶していますが」
「二人とも」
エレナ。
少し。
顔。
熱い。
「仕事してください」
夕刻。
各班から第一日目の報告が揃った。
地下流路。
十二本すべての方向。
ほぼ確認。
大気交換。
地下脈動のあとに大気変動が遅れて現れる傾向。
医療。
長時間高魔力環境で軽い頭痛を訴えた作業員二名。即交代。
宿営。
排水不良箇所あり。
輸送。
重量物搬入には新しい中継拠点が必要。
通信。
山岳反射対策の第二中継器候補地決定。
問題。
たくさん。
進展。
たくさん。
エレナは。
一枚ずつ。
読む。
以前なら。
問題が多いほど。
自分で。
何とかしようと。
思った。
今は。
誰が担当か。
先に見る。
「これはグレゴールさん」
「これはアメリアさん」
「これはノアさん」
リナが。
横。
少し。
にやにや。
「何です?」
「ちゃんと分けてるなって」
「制度にしたので」
「制度だけじゃなく?」
エレナ。
一瞬。
考え。
「私も」
変わる。
必要。
「少しは」
「かなり?」
「それは言わせたいだけでしょう」
そのとき。
エルグランの地下流路班から。
追加報告。
届く。
「技師長」
現地技師。
少し。
困惑した顔。
「これを見てくれ」
「何です?」
「十二本の方向を」
大陸地図。
重ねる。
十二。
ほぼ。
各方面へ。
伸びる。
「昨日も見ました」
「違う」
彼。
もう一枚。
古い観測図。
「弱い反応を除外せずに全部拾った」
「弱い?」
「主流路とは呼べん。通常値の一パーセントもない」
細い。
線。
中心。
地下。
伸びる。
「十三?」
エレナの指。
止まる。
「方向は?」
「それが」
地図。
今の。
国境。
都市。
観測所。
どれにも。
合わない。
大陸中央。
そこから。
南西。
でも。
既存の十二本とは。
少し。
角度。
違う。
「この先」
エルグラン技師が言う。
「何があります?」
地図を見る。
山。
その先。
古い火山地帯。
人。
ほとんど。
住んでいない。
「何も」
リナ。
答える。
「ない?」
「少なくとも今の地図では」
エレナは。
図面。
見比べる。
十二。
主流路。
大陸。
各方面。
そして。
ほとんど。
死んでいる。
十三本目。
もし。
古代装置が。
故障時。
逃がし。
持つなら。
補助路。
一つ。
あっても。
おかしくない。
「ノアさん」
通信。
呼ぶ。
『はい』
「中央構造から」
『何か?』
「十三本目があるかもしれません」
向こう。
一瞬。
沈黙。
『昨日まで十二って言ってませんでした?』
「主流路は十二です」
『じゃあ十三本目は?』
エレナ。
細い。
反応。
見る。
「まだ」
分からない。
でも。
その線。
今まで。
誰も。
気にしていなかった。
弱すぎて。
死んでいるように。
見えた。
「主流路ではないと思います」
『補助?』
「たぶん」
『どこへ?』
エレナは地図の南西。
古い火山地帯を指でなぞった。
「誰も測っていないところへ」
また。
空白。
これまで。
重要ではない。
と思われていた場所。
でも。
大陸を守る巨大装置が。
本当に調整機構なら。
使わないときには。
ほとんど反応せず。
異常時だけ働く。
そんな系統が。
あっても。
おかしくない。
エレナは。
新しい紙を出す。
『第十三反応路――機能不明』
まだ。
名前だけ。
「調べましょう」
自分で。
言う。
でも。
次。
ちゃんと。
付け加える。
「地下流路班を中心に」
エルグラン技師が。
にやり。
笑う。
「分かってきたじゃないか、国家魔導技師長」
「何がです?」
「世界を直す設計図は」
彼は地図を軽く叩いた。
「一人で描くもんじゃないってことだ」
エレナは。
十二本。
そして。
十三本目。
見る。
「はい」
今度は。
迷わず。
答えた。
「だから、一緒に描きます」
その言葉を口にしたとき。
地図の南西。
誰も住んでいないはずの旧火山地帯から。
百年以上前の鉱山記録に。
ただ一行だけ。
奇妙な記述が残っていることを。
まだ。
誰も。
知らなかった。




