第11話 その手紙、部品を包む紙にします
王国から届いた測定記録を見た瞬間、エレナは眉を寄せた。
「第三分配槽だけではありませんね」
精密魔導核研究室の作業台には、王宮結界補助装置に関する資料が何枚も広げられていた。
エレナが送った質問票への回答は、予想以上に詳しい。王宮付きの技師たちが夜を徹して調べたらしく、装置停止前後の魔力値だけでなく、温度変化や異音の発生時刻、過去半年分の整備記録まで添付されている。
それを見れば、少なくとも王宮側が本気で直そうとしていることは分かった。
「こちらですか?」
リナが数値表の一箇所を指した。
「はい。第三分配槽の出力が落ちる二日前から、第二槽でもわずかに抵抗値が上がっています。正常範囲には収まっていますけれど、偶然にしては動き方が似ています」
「では二箇所とも故障?」
「故障というより、同じ原因で少しずつずれているのだと思います」
エレナは自分の古い研究ノートを開いた。
王国を出る夜に持ってきた、使い込まれた革表紙の一冊である。
ページの隅には当時の自分が書いた細かな数字がびっしり並んでいた。
『大型冷却一号』
『王宮結界補助装置』
『小型分配核――長期運用時、結晶方向の差によって流量偏差が拡大する可能性』
数年前の自分の字を読むのは、不思議な気分だった。
「あの頃から気づいていたんですね」
リナが感心したように言う。
「気づいていたというほどではありません。可能性を書いただけです。実際に何年も使った結果を見るのは今回が初めてですから」
「でも、かなり当たっていますよ」
「だからこそ怖いんです。昔の予想が当たっているからといって、全部そうだと思い込むと別の原因を見落とします」
エレナは数値をもう一度最初から確認した。
最近は、以前より自分の感覚を疑えるようになった。
自信がなくなったのではない。
むしろ逆だった。
間違っても、そこから修正できると思えるようになったからこそ、最初の考えへ固執する必要がなくなった。
「測定値だけで考えると、分配核そのものの劣化より、接続部分の抵抗増加が怪しいです」
「交換できます?」
「できます。ただ、全部交換する必要はないと思います。まず第二槽と第三槽の接続板を外して、表面の変色を確認してもらいましょう」
エレナは王宮側へ送る指示書を書き始めた。
部品の外し方。
確認すべき箇所。
測定する数値。
そして、絶対に触れてはいけない刻印部分。
最後の一文には二重線を引いた。
「そこ、そんなに大事なんですか?」
「とても大事です。下手に削ると、今より悪くなります」
書きながら、ふとガイウスのことを思い出した。
王宮の技師長から届いた報告には、ガイウスが一度調整を試し、その後出力がさらに落ちたことも記されていた。
どこを触ったのかまでは分からない。
けれど、おそらく――。
「主任?」
「何でもありません」
エレナは考えるのをやめた。
推測で責めても意味がない。
今必要なのは装置を直すことだ。
「これを王宮へ送ってください。現場で測定結果が出たら、またこちらへ」
「分かりました」
リナが書類を受け取ったところで、研究室の扉が叩かれた。
今度は受付担当の事務官だった。
「エレナ主任。王国から私信が届いております」
エレナとリナが同時に止まった。
「……またですか?」
「差出人はガイウス氏です」
事務官も事情を少し知っているらしく、申し訳なさそうな顔をしている。
エレナはしばらく封筒を見たあと、受け取った。
一通目から、まだそれほど日が経っていない。
「今度は何でしょう」
「読まれます?」
リナが尋ねる。
「私宛てですから、一応」
封を開ける。
今回の便箋は二枚だった。
最初の一文を読んだところで、エレナは思わず首を傾げた。
『エレナ。
前回の手紙への返事がないので、状況を理解していないのではないかと思い、改めて書く』
「理解していないのは、どちらでしょう」
無意識に口から出た。
「もう面白くなってきました」
「楽しむものではありませんよ」
そう言いながら続きを読む。
『王宮の設備については、すでに君にも正式な連絡が入っているはずだ。
つまり、こちらが君を必要としていることは王国も認めたということになる。
帝国で多少評価されたからといって、長年世話になった工房への義理まで忘れるのは感心しない。
君が持ち出した研究ノートについては、工房で研究した内容を含む以上、完全に君個人の所有物とは言い切れない。
だが、私は過去のことをいつまでも責めるつもりはない。
戻ってくれば、もう一度工房で働かせてやってもいい』
そこでエレナは読むのをやめた。
「……どうしました?」
リナが尋ねる。
エレナは無言で便箋を一度裏返した。
そして紙質を確認するように指先で撫でる。
「結構いい紙ですね」
「はい?」
「丈夫そうです」
「エレナさん?」
「小型部品を運ぶとき、傷がつかないよう包む紙が必要でしょう?」
リナの口が少し開いた。
数秒後、こらえきれないように笑い出す。
「本気ですか?」
「捨てるのはもったいないですし」
「一応、続きを読んだほうがいいのでは?」
「そうですね。部品を包む前に、一応最後まで読みます」
自分でも驚くほど腹が立っていなかった。
一通目を読んだときには、まだ胸のどこかがざわついた。
昔の自分へ引き戻されるような感覚があった。
けれど二通目を読む今は、それより呆れのほうが強い。
少し前まで、ガイウスの言葉はエレナにとって重かった。
褒められれば嬉しく、機嫌を損ねれば不安になった。
いつの間にか彼の評価が、自分の価値を測る物差しのようになっていた。
今は、その物差しそのものが随分おかしかったのだと分かる。
続きを読む。
『セシリアも、君が意地を張っているだけなのではないかと心配している。
帝国での仕事も、良い経験にはなっただろう。
その経験を今度は工房へ還元すればいい。
これまで通り裏方を任せるつもりだが、以前より待遇については考慮してやってもいい。
王宮の件が片づけば、今回のことも水に流そう。
いつ戻れるか、早急に知らせてほしい』
ガイウス。
最後まで読んだ。
エレナは便箋を静かに机へ置いた。
「どうでした?」
「すごいです」
「何が?」
「ここまで私が戻る前提で書けるのは、一種の才能なのではないでしょうか」
リナはまた笑いそうになったが、エレナはそれほど笑えなかった。
腹は立たない。
しかし悲しくもなかった。
それが少し寂しかった。
かつて好きだった人である。
将来を一緒に過ごすつもりだった。
その相手から二通も手紙が届いたのに、心が動かない。
むしろ、以前の自分がどうしてこれほど相手の都合を優先していたのか、不思議に感じる。
「『以前より待遇を考慮してやってもいい』ですか」
エレナは小さく呟いた。
「以前って、生活費だけだったんですよね」
「はい」
「では、二倍になっても主任の今のお給料よりずっと少ないのでは?」
「比較しないでください。急に生々しくなります」
「大事ですよ、お金」
「最近、それを皆さんに教えられています」
エレナは手紙を畳もうとしたが、途中で止めた。
「でも、一つだけ訂正しておいたほうがよさそうですね」
「返事を書くんですか?」
「はい。研究ノートの所有権について、変な主張をされ続けるのは面倒ですから」
ガイウスの工房で働いていた時期、材料費の一部を工房が負担した研究もある。
その点まで全て自分だけのものだと言い切るつもりはない。
しかしノートには父から教わった技術や、婚約前から続けていた個人研究も大量に含まれている。
何より、婚約破棄の日に持ち出すことを明示し、ガイウス自身が了承している。
今さら「工房のものだから返せ」と言われても困る。
「それと、今後私へ技術的な依頼をするなら、個人的な手紙ではなく正式な窓口を通してもらいます」
「研究院経由ですか?」
「はい。私はもう、呼ばれたら工房へ行く立場ではありませんから」
言葉にすると、胸の中がすっきりした。
リナが満足そうに頷く。
「それがいいと思います」
「では、返事を書きます」
便箋を取り出した。
書き始めようとしたところで、また扉が開く。
「エレナ、いるか」
この研究室で、その呼び方をする人物は一人しかいない。
「陛下?」
クロムウェルが入ってきた。
今日は護衛だけを連れている。
「王国からの技術資料が届いたと聞いた」
「はい。ちょうど対応案をまとめたところです」
「状況は?」
「現時点では、分配核そのものより接続部分の劣化を疑っています。追加測定をお願いしました」
「こちらから技師を送る必要は?」
「まだありません。王宮の技師だけで確認できる内容です」
「分かった」
クロムウェルは頷いたあと、机に置かれた別の便箋へ目を向けた。
「それは?」
リナがなぜか口元を押さえた。
エレナは嫌な予感がした。
「元婚約者からの手紙です」
「またか」
「陛下、なぜ少し嫌そうなんですか」
「前回の内容を聞いたからだ」
「今回はさらに進歩しています」
「良い方向に?」
「残念ながら逆です」
クロムウェルは少し黙った。
「読んでも?」
エレナは一瞬迷う。
私信だ。
けれど見られて困る内容でもない。
「どうぞ」
便箋を渡した。
クロムウェルは立ったまま読み始めた。
表情はほとんど変わらない。
だが、二枚目へ入ったあたりで、紙を持つ指がほんの少し止まった。
読み終わる。
「……これは、求職の誘いか?」
「本人としては、そうらしいです」
「『戻ってくれば働かせてやってもいい』とあるが」
「はい」
「彼は君が今、何をしているか知っているのか?」
「帝国で多少評価された、くらいには」
クロムウェルが無言になる。
その沈黙が妙に長い。
「陛下?」
「いや」
便箋をエレナへ返した。
「世の中には理解しにくいことがあると再確認していた」
「陛下でも分からないことがあるんですね」
「かなりある。ただ、これは特に難しい」
リナが完全に横を向いた。
肩が揺れている。
笑っている。
「私、返事を書こうと思っています」
「戻るのか?」
クロムウェルの声がわずかに低くなった。
あまりにも真剣に聞かれ、エレナは一瞬きょとんとした。
「戻りません」
即答した。
クロムウェルの肩から、ごく僅かに力が抜けたように見えた。
「そうか」
「どうしてそう思ったんです?」
「返事を書くと言ったからだ」
「断る返事です」
「それなら問題ない」
何が問題ないのかは分からない。
ただ、その答えが妙に早かった。
「陛下」
「何だ」
「もしかして、私が戻ると思いました?」
「可能性がないとは言い切れないだろう」
「ありませんよ」
自然に言い切った自分に、エレナ自身が少し驚いた。
でも、本当にそうだった。
「王国を嫌いになったわけではありません。ガイウス様を憎んでいるわけでもありません。でも、あの工房へ戻りたいかと聞かれたら、答えはもう決まっています」
「なぜだ?」
クロムウェルは試すような口調ではなかった。
純粋に聞いているらしい。
エレナは少し考えた。
「今のほうが、楽しいからです」
自分で答えて、少し笑った。
「研究したいものがあります。研究室のみんなと作りたいものも増えました。失敗作棚もまだ空いていますし」
「空いているほうがいいのではないか?」
「いっぱいにしたいわけではありません。ただ、失敗しても置く場所があると思えるのが好きなんです」
クロムウェルは静かに聞いている。
「それに、自分の名前で仕事をすることを覚えてしまいました」
机の端には、あの銘板が置いてある。
帝国軍制式長時間照明具。
主任回路設計、エレナ・ヴァリエ。
「今さら、『これまで通り裏方を任せる』と言われても、もう嬉しくないんです」
口にした瞬間、胸のどこかで最後の糸がほどけた。
婚約破棄の夜から残っていたもの。
いつか謝られたら。
必要だと言われたら。
自分は揺れるのではないか。
そんな不安が、完全になくなった気がした。
必要だと言われた。
実際に、工房は自分を必要としている。
それでも戻りたいとは思わない。
エレナはようやく、それを自分自身で確認できた。
「では、返事を書け」
クロムウェルが言った。
「陛下に言われなくても書きます」
「内容は君が決めればいい。ただし、一つ忠告がある」
「何でしょう」
「必要以上に謝るな」
エレナは目を瞬いた。
「私、そんなに謝りますか?」
クロムウェルとリナが同時に黙った。
「どうして二人とも黙るんです?」
「主任。心当たりありません?」
「……少しだけ」
クロムウェルが言う。
「君は断るとき、自分が悪いことをしているように説明する癖がある」
胸を突かれた。
「申し訳ありません、でも――」
「今だ」
「あ」
リナが吹き出した。
エレナは頬を押さえる。
「無意識でした」
「断るのに謝罪が必要な場合もある。だが今回は違う。君はすでに契約を終了し、相手も承諾した。戻らないことは裏切りではない」
「……はい」
「それだけ覚えておけばいい」
クロムウェルはそう言うと、王宮の測定資料を手に取った。
「こちらの件は必要なら外務部局を使え。相手国との技術連絡なのだから、君一人で背負うな」
「分かりました」
「それから今日は何時まで働く?」
「なぜ急に勤務時間の話になるんですか?」
「昨日、研究室の明かりが遅くまで点いていたと聞いた」
エレナはリナを見る。
リナは何食わぬ顔で別の資料を整理している。
「密告者がいます」
「報告です」
「同じです」
「今日は定時で帰れ」
「家庭用魔導灯の試作が――」
「明日も研究院は存在する」
「帝国規模の説得はずるいです」
「有効なら使う」
そう言い残し、クロムウェルは出ていった。
扉が閉まったあと、エレナはしばらくそちらを見ていた。
「陛下、かなり心配していましたね」
リナが何気なく言う。
「勤務時間をですか?」
「そこじゃありません」
「では何を?」
「……まあ、今はいいです」
なぜか教えてもらえなかった。
エレナは首を傾げながら便箋へ向き直る。
そしてガイウスへの返事を書き始めた。
『ガイウス様。
お手紙を拝見しました。
最初に明確に申し上げますが、私は貴工房へ戻る意思はありません。
婚約および工房との関係を終了する際、私が作成した個人研究記録を持ち出すこと、ならびに今後の修理、調整、予備部品の供給を行わないことについて、あなた自身から了承を得ています。
したがって、以前と同じ条件で工房へ戻ることも、私的な指示に従って技術資料を提出することもいたしません。
ただし、王宮設備の不具合は国家の安全に関わりますので、王国政府および王宮技術部門からの正式な技術協力要請には、現在所属している帝国国立魔導研究院を通じて対応します。
今後、技術上の連絡が必要な場合は、正式な窓口を通してください。
エレナ・ヴァリエ』
読み直す。
謝罪の言葉は一つもない。
少し冷たい気もした。
だが、間違ったことは書いていない。
「これでいいでしょうか」
リナが読む。
「いいと思います。すごく普通です」
「普通?」
「以前のエレナさんなら、最初と最後に三回くらい謝っていそうですから」
「そこまでではありません」
「どうでしょうね」
返書を封筒へ入れる。
それで終わった。
思っていたより簡単だった。
「さて」
エレナは残ったガイウスの手紙を手に取った。
「どうします?」
「記録として一通は保管すべきでしょうから、最初の手紙は残します」
「こちらは?」
エレナは二通目を眺める。
十分読んだ。
必要な内容も覚えている。
「研究室の備品として有効活用します」
その日の午後。
リナが精密部品の運搬箱を開けると、中には傷防止のため折り畳まれた便箋が敷かれていた。
「主任」
「何でしょう」
「本当に使ったんですね」
「紙は紙ですから」
「これ、元婚約者からの手紙ですよ」
「だからといって、精密部品を包めない理由にはならないでしょう?」
リナはしばらく黙り、やがて耐えきれないように笑った。
エレナもつられて笑う。
少し前までなら、その手紙一枚で一日中気持ちを乱されていただろう。
今は、折り目の間に小型の銀製接続具を並べながら、そちらの寸法のほうがずっと気になった。
「リナさん、これ〇・一ほど厚すぎません?」
「……元婚約者より先に、そっちが気になります?」
「今の私には、こちらのほうが大事ですから」
口にしてから、エレナは自分の言葉に少し驚いた。
でも、それが本心だった。
一方、王国。
ガイウスの工房には、帝国からの返書より先に別の知らせが届いていた。
「先生」
テオが青ざめた顔で帳簿を持っている。
「今度は何だ」
「王宮からです」
その一言でガイウスの表情が変わった。
「エレナが戻るのか?」
「違います」
「では、技術資料が来る?」
「それも王宮技師へ直接送られるそうです」
ガイウスの眉が寄る。
「どういうことだ。あいつは俺の工房が受注した設備を――」
「先生」
テオが言葉を遮った。
以前なら考えられなかったことだ。
「王宮から正式に通知されました」
「何を」
「結界補助装置の修理作業から、ガイウス工房を外すそうです」
室内が静まり返った。
「……何だと?」
「今後の調査と修復は、王宮直属の技師団が担当します。帝国側から技術協力を受けるので、先生たちは装置へ触れないようにと」
「ふざけるな」
ガイウスが立ち上がる。
「元は俺の工房が作った設備だぞ!」
「だからです」
テオの手にある通知書が震えた。
「先日の調整後、出力がさらに悪化したことについて、責任を問われています」
ガイウスの口が止まった。
「王宮御用達の資格についても、今回の件が終わるまで新規受注を停止すると……」
「待て」
「それから」
「まだあるのか!」
怒鳴り声が響いた。
テオは一瞬ひるんだものの、書類から目を逸らさなかった。
「商会三社から、新型魔導灯の追加注文を取り消すという連絡が来ています」
「なぜだ」
「帝国の新型が話題になっています。まだ軍用品ですが、同じ技術を使った民生品が出るという噂が流れていて……買い控えが始まっています」
「噂だろう!」
「はい。でも、うちの商品は今、不具合も出ています」
反論できない。
ガイウスは机へ両手をついた。
王宮。
商会。
返品。
新型魔導灯。
何もかもが、自分の手からこぼれ落ちていく。
「……エレナさえ戻れば」
低く呟いた。
「何です?」
「あいつさえ戻れば、全部直せる」
それだけは間違っていないと思った。
いや、そう思わなければ立っていられなかった。
「手紙は出した。帝国で少し持ち上げられて、今は気が大きくなっているだけだ。そのうち、自分がどこへ戻るべきか分かる」
テオは何も答えない。
「何だ、その顔は」
「先生」
「何だ」
「エレナ様は、本当に戻ってくるでしょうか」
「戻る」
ガイウスは即答した。
「何年俺の隣にいたと思っている。あいつは目立つのも、人付き合いも苦手だ。外国でいつまでもやっていける女じゃない」
言いながら、机の上の記事へ目をやる。
そこには、帝国軍の新型魔導灯。
主任回路設計、エレナ・ヴァリエ。
さらに別の記事には、国立魔導研究院に新設された研究室の名前まで載っていた。
精密魔導核研究室。
主任、エレナ・ヴァリエ。
見なければいいのに、目がそこへ吸い寄せられる。
「戻るさ」
もう一度言った。
今度はテオではなく、自分自身へ言い聞かせるために。
その日の夕方。
帝国からガイウス宛ての返書が工房へ届けられた。
封を切り、最初の数行を読んだところで、彼の指が止まる。
『私は貴工房へ戻る意思はありません』
飾り気のない一文だった。
怒りも。
未練も。
言い訳もない。
だからこそ、ガイウスはしばらくその先を読むことができなかった。




