第27話 生者と死者への冒涜
その瞬間、暁継の目が、信じられないというように大きく見開かれた。
「……え?」
屋上を満たしているのは、激しく降り続ける雨の音と、開け放たれた空間を横切るように吹き抜ける風の音だけだった。暁継は目の前に立つ凪紗を見つめたまま、完全に呆然としていた。彼女の答えがあまりにも現実離れしていて、一瞬、自分は別の世界にでも迷い込んでしまったのではないかとさえ思えた。
ようやく口を開いたとき、その声はほとんど囁きだった。
「いや……そんな……信じられない……そんなはず、ない」
新しい凪紗は、手にした巨大なハサミを弄びながら、くすくすと楽しそうに笑った。
「でも、本当のことだよ、暁継くん。私はずっと、この子の身体の中にいたんだよ! 最初からずっと、みんなのことを小さなおもちゃみたいにして遊んでたのに、誰も気づかなかったんだよね! 毎回、笑いをこらえるのが大変なくらい楽しかったんだから!」
彼女は、まるで暁継だけのために演技を披露しているかのように、楽しそうに彼の前を左右へ行ったり来たりし始めた。
「最初に、外の世界から暁継くんたちを切り離したでしょ。それから学園の電気を落として、先生を操って教室の外へ出るように仕向けて、私の可愛いペットに教室を襲わせて、そこへ誘い込んだの。それに、あのスクールバッグまで使って、音に反応するんだって思い込ませたんだよ。私なら、いつでもみんなを殺せたのにね。みんなが必死になって、あんな偽物のルールを信じてる姿を見るのが、もう最高だった!」
彼女は、まだ地面に横たわり、意識を保つことすら必死になっている海斗へ視線を向けた。
「もちろん、あのとき海斗くんを殺すつもりでもあったんだよ。でも、この子ったら本当にしぶとくてさ。結局、暁継くんについて教室の外まで出てきちゃった。もう、ほんっとに面倒だったんだから。それで、私の予定もかなり変えなくちゃいけなくなったし」
彼女は再び暁継へ視線を戻すと、大きな笑みを浮かべた。
「それから、隅っこから暁継くんを見てたら、凪紗っていうこの子と話してるのが見えたの。二人ともすごく仲が良さそうだったから、この子なら完璧な器になりそうって思ったんだ。もちろん、実際に完璧だったよ! 本当に期待を裏切らなかったんだから」
新しい凪紗の笑みが、さらに大きくなる。
「この子の声で暁継くんを慰めたり、そのときの暁継くんの笑顔を見たりして、それからまた別の芝居で全部壊したりするの……こんなに楽しいことができるなんて、夢にも思わなかったよ。しかも、この子の身体で近づいたとき、暁継くん、顔を赤くしてたよね――あぁ……あの瞬間、すっごくロマンチックだったなぁ」
すると突然、彼女は暁継のほうへ近づき、リボンを外した。わざと胸元を強調するようにしながら、いたずらっぽい笑みを浮かべ、暁継の目の前で胸元を軽く持ち上げるような仕草を見せた。
「ふふふ……この子、結構大きいよね? 暁継くんがこの子に気持ちを持ってても、まあ分かるよ。私なら責めないけどね」
そして突然、彼女の雰囲気が変わった。今度は本物の凪紗の仕草と声を完全に真似しながら、胸元をわざと見せたまま、恥ずかしそうに頬を赤らめる演技をする。
「え、えっと……暁継くん……私と……そういうこと、したい……?」
暁継はただその場に立ち尽くし、彼女を見つめていた。頭の中は完全に混乱していた。もう、何を言えばいいのかすら分からない。怒りも、悲しみも、信じられないという感情も――すべてが頭の中でぶつかり合い、まともに考えることすらできなかった。
新しい凪紗はそんな暁継の表情に気づいていた。それでも演技を続け、慌てたように身体を引き、胸元を隠した。
「きゃあっ! 暁継くんってば、友達のことをそんな目で見るなんて、えっちな人なんだぁ!」
暁継は強く顎を引き締めた。今度こそ、胸の奥に溜まり続けていた怒りを隠せるほどの余裕はなかった。声を発したとき、それはかすかな囁きに近かった。
「……もう、やめろ」
新しい凪紗は首を傾げた。
「ん? 聞こえなかったよ、暁継くん」
そして、ついに暁継の堪忍袋の緒が切れた。
「もうやめろって言ったんだ! これ以上、川瀬さんの尊厳を侮辱するな! この気持ち悪いアノマリーが! 川瀬さんの身体から出ろ! 今すぐ川瀬さんを返せ!」
新しい凪紗はしばらくその場に立ったまま、わざとらしい無邪気な表情を浮かべていた。
「あら? そんな言い方するなんて、ちょっと失礼じゃない? 暁継くんみたいな冷静で落ち着いた人には、あんまり似合わないと思うけどなぁ」
そして、またいたずらっぽい笑みを浮かべると、片手を上げ、自分の頭を指先で何度か軽く叩いた。
「でも、残念でしたぁ。この子を返してあげることはできないんだよね! どうしてだと思う? だって、もうこの子の脳みそ、私が食べちゃったから! もう二度と戻ってこないよ。今は、この身体は私のものなんだから! あははははは!」
その言葉を聞いた瞬間、暁継の顔から怒りが消えた。代わりに、完全な衝撃が浮かび上がる。目の前で笑っている「凪紗」を、暁継はただ呆然と見つめた。そしてまた、あの苦い敗北感が衝撃波のように胸を打ち抜いた。
こんなはずは……ない。いや、違う……信じられない。俺はまた、失敗したのか? 川瀬さん……? 本当に、川瀬さんを失ったのか……?
新しい凪紗はそんな暁継の表情に気づくと、さらに顔を近づけた。
「特別に教えてあげる。あの子が最後に何を考えてたのか。あの子はね、お父さんと弟たちのことを考えてたんだよ。もう自分がみんなのそばにいられないことを、すごく後悔してた。家に残されたお父さんが、本当に面倒を見てくれる人もいないまま苦労することになるって」
彼女はさらに一歩近づき、今度は声を大きくしながら、まるで楽しそうに語り始めた。
「それにね、暁継くんと一緒に、あのケーキのレシピを作れなくなることも後悔してたよ。暁継くんのために、あの子が一生懸命考えてたやつ。どうやら、あの子も暁継くんのことが好きだったみたいだね! あぁ、なんて純粋な子だったんだろう。でも……もう、この世にはいないんだけどね。まあ、いいよ。暁継くんが望むなら、私が代わりになってあげる。ふふふ」
彼女の言葉一つ一つが、煮えたぎった熱湯を皮膚に浴びせられているように、そして身体中をナイフで突き刺されているように感じられた。暁継は、ただ一言も発することなく立ち尽くしていた。
ほとんど生きているのがやっとの状態だった海斗でさえ、凪紗の背中を見つめながら呆然としていた。
「くそ……お前……」
新しい凪紗は、これまで裏で何をしていたのかを明かしながら、楽しそうに身体を揺らしていた。
「じゃあ、私の完璧な計画の種明かしを、もう少し続けてあげる! ちゃんといい感想を聞かせてね! それで、凪紗の教室に戻ったとき、先生を操って健太と陽菜を罰するように仕向けたの。そうすれば、あの二人だけが生き残った理由としても、ちゃんとした説明になるでしょ? もちろん、おもちゃは多ければ多いほど楽しいからね」
そう言って、彼女は片手を上げた。そこに白く透明なエネルギーが集まり、同じ透明なエネルギーが暁継の脚にも現れた。
彼女は歯を見せながら笑った。
「このエネルギー、見えるでしょ? どうして自分が動けないのか、気にならなかった? それも私のせいだよ。私のエネルギーを暁継くんの身体に流し込んで、身体の一部を操れるようにしてたの。泣いてた陽菜も、あの馬鹿な健太も同じ。最初からずっと、あの二人を殺したくてうずうずしてたんだから! 健太を下層階へ誘導して、潰されるようにしたのも私。陽菜が動けないようにして、真っ二つにされたのも私だよ!」
新しい凪紗は両手を頬の近くへ持っていき、まるで喜びに身体が震えるかのような表情を浮かべた。
「あぁ……それに、二人が死んだときの暁継くんの反応……まるで天国にいるみたいな気分だったよ」
彼女が明かしたすべての言葉を聞き、暁継はようやく理解した。自分が耐えてきた痛みも、何度も繰り返した失敗も、どうすることもできなかった瞬間も、そして背負わされていた重い責任も――そのすべてが、自分に最も近かった人物によって仕組まれていたのだ。
いや、正確には――彼女の身体を乗っ取っていた「何か」によって。
そして、これまで抱えてきたすべての感情が、暁継の身体と精神にとどめを刺す最後の一撃となった。拳を強く握り締め、拳の関節が白くなる。顎を強く引き締めながら、彼は彼女を見つめた。その目には、隠しようのない、純粋な怒りが宿っていた。
「お前だけは……絶対に許さない……! 絶対に許さないぞぉぉぉ! 俺が何をしたっていうんだ!? 俺たちが、お前のおもちゃになるような何をした!? 俺たちはただ普通に生きてる学生なんだぞ! どうして、こんな馬鹿げた生死のゲームに巻き込まれなきゃならないんだ!? あの人たちや、その家族まで……お前が退屈を紛らわせるための見世物か何かなのか!? お前には心がないのかよ!?」
「ゲーム? まあ、そうだね。そう呼んでもいいんじゃない? それで、心? そんなもの、とっくの昔に捨てちゃったよ。だから何? 他の人が死ぬことになったって、私は自分の好きなようにする。面白くて、楽しいなら、それでいいじゃん?」
彼女は笑みを消すことなく、暁継へ向かって歩き始めた。
「暁継くんたちの悲鳴も、恐怖も、弱さも――そんなの私の知ったことじゃないよ。自分や周りの人たちを守れるだけの強さがないなら、私を責めないでよね。そんなに無力なのは、暁継くん自身なんだから」
その「無力」という言葉が、暁継の心の奥深くに突き刺さった。彼女の言っていることは間違っているはずだ。それでも、その言葉の最後だけは、心の底から否定することができなかった。本当に自分に力があったのなら、仲間も、大切な人たちも、こんな目に遭わせずに済んだはずだ。大切な人たちを助けられなかったのは、自分が弱すぎたからなのではないか――そんな考えから、暁継は逃れることができなかった。
アノマリーと戦う上で、シグナがすべてと言ってもいいこの世界で、これが本当の意味で「無力」ということなんだ。俺は、そんなことを一度も考えたことがなかった。ただ、普通で平穏な生活を送りたかった。家族の金銭的な苦労を、少しでも助けたかっただけなのに。
最初から、暁継は自分の人生にシグナが必要だなんて、本気で思ったことはなかった。いつか自分が手に入れるかもしれない、ちょっと格好いいもの――その程度にしか考えていなかった。けれど、今、目の前で起きていることが、その世界観を根底から打ち砕いた。自分たちが生きている世界は、思っていたほど平和なものではない。そして、自分が家族や大切な人たちと一緒に、ずっと夢見ていた平穏な生活を手に入れるためには、シグナが必要なのかもしれない。暁継は、ようやくそう理解した。
新しい凪紗は、もう暁継のすぐ近くまで来ていた。彼女が片手を上げると、その手が自身のエネルギーで輝き始めた。次の瞬間、暁継の脚を包んでいたオーラが消えた。
彼女は指先で、こちらへ来いと手招きした。
「ほら、暁継くん。私と戦ってみなよ。もし暁継くんが私に勝てたら、友達を治してあげる。それに、大切な凪紗も返してあげる。約束するよ。これは絶対に嘘じゃないから」
彼女の笑みが、さらに大きくなる。
「でも、もし私に負けたら……海斗くんを殺しちゃう。だから、私が楽しめるものを見せてよね」
暁継は不意を突かれた。なぜか、凪紗が戻ってくる可能性と、海斗を助けられるという言葉に、一瞬だけ安堵を覚えた。けれど、その直後には、もう一つの重い現実が押し寄せてきた。自分には彼女を倒せない。今の自分の力では、彼女に勝てる可能性などどこにもなかった。
これは……何なんだ……? 俺が勝てば、二人とも戻ってくる。でも、負けたら……。
暁継は海斗へ視線を向けた。
海斗が死ぬ。そして、川瀬さんも二度と戻ってこない。こんなの不公平だ。不公平すぎる。こんな俺が……ただの普通の人間である俺が、どうやってあんな相手に勝てっていうんだ……?
暁継は自分の両手を見下ろした。いつもよりずっと小さく、脆く見えた。その手を見つめていると、まるで自分自身の弱さを突きつけられているようだった。
凪紗を乗っ取った存在は、暁継をたった二つの選択肢しか残されていない状況へ追い込んでいた。
今、力に目覚めるか……それとも、二人とも失うか。




