第6話 ただの偶然じゃない
彼女の問いかけに、返事はなかった。
栞はその場に立ち尽くしていた。兄の連絡先から、今まで聞いたこともないほど奇妙な声が聞こえてきたせいで、足が小さく震えている。
これ……確認したほうがいいのかな。でも、あの声は兄さんじゃなかった。あれは……一体何だったの?
栞はごくりと唾を飲み込み、ゆっくりとスマートフォンのほうへ戻っていった。
スマートフォンの目の前まで来ると、立ち止まり、ゆっくりとしゃがんで拾い上げた。さっき聞いた声への恐怖が残っているため、慎重に手を伸ばす。何より、栞は昔からホラー映画が一番苦手だった。
栞は目を閉じ、意を決してスマートフォンを手に取った。
画面を確認すると、さっきの不気味な声は消えていた。奇妙な点滅も止まっていて、スマートフォンは完全に正常な状態へ戻っているようだった。
早くここから出ないと。
外を見ると、雨はまだ激しく降り続いていた。風も強く、とても外へ出られるような状況ではない。
栞は頭をかきながら、必死にどうすればいいのか考えた。
どうしよう。兄さんに連絡して、今何が起きているのか伝えたい……。で、でも、またあの声が出てきたらどうしよう?
栞は行ったり来たりを繰り返しながら、もう一度兄に電話をかけるべきかどうか迷っていた。
私……もうここにはいられない。もう一度、兄さんに電話してみよう。
残された勇気をすべてかき集め、栞は再び通話ボタンを押した。
お願い……お願いだから、兄さん、出て。
何度か呼び出し音が鳴り、そして――
「栞!?」
「兄さん!? 今どこにいるの? アカデミーには着いた?」
「着いたよ。むしろ、こっちが聞きたいくらいだ。そっちはどうなってる? 学校には着いたのか? 大丈夫なのか?」
「着いてない! 私、びしょ濡れだよ。細い路地の高架下に隠れてるの。でも、外は雨も風も強すぎて、まともに歩けないよ」
「落ち着いて。俺もアカデミーに着くのがやっとだった。今の俺じゃ、栞を助けに行くことはできないと思う。だから、天気が良くなるまでそこにいてくれ。いいな? 外は危険すぎる」
「そこにいて」という言葉を聞いた瞬間、栞の目が大きく見開かれた。すぐに、さっきの奇妙な声を思い出す。
「嫌! 無理! 怖い!」
「え? 怖いってどういうことだよ? ただの雨だろ。今いる場所なら大丈夫なはずだ」
「聞いて! 絶対に何かおかしいよ。さっき天気を確認したとき、画面が何度も点滅して、そのたびに違う天気が表示されたの。それに、さっき兄さんに電話したとき、気味の悪い声が出たの! 私の名前まで呼んだ! あれ、人間じゃないよ! お願い……ここから出たい」
「気味の悪い声が電話に出たって……? 分かった。いいから、今どこにいる?」
栞は周囲を確認し、自分がどこにいるのか確かめようとした。
「私は今、ちょうど――きゃあっ!」
最後まで言い終える前に、通話は突然切れた。
アカデミーの昇降口で、暁継は屋根の下に立っていた。その表情には、強い不安が浮かんでいる。
「栞!? 栞!」
もう一度電話をかけようとしたが、栞は出なかった。暁継はスマートフォンを下ろし、電波状況を確認する。再び、電波が消えていた。
「また? 一体どうなってるんだ? さっきまで繋がってたのに」
海斗がタオルで頭を拭きながら、暁継のところへ近づいてきた。
「マジでびしょ濡れだよ、俺」
海斗は暁継を見ると、その表情からすぐに異変を察した。
「どうした? なんかヤバそうな顔してるぞ」
「今、妹に電話してたんだけど、栞が自分のいる場所を伝えようとした瞬間に、電波が切れた。まずい」
「ああ、これは絶対おかしいな。それに、天気もどんどん悪くなってる」
海斗は暁継のスマートフォンを覗き込むため、少し身を寄せた。
「それに、あの風を見ろよ。まさか、妹がどこにいるか聞いただけで、そのまま探しに行くつもりじゃないだろうな?」
暁継はスマートフォンをポケットにしまい、傘を掴むと、そのまま外へ飛び出そうとした。
海斗はすぐに目を見開き、暁継の肩を掴んだ。
「おい、おい、待て! 本気か!? どこ行くつもりだよ!?」
「海斗、放してくれ。妹の様子を見に行かないと。電話が切れる直前に、栞の叫び声が聞こえたんだ」
「待てって。少し話そう。外を見ろよ。あんなところに出ていくなんて、どう考えても無茶だろ。栞がどこにいるのかも分からないんだぞ」
数秒後、暁継はしぶしぶ海斗に抵抗するのをやめた。海斗の言っていることが正しいのは分かっていた。それでも、どうしても止まることができなかった。家族のことが、それほど大切だった。
「暁継、叫び声が聞こえたって言ったよな? 雷に驚いたのかもしれないぞ。ほら、俺もさっき同じようなことがあったし、ははは。それに、叫び声の直後に電話が切れたのだって、ただの偶然かもしれないだろ」
海斗はそう言ったが、その声には明らかなためらいがあった。
暁継には、海斗が自分を安心させようとしているだけなのが分かっていた。そして、これがただの偶然であるはずがないことも分かっていた。
これは……どんどんおかしくなってる。
暁継は、さっきの少女のことを思い出した。今でも、彼女のことが頭から離れない。特に、あの警告が。
今は、あのことを考えてる場合じゃない。この天気じゃ、俺には何もできない。俺は……もう少しだけ待つしかない。栞、どうか無事でいてくれ。




