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第30話 「天才技師一人をください」――外国使節の無茶な要求

 国家魔導技師長になってから、エレナは「技術協力」という言葉の幅が、思っていたよりずっと広いことを知った。


 図面を見せてほしい。


 完成品を売ってほしい。


 材料を融通してほしい。


 技師を派遣してほしい。


 共同研究をしたい。


 研修生を受け入れてほしい。


 そして、中には。


「……人間を一人、長期貸与してほしい?」


 帝国外務部局から届いた書類を読みながら、エレナは思わず聞き返した。


 精密魔導核研究室の小会議卓には、今日だけで七か国分の技術協力要請が積まれている。


 軍用長時間魔導灯が周辺国へ知られたころから問い合わせは増えていたが、治癒魔法保存器の限定臨床試験が始まって以降、その数は一気に跳ね上がった。


 しかも、最近は単なる商品の購入希望ではない。


 技術そのものを欲しがる国が増えている。


 エレナの向かいには、研究院長のオルディスと外務部局の官僚が座っていた。


「貸与という言葉は、帝国側で要約した表現です」


 官僚が苦笑する。


「原文はもう少し丁寧ですよ。『技術移転の実効性を確保するため、主任級技術者一名を三年間、招聘したい』となっています」


「三年?」


「はい」


「長期ですね」


「かなり」


 エレナはもう一度文書を見る。


 相手国は帝国の南西に位置するカルディア王国。


 交易は盛んで、魔導鉱石も豊富。


 ただし、高度な精密魔導核技術については帝国やエルグラン王国より一段遅れていると聞いている。


「主任級技術者一名、と書いてありますけれど」


 エレナは嫌な予感を覚えながら続きを読んだ。


 案の定。


 次の紙に、名指しで書かれていた。


『第一希望 エレナ・ヴァリエ国家魔導技師長』


「やっぱり私なんですね」


 オルディスが静かに頷く。


「そうです」


「第二希望は?」


「精密魔導核研究室から一名」


「つまり、できれば私。無理なら私の研究室から誰か」


「そういう理解でいいでしょう」


 エレナは書類を机へ置いた。


「それは困ります」


「でしょうね」


「治癒魔法保存器も途中ですし、技師長の仕事もあります。三年なんて無理です」


「外務部局としても、そのまま受け入れるつもりはありません」


「では、なぜ私に?」


「断り方を相談したいからです」


 エレナは少し意外に思った。


「断り方?」


「単純に『エレナ国家魔導技師長は派遣できない』とだけ答えることもできます」


 官僚は資料をめくる。


「ただ、カルディア側が欲しがっているのは、本当はあなた個人ではありません」


「どういうことですか?」


「あなたができることを、自国でもできるようにしたいんです」


 それなら理解できる。


 治癒魔法保存器。


 省魔力回路。


 小型高効率核。


 素材個体差への対応。


 どれも、一人の技師を雇えば終わる話ではない。


「だから、代わりの提案を出せないかと」


 エレナはしばらく黙った。


 三年前の自分なら。


 いや。


 半年前の自分でも。


 「では私が行けば早い」と考えたかもしれない。


 自分が直接やれば、確実。


 相手国へ行って。


 工房を見て。


 材料を測って。


 技師へ教えて。


 三年かければ、かなりのことはできるだろう。


 でも。


 それでは駄目なのだと、今は分かる。


「この条件」


 エレナは文書の一節を指す。


「『技術移転には人材の継続配置が不可欠』とありますよね」


「はい」


「半分は正しいです」


 オルディスが興味深そうに見る。


「半分?」


「図面だけ渡しても、再現できない技術はあります」


 エレナ自身が、まさにそうだった。


 ガイウスの工房。


 設計図は残っていた。


 完成品もあった。


 それなのに。


 エレナがいなくなった途端、工房は壊れ始めた。


 なぜか。


 図面に書いていないことが多すぎたからだ。


 素材の癖。


 微細な調整。


 失敗したときの判断。


 数値になっていない感覚。


 全部、一人の頭と手の中にあった。


「でも、人を一人置けばいいという話でもありません」


「理由は?」


 外務官が尋ねる。


 エレナは少しだけ考えてから答えた。


「その人がいなくなったら、また同じことが起きるからです」


 オルディスの目が僅かに細くなる。


「私のいた工房が、そうでした」


 エレナは続ける。


「私がいれば動いた。私がいなくなったら止まった。それは、私が優秀だった証明でもあるかもしれませんけど、組織としては失敗だったと思います」


「失敗?」


「はい」


 エレナは迷わなかった。


「一人が抜けただけで、修理も再生産もできなくなるんですから」


 それは誇ることではない。


 むしろ危険だった。


「カルディアへ私を三年置いて、私が全部教えたとしても、結局『エレナに聞けば分かる』が続いたら意味がありません」


「では、どうします?」


 官僚が身を乗り出す。


 エレナは書類の余白へ、思いついたことを書き始めた。


「人ではなく、仕組みを渡します」


「仕組み?」


「まず、測定規格です」


 素材の分類。


 魔力抵抗。


 結晶方向。


 熱特性。


 加工精度。


 今までエレナが個人の感覚で見ていたものを、帝国では少しずつ数値や区分に変えてきた。


「同じ青晶石でも、分類方法が違えば設計が再現できません。だから最初に、材料を同じ基準で測れるようにします」


「なるほど」


「次に、教育課程」


「技師向けの?」


「はい。いきなり高度な核を作らせるのではなく、基礎測定、単純流路、補正回路、長時間安定試験という順番で学ぶんです」


 ガイウスが今、基礎から核を作り直しているというテオの手紙を思い出す。


 土台がないまま、完成品だけ真似ても続かない。


「それから認定制度」


「誰が技術を習得したかを確認する?」


「はい。試験が必要です」


「帝国側が?」


「最初は共同で。将来的にはカルディア側だけでできるようにします」


 官僚が書き取っていく。


「他には?」


「失敗記録も」


 オルディスが小さく笑った。


「やはり入れますか」


「入れます」


「技師長らしいですね」


「最近、それを便利な言葉として使われている気がします」


 エレナは少しだけ不満そうに言った。


 それでも、手は止めない。


「技術移転って、成功した作り方だけ教えても駄目だと思うんです」


「なぜ?」


「どこで失敗するか知らないと、現場で問題が出たとき直せません」


 たとえば。


 流路を細くしすぎると焼ける。


 補正を強くしすぎると波形が崩れる。


 素材分類を粗くすると量産でばらつく。


 そういうことまで教える。


「つまり」


 外務官がまとめる。


「人一人を三年間派遣する代わりに、教育体系そのものを輸出する?」


「はい」


「かなり大きな話になりますね」


「……そうですか?」


 エレナは自分の書いた内容を見た。


 確かに。


 測定規格。


 教材。


 実習。


 認定試験。


 記録制度。


 一式にすれば、かなり大きい。


「これ、国家事業ですよ」


 官僚に言われる。


「もう少し小さいつもりでした」


「国家魔導技師長が外国向けの技術教育制度を作れば、十分国家事業です」


「肩書きって怖いですね」


「今さらです」


 オルディスに言われ、エレナは少し笑った。


 数日後。


 カルディア王国の使節団との正式協議が開かれた。


 場所は帝国外務宮の中会議室。


 相手側の代表は、大柄な中年男性だった。


 名はラウル・ベルネ。


 カルディア王国の産業技術大臣。


 豪放そうな外見に反し、事前資料によれば交渉ではかなり粘る人物らしい。


 帝国側は外務官、オルディス、数名の技術官。


 そしてエレナ。


 クロムウェルは出席していない。


 それはエレナ自身が望んだ。


 皇帝が最初から出れば、どうしても政治的圧力が強くなる。


 これはまず技術協議として話したい。


「国家魔導技師長殿」


 ラウルがエレナを見る。


「ようやくお会いできましたな」


「初めまして」


「若いとは聞いていましたが、本当にお若い」


「よく言われます」


「失礼でしたかな」


「事実なので」


 ラウルは愉快そうに笑った。


「気に入りました」


 エレナは少し困った。


 交渉相手からいきなり気に入られても、どう返せばいいのか分からない。


 挨拶が終わり、すぐ本題へ入る。


「我が国としては」


 ラウルが言う。


「貴国の魔導核技術、特に高効率化と長時間安定技術を本格的に導入したい」


「資料で拝見しています」


「そこで最も確実なのが、人を一人いただくことだと考えた」


 エレナは一瞬言葉に詰まった。


 原文より直接的だった。


「いただく、ですか」


「もちろん所有するという意味ではありませんぞ」


「分かっています」


「三年。待遇はこちらで最高級を用意する。研究棟、助手、住居、警備。必要なら爵位でも何でも」


 以前なら驚いたかもしれない。


 最近、似た条件を何度も見すぎて、少し慣れてしまった。


「ありがたいお話ですが、私は行けません」


「でしょうな」


 あっさり言われて、今度はエレナが驚いた。


「分かっていたんですか?」


「半分は」


「では、どうして名指しで?」


「最初から小さく頼んで、小さく断られるより、大きく頼んで譲歩したほうが交渉になる」


 外務官が僅かに眉を動かした。


 ラウルは平然としている。


「それに、本当に来ていただけるなら歓迎でした」


「正直ですね」


「技師長殿も正直だと聞いています」


「誰からです?」


「各国の使節から」


「そんな評判が?」


「かなり」


 それは少し複雑だった。


「では」


 ラウルが腕を組む。


「技師長殿ご本人が無理なら、研究室から三名。期間は二年」


「それも難しいです」


「二名、一年半」


「人数と期間の問題ではありません」


 ラウルの目が変わった。


 笑いは残っている。


 けれど、交渉相手を見る目になった。


「ほう」


「技師を派遣すること自体はできます」


「なら」


「でも、派遣した人へ全部聞けばいい状態を作りたくありません」


 エレナは事前に用意した資料を出した。


「代わりに、こういう形を提案します」


 ラウルの前へ置く。


 表紙には。


『魔導核技術移転・教育認定共同計画案』


 ラウルが読む。


「教育?」


「はい」


「我々は技術が欲しいんですが」


「だから教育します」


「完成品の図面を?」


「それだけではありません」


 エレナは説明を始めた。


 材料測定規格の統一。


 基礎技師課程。


 精密核課程。


 安全評価課程。


 量産工程。


 失敗記録。


 認定試験。


 最初の半年は帝国から技師を派遣。


 同時にカルディア側から研修生を帝国へ受け入れる。


 二年目以降はカルディア人指導者を育て、帝国技師を段階的に減らす。


「最終目標は」


 エレナは言った。


「帝国の技師が一人もいなくても、カルディアの方だけで同じ基準の技術を維持できることです」


 ラウルは黙っている。


 少しして、資料から顔を上げた。


「それでは、貴国の技術が我が国へ根づきすぎるのでは?」


「それが技術移転では?」


 室内が少し静かになった。


 ラウルは数秒エレナを見て、それから笑った。


「いや、ごもっとも」


「何か違いました?」


「普通は、教えすぎないようにするものです」


「教えないなら、何のために契約するんです?」


 ラウルがますます笑う。


「国家魔導技師長殿。あなた、外交官には向きませんな」


「自覚しています」


 帝国側の外務官が少しだけ咳払いした。


「そこは我々が補います」


「大変でしょうな」


「かなり」


 今度は全員が少し笑った。


 ただ、ラウルはすぐ真顔へ戻る。


「一つ問題がある」


「はい」


「そこまで教えれば、我が国が貴国と競合する技術を持つことになる」


「そうですね」


「よいのですか?」


 今度は外務官へ向けられた質問だった。


 帝国側はすでにそこも検討済みだった。


「軍事機密に属する技術は対象外とします」


 外務官が答える。


「今回の共同計画は、民生用高効率回路、医療補助器具、基礎的精密核技術に限定します」


「軍用品はくれない?」


「当然です」


「残念だ」


「それは交渉しても変わりません」


「でしょうな」


 ラウルは再び資料を見る。


「しかし、これでは貴国の技師を『借りる』より時間がかかる」


「最初は」


 エレナが答える。


「でも三年後は、こちらのほうが早いです」


「なぜ?」


「教えられる人が増えるからです」


 一人の天才。


 一人の熟練技師。


 それだけに依存すると、広がらない。


「一人が十人を直接教えるより、三人の指導者を作って、その三人がそれぞれ十人を教えたほうが早いです」


 ラウルが指で卓を軽く叩く。


「理屈は分かる」


「それに」


 エレナは少しだけ声を落とした。


「一人に全部を背負わせる技術体系は、壊れやすいんです」


 自分自身の過去だった。


「その人が病気になったら?」


 ラウルが聞く。


「止まります」


「国を出たら?」


「止まります」


「死んだら?」


「もっと困ります」


 ラウルはゆっくり頷いた。


「あなた自身が、それを経験した?」


 エレナは少し迷った。


 外交の場で、元婚約者の工房の話まで細かくする必要はない。


「似たことを」


 それだけ答えた。


「だから、人間を技術の容器にしたくありません」


 その言葉に、ラウルの表情が変わった。


「人間を技術の容器にしない」


「はい」


「面白い」


「そうですか?」


「我々は最初、まさにそれをしようとしていた」


 ラウルは笑った。


「あなたを一人もらえば、技術もついてくると思っていた」


「かなり怖い言い方です」


「失礼」


「いえ。分かりやすいですけど」


 ラウルは資料を閉じた。


「この共同計画。我が国だけに?」


「最初はカルディア王国と試験的に」


「最初は?」


「うまくいけば、他国向けにもできます」


「それは困る」


「どうしてです?」


「我が国だけが先に学べる優位が減る」


 エレナはそこで、ようやく外交というものの面倒さを少し理解した。


 技術的に良い仕組みを作れば終わりではない。


 相手国には相手国の利益がある。


「では」


 エレナは少し考える。


「最初の二年間は、カルディア向けの教育課程を優先運用する」


 外務官がエレナを見る。


「技師長殿」


「駄目ですか?」


「相談せず決めないでください」


「あ」


 やってしまった。


「すみません」


 ラウルが大笑いする。


「やはり外交官には向かない!」


「だから最初からそう言っています」


「しかし交渉相手としては面白い」


 帝国外務官は額へ手を当てていた。


「優先期間については、後ほどこちらで条件を詰めます」


「お願いします」


 エレナは素直に引いた。


 こういうところは専門家へ任せる。


 それも技師長の仕事だと、最近は分かってきた。


 協議はそこからさらに二時間続いた。


 派遣人数。


 研修生の数。


 教材の権利。


 認定証をどちらの国が発行するか。


 秘密保持。


 技術流出。


 費用分担。


 エレナにとっては、途中から魔導回路より難しく感じられた。


 それでも。


 最終的に、基本合意まで進んだ。


 カルディア王国はエレナ本人の長期派遣要求を取り下げる。


 代わりに、帝国と共同で魔導技術教育課程を作る。


 帝国からの初期派遣技師は三名。


 ただし六か月ごとに交代。


 カルディアからは毎年十名の研修技師を受け入れる。


 さらに、二年以内にカルディア人指導者を最低五名育成することを目標とする。


「これなら」


 ラウルが署名前の文書を読みながら言う。


「三年後にあなたがいなくても回る、と?」


「回らなければ失敗です」


「厳しいですな」


「そこを目標にしたいです」


「では、我々も本気で学ばないといけない」


「そのほうがいいと思います」


 ラウルが笑う。


「人を一人ください、と言ったら学校一つ分の制度が返ってきた」


「学校ほど大きくは」


 外務官が横から口を挟む。


「十分大きいです」


「そうなんですね……」


「自覚してください」


 エレナは少し困った。


 会談が終わったあと。


 廊下へ出ると、待っていたオルディスが声をかける。


「お疲れさまでした」


「疲れました」


「珍しく即答ですね」


「魔導具を三つ作るほうが楽です」


「外交は専門外ですから」


「これからもあります?」


「国家魔導技師長ですので」


「役職を受ける前に、もっと詳しく聞くべきでした」


「今さらですね」


 オルディスが笑う。


「でも、良い結果でした」


「そうでしょうか」


「人材派遣ではなく、教育体系の輸出。研究院としても使える仕組みです」


「帝国内でも?」


「地方工房向けの技術教育に応用できます」


 エレナの足が止まった。


「国内でも?」


「はい」


 考えていなかった。


 帝都の研究院だけ高度になっても、地方の工房へ技術が広がらなければ意味がない。


「それ」


 エレナの顔が変わる。


「やりたいです」


「今すぐ?」


「いえ」


 そこで自分を止めた。


「……今の案件が落ち着いてから」


「成長しましたね」


「皆さんに言われます」


 夕方。


 研究院へ戻ると、リナたちが待っていた。


「主任、お帰りなさい」


「ただいま戻りました」


「外国へ三年行く話、どうなりました?」


 エレナは足を止めた。


「どうして知っているんです?」


「研究院中で噂になっています」


「早すぎません?」


「国家魔導技師長を他国が欲しがってるって、そりゃ広まりますよ」


「行きませんよ」


「知ってます」


「なら何を聞くんです?」


「どう断ったのかなって」


 エレナは外套を脱ぎながら答えた。


「代わりに教育課程を作ることになりました」


 リナが瞬く。


「……どうしてそうなるんです?」


「私も途中から少し思いました」


「三年行くのを断った結果、国家間の学校を作るんですか?」


「学校ではありません」


「似たようなものでしょう」


 若い測定技師も苦笑した。


「主任、断るときまで仕事増やしてません?」


「増やしたつもりはありません」


「結果として増えてます」


「補佐官に怒られそうですね」


「確実に」


 エレナは自分の机へ戻った。


 そこには治癒魔法保存器十四号の測定表が置かれている。


 見慣れた数字。


 見慣れた作業台。


 外国との交渉を終えたあとだからこそ、この場所が妙に落ち着いた。


「でも」


 リナが少し真面目な声になる。


「よかったです」


「何が?」


「主任が三年いなくならなくて」


 エレナは一瞬黙った。


「行くつもりは最初からありませんでしたよ」


「それでもです」


「……ありがとうございます」


 以前なら。


 必要とされると、「だから働かなくては」と思った。


 今は少し違う。


 ただ、いてほしいと言われること。


 それをそのまま嬉しいと思える。


「そういえば」


 リナが思い出したように言う。


「陛下も安心されるでしょうね」


「どうして急に陛下が出てくるんです?」


「三年も外国へ行かれたら困るでしょう」


「技師長として?」


「またそれ聞きます?」


 エレナは黙った。


 聞くまでもない。


 分かっている。


「……たぶん、困ると思います」


 素直に言うと、リナがにやりと笑った。


「かなり進歩しましたね」


「研究へ戻ってください」


「はいはい」


 その夜。


 クロムウェルから短い伝言が届いた。


『三年の派遣を断ったと聞いた。国家としても個人としても安心した』


 エレナはその文を二度読んだ。


 三度目は読まなかった。


 その代わり、返事を書く。


『技術は人一人ではなく、仕組みとして渡すことになりました。私もそのほうが安心です。


 それから、個人として安心した、と書いてくださったことも嬉しかったです』


 そこまで書いて。


 少し迷う。


 前なら消したかもしれない。


 恥ずかしいから。


 期待させるかもしれないから。


 でも、今は。


 嬉しいものは、嬉しいと伝えてもいいと思った。


 エレナはそのまま封をした。


 机の上では、十四号の治癒瓶が淡い緑色に光っている。


 人を一人抱え込む技術ではなく。


 誰かがいなくなっても残る技術へ。


 それは研究だけの話ではない。


 人間も。


 組織も。


 国も。


 一人へ全部を背負わせなければ、もっと遠くまで進めるのかもしれない。


 エレナはそんなことを考えながら、今日決まった教育計画の表紙へ、最初の正式名称を書き込んだ。


『国際魔導技術教育・認定共同計画』


 そしてその下には。


『統括責任者 エレナ・ヴァリエ』


 今度は、自分の名前が大きく書かれていても怖くなかった。


 その名前の下に、これから何十人、何百人という技師の名前が続いていく。


 そういう仕組みを作るための肩書きなら。


 国家魔導技師長という役職も、少しだけ自分に馴染んできた気がした。

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