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第32話 シグナが本当に変えられるもの

暁継はその言葉を聞いても何も言わなかった。ただ困惑したように目を見開きながら、彼の背中を見つめていた。


「よく見ていろ……? どういう意味だ?」


新しい凪紗は眉を寄せながらも、面白そうに笑みを深めた。


「ふふっ! カッコつけちゃって。じゃあ、ショーを始めようか」


彼女は命令するように両手を彼へ向けた。


「行っておいで、私のペット。あれくらい、軽くおやつにしちゃって!」


次の瞬間、怪物の十本の腕が一斉に彼へ向かって飛び出した。巨大な顎を開きながら迫り、そのまま噛みつこうとする。


玄士は振り返ろうとすらしなかった。まるで、迫ってくる腕など気にする価値すらないと言わんばかりだった。暁継はただ困惑したまま、その様子を見つめることしかできなかった。


「何をしてるんだ……?」


玄士へと迫る腕がさらに距離を縮めたそのとき、突然、頭上から燃え盛る炎の音が轟いた。暁継は、空一面に広がっていくオレンジ色の光に気づいた。


見上げると、そこには空の亀裂を通り抜け、恐ろしい速度で降り注いでくる炎の槍があった。


炎の槍は一つ、また一つと、まるで完璧に連携しているかのように怪物の腕へ突き刺さり、玄士へ届く前に地面へと縫い留めていく。


槍はさらに強く、さらに熱く燃え上がったかと思うと、一斉に爆発した。怪物の腕は完全に粉砕され、肉片となって周囲へ飛び散った。


そして、空に開いた亀裂から、何者かが降りてくるのが見えた。女だった。赤い髪を激しく風になびかせながら、彼女は少し離れた場所へ着地した。


彼女は何事もなかったかのように立ち上がり、髪を軽く後ろへ払ってから玄士へ振り向いた。


「来てくれて助かったわ、玄士さん。あなたが来なかったら、この結界を突破するのにもっと時間がかかっていたでしょうね」


「助かった。でも、遅い」


彼女は分かっていたような目を彼へ向けた。


「まあ、そう答えると思ってたわ」


新しい凪紗は上から彼らを見下ろし、声を上げた。


「今度は何? 私のショーにまた役立たずのキャラクターが増えたの?」


赤髪の女の視線がすぐに新しい凪紗と怪物へ向き、目を細めながら二人を観察した。


「なるほど。これがアノマリーね。随分と派手に騒ぎを起こしてくれたみたいね」


玄士は暁継と海斗へ目を向けた。


「この次元の中で生き残っているのは、あの二人だけだ。彼の負傷した友人は、出血とアノマ汚染であと一分三十三秒ほどで死ぬ。助ける時間を作るには、彼女の能力で傷を巻き戻す必要がある」


冬花は状況を整理するように、玄士をじっと見つめた。


「状況は分かったわ。彼は極めて危険な状態ね。できるだけ早く治療したほうがいい。凪は眠そうな子だけど、千早と一緒なら、あなたが言った時間より早くここへ来られるはずよ」


そして彼女の視線も暁継へ向いた。彼の周囲に漂うかすかな白いエネルギーに気づくと、その表情はさらに複雑なものになった。


「でも……彼の隣にいるあの子は……」


玄士には、彼女がそれに気づくことなど最初から分かっていた。


「やっぱり、君にも見えたか」


新しい凪紗は、彼らが話している様子を見つめながら目を細めた。自分のことなど完全に無視されている。


「私のこと、無視してる? だったら……」


突然、怪物の別の二本の腕が彼らへ向かって飛び出した。冬花は振り返ることすらせず、片手を上げた。


その瞬間、彼女の手のひらから凄まじいエネルギーが噴き出し、広範囲へ炎の波が放たれた。迫ってきた腕は、彼らへ届く前に完全に焼き尽くされた。


冬花は怪物へ向き直りながら口を開いた。


「玄士さん、あの子についてはあとで説明してもらうわ。今は、これを片づけましょう」


そのとき、さらに二つの人影が砕けた空を通り抜け、冬花のすぐ後ろへ着地した。


二人とも少女だった。そのうちの一人が、すぐに嬉しそうな様子で冬花のもとへ駆け寄った。


「御園先生! 着きました!」


「あら、千早、凪。来たのね」


千早の視線がすぐに冬花から巨大な怪物へ移った。その瞳は興奮で輝いていた。


「うわっ! あれがアノマリー? すごく強そう! 今、戦っていい?」


「落ち着きなさい。焦って動かないの。まだ何ができるのか分かっていないでしょう」


「ねえ、先生! もう我慢できないよ! しばらく危険な任務に出てなかったし、それに――」


彼女が文句を言い終える前に、玄士が彼女の横をそのまま通り過ぎた。その瞬間、千早の注意が彼へ向いた。


「ん? 誰、あの人?」


「教官の一人よ。本人は仕事をしたがらないけど」


「じゃあ、弱いんだ。まあ、いいや……」


玄士はそのまま凪のもとへ向かった。凪は今にも眠ってしまいそうなほど眠そうで、瞼も半分ほどしか開いていない。玄士は彼女の目の前で足を止めた。


「君が凪だな?」


「ん……? うん」


玄士は海斗へ手を向けた。


「あそこにいる彼が見えるか? かなり出血している。アノマ汚染もある。これ以上出血が進まないようにできるか? 助ける時間が必要だ。残り二十秒しかない」


凪は数秒間、何の反応も見せずに海斗を見つめた。今にもその場で眠ってしまいそうな顔だった。


「うん、できるよ」


「じゃあ、頼む」


凪は海斗へ向かって歩き始めた。しかし、その歩みはあまりにも遅かった。冬花はそれに気づき、離れた場所から声を上げた。


「凪! 急いで! 死にかけてるのよ!」


「ん? 分かった」


凪は海斗のもとへ急ぎ、彼の前にしゃがみ込んだ。そして片手を上げると、そこから淡い紫色のエネルギーが輝き始め、海斗の身体を包み込んでいった。


暁継はすでに限界に近かった。疲労だけが、その表情に浮かんでいた。


彼は凪を見上げた。そこに、海斗が生き残るための唯一の希望があるかもしれないと思いながら。


「海斗は……大丈夫なの?」


凪はゆっくりと頷いた。


「うん……大丈夫だよ」


凪の紫色のエネルギーによって、海斗の出血が止まっていくように見えた。傷口から流れ出ていた血が、まるでその部分だけ時間が逆行しているかのように、海斗の身体の中へ戻っていく。


凪は立ち上がった。


「できたよ……あとは、お願い」


その言葉を聞き、暁継は頷いた。ほんの少しだけ身体の力が抜けた。それでも、心に重くのしかかっている苦しみが消えたわけではなかった。


凪はゆっくりと仲間たちのもとへ戻っていった。


暁継は戻っていく彼女を見つめた。疲れ切った頭の中には、それでも驚きが残っていた。


「……シグナって、本当にこんなことまで変えられるんだ」


新しい凪紗は彼らの様子を見ながら、苛立たしそうに首を横に振った。


「やれやれ……これは困ったな。ここにいられる時間もあまり残ってない。でも、私の例外を完璧に仕上げるには、あの子と二人きりになる時間ももっと必要なのに」


彼女の視線が、集まっている一人一人の間を行き来する。


「玄士……あの人は全然読めない。まさか……? あのエネルギーも普通とは全然違う。何か隠してる。それに冬花はかなり優秀なシグナ使い。二人とも、かなり読みにくい脚本になりそう。それに、千早って言ってたあの元気な子も……? あの子のシグナエネルギーもかなり高い」


そして最後に、彼女の視線は凪へと止まった。海斗を治療する凪の姿を見て、彼女はあからさまに不満そうな顔をした。


「もう……あの子、私のショーを台無しにしてる」


しかし、暁継の表情を見た瞬間、彼女の笑みが広がった。頬には興奮による赤みが浮かんでいく。


「ああ……私の可愛い例外。あなたの完成はもうすぐだよ。一人でゆっくりあなたを見てみたいんだけど……」


彼女は片手を上げ、そして本物の凪紗から奪った身体を見下ろした。


「この身体じゃ、本来の力の一割すら使えないんだよね。まあ、いいか。苦労するのも物語の一部でしょ?」


一同が海斗の治療に意識を向けている中、新しい凪紗は手を上げ、密かに怪物へ命令を送った。


さらに何本もの腕が彼らへ向かって飛び出した。玄士と冬花の両方を狙っている。二人ともその攻撃を察知して振り向こうとしたが、その前に千早が飛び出した。両手に二本の短剣を呼び出す。


彼女はシグナエネルギーを短剣へまとわせ、正確かつ素早い動きで最初の腕を真っ二つに斬り裂いた。そのまま切断された腕の上へ飛び乗ると、興奮に目を輝かせながら、迫ってくる別の腕へ向かって走っていく。


「ははっ! そうこなくちゃ! やっと本当の戦いができる!」


右側から別の腕が千早へ襲いかかった。彼女は即座にそちらへ跳び、両手の短剣を左右逆方向へ振り抜く。その一閃で、腕を完全に切り裂いた。


千早は落下していく肉片の一つへ着地した。しかし、さらに攻撃が迫っていることを感じ取り、顔を上げる。すると、二本の腕が再び彼女へ向かって飛び出してきた。


「来て!」


千早は凄まじい速度で、その二本の腕へ向かって飛び出した。


彼女の身体がさらに強い青いエネルギーに包まれ、速度が一気に跳ね上がる。青い残像を残しながら二本の腕の間を一直線に駆け抜けた次の瞬間、その二本とも細切れになった。


千早はそのまま前進し、怪物の本体の頭部へ一直線に向かっていく。


「もっと見せて! これだけ強いアノマリーなら、まだ他にも能力があるんでしょ?」


その遥か上空、怪物の頭部の上には新しい凪紗が立っていた。千早の言葉を聞くと、彼女はいたずらっぽく笑った。


「まあ、どっちにしても早くあなたを片づけたいんだよね。だからぁ……私のペット! 本当の姿を見せてあげて!」


彼女が言い終えた瞬間、怪物の全身が黒いエネルギーに包まれ始めた。暗闇のようなエネルギーが巨大な身体全体へ広がり、その中に浮かぶ黄色い瞳孔がさらに強く輝いた。


切断されていた怪物の腕までも同じエネルギーを放ち始める。落下していた腕は怪物の本体へ戻っていき、再び接続されると、瞬く間に新しい腕へと再生していった。


千早は止まらなかった。むしろ、さらに興奮しながら前へ突き進んでいく。


「あ、さっきは見なかったやつだ。やっぱり強いんだね!」


そのエネルギーが劇的に変化したことを感じ取った玄士は、落ち着いた声で冬花へ尋ねた。


「君は、本当にあんな不用意に生徒を近づけていいのか? アノマエネルギーがかなり上がっている」


冬花は首を横に振った。


「玄士さん……長いこと学園を離れていたせいで、私の生徒たちをずいぶん見くびっているみたいね。次からは、もう少しよく見てから言うことね」


その頃、千早の意識は完全に怪物だけへ向いていた。顔には大きな笑みが浮かび、頭の中にはたった一つのことだけが駆け巡っていた。


「強い! すごく強い! これは面白くなりそう!」


千早が怪物へさらに近づいていくと、新しい凪紗が大げさな口調で言った。


「うん、やっぱりね。あなた、本当に馬鹿なんだ」


怪物の両腕が、その巨大な頭部の前へ移動した。掌に埋め込まれた目が円形のエネルギーを生み出し、その間で急速に力が蓄積され始める。


「これでも味わってみなさい、小さなお嬢ちゃん」


轟音とともに、怪物が千早へ向かってエネルギービームを放った。その進路にあった雨は、一瞬で蒸発していく。


千早はすでに凄まじい速度で怪物へ向かっていた。空中で進行方向を変えることはできず、そのままビームへ突っ込むしかなかった。


「えっ? これは予想してなかった!」


千早はそのまま前進しながら、両手の短剣を前方で交差させ、エネルギービームへ真正面から衝突した。


ビームは千早を押し下げ続け、彼女は必死にそれを押し返そうとした。


「なるほど。これはかなり強いね」


ビームの衝撃が千早の肌を焼き、服の一部を焦がしていく。


玄士はエネルギービームへ視線を向けた。


「強い攻撃だな」


冬花は何かを察したような、どこか楽しげな笑みを浮かべた。


「まあ、心配しなくていいわ。あの子の能力は、こういう相手にこそ向いているもの。それに、あの怪物を倒すための作戦を思いついたところよ」


攻撃が千早をさらに押し下げ続ける中、突然、彼女の身体からエネルギーが一気に噴き出した。牙がわずかに伸び、瞳孔が細く縦に裂ける。その姿は次第に、人間の狼を思わせるものへと変わっていった。


千早は興奮のあまり叫び声を上げた。ほんの少し前まで苦戦していた身体が、ゆっくりとビームを押し返し始める。


「私を倒したいなら、それくらいじゃ足りないよ!」


新しい凪紗の目が鋭くなる。


「あら? 急にパワーアップしたね。じゃあ、私ももう一回パワーアップすればいいだけだ!」


彼女は手元に浮かぶ別の影へ命令を送り、二本目のエネルギービームを形成した。それを最初のビームへ重ね合わせることで、攻撃の威力と熱量が一気に増していく。


「さあ、今度はどうする?」

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