第28話 国家魔導技師長の最初の仕事は、失敗作を集めることでした
国家魔導技師長として最初に開かれた合同技術会議で、エレナは自分でも少し変わったことを言っている自覚があった。
「では、各部門がこの一年で失敗した試作品と、不採用になった設計の記録を提出してください」
会議室が静まり返った。
帝国国立魔導研究院の大会議室には、研究院だけでなく軍、中央治療院、工務局、農業技術部、交通設備局から選ばれた技師や責任者が集まっている。
全部で二十人ほど。
机の上には、それぞれが持ち寄った成果報告書が積まれていた。
軍からは長距離輸送用の耐衝撃魔力箱。
医療部門からは簡易滅菌装置。
工務局からは橋梁点検用の魔力亀裂検知器。
どれも正式採用、または実用化直前まで進んだ技術だった。
だからこそ。
エレナの要求は、場違いに聞こえたらしい。
「……失敗したものを、ですか?」
最初に聞き返したのは、工務局の年配技師だった。
五十代半ばほど。
名はグレゴール。
帝都の橋梁設備を長年担当してきた熟練技師だと、事前資料にあった。
「はい」
「成功例ではなく?」
「成功例も必要です。でも、今回は失敗したものを優先したいんです」
グレゴールは隣の技師と顔を見合わせた。
「国家技師長殿。失礼ながら、意図を伺っても?」
「もちろんです」
エレナは立ち上がらず、座ったまま答えた。
以前なら、こういう場では立ったほうがいいのではないか、もっと威厳のある話し方をしたほうがいいのではないかと悩んだかもしれない。
けれど今は、自分が急に別人のように振る舞っても仕方がないと思っている。
「たとえば軍用魔導灯を改良したとき、最初に軽量化した試作品は落下試験で壊れました」
ハロルドが少しだけ口元を緩める。
あれを覚えているのだろう。
「そのとき、失敗した試作品を捨てて、成功した最終型だけ残していたら、次に同じ軽量構造を使う人が、また同じところを壊すかもしれません」
「ですが、設計報告書には改良過程も書くでしょう」
交通設備局の技師が言う。
「理想的には」
エレナは頷いた。
「でも、本当に全部残っていますか?」
相手が黙った。
「成功した製品の報告書には、最終的に何を採用したかは詳しく書かれます。でも、途中で捨てた案については『強度不足のため不採用』だけで終わることが多いです」
エレナは自分の前に置いていた小さな箱を開いた。
中から、黒く焦げた魔導核を一つ取り出す。
研究室の失敗作棚から持ってきたものだった。
「これは家庭用省魔力灯の試作八号です。十四分で焼けました」
何人かが少し驚いた顔をした。
国家魔導技師長になった女が、会議の最初に持ち出すのが十四分で壊れた失敗作だとは思わなかったのだろう。
「原因は、安価な青晶石を使うために魔力流を細く絞りすぎたことです。消費魔力は下がりました。でも局所的に熱が集中して、補助刻印が焼けました」
次にもう一つ出す。
「九号は三十一分です」
「少し伸びていますね」
医療部門の若い技師が言った。
「はい。でも、これも駄目です。ただ、八号とは壊れ方が違いました。八号は局所過熱、九号は補正不足による波形崩れです」
机の上へ二つ並べる。
「どちらも『失敗』だけでまとめたら、違いが消えます」
会議室が少し静かになる。
「私は、帝国全体でこの違いを残したいんです」
グレゴールが腕を組んだ。
「理屈は分かります。しかし、現実には難しいでしょう」
「どうしてですか?」
「失敗を詳細に残せば、それが評価材料になるからです」
その言葉で、何人かが頷いた。
「たとえば私の部門で十件の試作をして、八件失敗したとする。一方、別の部署は三件しか試さず、二件成功した。数字だけ見れば、こちらは失敗ばかりの部署に見える」
「はい」
「上にいる人間が、必ず技術を理解しているとは限りません」
グレゴールの言い方には、長年の実感があった。
「『なぜ八回も失敗したのか』『予算を無駄にしたのではないか』と責められる。そうなると技師はどうすると思います?」
「失敗を残さなくなります」
エレナが答える。
「その通りです」
別の年配技師が口を挟む。
「もっと悪い場合は、最初から危険な挑戦をしなくなる。失敗しそうな案には手を出さず、確実に成功する小さな改良だけを出すようになります」
「それでは研究が進まない」
「ですが、評価制度がそうなっているなら技師だけ責めても仕方ありません」
言われて、エレナは頷いた。
「おっしゃる通りです」
反対意見に反発する必要はない。
むしろ、聞きたかったことそのものだった。
「だから、失敗記録を集めるだけでは駄目だと思っています」
エレナは事前に用意していた紙を配った。
会議の補佐役が各席へ回す。
「失敗報告を、個人や部署の処罰材料へ直接使わない規定を一緒に作りたいんです」
グレゴールが紙を見る。
「処罰材料に使わない?」
「故意の隠蔽や、安全規則違反は別です」
「当然でしょうな」
「でも、正規の手順で試した結果、技術的に失敗したものについては、それだけで減点しない」
エレナは一つずつ説明する。
「むしろ、原因分析までできていれば技術成果として扱う。『駄目だった』だけではなく、『なぜ駄目だったか』が分かれば、次の人が同じ費用と時間を使わずに済みます」
軍側から参加していたハロルドが資料へ目を落としたまま言った。
「言いたいことは分かる。ただ、全失敗を記録するとなると量が膨大になるぞ」
「そこも問題です」
「自覚はあるんだな」
「あります」
少し笑いが起きた。
「なので、全部を長い報告書にするつもりはありません。記録項目を統一します」
エレナは別紙を示す。
「目的。使用材料。変更点。失敗した条件。壊れ方。原因の確度。再試験の有無。このくらいなら、一件につき一枚で収まると思います」
「写真は?」
工務局の技師が尋ねる。
「記録魔導板を使える部署なら付けたいです。でも全部の現場にあるわけではないので、必須にはしません」
「実物は?」
「危険物でなければ、代表例だけ一定期間保存です」
「一定期間とは?」
「そこは分野ごとに違うと思います」
エレナは素直に言った。
「医療器具と橋梁部材を同じ基準で保存するのは無理ですから、専門部門に決めてもらいたいです」
グレゴールが少しだけ表情を変えた。
「技師長殿が決めるのでは?」
「私は橋を作ったことがありません」
きっぱり言うと、何人かが目を瞬いた。
「知らないものまで私が決めたら危ないでしょう?」
今度は明確に笑いが起きた。
グレゴールまで、僅かに口元を緩める。
「随分、正直ですな」
「知らないことを知っているふりをして、橋が落ちたら困ります」
「それは困る」
「なので、制度の骨組みだけ決めて、分野別の基準は専門家に作っていただきたいです」
会議の空気が、最初より少し柔らかくなった。
ただし、反対意見が消えたわけではない。
今度は医療部門の責任者が手を上げる。
「一つ懸念があります」
「お願いします」
「医療器具の場合、『失敗した設計』の情報自体が危険になることがあります」
「危険?」
「たとえば誤った出力設定や、不十分な安全機構が記録される。その資料だけが外へ出て、誰かが未完成品を模倣したら?」
エレナは治癒瓶のことを思い出した。
三分の一だけ蓋を回して出力を調整した、あの試作。
研究段階なら許されても、一般に真似されたら危険だ。
「公開範囲を分ける必要がありますね」
「そうです。共有すればいい、では済まない」
「では、内部共有と一般公開を分けましょう」
エレナはすぐに資料へ書き込む。
「危険性のある失敗記録は、認定技師だけ閲覧できるようにする」
「さらに、医療用途は医療部門の承認なしに実物再現を禁止したいです」
「それも入れます」
農業技術部の責任者が苦笑した。
「技師長殿。今、会議中に制度案を書き換えていますね?」
「そのための会議では?」
「普通は、ある程度完成した案を持ってきて承認を取るものかと」
「それだと皆さんを呼んだ意味がない気がして」
エレナが本気で答えると、また笑いが起きた。
ミレイアがこの場にいれば、「あなたは本当にそういうところよ」と言っただろう。
午後まで議論は続いた。
記録を増やしすぎれば現場の負担になる。
失敗の定義はどうするか。
単なる製造ミスまで記録対象にするのか。
危険な失敗と有益な失敗をどう分けるのか。
部門同士で同じ失敗を比較できるよう、用語をどこまで統一するか。
エレナが最初に考えていたより、ずっと難しかった。
途中、一度だけ。
「国家魔導技師長が命じれば早いのではないですか」
若い官僚が言った。
悪意ではない。
純粋に、会議が長引いていることへの疑問だった。
エレナは少し考えた。
「命じることはできると思います」
「なら」
「でも、使われない制度になります」
官僚が黙る。
「現場が『面倒だから形だけ出しておこう』と思ったら、記録は残っても中身がなくなります」
「しかし全員の納得を待っていたら進まないのでは?」
「全部納得してもらう必要はないです」
エレナは答えた。
「でも、どこが困るのかは知りたいです」
その違いだった。
全員が好きになる制度は、たぶん作れない。
けれど、嫌がる理由を知らずに押しつけるのは違う。
「それに」
エレナは自分の失敗作を一つ手に取った。
「失敗を隠さない制度を作るのに、最初の制度作りから反対意見を消したら、おかしいでしょう?」
若い官僚は少し考え、それから頷いた。
「確かに」
夕方近く。
ようやく試験制度の形がまとまった。
最初から帝国全体へ導入しない。
まず三組織だけ。
国立魔導研究院。
帝国軍の魔導具開発部門。
中央治療院。
三か月間。
対象は新規開発案件のみ。
失敗記録は共通書式で保存。
正規手順内の技術的失敗は、人事上の減点へ直接使用しない。
ただし規則違反、記録改ざん、安全上の重大な隠蔽は別扱い。
危険技術には閲覧制限を設ける。
三か月後に、現場負担と有用性を再評価する。
「これなら」
グレゴールが最終案を読みながら言った。
「試す価値はあるかもしれませんな」
「工務局は今回の試験対象に入っていませんけど、よろしければ記録様式だけ使ってみてください」
「義務ではなく?」
「はい」
「それなら、一つの現場だけ試してみましょう」
エレナの顔が少し明るくなる。
「ありがとうございます」
「ただし」
「はい」
「三か月後に書類が倍になっていたら、私は真っ先に反対します」
「そのときは減らしましょう」
「簡単に言いますな」
「使えない仕組みを守る意味はないので」
グレゴールが今度こそ、はっきり笑った。
「若いというのも、悪いことばかりではないらしい」
「それは褒めてくださっています?」
「半分は」
「残り半分は?」
「まだ分かりません」
「正直ですね」
「技師長殿に倣いました」
会議が終わった頃には、窓の外が赤く染まっていた。
エレナは机の上に残った資料を見て、思わず息を吐く。
魔導具を一つ作るほうが、ずっと簡単な気がした。
「疲れた顔だな」
聞き慣れた声がした。
振り返ると、会議室の入口にクロムウェルが立っていた。
「陛下」
「終わったと聞いた」
「来ていたんですか?」
「隣の棟で外務会議があった」
「本当に?」
「最近、私の予定を疑う癖がついていないか」
「研究院へ来るたびに『近くまで来た』とおっしゃるので」
「今日は本当に近かった」
「今日は、ですか」
クロムウェルは答えず、会議卓の上に置かれた焦げた八号を見た。
「国家魔導技師長の最初の合同会議に、それを持ってきたのか」
「はい」
「十四分で壊れたものだろう」
「覚えていたんですか?」
「あれだけ煙が出たと聞けば覚える」
「その場にはいなかったでしょう」
「報告書に書いてあった」
エレナは少し恥ずかしくなった。
「もっと格好のいいものを持ってくればよかったでしょうか」
「君らしいと思う」
「それ、最近便利に使っていません?」
「便利だからな」
クロムウェルは空いた椅子へ座った。
「決まったのか」
「試験制度までです」
エレナは最終案を渡した。
クロムウェルは目を通す。
「研究院、軍、中央治療院の三組織で三か月」
「はい。いきなり全部へ広げると、何が悪かったのか分からなくなるので」
「妥当だと思う」
「技術内容には口を出さないんですね」
「私は魔導技師ではない」
「でも皇帝です」
「だから、制度として問題がないかは見る」
紙を一枚めくる。
「失敗記録を人事評価の減点へ直接使わない、か」
「そこが一番大事だと思っています」
「完全に切り離すのは難しいぞ」
「はい」
エレナも分かっている。
「同じ人が毎回、同じ理由で失敗して、何も改善しなければ、それは評価に関わると思います」
「なら」
「失敗した回数ではなく、失敗から何を学んだかを見るようにしたいです」
クロムウェルが書類から顔を上げた。
「簡単ではないな」
「はい」
「それでもやる?」
「やりたいです」
迷わなかった。
「私、昔は失敗作を隠したかったんです」
「そうなのか」
「ガイウス様の工房にいた頃は、失敗したものはすぐ片づけていました。完成品だけ見せるほうが良いと思っていたので」
失敗すれば、時間が無駄になる。
材料費がかかる。
納期が遅れる。
役に立たないと思われる。
そんな怖さがあった。
「でも今は、失敗したもののほうが教えてくれることもあるって分かります」
「治癒瓶もそうだったな」
「はい。操作しにくかったことも、実際に人へ使って初めて分かりました」
あの急患の少年を思い出す。
完成していなかった。
改善点は山ほどあった。
それでも、役に立った。
「だから」
エレナは焦げた八号を手に取った。
「これを恥ずかしいものにしたくないんです」
クロムウェルは少しだけ目を細めた。
「君は変わったな」
「またですか?」
「ああ」
「どこが?」
「以前なら、失敗を見られることより、失敗した自分をどう思われるかを気にしていた」
エレナは少し黙った。
その通りだった。
「今は?」
「次にどう使うかを考えている」
「……そうかもしれません」
「良い変化だと思う」
真正面から言われると、まだ少し照れる。
「ありがとうございます」
「素直になったな」
「褒められたら受け取る練習中です」
「成果が出ている」
「研究みたいに言わないでください」
クロムウェルが笑った。
エレナも少し笑う。
それから彼が卓上の資料をもう一度見る。
「ただし、一つだけ条件がある」
「何でしょう」
「この制度を始めるなら、君自身が一番守れ」
「どういう意味です?」
「失敗を記録することではない」
クロムウェルがエレナを見る。
「自分が失敗したときに、成果が出なかったからといって余計に働いて埋め合わせようとするな」
エレナの表情が止まった。
「……そこへ来ます?」
「来る」
「制度の話ですよ」
「君が作る制度だ」
「はい」
「本人が守れなければ説得力がない」
痛いところだった。
「今は休んでいます」
「今後もだ」
「努力します」
クロムウェルの眉が動く。
「その言葉は私が使うと君に怒られるな」
「……そうでした」
「約束は?」
エレナは少し考えた。
簡単に「絶対」と言うのは違う。
自分がまた夢中になる可能性は、十分にある。
「一人で決めないようにします」
「何を?」
「無理をするかどうかです」
クロムウェルが少し意外そうな顔をした。
「自分で大丈夫だと思っても、リナさんかミレイアさんか、周りの人に止められたら一度手を止めます」
「私も入るか?」
「陛下は過保護なので基準が厳しすぎます」
「外された」
「補助参考です」
「格下げされたな」
「でも一応聞きます」
「ならいい」
二人で笑った。
翌朝。
精密魔導核研究室には、新しい棚が一つ置かれた。
以前から失敗作棚はあった。
今回は、その横。
札にはこう書かれている。
『失敗技術記録・試験運用』
リナが札を見上げる。
「国家制度の最初が、主任の失敗作棚からなんですね」
「一番手近なので」
「もっと格好いい始まり方はなかったんですか?」
「昨日、陛下にも似たことを言われました」
「何て?」
「私らしい、と」
リナが少し考え、それから笑った。
「確かに」
「皆さん、その言葉で何でも済ませようとしていません?」
「便利なんですよ」
また同じことを言われた。
エレナは少し呆れながら、最初の記録票を棚へ入れた。
試作八号。
十四分で焼損。
原因、流路狭窄による局所過熱。
対策、流路再設計。
結果、九号へ移行。
その隣に九号。
その次に、軍用灯の落下破損試作品。
治癒瓶の操作手順七項目版。
どれも完成品ではない。
どれも市場へ出ない。
けれど、その失敗がなければ今の技術はない。
「主任」
若い測定技師が新しい記録票を持ってきた。
「十三号の回路変更型、今朝の長時間試験で波形が崩れました」
「何時間です?」
「六十一時間です」
「十二号より悪いですね」
「はい」
青年が少し申し訳なさそうにする。
以前なら、自分の担当した試作品が失敗したとき、こういう顔をするのは当然だったのかもしれない。
エレナは記録票を受け取る。
「ちょうどいいですね」
「え?」
「制度一号にしましょう」
「これを?」
「はい。どうして崩れたか、一緒に調べます」
「怒らないんですか?」
思いがけない質問だった。
「どうして?」
「私が、内側の補正環も動かしてみたいって提案したので」
エレナは少し考えた。
「測定もせず勝手に変えました?」
「いいえ。主任に相談して、比較試験にしました」
「安全手順を破りました?」
「破っていません」
「では、失敗しただけでしょう」
青年が目を瞬く。
「失敗は駄目ですか?」
「駄目なら、この棚を作った意味がなくなります」
エレナは十三号の記録票へ自分の名前も書いた。
『設計責任 エレナ・ヴァリエ』
その下へ青年の名前。
素材担当、リナ。
誰か一人の失敗ではない。
誰か一人の成功でもない。
「さて」
エレナは試作品を手に取った。
「どこからおかしくなったか、調べましょう」
青年の顔が少し明るくなる。
「はい」
研究室にはいつものように、測定器の低い音が響いていた。
国家魔導技師長として最初に作った制度は、華やかな新兵器でも、巨大な国家計画でもなかった。
失敗したものを捨てずに残す。
なぜ駄目だったのかを書く。
次の人が、同じところで転ばなくて済むようにする。
ただ、それだけの仕組みだった。
けれどエレナは知っている。
小さな流路の幅が魔導具全体の寿命を変えるように、組織もまた、目立たない仕組み一つで未来が変わる。
ならば。
失敗を隠さなくていい国は、きっと今より少しだけ強くなれる。
エレナはそう信じながら、壊れた十三号を分解するため、いつもの工具を手に取った。




