第42話 「国家魔導技師長を辞めさせろ」――帝国貴族の反発
国家魔導技師長を辞めさせろ。
その言葉を、エレナが最初に聞いたのは新聞でも議会でもなく、研究院の食堂だった。
「……私をですか?」
昼食のスープを口へ運びかけた姿勢のまま、エレナは向かいのミレイアを見た。
「ええ。正確には『国家魔導技師長制度の権限を見直し、現職の適格性を再審査すべきだ』だけど、演説の途中ではもっと分かりやすく言った議員がいるそうよ」
「何と?」
「『外国生まれの二十歳の娘に、帝国の魔導技術を握らせるべきではない』」
エレナはスプーンを皿へ戻した。
「……それは、分かりやすいですね」
「そこで落ち着いて感想を言うの?」
「怒ったほうがいいですか?」
「好きにしていいけど、私は腹が立っているわ」
ミレイアはパンをちぎる手に少し力を入れた。
「年齢や出身だけで技術を見ない人間にはね」
隣にいたリナは、もっと露骨だった。
「私ならその議員の机に失敗作の魔導核を百個くらい置きます」
「片づける人が困ります」
「じゃあ五十個」
「数の問題ではありません」
それでも。
エレナは完全に平静ではなかった。
胸の奥に、昔よく知っていた感覚が戻ってきている。
自分には価値がないのではないか。
認められているのは、一時的な偶然なのではないか。
いつか「やっぱり地味な女には無理だった」と言われるのではないか。
ガイウスに捨てられた夜から少しずつ薄くなっていた不安は、消えたわけではない。
ただ。
昔と違うのは。
その不安に、すぐ答えを渡さなくなったことだった。
「議会で、何が問題にされているんですか?」
エレナは尋ねた。
ミレイアの表情が少し変わる。
「そこを聞くのね」
「年齢と出身だけなら、技術的には答えようがありません。でも他にもあるんでしょう?」
「あるわ」
ミレイアは持ってきていた資料を卓上へ置いた。
「主に四つ」
一つ。
国家魔導技師長へ複数分野の技術評価・調整権限が集まりすぎている。
二つ。
通信網、治癒瓶、国際技術教育計画、軌道輸送計画と、国家予算を伴う大型案件の多くへエレナが関与している。
三つ。
カルディア王国など他国との技術共有が、将来の軍事転用につながる危険。
四つ。
皇帝クロムウェルがエレナへ個人的な好意を持っていることが、公平な人事や予算配分へ影響していないか。
「……最後は」
エレナが少し黙った。
「まあ、出るでしょうね」
「出たわ」
「ですよね」
これは避けられない。
クロムウェル自身、任命時からその問題を認識していた。
だから審査には直接介入せず、記録も残した。
それでも。
疑う人がいなくなるわけではない。
「一番目は」
エレナは資料を指す。
「私も少し気になります」
ミレイアが眉を上げた。
「あなたが?」
「はい」
「自分の権限が強すぎるって?」
「強いです」
国家魔導技師長になったばかりの頃は、役割を覚えるだけで精いっぱいだった。
研究。
軍。
医療。
農業。
通信。
公共設備。
複数の技術部門を横断し、基準づくりや優先順位へ意見を出す。
最終決定権がすべてエレナにあるわけではない。
それでも。
彼女の署名がなければ進みにくい案件が増え始めている。
「今は私が悪用しないから問題ない、では駄目だと思います」
リナが少し首を傾げる。
「悪用するつもりあるんです?」
「ないです」
「じゃあ」
「次の人は?」
リナが黙った。
「私の次に技師長になる人が、私と同じ考え方とは限りません」
エレナは続けた。
「それに、私自身だって判断を間違えるかもしれません」
自分を信用しない。
という意味ではない。
むしろ逆だ。
人間は間違うものだと知った上で、仕組みを作る。
失敗記録制度と同じだった。
「だから、議会で話を聞きたいです」
ミレイアがじっとエレナを見る。
「呼び出しが来ると思うわよ」
「なら行きます」
「怖くない?」
聞かれて。
エレナは少し考えた。
「怖いです」
素直に答える。
「でも、辞めさせろと言われているのに、本人だけ研究室へ隠れているのも変なので」
「隠れるなんて誰も言ってないけど」
「では、行きます」
「本当にあなた、妙なところで頑固よね」
「昔からです」
「そこは変わらないのね」
その日の夕方。
正式な召喚状が届いた。
『帝国議会技術行政審問会』
出席者。
国家魔導技師長エレナ・ヴァリエ。
研究院長オルディス。
財政監査官。
軍技術代表。
外務技術連携担当。
そして。
希望があれば皇帝も出席可能。
その一文を見て。
エレナはすぐ言った。
「陛下には、最初から出席していただかないほうがいいと思います」
補佐官が驚く。
「よろしいのですか?」
「私の適格性を問う場に皇帝が座っていたら、話しにくい人がいるでしょう」
クロムウェルが守ってくれる。
そう思われたくないわけではない。
守られることを嫌う必要もない。
でも今回は。
自分の仕事について。
自分で答えたかった。
その夜。
本人へも伝えた。
「出席しないでほしい?」
クロムウェルは少し意外そうだった。
「最初は」
「理由は」
「陛下がいると、議員の方が本当に言いたいことを言えなくなるかもしれません」
「私が怖いと?」
「かなり」
「否定しにくいな」
「ですよね」
エレナは少し笑った。
クロムウェルは机の上に置かれた審問資料を見る。
「私への疑念も含まれている」
「はい」
「私が答えなくていい?」
「必要になったら、後半で」
「なるほど」
「それに」
少し迷ってから。
「私が陛下に好かれているから、この役職にいると思っている方には、私一人でどこまで答えられるか見てもらったほうがいいと思います」
クロムウェルはしばらく何も言わなかった。
「エレナ」
「はい」
「それを証明するために、無理をする必要はない」
「分かっています」
「本当に?」
「……たぶん」
「そこは怪しい」
「でも」
エレナは続けた。
「今回は、証明したいというより、聞きたいんです」
「何を?」
「どこが危ないと思われているのか」
自分では見えない場所。
そこを知るために。
「辞めさせたい人も?」
「その人ほど」
クロムウェルが少し笑った。
「分かった。最初は出ない」
「ありがとうございます」
「ただし、必要なら呼べ」
「はい」
「通信三十番でもいい」
エレナは一瞬、何のことか分からなかった。
すぐ気づく。
『会いたい』
「それ、審問中に送ったら違う意味になります」
「私は嬉しいが」
「真面目な話をしていたのに」
「少し緊張が解けただろう」
悔しい。
確かに。
少し笑ってしまった。
審問会当日。
帝国議会の円形審問室には、想像以上の人が集まっていた。
貴族議員。
商工代表。
地方行政官。
軍関係者。
技術者。
傍聴席には新聞記者もいる。
エレナは席へ着き。
正面を見る。
議長の左右に、今日の主要質問者が座っていた。
最初に発言したのは。
グラウゼル伯爵。
六十代。
帝国中央部に複数の魔石鉱山と工房への投資権を持つ人物。
「エレナ・ヴァリエ国家魔導技師長」
「はい」
「まず申し上げておく。私はあなた個人を侮辱するためにこの審問を求めたのではない」
「承知しました」
「本当に?」
少し皮肉がある。
「内容を聞いてから判断します」
傍聴席の一部から小さな笑いが起きた。
グラウゼル伯爵も僅かに眉を動かしたが、怒らなかった。
「では聞こう。あなたは二十歳だ」
「はい」
「帝国で技師として働き始めてから、まだ長くない」
「はい」
「行政経験も乏しい」
「その通りです」
「それでなぜ、国家全体の技術政策を調整する役職にいる?」
真正面だった。
エレナは少し考えてから答える。
「私一人で国家技術政策を決めてはいません」
「言葉遊びではなく」
「いえ」
エレナは首を横に振る。
「大事なところです」
軍用技術は軍。
医療技術は医療行政。
公共設備は工務。
国家予算は財政。
外交技術共有は外務。
エレナの役割は、それらを横断して技術上の整合性を取ること。
「ただし」
エレナは続ける。
「伯爵がおっしゃるように、調整権限が私へ集まりすぎている部分はあると思います」
室内が少しざわついた。
質問した伯爵自身が、僅かに意外そうな顔をする。
「認めるのか?」
「はい」
「なら辞任すべきでは?」
「すぐにはそう思いません」
「なぜ」
「問題が、私個人ではなく制度にあるからです」
エレナは用意してきた資料を出した。
「私が辞めて別の人を置いても、同じ権限なら問題は残ります」
空気が変わる。
「そこで」
エレナは言った。
「権限を分ける案を持ってきました」
今度は議員たちが明確にざわついた。
「権限を?」
「はい」
「自分から?」
「はい」
資料が配られる。
第一。
国家魔導技師長が単独で大型技術案件を承認できる範囲を縮小。
一定額以上の国家予算案件は、技術・財政・利用部門の三者承認制。
第二。
軍事転用可能技術の国際共有について、技師長単独判断を禁止。
外務・軍・技術部門による共同審査。
第三。
国家魔導技師長の任期制。
任期三年。
再任には外部審査。
第四。
独立した技術監査委員会の設置。
研究院にも皇帝府にも属さず、議会・技術者・利用部門から構成。
「待て」
グラウゼル伯爵が資料から顔を上げた。
「これは」
「はい」
「あなた自身の権限を減らす案だ」
「そうです」
「なぜ?」
その質問は。
エレナには少し不思議だった。
「必要だと思ったからです」
「せっかく得た権限を?」
「権限が欲しくて技師長になったわけではありません」
自分で言って。
少し考える。
「というより、最初は何をする役職か全部分かっていませんでした」
傍聴席から笑いが漏れた。
議長まで咳払いしている。
「笑うところですか?」
エレナが尋ねると。
グラウゼル伯爵が初めて少しだけ笑った。
「正直すぎる」
「事実なので」
次の質問者が入る。
ベルマン侯爵。
商業都市を複数領有し、魔導具商会との結びつきが強い。
「では、国際技術共有について聞こう」
「はい」
「カルディアへ測定規格や教育課程を渡した」
「民生用範囲で」
「通信技術は?」
「現時点では、災害観測用の共通符号規格を検討している段階です」
「将来、軍事利用される可能性は?」
「あります」
室内がまたざわつく。
「否定しない?」
「否定できません」
「ならなぜ渡す」
「渡さないことにも危険があるからです」
エレナは続ける。
「大気魔力異常が国境を越えて起きています。観測規格が違えば、比較できません。災害情報まで国ごとに閉じれば、危険が来ているのに隣国が知らせられない」
「理想論では?」
「いいえ」
「なぜそう言える」
「北部冷害で、通信が十時間早かっただけで被害が減りました」
実績。
そこは強い。
「情報が早く届けば、人が備えられます。国境の向こうで同じ異常が起きているなら、最低限の災害情報共有には価値があります」
「軍事利用は?」
「だから共有範囲を限定します」
「あなたが決める?」
「いいえ」
エレナは先ほどの資料を示す。
「今後は共同審査にします」
ベルマン侯爵は黙った。
次。
財政委員の男。
「技師長殿。あなたが関与する案件は増えすぎている」
「はい」
「通信網。治癒瓶。農業保温装置。国際教育制度。軌道輸送」
「はい」
「国家予算があなたの周囲へ集中しているように見える」
「そう見えると思います」
「実際は?」
「案件ごとに別です」
通信網は通信班。
治癒瓶は医療行政と中央治療院。
軌道輸送は交通設備局が主体。
農業保温装置は農業技術部。
「ただ」
エレナは付け加える。
「私の名前が報道で大きく出すぎているせいで、全部私が主導しているように見えることは問題だと思います」
「広報のせいだと?」
「広報だけではありません。私自身が複数案件へ関わっているのも事実です」
「なら減らす?」
「減らします」
また。
ざわついた。
「具体的に」
「通信班は正式主任を置きます。軌道輸送は交通設備局主導のまま。治癒瓶は量産段階に入れば医療技術部へ運用を移す」
「自分の成果を手放すと?」
「成果は消えません」
エレナは答える。
「担当を手放すのと、名前を消すのは別です」
それは。
やっと分かってきたことだった。
最後。
避けられない質問が来る。
年若い議員だった。
「皇帝陛下との私的関係について伺います」
室内が少し緊張する。
「はい」
「陛下があなたへ特別な感情を持っていることは、公然の事実ですか?」
エレナは少し迷った。
「少なくとも、陛下ご自身が私を特別に思っていると公に認めたことはあります」
「あなたは?」
そこへ踏み込むのか。
少し腹が立った。
でも。
今日は逃げない。
「私的な感情の詳細は、この審問の範囲ではないと思います」
議員が少し身を引く。
「では、任命への影響だけ」
「ありません」
「なぜ言い切れる?」
「任命審査記録が残っているからです」
「記録を作ること自体、皇帝の影響下では?」
鋭い。
エレナは少し考える。
「その疑いを完全になくすことは、できないと思います」
議員が意外そうな顔をする。
「できない?」
「はい」
「なら」
「だから監査を入れます」
エレナは資料を指す。
「私が『陛下は公平です』と言っても、信じない人には意味がありません」
室内が静かになる。
「なら、信じなくても確認できる仕組みにしたほうがいい」
エレナは言った。
「審査記録を外部監査できるようにする。任命経緯も、予算配分も。利益相反がある場合は、陛下と私の両方を決裁から外す」
議員が黙る。
「そこまで?」
「はい」
「あなた自身が皇帝から守られる立場なのに?」
少し棘のある言い方。
でも。
エレナは落ち着いていた。
「私は、陛下を信用しています」
「なら」
「でも制度は、私の信用を前提にしないほうがいいです」
自分でも。
今日一番大事なことを言っている気がした。
「私を信用しなくても動く制度にしてください」
静かだった。
「私が善人だから大丈夫。陛下が公平だから大丈夫。そういう仕組みは、次の人が違ったら壊れます」
国家魔導技師長制度。
自分一人のためにあるものではない。
「私が辞めても」
エレナは続ける。
「次の人が来ても。皇帝が変わっても。監査できて、記録が残って、権限を止められる。そういう制度なら、今より安全だと思います」
誰もすぐには話さなかった。
やがて。
グラウゼル伯爵が口を開く。
「では逆に聞こう」
「はい」
「その制度を作った結果、あなた自身が仕事をしにくくなるとしても?」
「なると思います」
「承認が増える。監査も増える」
「はい」
「緊急時には遅くなる」
「そこは例外規定が必要です」
「ほら、結局例外を作る」
「でも事後監査はできます」
「抜け道にならない?」
「だから一人で決めない形にします」
やり取りが続く。
エレナは。
少し楽しくなっていた。
責められているのに。
変だ。
でも。
問題を出されて。
どう直すか考える。
それは。
どこか魔導具の試験に似ている。
ただし。
人間と制度のほうが。
回路よりずっと複雑だった。
「技師長殿」
グラウゼル伯爵が言う。
「今、楽しんでいないか?」
「少し」
言ってしまった。
会場がざわつき。
今度こそ。
グラウゼル伯爵が声を出して笑った。
「自分を辞めさせろという審問だぞ」
「でも、問題点が分かるのは助かります」
「変な女だな」
「よく言われます」
そこで。
議長が休憩を宣言した。
エレナは初めて。
背中が汗ばんでいることに気づいた。
平気だったわけではない。
手も少し震えている。
傍聴席の視線。
質問。
新聞記者。
怖かった。
休憩室へ入ると。
オルディスが温かい茶を渡してくれた。
「よく話せています」
「手が震えています」
「見えませんでした」
「今見えます」
「それは終わってからだからでしょう」
エレナはカップを両手で持つ。
「変なこと言ってませんでした?」
「かなり」
「え?」
「でも悪くない」
「院長」
オルディスが少し笑う。
「特に『制度は私を信用しなくていい』という話は」
「言い方、変でした?」
「いいえ」
「なら」
「ただ、あれを聞いたら陛下は少し寂しがるかもしれませんね」
「どうして?」
「自分を信用しなくてもいい制度にしろと言われたので」
「違います」
「分かっています」
「陛下を信用しているからこそ」
「本人に説明してください」
後半。
クロムウェルが出席した。
呼んだのは議会側だった。
質問は。
予想どおり。
「陛下。国家魔導技師長への私的感情が、人事へ影響した事実は?」
「ない」
短い。
「証明できますか」
「記録を開示する」
「それでも疑いが残る場合は?」
「残せばいい」
議員が一瞬止まる。
「残してよい?」
「疑う権利はある」
クロムウェルは続ける。
「だから監査制度を作る」
エレナが少し驚く。
「先ほどの技師長案に、陛下は?」
「賛成する」
「権限が議会監査へ渡ります」
「構わない」
「皇帝決裁すら?」
「利益相反がある場合は」
議会側が静かになる。
クロムウェルはエレナを見なかった。
それが。
むしろ嬉しかった。
ここで二人が目を合わせれば。
馴れ合いに見えるかもしれない。
だから。
仕事として。
距離を取っている。
「最後に」
グラウゼル伯爵が言った。
「国家魔導技師長を辞めさせるべきだという意見について、陛下はどう考える」
「現時点では必要ない」
「理由」
「成果だけではない」
クロムウェルは答える。
「自分の権限を減らす案を本人が出したからだ」
少しだけ。
会場の空気が変わる。
「権力を持つ者に必要なのは、権力を使えることだけではない。止められる仕組みを受け入れられることだ」
その言葉に。
エレナは。
ほんの少し。
胸が熱くなった。
でも。
顔には出さないようにした。
たぶん。
少しは出ていた。
審問は。
夕方まで続いた。
結論。
エレナの即時解任要求。
否決。
ただし。
国家魔導技師長制度については改正。
独立技術監査委員会を設置。
技師長任期三年。
再任審査制。
大型国家案件の複数承認制。
国際技術共有の軍・外務合同審査。
利益相反時の皇帝・技師長決裁除外。
緊急権限を使った場合の事後監査義務。
そして。
半年後。
制度そのものを再評価する。
「……増えましたね」
議会を出たエレナが言う。
「何が」
隣を歩くクロムウェルが尋ねる。
「仕事です」
「自分で増やした」
「そうなんですけど」
「後悔?」
エレナは少し考えた。
「していません」
「本当に?」
「監査資料を書くのは嫌です」
「そこか」
「かなり」
「補佐官を増やせ」
「予算が」
「正式申請しろ」
「恋愛点ですか?」
「国家行政だ」
「成長しましたね」
クロムウェルが立ち止まる。
「君に言われる日が来るとは思わなかった」
「最近、言われすぎたので返してみました」
二人で少し笑った。
それから。
クロムウェルが静かに言う。
「エレナ」
「はい」
「ありがとう」
「何がです?」
「私を信用していると言ったこと」
エレナの顔が少し熱くなる。
「そこ、聞いていたんですね」
「議会で言っただろう」
「でも同時に、信用しなくてもいい制度にしろとも」
「それでいい」
クロムウェルは答える。
「私も同じだ」
「同じ?」
「君を信用している」
「……はい」
「だからこそ、君一人に権限を集めるつもりはない」
エレナは少し笑う。
「それ、今日いちばん安心します」
「褒め言葉か?」
「かなり」
議会前の広場には。
夕暮れの光が差していた。
新聞記者たちが遠くで待っている。
明日には。
たぶん大きく書かれる。
『国家魔導技師長、解任要求を退ける』
そういう見出しになるかもしれない。
でも。
エレナには。
勝ったという気持ちは、あまりなかった。
むしろ。
自分の権限は減った。
監査は増えた。
決裁も面倒になる。
それでいい。
制度が。
自分一人より長く残るなら。
「クロムウェル様」
「何だ」
「一つだけ、少し怖いことがあります」
「言ってみろ」
「私がいなくても、本当に国家魔導技師長制度が回るようになったら」
言葉が止まる。
自分でも。
何を怖がっているか分かっている。
昔の癖。
必要とされなくなることへの恐怖。
「……私って、何になるんでしょう」
クロムウェルはすぐ答えなかった。
そのことが。
ありがたかった。
「それは」
少ししてから。
「君が次に決めればいい」
「次?」
「ああ」
「今の役職がなくても?」
「役職は君ではない」
短い言葉だった。
でも。
胸の奥へ落ちた。
「国家魔導技師長でなくても」
クロムウェルは続ける。
「研究主任でなくても。何かを作れない日でも」
エレナを見る。
「君は君だ」
以前にも。
似たことを言われた。
でも。
今は。
少し違う場所まで届いた。
「……はい」
エレナは頷いた。
ただ。
その夜。
研究院へ戻ったあと。
新しい制度改正案を机へ置いたエレナは。
空になり始めている自分の仕事欄を見て。
少しだけ。
寂しくなった。
通信班には主任候補がいる。
治癒瓶は医療技術部へ移る。
軌道輸送は交通設備局。
国際観測にも各国の責任者がいる。
そして。
国家魔導技師長の権限さえ。
これから分散される。
それは。
自分が望んだことだった。
望んだはずなのに。
「……本当に、私がいなくても回るようになってきたんですね」
誰もいない技師長室で。
エレナは小さく呟いた。
嬉しい。
誇らしい。
それでも。
ほんの少しだけ。
怖い。
その気持ちから。
エレナは目を逸らさなかった。
次に向き合うべきなのは。
帝国の技術制度ではなく。
どうやら。
自分の中にまだ残っている。
「必要とされなければ価値がない」という古い考えのほうらしかった。




