第49話 三日目に、魔力は戻らなかった
百五十年前の記録を「戻るまで全部」追う、と決めた翌日、エレナたちは早くも後悔しかけていた。
「……量が多すぎます」
ノアが資料室の中央で呟いた。
彼の前には、故国から届いた鉱山台帳、カルディア王国の修道院記録、エルグラン王国の魔力井戸管理簿、ローディア公国の農務記録、さらに東方諸国の結界修繕帳が積まれている。
どの国も、記録の形式が違う。
日付の数え方も違う。
担当者の性格まで違うらしく、同じ「異常」を書いた記録でも、几帳面に時刻まで残す人間もいれば、「昨夜から灯りが弱い。原因分からず」と一行で終わらせているものもあった。
「昨日は三日分でよかったんですよね」
リナが聞く。
「はい」
「今日は?」
「回復まで」
「……昔の人、もう少し整理して残してくれませんでした?」
「百五十年後に国際合同で読まれるとは思っていなかったでしょうから」
「それはそうですけど」
エレナは故国側の王都結界管理記録へ目を落とした。
第三日夜。
『自然魔力供給、通常の三割以下』
第四日未明。
『回復を認めず』
そこから先。
昼。
『外周第三結界、維持困難につき範囲縮小』
夕方。
『街路灯一部停止』
夜。
『市内治療院へ保存魔石を優先配布』
エレナの指が止まった。
「保存魔石を」
「何です?」
ノアが近づく。
「百五十年前も、自然魔力を諦めて、充填済み魔石へ切り替えてます」
「今と同じ?」
「考え方は」
もちろん。
当時の魔石は今ほど効率が良くない。
保存性も低い。
それでも。
人は同じことを考えた。
使えないものへ執着するより。
手元にある独立した力へ切り替える。
「それなら」
リナが言う。
「やっぱり何とかできたんですよね?」
「少なくとも、一部は」
エレナは頷いた。
希望はある。
ただ。
その次の頁を読むと。
胸が冷える。
『第五日朝、北区揚水施設停止』
『井戸水汲み上げを人力へ切替』
『南門近隣、市民列形成』
水。
やはり。
そこへ来る。
「グレゴールさんに送ってください」
「今?」
「はい」
「まだ整理途中ですよ」
「途中と書いて」
今回の調査目的は。
歴史をきれいにまとめることではない。
今。
次に何が起きるかもしれないかを知ること。
「過去記録では、四日目以降に揚水停止があります」
「公共設備部へ?」
「はい」
リナがすぐ写しを作り始める。
その横で。
ベルナールが別の記録を読み込んでいた。
「エレナ技師長」
「はい」
「こちらも」
カルディア南部修道院。
第四日。
『聖堂結界、朝まで回復せず』
『隣村より家畜の衰弱報告』
第五日。
『祈祷灯の使用を日没後二刻に制限』
「節約」
エレナが言う。
「ええ」
ベルナールが頷く。
「宗教施設でも魔力使用を抑えている」
「今の帝国でやった使用抑制と同じですね」
「人は困ると似たことをするらしい」
しかし。
さらに次。
『第六日未明、聖堂結界の明度回復』
「六日?」
「こちらは」
ベルナールが指を滑らせる。
「完全回復かは不明ですが、少なくとも上向いた」
「故国王都は?」
「まだ第五日までしか整理できていません」
「エルグラン」
ノアが答える。
「魔力井戸は第四日も低下。第五日夕刻から回復兆候」
「地域差がありますね」
「かなり」
同じ現象だとしても。
すべてが同じ時間で戻るわけではない。
それも。
今の広域異常と似ている。
「まとめます」
エレナは黒板へ書く。
第一夜。
灯火低下。
第二日。
霜害・出力低下。
第三日。
自然魔力供給、深刻な低下。
第四日。
一部地域で回復せず。
第五日。
水道・結界・照明など二次影響拡大。
第五~第六日。
一部地域で回復開始。
「つまり」
ノアが腕を組む。
「前回より長い」
「可能性があります」
「一晩じゃない」
「はい」
エレナは。
言い切ったあと。
自分の胸が少し速くなるのを感じた。
一晩なら。
耐えられる設備は多い。
魔石を補充する。
消灯する。
予備へ切り替える。
でも。
四日。
五日。
六日。
そこまで続けば。
話が変わる。
「治癒瓶」
エレナが言った。
「今の地方配備数で、数日連続の供給低下に耐えられます?」
リナがすぐ答えず。
「アメリアさんに確認します」
「農業も」
「マティアスさん」
「水道」
「グレゴールさん」
「通信」
ノアが自分を指す。
「俺」
「お願いします」
「軍」
「ハロルドさんに」
リナが紙へ書き込む。
「また全部やろうとしてませんね」
「しません」
「即答」
「学びました」
「かなり?」
「それ、皆さん使いすぎです」
少し笑う。
でも。
笑っている場合ではない。
午後。
各分野責任者を集めた緊急検討会。
エレナは。
歴史記録をそのまま見せた。
「百五十年前の異常が今回と同じだとは、まだ断定できません」
最初に。
そこを言う。
「ただし」
黒板。
四日。
五日。
六日。
「一晩で戻らない可能性を、準備上は無視できないと思います」
アメリアが最初に反応した。
「医療から言うわ」
「はい」
「今の治癒瓶備蓄だけなら、帝都は持つ。でも地方は場所による」
「どのくらい?」
「重症患者が平常並みなら二日から四日。事故が増えればもっと短い」
「自然魔力依存の治療補助器は?」
「一部は独立魔石へ切替済み。でも地方診療所はまだ」
「優先順位を?」
「もう作ってる」
「早い」
「あなたに言われたくない」
アメリアは少し笑い。
すぐ真顔へ戻る。
「問題は補充よ。治癒瓶自体があっても、充填役の治癒魔導師が疲弊したら終わる」
「人側の負担」
「そう」
道具だけではない。
使う人。
補充する人。
休む人。
そこも。
エレナは記録する。
「農業」
マティアスが答える。
「四日低下するなら、保温結界だけでは厳しい」
「どうします?」
「守る畑を減らす」
「減らす?」
「全部守ろうとすると全部失う」
重い言葉。
でも。
正しい。
「種苗区画。次期作付け用。収量の高い畑。それから温度耐性の弱い作物」
「選ぶ」
「選ぶしかない」
農業は。
感情では守れない。
限られた魔石。
限られた蓄熱材。
限られた人。
「水道」
グレゴール。
「四日なら、予備魔石が足りない都市がある」
「どこ?」
「古い北部二都市。それから西部一つ」
「増やせます?」
「今から運べば」
「軌道はまだ」
「使えん」
「馬車?」
「馬車だ」
長距離輸送。
また。
ここへ戻る。
「備蓄を先に移します」
エレナが言う。
「バルクさんと調整します」
「それは横断調整だな」
「はい」
自分の仕事。
そこだけ。
「通信」
ノア。
「数日間、魔力環境が悪化し続ける前提なら、今の最低限警報モードをさらに縮める」
「どこまで?」
「十二項目全部じゃなく、四つだけ」
「四つ?」
「低下。急低下。設備障害。回復」
「他は?」
「伝令」
割り切る。
「通信網自体を生かすことが優先です」
「私信は」
「当然停止」
「会いたいも?」
リナが小声で言う。
ノアがエレナを見る。
エレナは。
顔が熱くなる。
「今それ言います?」
「場が重いので」
「重いままでいいです」
「でも少し笑ったでしょう」
笑った。
悔しい。
ハロルドが呆れたように息を吐く。
「続けるぞ」
「はい」
「軍は物資輸送を民間支援へ回せる。ただし」
「ただし?」
「国境警備まで削る気はない」
「当然です」
「一部国家が混乱する可能性がある」
災害。
それだけではない。
人間も。
動く。
「だから国内支援と国防を両立する」
「お願いします」
会議は。
二時間。
過去の記録を。
今の準備へ変える。
それが。
少しずつ進んだ。
しかし。
最後。
外務官が。
難しい話を持ってきた。
「公表をどうしますか」
室内が静かになる。
「何を?」
エレナが聞く。
「百五十年前の類似史料」
「まだ同一現象とは」
「分かっています」
外務官は続ける。
「でも」
紙を置く。
「すでに一部の新聞が、古記録調査を知っています」
「漏れた?」
「会議参加国が多い。完全秘匿は無理です」
「内容は?」
「『過去にも世界規模の魔力消失があり、数日続いた可能性』」
「それ」
エレナの眉が寄る。
「かなり雑です」
「新聞の見出しは雑なものです」
「世界規模も未確定です」
「だから、先に公式情報を出したほうがいいという意見があります」
エレナは。
迷った。
公表。
早ければ。
備えられる。
でも。
不確定な情報を出せば。
買い占め。
混乱。
噂。
逆に。
隠して。
数日後に本当に異常が来たら。
準備できなかった人が出る。
「全部出すか」
外務官が言う。
「伏せるか」
「その二択ですか?」
「政治的には」
「技術的には違います」
エレナは。
少し考える。
「分けたいです」
「何を?」
黒板へ。
三つ。
『確定』
『未確定』
『推奨準備』
「これを分けます」
全員が見る。
「確定」
エレナは言う。
「百五十年前、複数地域で魔力関連設備異常が数日続いた記録がある」
「はい」
「未確定」
「今回と同一現象かどうかは不明」
「はい」
「そして」
最後。
「推奨準備」
エレナは。
一つずつ。
書く。
不要な魔力消費を減らす。
保存魔石の在庫確認。
水道・医療・食料設備の予備切替手順確認。
農家は種苗と主要作物を優先保護。
治療院は独立魔石型器具を優先配置。
「買い占めは?」
外務官が聞く。
「やめてほしいです」
「書く?」
「書きます」
「魔石市場が荒れる」
「なら配給や上限購入も検討」
「財政と商務へ飛ぶな」
「……すみません」
少し。
早かった。
「でも」
外務官が言う。
「考え方は悪くない」
「隠すより?」
「全部伏せれば、漏れたときにもっと酷くなる」
「では」
「公表案を作る」
エレナは。
少し安心した。
正直に。
でも。
区別して。
分からないものは。
分からないと。
その日の夕方。
クロムウェルを含む国家会議。
外務。
財政。
医療。
農業。
公共設備。
軍。
エレナ。
公表案が。
机の中央に置かれた。
クロムウェルが読む。
「『数日続く可能性』」
「可能性です」
「確率は?」
「出せません」
「なら国民は不安になる」
「はい」
「それでも出す?」
エレナは。
少し考え。
「はい」
答えた。
「理由」
「準備に時間が必要だからです」
「外れたら?」
「外れたら」
そこ。
怖い。
大げさだと。
騒がせたと。
批判される。
でも。
「外れたら」
エレナはもう一度言う。
「備蓄確認と訓練をしただけです」
クロムウェルが。
少しだけ。
目を細める。
「損は?」
「あります」
「どのくらい」
「魔石移送。人員。広報。農業準備」
「経済影響」
「多少」
「それでも?」
「本当に四日続いてから準備するより安いと思います」
財政官が口を挟む。
「そこは計算が必要です」
「はい」
「技師長殿、今“安いと思う”と言いましたね」
「……言いました」
「数字でください」
「分かりました」
クロムウェルが少し笑う。
「叱られたな」
「陛下、楽しんでません?」
「少し」
「やめてください」
空気が。
ほんの少し和らぐ。
でも。
結論は。
重要。
公表。
する。
ただし。
煽らない。
『過去の広域魔力低下と類似する可能性を調査中』
『今回が同じ現象であるとは確認されていない』
『ただし数日間の自然魔力供給低下を想定し、基礎的準備を推奨』
そして。
具体策。
それだけ。
翌朝。
帝国各地。
そして。
国際合同会議参加国へ。
同じ形式の情報が共有された。
反応は。
予想通り。
様々だった。
『政府は世界崩壊を隠している』
という新聞。
『百五十年前にもあったなら問題ない』
と楽観する者。
『魔石を買え』
と煽る商人。
『買い占めるな』
と怒る自治体。
全部。
人間らしい。
エレナは。
新聞を見ながら。
少し疲れた。
「技術だけなら」
リナが言う。
「もっと簡単なんですかね」
「たぶん」
「でも人が使うんですよね」
「はい」
「じゃあ仕方ないですね」
そう。
仕方ない。
でも。
それで終わらせず。
制度にする。
昼。
故国から。
追加記録。
今度は。
農村ではなく。
王都宮廷記録。
『第五日、外周結界の維持を半径三分の二へ縮小』
『第六日、中心区のみ夜間照明』
『第六日深夜、一部魔力供給回復』
「六日」
エレナが呟く。
「最大?」
ノアが聞く。
「今のところ」
「長いな」
「はい」
そして。
カルディア。
第五日。
回復開始。
エルグラン。
第五日夕刻。
地下魔力井戸上昇。
ローディア。
第四日。
一部農地結界復旧。
ばらばら。
でも。
共通する。
「戻るんですね」
リナが言う。
「はい」
「じゃあ」
「耐えればいい」
エレナは。
言った。
でも。
言ったあと。
すぐ訂正する。
「違います」
「違う?」
「耐えるだけじゃない」
過去の人は。
耐えた。
今の自分たちは。
予測し。
分け。
備え。
知らせる。
「被害を減らします」
リナが頷く。
「はい」
午後。
ベルナールが。
少し興奮した顔で資料室へ入ってきた。
珍しい。
「エレナ技師長」
「どうしました?」
「見つかりました」
「何が?」
「故国北部の修道院記録」
古い複写紙。
「第五日夜」
ベルナールが。
指す。
『北方の空、青白く明るむ』
エレナの目が止まる。
「……明るむ?」
「続きがあります」
『雲にあらず』
『稲妻にあらず』
『帯のごとき光、山稜の上に長く横たわる』
ノアが。
紙を覗き込む。
「光帯?」
「可能性があります」
「魔力発光?」
「分かりません」
エレナは。
別の記録を見る。
同じ頃。
エルグラン。
山岳地方。
『夜空の青光』
カルディア。
『北東天に淡き光』
三つ。
位置が。
違う。
でも。
時期は。
近い。
「これ」
ノアが言う。
「低下と関係あります?」
「まだ分かりません」
エレナは。
そう答えた。
でも。
胸の奥。
何かが。
少し。
つながり始めている。
魔力が。
減る。
どこかで。
光る。
ただ。
まだ。
仮説にすら早い。
「発光記録だけ」
エレナは言う。
「別に集めてください」
「関連づけない?」
「まだ」
「分かりました」
夕方。
研究院を出る前。
エレナは。
クロムウェルへ短い報告を送った。
『百五十年前の類似現象は、少なくとも四~六日続いた地域があります』
少し迷う。
そして。
もう一行。
『第五日前後、複数地域で空の発光記録があります。関連は不明です』
返事。
しばらくして。
『分からないものは、分からないままでいい。だが見落とすな』
エレナは。
その文を見て。
少しだけ笑った。
「クロムウェル様らしいですね」
リナが覗こうとする。
「私信です」
「仕事でしょう?」
「半分」
「半分?」
「……半分です」
そこは。
秘密にした。
百五十年前。
三日目。
魔力は戻らなかった。
四日目も。
五日目も。
一部地域では。
人々が。
暗い街で。
少ない魔石を分け。
水を運び。
畑を諦め。
重要な場所だけを守った。
そして。
その夜。
空が。
光った。
それが。
何を意味していたのか。
今はまだ。
誰にも。
分からなかった。




