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第51話 大陸中央へ――誰も測っていない空白地帯

 大陸中央高地へ向かった国際混成観測隊から、最初の異常値が届いたのは、彼らが帝都を発って三日目の朝だった。


『第五中継地点。標高上昇。大気魔力、平常推定値比プラス八・四。地下簡易測定、プラス一一。人的異常なし。進行継続』


 帝都の国際通信室で受信紙を読んだエレナは、最後の一文を確認してから、まず時刻を記録した。


「プラス八・四……昨日の六より上がっていますね」


 隣のノアが、壁に掛けられた大陸中央部の地図へ新しい数字を書き込んだ。


「地下のほうが高いです。まだ正式な深部測定じゃありませんけど」


「装置の校正は?」


「出発前と第四中継地点で二回確認。許容誤差内です」


「気温補正」


「済み」


「周辺に大規模な魔導設備は?」


「ないです。そもそもこの先、まともな集落がありません」


 それこそが、今回の調査で厄介なところだった。


 大陸中央高地。


 帝国、カルディア、エルグラン、そのほか二つの小国の国境が複雑に入り組む山岳地帯で、人が暮らせる土地は少ない。鉱山開発もほとんど進んでおらず、観測塔も街道もない。


 だから、これまで誰も測ってこなかった。


 必要がなかったからだ。


 けれど現在、各国で観測された魔力上昇地点を重ねると、その「必要がなかった場所」の方向へ、数字が集まり始めている。


「次の野営予定地は?」


「旧国境監視小屋跡です。今は無人。そこから先は車両が入れないので、荷物を分けて徒歩になります」


「通信中継器は?」


「仮設一基を今日置く予定です」


「一基だけ?」


「山岳路なので、資材重量に限界があります」


 エレナは地図を見た。


 行きたかった。


 やはり、その気持ちは残っている。


 現地の空気。


 地質。


 測定器の反応。


 数字では伝わらない違和感。


 自分の手で確かめたい。


 けれど、その思いと「自分が行くべきだ」という判断は、もう同じではなかった。


「現地から高濃度対応の追加校正方法を聞かれたら、私へ回してください」


「分かりました」


「それ以外の通信判断はノアさんに任せます」


「了解」


 ノアは返事をしたあと、少しだけ口元を緩めた。


「何です?」


「いや」


「言ってください」


「前なら、そこも自分で持ってたなと思って」


「……私も同じことを考えました」


「悔しい?」


「少し」


「そこは変わらないですね」


「全部変わる必要はありません」


「それもそうか」


 そんな会話をしている間にも、通信室には各国から情報が入ってくる。


 混成観測隊は、ただ技師を寄せ集めたものではない。


 帝国からは精密測定技師と通信技師。


 カルディアからは高地気象観測に慣れた技師。


 エルグランからは地下魔力と鉱脈を専門とする技師。


 故国からは結界変動測定の技師。


 ローディアからは農業気象研究者。


 さらに医療担当、山岳案内人、複数国から選んだ護衛。


 誰か一人の判断で勝手に調査場所を変更できないよう、現地責任者も三名による共同承認制になっている。


 面倒な仕組みだった。


 だが、その面倒さが必要だった。


 午後。


 その理由を思い知らされる出来事が起きた。


「カルディア政府から照会です」


 外務担当官が通信室へ入ってくるなり言った。


「現地隊が予定経路より西へ二・三キロ寄っている理由を説明してほしいと」


 エレナは顔を上げた。


「西?」


 ノアが経路記録を確認する。


「本当ですね。第五中継地点を出てから、西寄りに迂回している」


「誰の判断?」


「待ってください」


 通信記録を遡る。


 少しして。


「落石です。予定していた峠道が崩れていて、現地共同責任者三名が迂回を決定しています」


 エレナは少し眉を寄せた。


「それ、カルディア側へ届いていない?」


「経路変更は通常報告扱いです。国際共通符号の緊急項目には入っていないので、詳報は後送ですね」


「だから疑われた」


 外務官が頷く。


「しかも迂回先が、カルディア国境へ少し近づいている」


「たった二キロで?」


「国境では二キロは大きい」


 エレナは黙った。


 技術者の感覚では。


 安全な道へ二キロ迂回。


 それだけだ。


 でも国家にとっては。


 違う。


「現地から理由を簡略符号で送れますか?」


 ノアが考える。


「既存の共通符号だと難しいです」


「なら詳細文?」


「今の通信状態なら短文なら通ります。ただし時間がかかる」


「お願いします」


 エレナは外務官を見る。


「カルディアには先に、落石による安全迂回であること、三か国共同責任者の承認記録があることを伝えてください」


「承認記録そのものは?」


「共有して構いません」


「位置詳細が含まれる」


「では該当部分だけ」


「了解」


 外務官が去る。


 ノアが少し息を吐いた。


「山を調べるだけなのに」


「国境なので」


「技術って面倒ですね」


「人が使うので」


「最近それ、リナさんと同じこと言いますね」


「影響されています」


 エレナは苦笑しながらも、経路変更記録を見つめた。


 一国だけの調査隊なら。


 こんな手間はなかった。


 帝国が勝手に測って。


 帝国が結果を持ち帰る。


 早い。


 簡単。


 でも。


 それでは、結果を信用しない国が出る。


 今回必要なのは。


 帝国だけが信じられる数字ではない。


 国境を越えて使える数字だ。


 だからこそ。


 遅くても。


 面倒でも。


 一緒に測る。


 その日の夕方。


 現地から経路変更の正式報告が届いた。


『予定峠道、落石により通行不能。共同責任者三名確認。西側旧巡回路へ迂回。国境線への接近最大二・一キロ。越境予定なし』


 その下に。


 三名分の認証符号。


 帝国。


 カルディア。


 エルグラン。


 揃っている。


「これなら」


 エレナが言う。


「疑う余地は減りますね」


「なくなるとは言わない?」


「政治なので」


「学びましたね」


「かなり」


「自分で言った」


 少し笑う。


 だが。


 次の報告は。


 笑えなかった。


 夜九時過ぎ。


 通信室の受信石が。


 短く三度鳴る。


 ノアが顔を上げる。


「現地です」


 符号。


 通常。


 観測値。


 そして。


「プラス一三?」


 エレナが立ち上がる。


「大気?」


「はい。大気一三・六」


「地下」


「……プラス二二」


 空気が変わった。


 地下。


 二二パーセント。


 これまでの上昇記録より。


 明らかに高い。


「測定器異常確認」


 エレナが言う。


「もう送ってます」


 ノアの指が動く。


 再測定。


 校正石。


 交換。


 別装置。


 待つ。


 その時間が。


 長い。


 五分。


 八分。


 返答。


『第一測定器 地下プラス二一・七』


『第二測定器 地下プラス二二・三』


『校正石正常』


 ノアが。


 小さく息を吐いた。


「本物っぽいですね」


「まだ局所要因もあります」


「鉱脈?」


「可能性があります」


 エルグランの地下魔力技師なら。


 そこを見るはず。


 続報。


『周辺露頭調査。高濃度魔石鉱床の兆候なし』


 さらに。


『地下反応、点ではなく広範囲』


 エレナは。


 地図の上で。


 観測隊の位置を見る。


 まだ。


 中央高地の核心候補ではない。


「ここで二二……」


 思わず。


 声が漏れる。


「奥はもっと高い?」


 ノアが聞く。


「分かりません」


「行かせます?」


 その質問。


 エレナは。


 すぐ答えなかった。


 観測隊。


 続行条件。


 緊急停止条件。


 出発前に。


 決めた。


 大気プラス二五。


 地下プラス三〇。


 あるいは。


 人体異常。


 装置過熱。


 結界不安定。


 そのいずれかで。


 撤退。


「まだ停止条件には届いていません」


「はい」


「でも」


「うん」


「次の進行は」


 エレナは。


 自分で決めかけて。


 止まる。


 違う。


「現地共同責任者の判断です」


 ノアが。


 少しだけ。


 こちらを見る。


「主任ならどうする?」


「行きたいです」


「技師長なら?」


「……慎重に一段進みます」


「現地判断も同じなら?」


「進めます」


 やがて。


 報告。


『現地協議。次観測点まで進行。速度を落とし、五百メートルごと測定。宿営地点を一段手前へ変更』


 エレナは。


 その文を。


 静かに読んだ。


「妥当ですね」


「はい」


 行け。


 とも。


 戻れ。


 とも。


 自分は言わない。


 その判断を。


 現地へ任せる。


 簡単ではなかった。


 だが。


 それが。


 今回の仕組みだった。


 翌朝。


 最初の測定値。


 大気。


 プラス一五・一。


 地下。


 プラス二四・八。


 さらに。


 五百メートル。


 大気一六。


 地下二六。


 もう五百。


 大気一五・七。


 地下二七・三。


「地下だけ」


 エレナが言う。


「上がり続けてる」


「大気は頭打ちっぽい」


 ノアがグラフを書く。


 地上。


 緩やか。


 地下。


 急。


「地下が先?」


「かもしれません」


「なら」


 ノアが。


 地図ではなく。


 断面図を見る。


「地下から大気へ?」


 エレナも。


 同じ図を見る。


「その可能性はあります」


 ただ。


 まだ。


 足りない。


 地下深度。


 流れ。


 方向。


 そこを。


 測る。


 午後。


 現地隊は。


 予定していた第一主要観測点へ到着した。


 標高。


 高い。


 気温。


 低い。


 周囲。


 岩。


 雪。


 低木。


 そして。


 人がほとんどいない。


 通信は。


 途切れ途切れ。


 それでも。


 最初の正式観測。


 届く。


『大気魔力 平常推定比プラス一六・二』


『地表下五メートル プラス二九・一』


『地表下二十メートル推定 測定上限近傍』


 エレナの指が。


 止まる。


「上限?」


 ノア。


「今の観測器だと三〇前後まで」


「超えるかもしれない?」


「はい」


 エレナは。


 思わず。


 椅子から立つ。


「高濃度用の測定核を」


 言いかけて。


 もう。


 現地にはない。


 出発時。


 そこまで高くなると。


 予想していなかった。


「送る?」


 ノア。


「距離は?」


「今から最速でも三日以上」


「……間に合わない」


「現地で測定範囲を広げる改造は?」


「できますけど精度落ちます」


 エレナは。


 少し考える。


「精度を捨てましょう」


「いいんですか?」


「今知りたいのは」


 正確な二九・六なのか。


 三一・二なのか。


 ではない。


「三〇を超えているかどうかです」


「なるほど」


「分圧抵抗を二段追加。感度を半分へ」


「誤差」


「五パーセントまで許容」


「かなり荒い」


「精密値は次回」


 ノアが。


 すぐ現地用の簡略改造手順へ落とし込む。


 エレナは。


 横から。


 最小限だけ。


 補足。


「接続部は現地の低温で硬くなっている可能性があります」


「予熱?」


「強くやると変形します。手で温める程度」


「了解」


 送信。


 返事。


『改造開始』


 それから。


 四十分。


 長い。


「待つしかないですね」


 リナが。


 いつの間にか。


 温かい茶を置いていた。


「はい」


「座って」


「立ってるほうが」


「結果は早く来ません」


「……はい」


 座る。


 茶を飲む。


 少し冷めている。


 そのくらい。


 待った。


 やがて。


 受信。


 ノアが。


 紙を見る。


 表情が変わる。


「主任」


「はい」


「地表下二十メートル」


 エレナは。


 呼吸を止める。


「平常推定比」


 数字。


『プラス四七』


 誰も。


 すぐには喋らなかった。


「……四七?」


 リナが。


 確かめるように言う。


「誤差は大きいです」


 エレナ。


「五パーセント前後」


「それでも」


「高いです」


 ノアが。


 次の行を見る。


「さらに」


「何です?」


『地下反応、南東―北西方向に流動偏差』


 エレナが。


 紙を取る。


「流動?」


 今まで。


 濃度。


 だけ。


 でも。


 現地のエルグラン技師が。


 地下魔力井戸測定用の。


 方向検出具を。


 持ち込んでいた。


「動いてる?」


 ノア。


「少なくとも」


 エレナは。


 慎重に答える。


「偏りがあります」


「川みたいに?」


「まだ川とは言いません」


「でも」


「はい」


 地下。


 広範囲。


 高濃度。


 方向性。


 今まで。


 点だった。


 仮説。


 少しずつ。


 線になる。


 その日の夕方。


 国家会議。


 エレナは。


 現地値を報告した。


 クロムウェル。


 外務。


 軍。


 各国代表。


「地下四七?」


 カルディア代表が。


 聞き返す。


「概算です」


「通常の一・五倍近い?」


「可能性があります」


 エルグラン技師代表。


「うちの地下魔力井戸でもそこまでは出ない」


「はい」


「危険では?」


「分かりません」


 正直に。


「人体影響は今のところありません。ただ」


「ただ?」


「魔導具への影響」


 まだ。


 十分な情報がない。


「現地隊は?」


「第一観測点で宿営。これ以上は本日進みません」


 クロムウェルが。


 まっすぐ聞く。


「撤退条件は」


「地下値だけではまだ設定していませんでした」


「追加する?」


「したほうがいいと思います」


 各国技師。


 議論。


 どこで。


 止める?


 三〇?


 もう超えている。


 五〇?


 根拠は?


 人体異常なし。


 装置正常。


 だから。


「数値だけではなく」


 エレナは提案する。


「変化率で」


「変化率?」


「一時間で一〇パーセント以上上がったら退避」


 急変。


 それなら。


 意味がある。


「それと」


「はい」


「測定器の自己加熱」


 過剰魔力が。


 装置へ流れ込む兆候。


「規定以上に上がったら撤退」


 合意。


 現地へ。


 送信。


 夜。


 エレナは。


 研究院へ戻った。


 まだ。


 帰れない。


 というより。


 今日は。


 戻る場所がここ。


 国際通信室。


 ノアも。


 交代要員と。


 夜勤。


「主任」


「はい」


「今日は何時まで?」


「定時報告まで」


「それ、本当に?」


「本当に」


「クロムウェル様から言われた?」


「自分で決めました」


「成長」


「言わないでください」


 でも。


 少し。


 笑った。


 夜十時。


 現地定時報告。


『第一観測点、宿営継続』


『大気プラス一五』


『地下二十メートル概算プラス四四』


『急上昇なし』


『人体異常なし』


 よかった。


 少し。


 息を吐く。


 そして。


 最後。


 一行。


『明朝、第二観測点へ進行予定』


 第二観測点。


 さらに。


 中央。


 観測空白地帯の奥。


 エレナは。


 地図へ。


 今日の数字を。


 書く。


 六。


 八。


 一三。


 二二。


 二九。


 四七。


 中央へ近づくほど。


 地下が。


 濃くなる。


 まだ。


 断定はできない。


 でも。


 最初に見つけた。


 各国の低下と。


 同じ夜。


 別の場所で。


 魔力は。


 増えていた。


 そして。


 誰も測っていなかった大陸中央では。


 その増加が。


 これまでの観測値を。


 大きく超え始めている。


 魔力は。


 消えているのではないのかもしれない。


 世界のどこかから。


 大陸中央へ。


 集まっているのかもしれない。


 そして。


 もし。


 地下の魔力に。


 本当に「流れ」があるのなら。


 次に調べなければならないのは。


 濃さではない。


 どこから来て。


 どこへ向かっているのか。


 その。


 巨大な流れそのものだった。

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