第30話 反抗の代償、書き換えられた脚本
暁継はゆっくりと再び彼女へ視線を上げた。その目には、ただ純粋な憎悪と嫌悪だけが宿っていた。
「お前に、人間の苦しみや夢について語る資格なんてあるのか? お前はただのアノマリーだ。俺たちの命を、自分を楽しませるためのくだらないショーみたいに扱ってるだけじゃないか」
暁継は彼女の手から自分の手を引き離し、膝をついたまま、少しだけ後ろへ下がった。
「俺たちが単純な人生を望んでるって言ったよな。そうだよ。俺たちは、ただ普通に生きたいんだ。誰だって、これから先に起こるかもしれないことを、一つ残らず考えながら生きてるわけじゃない。俺たちはただ、自分自身や、大切な人たちのために生きて、できることを精一杯やりたいだけなんだ」
苛立ちと怒りが込み上げ、暁継は強く顎を引き締めた。
「それなのにお前は……さっきまで、人類に何が起こるのかを本気で気にしてるみたいな、理性的な人間みたいに話してたじゃないか。だったら、どうしてだよ?! どうして俺たち全員をこんなことに巻き込んだ?! どうしてあの生徒たちは、あんな酷い死に方をしなきゃならなかった?! あいつらが何をしたっていうんだ?! あんな目に遭わなきゃならないようなことを、何かしたのか?! それに、あいつらが帰ってくるのを待ってる家族はどうなんだ? お前は、そんなことを少しでも考えたのか?!」
暁継はゆっくりと立ち上がり、彼女を見下ろした。その表情には、困惑と悲しみ、そして今にも抑えきれなくなりそうな怒りが入り混じっていた。
「人類のために『例外』になれって言うくせに、お前がやってることは、今お前が言ったことの正反対じゃないか。そんなお前の言葉を、どうやって信じろっていうんだ?! 俺は、お前が言ってる『例外』になんて興味はない。それに、俺みたいな普通の人間が、そんな大勢の人たちの安全に対する責任を背負えるわけがない!」
暁継は激しく息を切らし始めた。今まで胸の奥に押し込めていたものを、言葉の一つ一つに叩きつけるように、ほとんど息継ぎすらせず吐き出していた。
新しい凪紗は、しゃがみ込んだまま動かなかった。暁継を見ることもなく、ただ地面へ視線を落としている。笑みも浮かべず、彼が言いたいことをすべて吐き出し終えるまで、黙って聞いていた。
そして、ようやく静かな声で口を開いた。
「そうなんだ」
暁継は目を見開いた。彼女なら何を言ってきてもおかしくないと思っていた。それなのに、返ってきたのは、まるで理解を示すような短い言葉だった。暁継は一歩、前へ踏み出した。
「だったら、お前……」
だが、その瞬間、再び激しい地震が屋上を揺さぶった。暁継はバランスを崩し、よろめきながら後ろへ下がった。
暁継はすぐさま周囲を見回した。意識のすべてが、一瞬で警戒へと切り替わる。
何が起きてるんだ? また地震? まさか、最初からずっと、こいつが起こしてたのか?
暁継が再び新しい凪紗へ目を向けると、彼女もまた周囲を見回していた。その表情は、珍しく険しくなっていた。
待て……こいつが起こしたようには見えない……まずい。
やがて揺れは少しずつ弱まり、屋上は再び静けさを取り戻した。
新しい凪紗の目は、依然として細められていた。やがて小さく苛立ったようなため息を漏らすと、ゆっくりと立ち上がり、暁継へ向かって片手を伸ばした。
暁継はすぐに身構え、身体を低く落として戦闘態勢に入った。
その直後、脚に何かが絡みつくような感覚が走った。以前、暁継の動きを封じたのと同じエネルギーが再び脚を拘束し、またしても身体を動かせなくする。視線を下へ向けても、その正体はやはり見えなかった。
「何……が起きた?」
暁継が再び新しい凪紗へ視線を戻した、その瞬間だった。彼女の姿が視界から消えた。
次の瞬間には、彼女は暁継の目の前に現れていた。額が触れそうなほどの距離まで一気に近づき、口元には悪意に満ちた笑みが浮かんでいる。
「なるほど……なるほど! さすがだね、暁継くん! 私が本気で殴りつけてあげないと、自分が置かれてる本当の状況なんて理解できないんだ!」
「何を言ってるんだ?」
彼女はゆっくりと右腕を持ち上げ、拳を握り締めた。
「さっきの私たちのショー、覚えてる? 暁継くんには、私を攻撃する番をたっぷりあげたよね。だったら、私にも一回くらい攻撃する番があってもいいと思わない?」
暁継が答えようとした、その瞬間――
ドンッ!
彼女の拳が、暁継の腹部へ真正面から叩き込まれた。
凄まじい衝撃音が広い屋上全体に響き渡り、暁継の身体は数メートル先まで吹き飛ばされる。そのまま屋上の端に設置された金属製の柵へ激突した。
暁継は地面へ崩れ落ち、目を見開いたまま呆然としていた。両手で腹部を必死に押さえ込み、激痛に耐えながらなんとか息を吸おうとする。これまでの人生で一度も味わったことのないほどの痛みだった。
あまりにも強烈な一撃だった。まるで身体の中から酸素そのものを叩き出されたように、息ができない。
新しい凪紗は、そんな暁継を数秒間じっと見つめた。
「ほら、こんなに脆いんだよ? いつ潰されてもおかしくない、蟻みたいにね」
彼女は、まだ地面に倒れたまま、かろうじて意識を繋ぎ止めている海斗へ視線を向けた。海斗の顔は、先ほどよりもさらに青白くなっていた。
そして、彼女は海斗へ向かって歩き始めた。
暁継はすぐに彼女の動きに気づいた。しかし、身体を駆け巡る激痛のせいで、声を上げることすら、まして動くことなどできなかった。
待て! 何をするつもりだ? 海斗のところへ向かってるのか?
「待て……」
新しい凪紗は海斗のもとへたどり着くと、肩に突き刺さっていた赤いハサミを引き抜いた。再び血が周囲へ飛び散る。それを見下ろしながら、彼女は楽しそうな表情を浮かべた。
「どうせ、もう長くはもたないんだし……だったら、もっといいショーを見せるために利用したほうがいいと思わない?」
暁継は腹部を片手で押さえたまま、どうにか立ち上がった。
「何……をするつもりだ? こんなの、俺たちが決めたことと違う……」
新しい凪紗の笑みが、さらに大きくなった。
「あぁ、暁継くん……本当に純粋だよね。今まで、物語を見たり読んだりしたことってある?」
「え……?」
彼女はゆっくりと、初めて赤いハサミを開いた。そして、その刃を海斗の首元へぴたりと当てた。
「敵の言葉を、簡単に信じちゃいけないって教わらなかった? 物語には、必ずどんでん返しがあるんだよ。そして今日のどんでん返しはぁ……」
彼女はわざとそこで言葉を止めた。口元には、さらに悪意に満ちた笑みが広がっていく。
「暁継くんの友達、海……斗……くんの……死」
その言葉を聞いた瞬間、暁継の身体を雷が貫いたような衝撃が走った。
新しい凪紗は、嬉しそうに声を弾ませながら続けた。
「だから、次の話のタイトルは……『海斗くんの拷問』! ほら、ちゃんとよく見ててね。一つも見逃しちゃダメだよ」
「やめろ! やるな! 頼むから、海斗を放してくれ!」
「え? 放す? どうして私が? だって暁継くんが言ったんじゃん。私は、楽しむために人を殺す最低なアノマリーなんでしょ?」
海斗はすでに、ほとんど死にかけていた。それでも、どうにか弱々しい言葉を吐き出した。
「暁継……こいつの……言葉を……聞くな……」
その言葉を聞いた瞬間、新しい凪紗は海斗の首元からハサミを離し、ゆっくりと閉じた。そして、そのまま刃を海斗の太腿へ向け、躊躇なく突き刺した。
海斗は激痛に叫んだ。しかし、すでに身体を動かしたり、抵抗したりできるほどの力は残っていなかった。
「海斗ぉ〜くん」
彼女は、まるでからかうように、楽しげな声で彼の名前を呼んだ。
だが、次の瞬間には、その声から遊びの色が消えた。
「ショーが始まったら、黙って被害者を演じてたほうがいいよ」
彼女は海斗の左太腿からハサミを引き抜くと、今度は右太腿へ深く突き刺した。海斗の口から、純粋な苦痛に満ちた叫び声が屋上へ響き渡る。
暁継が叫んだ。
「もういい!! 今すぐやめろ!」
しかし、新しい凪紗は完全に暁継を無視した。彼女の視線は海斗だけに向けられていて、その顔には、これまで見せたどんな表情よりも大きな笑みが浮かんでいた。
彼女は再びハサミを引き抜くと、今度は海斗の右手のひらへ突き刺した。血が周囲へ飛び散る。海斗は、人間が耐えられるものとは思えないほどの激痛に襲われているようだった。
暁継は恐怖に染まった目で、その光景を見つめることしかできなかった。耐え難い怒りと悲しみが胸の中で渦巻き、強く顎を噛み締める。彼女が自分の望みを拒んだ瞬間、こうして目の前で、この狂気を見せつけるように仕向けたのだと、ようやく理解した。
新しい凪紗はハサミを海斗の左手のひらへ移動させ、再び突き刺そうとした。
だが、その瞬間、暁継が叫んだ。
「やめろおおおおお!!」
それは、暁継がこれまでの人生で上げた中でもっとも長く、もっとも大きな叫びだった。疲労と絶望、そしてどうしようもない無力感に押し潰されるように、その声は途中で大きく掠れた。
新しい凪紗は、最後の瞬間で動きを止めた。ハサミの刃は、あと数センチで標的に届くところで宙に浮いている。彼女はゆっくりと、まるで暁継を嘲笑うかのように視線を向けた。
「お? 今の、かなり大きな声だったね。でも、私、好きだよ! この憂鬱なショーを終わらせたいなら、自分で抜け出さなきゃね」
彼女が言い終えた、その瞬間だった。再び容赦なく、ためらいもなく、海斗の左手のひらへハサミを突き刺した。
海斗は耐え難い痛みに身体を震わせた。それでも、最後の一撃に反応することすらできないほど、すでに弱り切っていた。
暁継は海斗を見つめた。友人の目からは、ほとんど生気が消えかけている。そして、その身体の下の地面は、ほぼ一面が血で濡れていた。
新しい凪紗はようやく身体を起こし、ハサミに付着した血をゆっくりと舐め取った。
「自分が『例外』になることなんて、どうでもいいって言ったよね?」
彼女は歩いて海斗の頭のすぐそばまで近づくと、その首へ向かってハサミをまっすぐに突きつけた。
「だったら……暁継くんが、本当はどれだけ気にしてるのか――私が教えてあげるよ」




