第37話 例外への第一歩
突然、暁継はそれまでいた世界から目を覚まし、学園の屋上へと戻ってきた。
ん? 戻ってきたのか?
意識が少しずつはっきりしてくるにつれ、空の上から響いてくる衝撃音や攻撃音が耳に届き始めた。
騒ぎのするほうへ振り向いた瞬間、暁継の目が大きく見開かれた。
な……何が起きてるんだ!?
空は混乱に包まれていた。怪物は以前よりもはるかに巨大になり、その周囲には黒いエネルギーが広がっていた。巨大な手が四方八方へと暴れ回り、あらゆる方向へ無差別にエネルギー光線を放っている。
千早はすでにその只中で戦っていた。空中を縦横無尽に駆け、次々と手から手へ飛び移りながら、強化された剣でそれらを斬り裂いていく。
しかし、手の再生速度は驚くほど速かった。一つを斬り落としても、ほとんど間を置かずに新たな手が現れる。
右側から別の手が千早へ襲いかかった。彼女は素早く剣を構えてそれを受け止めると、もう一本の剣で横から斬りつけた。
「もう、どれだけ手が出てくるのよ!」
だが、彼女がその場を離れる前に、切り裂いた手が再生し始めた。黒い肉が剣を包み込み、そのまま内部に閉じ込めてしまう。千早は目を見開き、力いっぱい引き抜こうとした。
「何これ……ちょっと! それはずるいよ!」
もう一本の剣を振るい、手を切り開こうとしたが、刃はほとんど通らなかった。
「ん? 硬すぎるよ! 一体どうなってるの?」
剣を取り戻そうともがいている間に、さらに三本の手が頭上から千早へ向かって降りてきた。
「しまった!」
凪はすぐにエネルギー球を展開し、三本の手が千早に届く寸前で動きを封じた。
「ありがとう、凪! 本当に助かったよ!」
しかし、突然さらに多くの手が現れ、エネルギー球に激突した。
「ん?」
手は次々と球体を押し込み、その衝撃は一撃ごとに強さを増していった。
凪はいつにも増して眠たげな様子だったが、その顔には初めて、ほんのわずかな苦しさが浮かんでいた。
「……千早……あまり長くは抑えられないよ……」
その声を聞いた千早は、剣に全エネルギーを集中させ、全身の力を込めて引き抜き始めた。
「もうちょっとぉぉ!」
短いながらも必死の攻防の末、千早はようやく剣を引き抜いた。間一髪でその場から跳び離れ、何とか難を逃れる。
彼女は仲間たちのもとへ降りてきた。その表情には興奮と不安の両方が入り混じっていた。
「あの怪物、一体どうなってるの? 面白くなってきたけど、急に様子がおかしくなったよね」
冬花は槍へのエネルギーの充填を続けながら答えた。
「エネルギーの性質が変わっているわ。まるで、あのアノマリーがまったく別の何かに変わってしまったみたいね」
「それで、先生? どうすればいい? このまま手を斬り続ければいいの?」
「いいえ。このまま続けても意味がないわ」
冬花の視線が、玄士の向かった場所へと移った。彼が戻ってこないことに、苛立ちが募っていた。
一体あそこで何をしているのよ、この付き合いの悪い馬鹿! こっちは苦戦しているっていうのに!
そのとき、再び怪物の手が一行へ向かって飛んできた。凪はすぐにエネルギー球を展開して進路を塞いだが、その背後からさらに多くの手が現れ、光線を放ち始めた。
凪は何発かの攻撃を反転させることに成功したものの、あまりにも数が多すぎた。一度にすべてを対処することはできない。
「せ、先生……もう限界が近いよ……」
冬花は迫り来る攻撃の嵐を見つめたまま、一瞬どうすればいいのか分からなくなった。
これ以上力を使えば、結界を破壊してしまう危険がある。そうなれば、あれが外の世界へ出てしまう。でも、このまま何もせずに待っていれば、私たちは殺される。何とか別の方法を見つけないと……
「凪、お願い。もう少しだけ耐えて」
「う、うん……やってみる……」
少し離れた場所から、暁継は目を大きく見開いて一部始終を見つめていた。
まずい……みんな苦戦している。
そのとき、彼は白髪の少女のことを思い出した。
あの子……レノヴィア。ここに来れば助けるって言っていたのに、一体どこにいるんだ?
ちょうどそのとき、千早の叫び声が聞こえた。
「私があいつらを斬って、凪を助けるよ!」
千早はすぐさま空へ飛び上がり、迫り来る手の群れへと突っ込んでいった。
冬花が彼女に向かって叫んだ。
「千早、戻りなさい! 一人で全部相手にできるわけがないでしょう!」
しかし、千早はその声を聞き入れなかった。すでに凪のエネルギー球を越えており、手たちはすぐさま彼女へと狙いを定めた。
危険が増すにつれて、千早のエネルギーはさらに高まっていく。尻尾と耳も、その高まりに反応するように揺れた。
「かかってきて!」
千早は巨大な腕の一本に着地した。さらに多くの手が彼女へと迫る。最初の手を受け止め、その指を一本斬り落とすと、二本目の剣にエネルギーを集中させ、強烈な一閃を放って手全体を真っ二つに斬り裂いた。
左右から二本の手が千早に襲いかかった。彼女は空中へ跳び上がって間一髪でそれらをかわす。二本の手は互いに激突し、そのまま自滅するように砕け散った。
突然、頭上から無数の光線が雨のように降り注いだ。千早は流れるような動きで剣をあらゆる方向へ振るい、その一発一発を弾き返す。光線はそれぞれ別の方向へと飛んでいった。
その爆発は学園から遠く離れた場所で発生したが、その衝撃によって次元結界にはさらに大きな亀裂が走った。
冬花は結界の状態が悪化していることに気づき、事態がどれほど深刻になっているかをすぐに悟った。
「まずいわ! もうすぐ崩壊する! 早く決着をつけないと、取り返しのつかないことになる!」
彼女は玄士が向かった方向へ振り返った。
「玄士! この野郎! いい加減こっちに来て手伝いなさい!」
一方、千早はすでに限界に近づいていた。四方八方から手が襲いかかり、休む暇さえ与えてくれない。
彼女は次々とそれらを斬り伏せていったが、そのとき突然、怪物を包む黒いエネルギーがさらに強まった。迫ってきた手に向かって剣を振るった瞬間、刃はあっさりと弾き返された。その肉体は、金属よりも硬くなっていた。
「何!?」
次の瞬間、その手が凄まじい力で千早を殴り飛ばした。彼女の口から血が飛び散り、意識が遠のくとともに視界がぼやけていった。
冬花が叫んだ。
「千早!!」
空中に投げ出されたまま、千早はゆっくりと意識を取り戻した。すると突然、彼女のエネルギーが爆発するように放たれ、その独特な色の光が前方の空の一部を照らし出した。
先ほど負った傷が回復し始めると、千早の顔には大きな笑みが広がった。しかし、その表情はもはや普通の少女のものではなかった。獲物を見つけた捕食者の顔だった。
「あああああっ!」
凄まじい叫び声とともに、千早は目の前に群がる手の塊へと突進した。一瞬のうちにそれらは無数の破片へと変わり、空中へ飛び散った。
彼女はそのまま怪物の巨大な腕の一本を駆け上がり、本体へ向かって突き進んだ。進路を塞ぐ手を一つ残らず斬り伏せていく。手たちが光線を放つと、千早は即座にそれを反転させて撃ち返し、攻撃してきた手を破壊した。彼女の後方には煙と瓦礫が舞い上がっていた。
それでも手は尽きることなく現れ続けた。再生し、融合し、新たな攻撃を仕掛けてくる。そのたびに、千早と怪物の本体との間には、ほとんど突破不可能な壁が築かれていった。
学園の遥か上空で、千早は一つの手から別の手へと飛び移り、凄まじい集中力でそれらを斬り裂き続けた。狂ったように笑いながら戦い続ける。それでも、どれだけ破壊しても手が消えることはなかった。
冬花は最大限の警戒を保ちながら、状況を見極めようと頭を巡らせていた。
オーバークロックしているわ。このままでは、彼女自身の能力が怪物以上に危険なものになってしまう。
冬花は苛立ちを抑えるように、顎に力を込めた。
でも、彼女がいなければ、私たちの状況はもっと悪くなっていたはずよ。彼女のおかげで時間は稼げているけれど、あとどれくらい持ちこたえられるか分からない。あの怪物を包むアノマエネルギーは、止まることなく上昇し続けている。やっぱり、何かがおかしいわ。
一方、暁継はどうすれば助けになれるのか、必死に考えていた。
何とかしないと……このままじゃ、あの子が死んでしまう。
彼はゆっくりと手を下ろした。
でも、俺に何ができるんだ?
突然、聞き覚えのある声が頭の中に響いた。
「暁継」
「ん? レノヴィア? 君なのか?」
「うん。あなたを助けるために、私の力を少しずつ準備していたの。お願い、みんなの近くまで行ってくれる? 手を上げて。私の力をあなたに流し込むから」
「でも、どうして君自身でみんなを助けないんだ?」
「私……どういうわけか、あなたがいないと自分の力を使えないみたいなの。本当に、どうしてなのか分からない」
暁継の表情に一瞬、不安が浮かんだ。しかし、やがて彼は立ち上がり、戦い続ける千早を真っすぐに見据えた。
「彼女はずっと一人で戦っている。俺に助けられる方法があるなら、やってみるよ」
レノヴィアが優しく答えた。
「うん。一緒にやろう」
動き出す前に、暁継は下にいる海斗へ目を向けた。
ここで待ってて。何とか持ちこたえてくれ。
ようやく、暁継は長い時間が過ぎたように感じられる中で、最初の一歩を踏み出した。そして、少しずつ仲間たちとの距離を縮めるように歩き始めた。
冬花は足音に気づいて振り返った。そこには、こちらへ近づいてくる暁継の姿があった。
「ちょっと、あなた! すぐに戻りなさい! 今は非常に危険よ!」
暁継は少し離れたところで足を止めた。彼女には答えず、不安を感じながらも、空にそびえる怪物を見上げていた。
彼の視線は、怪物と一人で戦う千早を追っていた。自分と同じくらいの年齢に見える少女が、どうしてあれほど恐ろしい存在を相手に一歩も引かずに立ち向かえるのか。そう考えずにはいられなかった。今の自分と彼女を比べると、普通の人間とシグナ使いとの間にある大きな差を、嫌というほど思い知らされた。
暁継は拳を握り、表情を引き締めた。そして怪物のほうへゆっくりと腕を上げ、手のひらを開いた。
冬花は困惑し、目を見開いた。
「何をしているの?」
突然、暁継の身体からかすかな白いオーラが放たれ始めた。その存在感は、少しずつ強まっていった。
レノヴィアの声が、再び頭の中に響いた。
「目を閉じて、身体の中を流れていくエネルギーを感じて」
暁継は彼女の言う通りにした。エネルギーが身体の隅々へと広がっていくのを感じる。まるで血液の中を流れるように、脚や腕、指先、そして頭にまで行き渡っていった。
レノヴィアはもう一度、静かに語りかけた。
「そして、その力で心を満たして。自分自身に問いかけてみて……あなたが本当に望んでいることは何?」
その問いかけを受け、暁継は黙り込んだ。意識は自然と自分の内側へ向かっていった。
俺が望むこと……?
彼は、最初から今までに起きた出来事を一つずつ思い返し始めた。家族のこと、友人たちのこと、自分の人生、怪物との戦い、陽菜と健太の二人が死んだときに感じた絶望、凪紗が取り憑かれたときの痛み、そして海斗が拷問されたときに味わった無力感。
それらすべての記憶が一度に頭の中へ押し寄せ、暁継の身体は一瞬震えた。
これまでのすべてを経験して……この世界で自分が何に直面することになるのか、本当の意味で知って……
彼はゆっくりと目を開き、怪物を真っすぐに見据えた。
俺は、周りの人たちの力になれる人間になりたい。大切なものを、すべて守りたい。
そしてついに、暁継は口を開き、力強く叫んだ。
「俺は、自分の夢見る未来を築けるほど強くなりたいんだ!」




