第36話 星界と「レノヴィア」という名
一方、その頃、外ではまだ一行がアノマリーと戦っていた。千早はすでに空中に現れる巨大な手をいくつも斬り裂いていた。
「何度来ても止まらないんだね。だんだん激しくなってきたじゃん」
千早の頭上に三本の腕が現れ、彼女へ向けて光線を放った。千早は自分から攻撃を逸らすと、すぐさまその腕へ向かって飛び出し、一閃で三本とも斬り伏せた。
地面へ降りていく途中、今度は横から別の手が現れ、千早の剣に噛みついた。
「ちょっと! 私の剣、離して!」
千早はもう片方の手を伸ばしてその手に叩き込み、剣を引き抜きながら屋上へと落ちていった。
「ふぅ……このアノマリー、本当にやるね」
その間も戦い続ける千早をよそに、冬花は槍への力の充填を続けていた。
「千早、もう少しで準備が整うわ。気をつけて。オーバークロックは避けたいから」
「はい、先生! 私なら大丈夫だよ!」
さらに多くの光線が一行へ向かって放たれた。凪はすぐにその攻撃を反転させ、空中で爆発を起こした。すると直後、爆発の煙を突き破るように、さらに多くの手が現れた。
千早は一瞬も無駄にせず、すぐさま再びその手へ向かって跳び上がった。最初の手をかわしてその上へ着地すると、真っ二つに斬り裂く。そして続けざまに二本目、三本目へと移動し、素早い動きで完全に切り裂いていった。
しかし突然、千早は自分が斬り裂いた手の破片が、以前よりもさらに速い速度で再生し始めていることに気づいた。
「ん? 何これ、どうなってるの?」
下から冬花の叫び声が聞こえた。
「千早! 今すぐ戻ってきなさい!」
「でも……」
「今すぐよ!」
千早は残念そうに小さく息を吐くと、二人のもとへ降りていった。
「どうして戻らないといけないの? 手を相手にすればいいって言ったじゃん?」
凪は眠たげな様子のまま、何が起きているのかに気づくと、怪物のほうを指差した。
「千早……見て。どんどん暗くなってる……それに、大きくなってる……」
千早が怪物へ振り返ると、その巨体はすでにさらに大きくなり、周囲を包む黒いエネルギーもより濃密になっていた。怪物の身体から伸びていた腕や手は互いに融合し始め、さらに太く巨大な手へと変わっていく。
「うわっ! 何これ、どうなってるの?」
千早は怪物をじっと見つめ、ようやく何が起きているのかを理解すると、その目を興奮に輝かせた。
「待って……もしかして、強くなってるの!?」
冬花の表情が、それまでよりわずかに険しくなった。
「今は突っ込まないで。あのアノマリーは、私が思っていたより強いわ。倒すためには、もっと力を使わないといけない」
「えぇ? でも、今はもっと強くなってるんでしょ! ここで見てるだけなんて無理だよ。お願い、先生、行かせて!」
凪が千早のところまで歩いていき、そっと彼女の袖を引いた。
「……千早」
「凪? どうしたの?」
「危ないよ……ここからじゃ、千早を守りきれないと思う」
「そう言われても……」
冬花の視線が、玄士が向かった遠くの浮遊するエネルギープラットフォームへと移った。
あそこで随分時間をかけているわね。何をしているのかしら。この状況なら、彼の力が必要になるかもしれないわ。
そして再び千早へ視線を戻した。
もし、彼がすぐに戻ってこなければ……千早にあれを使わせるしかないわね……
冬花は疲れたように小さく息を吐いた。
「二人とも、私の話を聞いて。作戦は変えないわ。ただ、今まで以上に慎重に動きましょう」
千早と凪はともに頷いた。
「はい!」
「……うん」
一方、暁継は怪物がさらに強くなり続ける様子を見つめていた。この時点では、もうどう反応すればいいのか、何を言えばいいのかすら分からなくなっていた。
一体、いつになったら終わるんだ? あの人たちなら対処できると思ってたのに……今度はさらに強くなってるのか?
そのとき、暁継の目が大きく見開かれた。白髪の少女のことを思い出したのだ。
これが、あの子が俺に伝えようとしていたことなのか? あの怪物がここまで強くなることを、あの子は知っていたのか?
突然、頭に鋭い痛みが走った。
痛っ……また?
次の瞬間、暁継は何の前触れもなく、完全に異質な、天上のような場所に立っていた。足元には、動き続ける無数の星が広がっていた。
その中央には巨大な天上の樹が立っていた。その樹の内部では銀河が動き続け、その周囲には、どんな人間も見たことがないような花々が一面に咲き誇っていた。
そして、そのすべてを前にして立っていたのは、あの白髪の少女だった。彼女は笑っているわけでも、怒っているわけでもなく、ただ暁継を見つめていた。
目の前にあるものを理解できず、暁継は呆然と立ち尽くしていた。
「何……だ……」
言葉を最後まで続けることすらできなかった。目の前の光景に、完全に言葉を失っていた。
俺は……現実にいるのか?
やがて、白髪の少女は暁継のほうへ浮かぶように近づき、少し離れたところで止まると、彼の目をまっすぐ見つめた。
「あなた……暁継、だよね?」
暁継は、目の前で起きていることに圧倒されたまま、しばらく少女を見つめてから答えた。
「そうだけど……ここは一体何なんだ? それに、君は一体何者なんだ? 聞きたいことがたくさんある」
白髪の少女は頷くと、遠くにある巨大な樹へ視線を向けた。
「あなたの質問には答えたい。でも……私自身も、分からないことが多いの」
暁継の目が、信じられないというように大きく見開かれた。
「分からないって……どういうことだよ? そんなの、おかしいだろ」
「本当にごめんなさい、暁継。でも、私の記憶はすごく曖昧なの。覚えているのも、ほんの少しずつ……それだけ」
暁継は彼女を見つめたまま、黙り込んだ。
この子……本気で言ってるのか? あれだけ俺を助けてきたのに、今になって何も分からないって……どんどん訳が分からなくなってきた。
暁継は首を振り、意識を取り戻そうとした。
「分かった。じゃあ、今何が起きてるのか君にも分からないとして……それなら、今までどうやって俺を助けてきたんだ? まだ何も起きてないことまで、どうして分かったんだ?」
白髪の少女は目を細め、真剣で、それでいてどこか戸惑うような声で答えた。
「あれは……匂いなの。どうしてなのか分からないけど、私がここに現れてからずっと、あなたの周りを追いかけている強い悪意の匂いを感じていたの。遠くからあなたを見ていた……あなたの動きも、話すことも、することも、全部」
暁継は彼女の言葉を聞き、不安そうに表情を曇らせた。
「悪意の匂い? それが何なのかよく分からないけど……人なのか?」
「うーん……普通の人なのかどうかは、私には分からない。ただ、近くに来ると嫌な感じがするの。あの怪物から感じるものと同じ。だから、それを感じるたびに、あなたに知らせに来たの」
暁継はその場に立ったまま、彼女の言葉をしばらく考えていた。そして視線を地面へ落とす。しかし、その胸には一つの疑問が重く残っていた。
「どうして俺なんだ?」
「ん?」
暁継は顔を上げ、彼女の目を見た。
「どうして俺を狙ってるんだ? 俺はただの普通の学生だぞ」
白髪の少女はしばらく彼の顔を見つめていたが、やがて考えるように視線を地面へ落とした。
「私……分からない」
「せめて教えてくれ。最初から川瀬さんに取り憑いていた、あのアノマリーは……どうして君には感じ取れなかったんだ? それなら、俺に警告してくれるべきだっただろ」
白髪の少女は首を横に振った。
「彼女からは、あの悪意の匂いを感じなかったから。あなたを傷つけるつもりがない人なら、私はその人のことを感じ取れないみたいなの」
「本当か? あいつが今までやってきたことを考えても? あれが悪じゃないっていうのか?」
「どう考えても、彼女がしたことは悪いことだと思う。でも……匂いは違うの。私も、それがすごく気になってる。彼女の存在は……どこか懐かしいような感じがしたの」
その言葉を聞き、暁継はこれまで以上に混乱した。頭の中に、あの新しい凪紗が何度も口にしていた「例外」という言葉が蘇った。
「懐かしい……もしかして、あの例外か? あの取り憑いてるやつが何度も言ってた」
白髪の少女は考えるような表情で暁継のほうを向いた。
「例外……それも……どこか懐かしいような気がする」
突然、白髪の少女の目が大きく見開かれた。頭を押さえ、苦しそうにその場に膝をつく。
「っ……頭……頭が……」
その瞬間、暁継もまた頭を押さえた。同じような痛みが頭を襲っていた。
何が起きてる? 偶然なのか? そんなはず……
やがて、その痛みはゆっくりと引いていった。
止まった……
暁継が顔を向けると、白髪の少女が地面に横たわっていた。その表情には疲労が浮かんでいた。
暁継はすぐに彼女のもとへ駆け寄り、その身体を抱き起こした。
「おい! 大丈夫か? 聞こえるか?」
少女はゆっくりと目を開いた。
「ごめんなさい……何が起きたのか、分からない。少し……疲れた」
暁継が彼女を立ち上がらせると、少女は小さく微笑みながら彼を見上げた。
「ありがとう……」
間近で見る彼女の顔は、この世のものとは思えないほど美しかった。白く柔らかな肌も相まって、暁継は自分でも気づかないうちに、必要以上に長く彼女を見つめてしまった。
この子……本当に人間なのか?
「暁継? ……どうしたの?」
自分が何を考えていたのかに気づき、暁継は頭を振って思考を振り払った。
今は、こんなことを考えてる場合じゃない。
そのとき、白髪の少女が何かを感じ取ったように目を細めた。暁継はすぐにその変化に気づいた。
「どうした?」
「分かるの。外で……何か悪いことが起きてる。今すぐ戻らないと!」
「え? どういうことだ? そう言われても、戻り方なんて分からない。それに、戻れたとしても、俺に何ができるんだ?」
白髪の少女は否定するように首を振ると、暁継へ身を寄せた。表情には焦りが浮かんでいた。
「大丈夫……私が……私が助けるから」
少女は暁継へ手を伸ばした。
「ほら……手を取って」
暁継にはどうすればいいのか分からなかった。しかし、こんな緊急事態にこれ以上質問しても意味がないことだけは分かっていた。
「何も分からないし、もっと聞きたいこともあるけど……分かった」
暁継が彼女の手を取ると、その瞬間、二人の身体から白い光が溢れ出し、二人を包み込んだ。
しかし、暁継は彼女の顔を見つめながら、その瞬間になってようやく、どうしても聞いておきたかったごく当たり前の質問を思い出した。
「記憶が曖昧なんだよな? でも……せめて、自分の名前くらいは覚えてるのか?」
「私の名前……?」
白髪の少女は考えるように視線を落とした。
白い光がさらに二人を包み込む中、少女はようやく顔を上げ、確信の持てない声で口にした。
「……レノヴィア?」




