第15話 全部、私が作っていました
王立魔導技術協会から正式な照会文書が届いたのは、治癒魔法保存器の七号試作が十二時間の保存を達成した翌日だった。
エレナは研究室の机で封筒を裏返し、そこに押された王国技術協会の紋章を見つめた。
「今度はガイウス様ではありませんね」
リナが横から確認する。
「ええ。協会からです」
「嫌そうな顔ではありませんけど、嬉しそうでもありませんね」
「どういう顔をすればいいのか分からないだけです」
封筒は厚かった。
研究院の事務部門を通じて正式に届けられたもので、開封前の危険物検査も済んでいる。私信ではないため、必要なら研究院の法務担当者を立ち会わせてもよいと付記されていた。
そこまで大げさにしなくても、と一瞬思ったが、差出人を考えればそうもいかないのだろう。
王立魔導技術協会。
かつてガイウスの工房が、いくつもの魔導具を「新技術」として登録した場所だった。
その登録書類の多くに、エレナの名前はない。
「読みます」
「はい」
エレナは封を切った。
最初の一枚は、形式ばった挨拶から始まっていた。
その後に続く文面は思っていたより簡潔だった。
『過去にガイウス工房名義、およびガイウス氏個人名義で登録された複数の魔導具について、発明者・主要設計者・実製作者の確認を行っております。
調査対象となっている登録品の一部について、エレナ・ヴァリエ氏が実際の設計・製作を担っていた可能性を示す資料および証言が確認されました。
つきましては、下記各製品について、貴殿が関与した範囲を事実に基づいて回答いただきたく存じます』
その下には、魔導具の名称が並んでいる。
小型長時間魔導灯。
王宮用分配核。
高効率冷却装置。
装飾用安定魔石。
携帯用温水器。
小型保温箱。
ほかにもいくつか。
どれも覚えていた。
覚えていないものを探すほうが難しい。
エレナは途中から読む速度を落とした。
「……懐かしいですね」
思わずそう呟いた。
「嫌な思い出ですか?」
リナが尋ねる。
「全部が嫌だったわけではありません」
それは本当だった。
小型長時間魔導灯が初めて朝まで点き続けた夜は、嬉しくてガイウスと二人で工房の床へ座り込んだ。
冷却装置の試作が成功した日は、弟子たちまで集まって遅い夕食を食べた。
装飾用安定魔石は、純粋に見た目まで美しく仕上げられたことが嬉しかった。
楽しいこともあった。
だからこそ、過去全部を「騙されていた時間」として捨てる気にはなれない。
「ただ」
エレナは一覧の一番上へ視線を戻した。
「こうして名前を並べられると、自分でも少し変な気分です」
「何がです?」
「私、こんなに作っていたんですね」
口にすると、リナが数秒黙った。
「主任、それを今気づくんですか?」
「一つずつ作っていたときは、その時のことしか考えていませんでしたから」
「これだけ作っていて、生活費だけだったんですよね」
「そこは今、触れないでください」
「すみません」
「謝らなくてもいいです。ただ、自分でも少し痛いので」
エレナは苦笑した。
文書の後半には回答用紙が添付されていた。
各製品について、発案者、基本設計者、細部設計者、試作担当、最終調整担当、量産工程の策定者を記載する欄がある。
そして最後に。
『登録時の名義について、本人がどのように認識していたか』
という質問もあった。
そこを見た瞬間だけ、指が止まった。
「これは……少し時間がかかりそうです」
「一人で書きます?」
「どうしましょう」
エレナは迷った。
技術的な事実だけなら書ける。
だが、登録当時の認識まで聞かれるとなると、感情が混じる。
しかも、昔のことだ。
自分に都合よく記憶を書き換えていないとも限らない。
「事務部へ相談してきましょうか?」
リナが言う。
「帝国側の法務担当に見てもらったほうがいいと思います。主任が今は帝国研究院の職員で、王国の正式調査に回答するなら、あとで『言った、言わない』になると面倒ですから」
「……そうですね」
以前の自分なら、たぶん「そんな大げさなことは」と断っていただろう。
けれど今は、正式な手続きを踏む意味が分かる。
「お願いします」
「はい」
リナが研究室を出ていく。
エレナは一人になった机で、もう一度一覧へ目を落とした。
小型長時間魔導灯。
最初の発案は、確かにガイウスだった。
『もっと小さくできないか』
そう言われた。
けれど、それは商品としての要望だ。
どう小さくするか考えたのは自分だった。
魔導核を削った。
回路を焼いた。
何度も失敗した。
発熱を抑えるため分岐路を作った。
素材の個体差を見て刻印幅を変えた。
完成まで、何十個壊したか覚えていない。
「……発案者、ガイウス様。基本設計、私」
口にしてみる。
それが一番正しい。
ガイウスの功績を奪いたいわけではない。
彼は「もっと小さく」「もっと長く」と商品に必要な方向を示した。
商人と話し、顧客の要望を聞き、売れる形を考えていた。
そういう能力はエレナよりずっと高かった。
ただ。
技術を作ったのは誰か。
それは別の話だ。
「今なら、分けて考えられるんですね」
独り言が漏れた。
少し前までなら、ガイウスの功績を認めれば自分の功績が減るような気がしたかもしれない。
逆に、自分の功績を主張すれば、彼との過去を全部否定するようで苦しかった。
今は違う。
彼がやったことは彼のもの。
自分がやったことは自分のもの。
ただそれだけだった。
午後。
研究院の法務担当者が立ち会い、エレナは正式な回答書を作り始めた。
予想以上に時間がかかった。
「小型長時間魔導灯について、発案者欄はガイウス氏でよろしいですか?」
「はい。商品として『もっと小型で長く点灯するものが欲しい』と言ったのはガイウス様です」
「基本設計は?」
「私です」
「試作?」
「私です」
「魔導核製作?」
「私です」
「最終調整?」
「……私です」
法務担当の男性がペンを止めた。
「量産工程の策定は?」
「初期は私です。途中から弟子たちへ一部を分担しましたが、核の最終調整だけは最後まで私がしていました」
「なるほど」
書き込む。
次。
王宮用分配核。
「発案者は王立魔導院です。ガイウス工房は一部分を請け負いました」
「工房内での設計担当は?」
「小型分配核は私です」
「製作は?」
「弟子たちと分担しました。でも、最終調整は私です」
次。
高効率冷却装置。
「基本構想はガイウス様です。顧客の希望をまとめたのも彼です」
「技術設計は?」
「私です」
「試作?」
「私と、当時いた弟子二人です」
「最終調整は?」
「私です」
同じやり取りが何度も続く。
法務担当者の表情がだんだん変わっていくのが分かった。
責めるような顔ではない。
ただ、書類の比率を見ている。
ガイウス。
エレナ。
どちらの名前が何度出るのか。
「ヴァリエ主任」
「はい」
「確認ですが、あなたはこれらの製品について、登録時に自分が主要設計者として記録されていないことを知っていましたか?」
エレナは少し考えた。
「全部は知りませんでした」
「全部は?」
「小型長時間魔導灯については、ガイウス様の名前で出ることは知っていました。一度だけ、自分の名前も設計者として入れてほしいと言ったことがあります」
「その際は?」
「婚約者同士なのだから、自分の名前でも私の名前でも同じだと言われました」
「あなたは同意した?」
また、その質問だった。
以前なら答えに詰まったかもしれない。
「……納得はしていませんでした」
自分の声が静かだったことに驚いた。
「でも、受け入れました」
「なぜでしょう」
「結婚する予定だったからです。いつか工房が二人のものになれば、今は名前を出さなくてもいいと思いました。それに、そこで強く言ってガイウス様に面倒だと思われるのが嫌だったんだと思います」
「嫌だった?」
「はい」
認めるのは少し苦かった。
「私は、仕事のことでは彼に必要とされたかったので」
書類を挟んで向かいにいる法務担当者は、何も言わず待っている。
「だから、自分の名前がなくても、裏でちゃんと分かってもらえているならいいと思っていました」
今なら、その危うさが分かる。
分かってくれているはず。
いつか報われるはず。
結婚したら変わるはず。
全部「はず」だった。
「では、自分の名を外すことを積極的に希望したわけではない?」
「いいえ」
「書面で権利を譲渡したことは?」
「ありません」
「発明者名義をガイウス氏単独とする契約は?」
「ありません」
法務担当者が頷いた。
「分かりました」
エレナは少し息を吐いた。
ここまで話して、ようやく一つの山を越えた気がした。
「あと一つだけ」
「はい」
「ガイウス氏がまったく技術面へ関与していなかった、という認識ではないのですね?」
「違います」
そこははっきり答えた。
「商品として何が求められているか、どの価格なら売れるか、どういう大きさなら客が使いやすいか。そういうことはガイウス様のほうがよく分かっていました。私一人だったら、必要以上に性能を追いかけて、売れない値段になっていたと思います」
実際そうだった。
帝国に来た今でも、価格や量産性について他の技師から止められることがある。
「だから、全部が私一人の功績だとは思いません」
エレナは一度言葉を区切った。
「でも、魔導核については――」
自分の手を見る。
何年も細かな工具を握ってきた手。
切り傷の跡。
熱で薄く変色した指先。
「私が作っていました」
今度は迷わなかった。
「設計も、試作も、調整も。少なくとも、協会が今確認している主要製品の魔導核は、ほとんど全部、私が作っていました」
言い切った瞬間。
胸の奥が少し痛んだ。
それでも、不思議と気持ちは軽かった。
誰かを悪者にするための言葉ではない。
自分の仕事へ、自分の名前を戻しただけだった。
「分かりました」
法務担当者は静かに書き留めた。
「この内容で王国側へ回答します。ただし原本は研究院でも保管します」
「お願いします」
話が終わり、研究室へ戻る。
扉を開けると、リナがすぐに顔を上げた。
「どうでした?」
「思っていたより疲れました」
「技術の話なのに?」
「技術だからです」
エレナは自分の机へ座った。
作りかけの治癒魔法保存器が置いてある。
それを見ると、少し落ち着いた。
「昔のことを順番に説明していると、忘れていたことまで思い出しますね」
「嫌なことも?」
「はい。でも、良かったことも」
リナは少し迷ってから聞いた。
「ガイウスさんのこと、まだ好きですか?」
不意打ちだった。
エレナは目を瞬く。
「急ですね」
「すみません。聞かないほうがよかったですか?」
「いえ」
少し考えた。
ガイウスを思い浮かべる。
昔の笑顔。
一緒に完成品を見て喜んだ夜。
婚約破棄の夜。
戻れと書かれた手紙。
全部が同じ人だった。
「今は、戻りたいとは思いません」
「それは知っています」
「嫌いかと言われると……それも少し違います」
うまく言葉にできない。
「たぶん、昔好きだった人なんだと思います」
現在形ではない。
そう言えることに、自分で少し驚いた。
「腹が立つこともあります。でも、あの人との時間を全部消したいわけでもありません」
「難しいですね」
「人間ですから」
「主任がそれを言うと説得力があります」
「どういう意味です?」
「魔導具なら壊れた原因を一つずつ分けられるけど、人間はそうはいかないでしょう?」
エレナは少し笑った。
「最近、リナさんのほうが私より難しいことを言いますね」
「主任といると鍛えられます」
その日の夕方。
エレナの回答書は正式に王国へ送られた。
そして数日後。
王立魔導技術協会の調査室には、帝国から届けられたその回答書が置かれていた。
ベルナールは最初から最後まで、ゆっくり読んだ。
「……ずいぶん公平な書き方だ」
若い審査官が言う。
「ガイウス氏の功績もかなり認めていますね」
「だからこそ重い」
「と、言いますと?」
「恨みから全部奪おうとしている人間の証言なら、割り引いて読む必要がある。だが彼女は、自分の功績ではないところをはっきり分けている」
ベルナールは回答書を机へ置いた。
小型長時間魔導灯。
発案、ガイウス。
基本技術設計、エレナ。
試作、エレナ。
魔導核製作、エレナ。
量産初期工程策定、エレナ。
最終調整、エレナ。
王宮用分配核。
基本構想、王立魔導院。
請負管理、ガイウス。
小型核設計、エレナ。
最終調整、エレナ。
「これを既存資料と照合しろ」
「はい」
「それから元弟子全員の証言も整理する」
調査は終盤へ入っていた。
そして、その頃。
ガイウスの工房では、別の問題が起きていた。
「先生」
テオが新聞を机へ置いた。
「今度は何だ」
「協会の調査が、外に漏れ始めています」
ガイウスが顔を上げる。
「何?」
記事はまだ小さい。
『著名魔導具師の過去作品、発明者名義を再調査か』
名前は明記されていない。
けれど、王宮用設備や小型長時間魔導灯という言葉があれば、業界の人間には分かる。
「誰が漏らした」
「分かりません」
「協会か?」
「正式発表ではないそうです」
ガイウスは新聞を握り潰した。
「くだらない」
「先生」
「エレナが何を言ったか知らないが、あいつ一人で工房が成り立っていたわけじゃない!」
「誰もそんなことは言っていません」
テオの声は静かだった。
「でも、先生一人で全部作っていたわけでもありません」
ガイウスの顔が強張る。
「何が言いたい」
「俺たちは、見ていましたから」
「……何を」
「誰が工房の奥で、毎晩魔導核を作っていたのか」
ガイウスは何も言えなかった。
テオも、もう目を逸らさなかった。
「先生が客を取ってきたことも知っています。工房を大きくしたのも先生です。俺たちを雇ったのも、仕事を取ったのも。それは誰も否定していません」
「なら――」
「でも、核を作っていたのはエレナ様です」
その一言だけは、揺らがなかった。
「俺たち全員、知っていました」
ガイウスの喉が動いた。
「だったら、なぜ今まで何も言わなかった」
テオの表情が少し歪む。
「言う必要がないと思っていたからです」
「何?」
「先生とエレナ様は婚約者で、いずれ夫婦になるんだと思っていました。だから、誰の名前で売っても最後は二人のものになるんだろうって」
それは、ガイウス自身が何度も使った理屈だった。
「でも、先生は婚約を破棄した」
テオは続けた。
「エレナ様を工房から追い出して、それでも過去の技術だけは全部先生一人のものだと言う。それは……違うんじゃないですか」
「お前まで俺を責めるのか」
「責めたいんじゃありません」
「同じだ!」
ガイウスが机を叩く。
「俺が何もしなかったみたいに言いやがって!」
「だから、そんなことは言っていません!」
初めて、テオも声を荒らげた。
工房の奥で、他の弟子たちが動きを止める。
「俺たちは先生のことも見ていました! 商談に何度も行って、客の無茶な要求をまとめて、俺たちに仕事を作ってくれた。それは知っています。でも同じように、エレナ様が何をしていたかも見ていたんです!」
ガイウスは言葉を失った。
「二人ともやっていたんです。なのに、どうしてどちらか一人だけの功績じゃないと駄目なんですか」
答えられない。
それを認めたら。
自分が長年「天才魔導具師」として受け取ってきた称賛の中に、エレナへ渡るべきものがどれだけ混じっていたのか、考えなければならなくなる。
「……もういい」
ガイウスは低く言った。
「仕事へ戻れ」
「先生」
「戻れ!」
テオはしばらく立っていたが、やがて何も言わず奥へ戻った。
工房に静けさが戻る。
机の上には、皺だらけになった新聞。
その横には、かつて協会から授与された表彰状が飾られていた。
『革新的小型魔導核開発への功績を称え――ガイウス』
その文字を、ガイウスは長い間見つめた。
初めて受け取ったときは嬉しかった。
エレナも隣で笑っていた。
『おめでとうございます、ガイウス様』
そう言った。
自分は何と返しただろう。
『君も頑張ったな』
それくらいだった気がする。
まさか彼女が、その言葉一つで満足していたとでも思っていたのか。
ガイウスは視線を逸らした。
考えたくなかった。
だが、もう周囲の人間が考え始めている。
協会も。
元弟子も。
商人も。
そして王宮も。
これまで「ガイウスの発明」と呼ばれてきたものを、今度は別の角度から見始めていた。
誰が発案したのか。
誰が設計したのか。
誰が実際に手を動かしたのか。
それぞれを分けて。
そしてその答えの多くに、一人の名前が現れ始めている。
エレナ・ヴァリエ。
もう、工房の奥に隠れていた地味な婚約者ではない。
自分の仕事に、自分の名前を取り戻し始めた技師だった。




