第59話 壊れているのは、世界ではなく調整装置かもしれない
大陸中央高地の地下にある巨大構造体が、世界各地の魔力変動とほぼ同じ周期で脈動している。
その事実が確認された翌朝、エレナは現地調査所の机いっぱいに、十二本の魔力路を描いた図面を広げていた。
外では夜のうちに降った雪が山肌を薄く覆い、仮設天幕の布を風が低く鳴らしている。朝の魔力濃度は平常比プラス一六。異常域ではあるが、調査継続の基準内だった。
昨日見つけた円形構造。
直径十メートルを超える中心部。
そこから十二方向へ伸びる太い魔力路。
そして、順番に光りながら四本目か五本目あたりで止まり、最初からやり直す奇妙な動作。
「これ、やっぱり正常には見えませんよね」
帝国の精密測定技師が、温かい茶を両手で包みながら言った。
「正常を知らないので、断定はできません」
「技師長はいつもそれですね」
「大事なので」
「でも、同じ処理を何度も失敗しているように見える」
「私もそう思います」
エレナは図面の中心を指でなぞった。
一番目。
二番目。
三番目。
四番目。
そこで脈動が乱れる。
出力が跳ねる。
五番目へ渡りきらない。
すると中心部が一度強く発光し、全系統が初期状態へ戻る。
昨日だけで七回。
夜間の遠隔観測では十一回。
ほぼ同じ。
「魔導具なら」
エレナが言った。
「制御途中で異常判定が入って、最初からやり直しているように見えます」
「再試行?」
「はい」
カルディアの高地技師が眉を寄せる。
「でも、それなら何百年も?」
「そこが分かりません」
「何百年も同じ失敗を繰り返してる?」
「可能性としては」
エレナは少しだけ苦い顔をした。
「嫌ですね、それ」
「どうして?」
「人間なら、とっくに休ませたいです」
数人が笑った。
しかし。
冗談だけではなかった。
壊れたまま。
止まれず。
同じ処理を。
何度も繰り返す。
それは。
少し前までの自分にも。
似ていた。
「今日は」
エレナは図面を折りたたまず、そのまま全員へ見えるように置いた。
「この構造が“何をしたいのか”を考えます」
「昨日までは機能を断定しないって」
エルグランの地下魔力技師が言う。
「断定はしません。でも、設計思想なら読めるかもしれません」
「思想?」
「作った人が、どんな問題を解こうとしたのかです」
機械には。
癖が出る。
何を怖がったのか。
どこを守ろうとしたのか。
壊れたらどう止めるつもりだったのか。
性能だけではない。
設計者の考え。
そこが。
道具には残る。
「まず」
エレナは十二本の魔力路を見る。
「もしこれが“吸収装置”なら」
「はい」
「一度集めた魔力を、なぜ十二方向へ分けるんでしょう」
沈黙。
故国の結界技師が答える。
「貯蔵するなら中心へ集めたままでいい」
「そうです」
「外へ戻すため?」
「その可能性が高いと思います」
「じゃあ」
カルディア技師。
「世界から吸い上げて」
「そこ」
エレナは止める。
「順序が逆かもしれません」
「逆?」
「世界から吸っているのではなく」
大陸全体。
地下魔力網。
そこを思い浮かべる。
「もともと流れてくるものを、ここで分けていた」
エルグラン技師が腕を組んだ。
「中央分配所みたいなものか」
「近いです」
「なら、今は」
「分けきれていない」
中心へ来る。
出口へ渡す。
でも。
一部の経路で止まる。
だから。
溜まる。
溜まりすぎる。
圧力のようなものが高くなる。
周辺からさらに魔力を引き込む。
あるいは。
逆流を起こす。
そして。
限界近くで大気へ放出。
空が光る。
「一つずつ」
エレナは言った。
「仮説として繋ぎます」
黒板代わりの板。
『通常』
地下各方面から魔力流入。
中心で調整。
十二方向へ再分配。
『異常』
流入継続。
一部経路へ分配不能。
中心濃度上昇。
周辺流路から追加流入、または偏流。
大気放出。
広域低下。
「……かなり筋が通る」
精密測定技師が呟く。
「通りすぎるのが怖いです」
エレナは答えた。
「どうして?」
「説明できると、正しいと思いたくなるから」
だから。
検証する。
「四番から五番へ渡れない原因」
エレナは言う。
「そこを見たいです」
「入る?」
「今日は内部二十メートルまで」
「中心までは?」
「行きません」
昨日。
クロムウェルと約束した。
勝手に直さない。
一人で最深部へ行かない。
その約束だけではなく。
技術的にも。
まだ。
早い。
午前。
調査隊は再び内部へ入った。
昨日より装備は増えた。
過剰魔力遮断核。
予備。
物理綱。
通信線。
魔力に依存しない灯り。
退避標識。
全員が同じ経路で戻れるよう、入口から一定間隔で触知板も設置されている。
未知の巨大装置の中へ入るのに。
派手さはない。
むしろ。
安全確認ばかり。
でも。
その地味な積み重ねが。
エレナは好きだった。
「十五メートル」
護衛が距離を読む。
内部。
昨日見た青い線。
今日は。
少し暗い。
周期。
続いている。
「ここ」
エレナが止まる。
壁。
十二方向へ伸びる魔力路の一つ。
表面。
わずか。
色が違う。
「三番?」
精密技師が問う。
「たぶん」
古い記号らしき刻印。
読めない。
でも。
形の繰り返しで。
系統番号のように見える。
「触れないで」
エレナは言う。
「非接触だけ」
感応板。
近づける。
値。
上がる。
安定。
「三番、通ってる」
「はい」
次。
四番。
同じ。
でも。
少し。
脈動。
大きい。
「五番」
そこ。
近づく。
計器。
異常。
低い。
「……弱い」
エレナが呟く。
「中心は高いのに?」
「はい」
四番。
高い。
五番。
低い。
六番。
どうか。
その先。
少し歩く。
六番。
反応。
ほぼない。
「五番以降へ」
精密技師。
「流れてない?」
「少なくとも今は」
図面。
現地。
一致。
四。
そこで。
止まる。
「故障箇所」
護衛。
言う。
「近いかもしれません」
エレナ。
頷く。
「でも」
「直さない」
「はい」
自分で。
先に。
言う。
護衛が。
少し笑った。
「陛下から何か言われました?」
「どうして分かるんです?」
「顔」
「……皆さん、顔を読みすぎです」
さらに。
壁面。
調べる。
四番と五番の間。
太い導魔路。
途中。
僅か。
ひび。
自然崩落ではない。
内部。
白く。
変質。
「焼損?」
エレナ。
胸。
速くなる。
「長期間の過負荷?」
「可能性」
精密技師。
「高い」
表面。
温度。
周囲より。
二度。
高い。
今も。
微弱。
熱。
持つ。
「これ」
エレナ。
見つめる。
壊れている。
たぶん。
でも。
問題。
そこだけ?
「もしこの一本だけが原因なら」
「はい」
「どうして世界全体が?」
エルグラン技師。
「中央だから?」
「それもあります」
でも。
単純。
すぎる。
「一か所詰まったから」
エレナは言う。
「全大陸がこれだけ揺れるなら」
設計。
危険。
「本来は迂回路があるはずです」
「冗長系?」
「はい」
今の。
大型設備なら。
そうする。
昔。
でも。
この規模。
作る技術者が。
一つ壊れたら全部止まる設計にするだろうか。
「探しましょう」
周囲。
別系統。
補助路。
遮断。
切替。
何か。
あるはず。
一時間。
二時間。
見つからない。
途中。
魔力値。
上昇。
撤退。
外。
休憩。
再度。
別角度。
調査。
そして。
午後。
故国の結界技師が。
見つけた。
「これ」
床。
主魔力路の横。
細い。
溝。
ほとんど。
死んでいる。
「補助路?」
エレナ。
しゃがむ。
見える。
四番。
五番。
直接。
繋がず。
横へ。
大きく。
迂回。
している。
「やっぱり」
胸。
高鳴る。
「逃がしがある」
「でも反応ゼロ」
「はい」
「壊れてる?」
「かもしれません」
補助路。
追う。
数メートル。
途中。
巨大な。
円筒状部品。
壁内。
埋め込み。
その表面。
黒く。
変色。
「二つ目」
エレナ。
言う。
「一つじゃない」
主路。
損傷。
迂回路。
停止。
だから。
詰まる。
その可能性。
ぐっと。
上がる。
「何百年かけて」
精密技師。
「少しずつ壊れた?」
「あり得ます」
「百五十年前にも異常」
「はい」
「その時は戻った」
「はい」
つまり。
完全破壊ではない。
機能。
まだ。
残る。
ときどき。
うまく。
通る。
でも。
劣化。
進む。
だから。
今。
異常。
強い?
「もし」
エレナ。
思考。
声になる。
「百五十年前は、一時的に詰まっても自力で戻せた」
「今は?」
「戻りにくくなっている」
その可能性。
怖い。
世界。
壊れている。
のではない。
世界の。
流れを。
整えていたものが。
壊れている。
なら。
修理。
できる?
その考え。
一瞬。
喜び。
でも。
すぐ。
押さえる。
「今日は」
エレナ。
言う。
「ここまで」
「技師長」
精密技師。
少し。
驚く。
「触らないんですか?」
「触りたいです」
「かなり?」
「かなり」
エレナ。
笑う。
「でも」
黒く変色した補助機構。
見る。
「これは」
自分の工房のランプとは。
違う。
国。
何個分。
そんな。
規模。
「直せる気がする」と。
気軽に。
言ってはいけない。
「世界規模の装置です」
外。
戻る。
その夜。
現地と帝都。
国際合同分析会。
資料。
主路損傷。
補助迂回路停止。
周期的再試行。
高濃度化。
広域低下。
光帯。
全部。
繋ぐ。
「仮説」
エレナ。
黒板。
『中央高地地下構造は、大陸魔力循環の偏りを緩和・再分配する調整設備である可能性』
初めて。
そこまで。
書く。
「そして」
次。
『現在、一部主流路および補助流路が損傷し、正常な再分配に失敗している可能性』
会議室。
静か。
「つまり」
カルディア代表。
「世界の魔力そのものが壊れているわけではない?」
「断定はできません」
「でも」
「少なくとも」
エレナ。
「今回の異常を、自然魔力そのものの衰弱だけで説明する必要はなくなりました」
エルグラン。
「装置故障?」
「主要仮説です」
故国。
ベルナール。
「直せる?」
その質問。
来る。
エレナ。
すぐ。
答えない。
「まだ」
「無理?」
「分かりません」
「あなたなら?」
誰か。
言う。
期待。
その響き。
昔なら。
嬉しかった。
今は。
少し。
怖い。
「私一人では」
エレナ。
はっきり。
「無理です」
誰も。
言葉。
出ない。
「規模が大きすぎます」
続ける。
「材質も」
「はい」
「地下構造も」
「はい」
「魔力脈も」
「はい」
「通信」
「はい」
「安全管理」
「はい」
「医療」
「はい」
「輸送」
「はい」
「全部」
必要。
「私が分かるのは」
エレナ。
自分。
認める。
「魔導構造の一部と、回路設計だけです」
でも。
それ。
弱さ。
ではない。
「だから」
地図。
見る。
「直すなら」
各国。
技師。
研究者。
交通。
軍。
医療。
土木。
「一緒にやります」
ベルナール。
少し。
笑う。
「ようやくその言葉が自然になりましたな」
「そうですか?」
「昔なら」
少し。
言葉。
選ぶ。
「全部、自分で抱えていました」
エレナ。
少し。
苦笑。
「今でも抱えたくなります」
「でしょうな」
「でも」
会議卓。
見る。
「抱えられないので」
正直。
それで。
いい。
議題。
次。
「修復計画を立てる」
外務官。
「技術側で?」
「まず調査計画です」
エレナ。
「まだ修理開始ではありません」
「でも」
「修理する可能性を前提に」
必要。
人。
物。
知識。
「大規模です」
ユルゲン。
帝都側。
通信。
「中央高地までの輸送路」
問題。
「魔導軌道」
エレナ。
顔。
上げる。
「まだ二十キロ実証線だけだぞ」
「はい」
「高地まで何百キロあると思ってる」
「分かっています」
「すぐには無理」
「分かっています」
「でも」
ユルゲン。
少し。
間。
「物資輸送の幹線が必要になるなら」
地図。
見る。
「今の計画、延伸前提で組み直す」
バルク。
「馬車だけじゃ無理だ」
アメリア。
「現地医療拠点」
マティアス。
「作業員の食料」
グレゴール。
「水と宿営」
ノア。
「国際通信」
ハロルド。
「危険域警備」
次々。
出る。
エレナ。
言わない。
全部。
他の人。
自分。
繋ぐ。
その瞬間。
少し。
鳥肌。
立つ。
一人。
ではない。
世界規模。
だからこそ。
世界で。
やる。
「計画名」
外務官。
聞く。
ノアが。
嫌な予感の顔。
「主任」
「何です?」
「また硬い名前」
「まだ言ってません」
「顔が」
「皆さん、本当に」
少し。
笑い。
そして。
エレナ。
言う。
「国際中央魔力循環修復計画」
ノア。
肩。
落とす。
「やっぱり」
「分かりやすいです」
「分かりやすいけど」
「正式名称ですから」
笑い。
起きる。
でも。
その名前。
大きい。
修復。
まだ。
できる。
とは。
言えない。
でも。
やる方向。
決める。
会議後。
夜。
現地宿営所。
エレナ。
一人。
ではない。
護衛。
医療。
技師。
近く。
いる。
でも。
少し。
外。
空。
見る。
今日は。
光っていない。
星。
寒い。
息。
白い。
通信石。
私信用。
短い。
震える。
クロムウェル。
『報告を読んだ』
エレナ。
少し。
笑う。
「早いですね」
『修理するつもりか』
文字。
エレナ。
返す。
『まだ調査です』
少し。
間。
『君の顔が見えるようだ』
「失礼ですね」
でも。
たぶん。
当たっている。
『直したいです』
正直。
送る。
返事。
『知っている』
その次。
『一人でやるな』
エレナ。
静か。
笑う。
『もう言われなくても分かっています』
間。
『本当に?』
『かなり』
送る。
少し。
恥ずかしい。
最近。
自分たち。
よく使う。
返答。
『なら信じる』
それだけ。
胸。
温かい。
エレナ。
空。
見る。
世界。
壊れかけている。
そう思っていた。
魔力。
減る。
凍る。
止まる。
光る。
怖い。
でも。
もしかすると。
世界そのものは。
壊れていない。
世界を。
何百年。
あるいは。
もっと長い時間。
静かに。
支えていた。
調整装置。
それが。
少しずつ。
壊れ。
今。
限界へ。
近づいている。
なら。
やること。
変わる。
世界を。
救う。
ではない。
壊れたものを。
見つける。
原因。
調べる。
直す。
ただ。
規模。
大きい。
だから。
国境を越え。
人。
集める。
それだけ。
エレナは。
父の工具箱。
手。
置く。
昔。
小さな。
工房。
壊れた魔導灯。
修理。
した。
今。
目の前。
大陸。
全部へ。
繋がる。
巨大装置。
でも。
根本。
同じ。
「壊れているなら」
小さく。
言う。
「直せるかもしれない」
すぐ。
自分で。
続ける。
「一人では無理ですけど」
その言葉。
前より。
ずっと。
自然。
だった。
翌朝。
国際合同会議へ。
正式提案。
『中央高地地下構造の大規模修復可能性調査を開始』
採決。
六か国。
賛成。
一部。
条件。
でも。
開始。
魔導列車。
通信網。
治癒瓶。
農業防護。
過剰魔力遮断核。
失敗記録制度。
今まで。
別々に。
作ってきた。
全部。
これから。
一つの。
大きな。
仕事へ。
繋がっていく。
そして。
世界中の技師たちは。
初めて。
「次の異常に耐える」だけではなく。
異常の原因そのものへ。
手を伸ばし始めた。




