第62話 直せばいい、では済まない
十三本目の流路が旧火山地帯へ伸び、その先に巨大な天然魔力吸収層らしきものがあると分かった翌日、エレナたちの前に出された最初の詳細報告は、期待していたものよりずっと厄介だった。
「吸収層の推定有効容量、昔の状態を基準にすれば三割から四割程度です」
国際合同調査所の通信卓から聞こえたエルグランの地下魔力技師長の声は、いつもより低かった。彼の背後では旧火山地帯の観測班が行き交い、紙をめくる音と測定器の警告音が断続的に混じっている。
エレナは手元の図面へ視線を落とした。
「三割から四割というのは、現在確認できる空隙率からの推定ですか?」
『それだけじゃない。地響き式測定、試験波の減衰、局所的な魔力保持率を全部合わせた概算だ。ただし、深部まではまだ見えていない』
「つまり、もっと多い可能性もある」
『ある』
「もっと少ない可能性も」
『そっちもある』
あまり嬉しくない答えだった。
十三本目の流路が非常時の安全放出路であり、旧火山地帯の吸収層がその受け皿だった可能性は高まっている。だが、その受け皿そのものが長い年月のあいだに潰れ、一部が塞がり、昔と同じだけの魔力を受け止められなくなっている。
それなら、中央高地の十三本目を直して開けば解決する――とはならない。
むしろ、下手に開けば別の場所で災害を起こす。
「閉塞の原因は?」
ベルナールが尋ねた。
『複数だな。火山岩層の圧縮、地殻変動、地下水の鉱物沈着。自然に潰れたところもあれば、細い空隙が鉱物で埋まったところもある』
「人工構造物ではなく、受け皿のほうは天然なんですね」
『今のところはそう見てる。少なくとも中央高地の装置みたいな規則的構造はない』
エレナは椅子の背に少しだけ体を預けた。
古代の設計者たちは、巨大な人工装置だけで世界の魔力を制御していたわけではないのかもしれない。自然に存在する地下構造を利用し、危険な余剰魔力を一時的に受け止めさせ、それを長い時間をかけて地下や大気へ戻す仕組みにしていた。
合理的だ。
そして、だからこそ厄介だった。
人工物なら部品を交換できる。
自然環境は、そう簡単には戻せない。
「仮に十三本目を今の状態で開いた場合」
ノアが帝都側の通信石から聞いた。
『流量による』
地下魔力技師長が答える。
「中央高地の現在の過剰分を逃がすのに必要な量を入れたら?」
少し沈黙があった。
『吸収層が先に飽和する可能性が高い』
「飽和すると?」
『近隣地下へ逆流する。悪ければ地表側へ魔力が吹き上がる』
室内の空気が変わった。
リナが小さく眉を寄せる。
「それって、中央高地で起きたことを旧火山地帯でも起こすようなものですか?」
「規模は分かりません」
エレナは答えた。
「でも、似た危険はあります」
『地熱と合わさると、さらに面倒だ』
エルグラン技師長が続ける。
『岩盤温度が上がれば、空隙内の地下水が動く。蒸気圧も変わる。魔力だけの話じゃなくなる』
「地盤災害まで」
「あり得ます」
エレナは図面の十三本目に引いていた青線を、そこで一度止めた。
昨日まで。
その線は希望に見えた。
壊れた安全弁。
直せば、溜まりすぎた魔力を逃がせる。
けれど、安全弁の先にある排出口そのものが壊れているなら、弁だけ直すのは危険だった。
「……直せばいい、では済まないですね」
誰に言うでもなく漏らすと、ミレイアが横から苦笑した。
「ようやくその言葉が出たわね」
「嫌な意味でですけど」
「技師には大事よ。壊れたものを見ると、すぐ手を出したくなるでしょう?」
「かなり」
「知ってる」
自分でも、よく分かっている。
焼けた回路があれば交換したくなる。
閉じた弁があれば動かしたくなる。
欠けた接合部があれば補修したくなる。
それが職人の性分だった。
けれど今相手にしているのは、一台の魔導具ではない。
壊れた部品の向こうに、山があり、地下水があり、地熱があり、国境があり、人が暮らしている。
午後の技術会議では、十三本目を先に修復する案が正式に却下された。
反対したのは、エレナ自身だった。
「中央高地側の弁を直すだけなら、技術的には比較的早くできます」
会議室の前方に立ち、エレナは図面を示した。
「ですが、今の吸収層へ十分な余剰魔力を流すと、飽和する可能性があります。飽和後の逆流先も予測できません」
「一パーセント程度の試験なら?」
東方王国の代表が尋ねる。
「将来的には考えます。ただし、その前に受け皿の安全容量を把握し、途中で閉じられる独立遮断機構も用意します」
「古代装置の安全弁に、さらに現代の安全弁をつける?」
「近いです」
「慎重すぎないか」
「世界規模の装置を試すには、ちょうどいいと思います」
東方代表は少し不満そうだったが、それ以上は食い下がらなかった。
代わりにグレゴールが資料をめくりながら尋ねる。
「吸収層そのものを元に戻せるのか?」
質問が変わった。
エレナは旧火山側の技師長へ視線を向ける。
『全部は無理だ』
「全部?」
『自然に圧縮された地層を、昔の形へそのまま戻すなんてできん。無理に空隙を増やせば崩れる』
「では、使える部分だけ?」
『それなら可能性はある。ただし、閉塞部を全部掘ればいいって話でもない』
エレナは思わず笑いそうになった。
「そちらも“直せばいいでは済まない”んですね」
『地面は部品じゃないからな』
その一言で、少し緊張が緩んだ。
もっとも、問題は笑えるほど軽くない。
旧火山地帯の吸収層を調べた結果、いくつかの区域ではまだ十分な空隙が残っていた。ただし、それらは互いに繋がっておらず、昔は一続きだったと思われる層が途中で断たれている。
つまり、受け皿全体が小さくなったというより、内部が細かく分断されていた。
「一つの大きな水槽が、いくつもの小さな水槽になっているようなものです」
エレナが説明すると、バルクが腕を組んだ。
「なら小さい水槽同士を繋げばいい?」
「簡単に言えば」
「難しく言えば?」
「地盤を壊さず、地下水脈を変えず、地熱を逃がしすぎず、魔力だけが緩やかに通る新しい経路を作る必要があります」
「……簡単なほうで聞けばよかった」
会議室に小さな笑いが起きた。
しかし、その言葉の中に次の方針があった。
古代の仕組みをそのまま元へ戻すのではない。
今残っている自然構造を壊さず利用しながら、現代技術で補う。
それが必要になる。
「新しい放出層を人工的に作る?」
ノアが尋ねる。
「全部を人工で作るのは規模的に無理です」
「じゃあ」
「残っている天然吸収層を使って、そこへ安全に分散させる補助経路を追加する」
エレナは図面へ新しい線を書いた。
十三本目から来た魔力を、一か所へ集中させない。
旧火山地帯の複数の吸収層へ分ける。
それぞれに流量制限。
過剰なら遮断。
温度、地下水圧、地盤変位、魔力濃度を監視。
「これは」
ベルナールが言った。
「古代装置の修理というより、新しい設備を足すことになりますな」
「はい」
「歴史的構造物へ?」
「直接は触りません」
エレナはすぐ答えた。
「できるだけ外付けにします」
その発想は、まだ輪郭しかない。
古代装置そのものを削り、作り替えるのではなく。
接続部だけを使い。
現代の回路を外側へ置く。
取り外せるように。
失敗したら戻せるように。
「原型を壊さない」
ベルナールが確認する。
「はい」
「でも補助する」
「はい」
「面白いですな」
エレナも、少しそう思った。
直す。
でも、全部を昔どおりにはしない。
残せるものは残す。
足りないところだけ補う。
それは、道具だけではなく。
人にも。
制度にも。
似ている気がした。
会議後、エレナは旧火山地帯へ向かった調査班から送られてきた詳細図を一人で眺めていた。
吸収層A。
残存率およそ六〇。
B。
三五。
C。
七〇。
D。
地下水脈接近につき使用危険。
E。
ほぼ閉塞。
全部同じではない。
一つずつ。
性格が違う。
「好きそうですね、その顔」
リナが背後から言った。
「何がです?」
「問題が複雑になったときの顔」
「そんな顔あります?」
「あります。難しいのに、ちょっと嬉しそうなやつ」
エレナは否定しようとして、やめた。
「……少しだけ」
「やっぱり」
「でも怖いです」
「それも本当?」
「はい」
直せるかもしれない。
でも、手を入れたせいで悪化するかもしれない。
その両方が同時にある。
以前なら、前者だけを見ていたかもしれない。
「昔の私だったら」
エレナは言った。
「十三本目を先に直して、少し流してみたかもしれません」
「今は?」
「怖くてできません」
「弱くなった?」
「たぶん逆です」
答えながら、自分でもそう思った。
慎重になることは、臆病になることとは違う。
影響を知ったから。
責任の範囲が見えるようになったから。
怖がれる。
「壊れたところだけ見ていると」
エレナは図面の中央高地と旧火山地帯を指で結んだ。
「その先で支えているものを見落とします」
「十三本目みたいに?」
「はい」
「昔のエレナさんみたいに?」
エレナは少しだけ黙った。
「……それ、続けます?」
「たまに」
「ほどほどでお願いします」
笑ったあと。
少しだけ。
胸が痛む。
でも。
昔の話を。
痛みだけでなく。
今の仕事へ。
繋げられる。
それなら。
悪くない。
夕方、宮殿との定時通信。
クロムウェルへ報告。
『十三本目は使えない?』
「今のままでは」
『せっかく見つけたのに』
「私もそう思いました」
『残念そうだな』
「かなり」
『だが止めた』
「はい」
『成長した』
「皆さんそればかり言います」
『分かりやすいからだ』
エレナは少し唇を尖らせた。
「でも、別の方法を考えています」
『古代装置を改造する?』
「いいえ」
『では?』
「外に足します」
通信の向こうで、少し間があった。
『外に?』
「昔のものをできるだけ壊さずに、今の世界に必要なものだけ補う」
『できるのか』
「まだ分かりません」
『そこはいつもどおりだな』
「でも、考える価値はあります」
クロムウェルはしばらく黙っていた。
『昔のものを壊さず、今に合わせて補う、か』
「はい」
『君はそういうやり方が好きなのかもしれないな』
「そうでしょうか」
『全部捨てて作り直すより、残せるものを残す』
その言葉に。
エレナは少しだけ。
自分の過去を思い出した。
故国。
工房。
婚約。
傷。
全部消したわけではない。
戻りもしない。
でも、そこで覚えた技術も。
失敗も。
今の自分へ残っている。
「……そうかもしれません」
『なら、その方法でいい』
「まだ技術審査が」
『恋人としての感想だ』
「それなら」
少し笑う。
「ありがとうございます」
翌朝。
旧火山地帯。
追加調査。
そこで。
さらに。
厄介な事実。
見つかる。
『吸収層BとCの間、旧流路らしき空隙あり』
エレナ。
報告。
見る。
「繋がっていた?」
『昔は、な』
「今は?」
『完全閉塞』
「掘れる?」
『直線で掘ると地下水脈へ当たる』
「迂回?」
『可能。ただし距離が増える』
「どのくらい?」
『少なくとも二・三倍』
そして。
次。
『さらに、今の自然層だけでは最大想定余剰量を受けきれない』
エレナの表情が変わる。
「どのくらい足りません?」
返答。
少し。
間。
『半分近く』
そこまで。
足りない。
十三本目。
修理。
だけでは。
無理。
吸収層。
再接続。
それでも。
不足。
なら。
必要。
古代。
そのまま。
戻す。
ではない。
新しい。
現代の。
仕組み。
エレナは。
紙。
取る。
真ん中に。
一本。
線。
引く。
『古代構造』
その横。
『外付け補助分配設備』
さらに。
『複数吸収層へ分散』
そして。
『独立遮断・監視』
リナが。
肩越し。
見る。
「これ」
「はい」
「新しい魔導具ですよね」
エレナ。
少し。
考える。
魔導具。
という言葉で。
足りるか。
分からない。
でも。
作る。
それなら。
自分。
分かる。
「たぶん」
笑う。
「世界で一番大きな、外付け部品です」
直せばいい。
では。
済まない。
だから。
今あるものを守りながら。
足りないものを。
新しく。
作る。
その方針が。
この日。
初めて。
正式な設計案として。
紙の上へ。
形になった。




