第24話 頭の中の囁き、雨の中の幻の人形
海斗と暁継はしばらくその場に立ち、屋上を見回していた。二人とも大声で彼女の名前を呼ぶ気にはなれなかった。怪物に聞かれて、また姿を現されたらと思うと怖かった。
雨音があまりにも激しく、二人はすでに入口からかなり離れたところまで来ていたため、屋上へ続く扉は激しい雨の向こうにかすかに見える程度だった。
海斗の表情には心配の色が浮かんでいた。彼女に呼びかけようとしたが、その声は絶え間なく降り続ける雨音にかき消されそうなほど小さかった。
「川瀬……いるのか?」
海斗は暁継へ振り向いた。暁継の表情は、海斗以上に険しかった。海斗は胸の内に広がっていく嫌な予感を口にしたかったが、思いとどまった。ここまでの出来事を考えると、それを口にすれば、ただでさえ苦しんでいる暁継をさらに追い詰めてしまいそうだった。
「川瀬を見に戻ろう。もしかしたら、本当は外に出るのが怖かったのかもしれない。女の子なんだし、後ろに残してくるべきじゃなかった」
暁継は頷き、二人は入口へ向かって戻り始めた。
だが、途中まで戻ったところで、突然、暁継の頭の中に声が響いた――あの謎の白髪の少女と同じ声だった。かすかな声で、まるで直接頭の中へ語りかけているかのようだった。
嫌。
その一言に、暁継はその場で凍りついた。背筋を走り抜けるような悪寒が生じ、身体全体が一瞬震える。
暁継はすぐに足を止めた。突然聞こえた奇妙な声と、それに伴う感覚に目を見開き、海斗を制止するように片手を上げる。そして、少女の姿がどこかにないか、必死に周囲を見回した。
「待って」
「え? な、何? またあの子が見えたのか?」
「いや、声が聞こえた。弱い声だった……それで、嫌って言った」
海斗は前方へ視線を向けた。激しい雨に遮られ、屋上の扉は依然としてほとんど見えない。
「マジで……どうなってるんだよ? 『嫌』って、どういう意味だ? また何かの警告なのか?」
「そうかもしれない。十分に警戒した方がいい」
暁継の表情が険しくなった。
「川瀬さんを探そう。嫌な予感がする」
「じゃあ、急ごう」
だが、二人が再び歩き出そうとしたそのとき、暁継の視界の端に突然、白い光が走った。
暁継はまた足を止め、光が現れた方向へ振り向いた。屋上にあるベンチの近くに、何かが低い位置にあるように見えたが、今いる場所からでは、それが何なのかはっきりとは分からなかった。
海斗も暁継の数歩先で足を止め、振り返った。その顔には疲労が色濃く表れていた。
「な、何だよ今度は? また何か言ったのか? そこにいるのか?」
暁継は海斗を見た。
「見えないのか?」
「何が?」
暁継はベンチの方を指差した。
「あそこ。見えるか? 何か光ってる」
海斗は目を細め、必死に焦点を合わせた。海斗の目には、ベンチは完全に空っぽに見えた。そこには何もない。
「暁継……本当に何も見えない。空っぽだぞ……」
海斗の答えを聞き、暁継の不安はさらに強くなった。
この状況なら、もう何が起きても驚かない。でも、本当に海斗に見えないなら……もしかして……
暁継は何も言わずにベンチへ向かって歩き始め、海斗もすぐに後を追った。
「お、おい、待ってくれよ」
二人が近づくにつれ、暁継の目に映っていた光は徐々に弱くなり、その光を放っていたものの姿が次第にはっきりと見えてきた。
光が消えてる……? ベンチにあるあれは何だ?
やがて二人は、ベンチのすぐ前まで辿り着いた。
海斗はベンチの隅々まで目を凝らしたが、それでも何も見えなかった。
「本当に何かあるのか?」
暁継はしゃがみ込み、ベンチの上に置かれていたものへ手を伸ばした。それは、白髪の少女を模した小さな人形だった。
これは……
暁継はそれを両手で拾い上げた。人形はごく普通のものに見えた。だが、暁継にはそこから何かが伝わってくるのを感じた。どこか懐かしいような、不思議な感覚だった。そして指の間で触れていると、まるで中に流れる水が詰まっている人形に触れているような感触があった。
「この人形……俺がいつも見てる白髪の少女にすごく似てる。ほら」
暁継は海斗にも見えるように、人形を目の前へ差し出した。
海斗は安心したような、それでいて困惑したような表情を浮かべた。海斗からすれば、暁継が何もない空間を両手で持っているようにしか見えなかった。
「暁継、本当に何も見えないぞ」
暁継はもう一度、人形へ視線を落とした。
「見えないのか……。だったら、これがあの子がずっと俺たちに伝えようとしてたことなのかもしれない。あの子はこれを屋上に残して、俺たちをここまで導いたんだ」
「なるほどな。でも、その『見えない』人形をどうしろっていうんだ?」
暁継は人形をさらに注意深く調べるように、意識を集中させた。
「分からない。でも、あの子がここに残したなら、何か意味があるはずだ」
暁継は人形を裏返し、背面を確認した。その瞬間、目を見開いた。
その表情の変化に気づいた海斗が、身を乗り出す。
「どうした? 何か見えたのか? 分かったのか?」
暁継が人形の背中に見つけたのは、白いボタンだった。その上には、二つの言葉が書かれていた。
ここを押して。
「海斗……この人形の後ろにボタンがある。それに、『ここを押して』って書いてある」
「それで……どういう意味なんだ?」
暁継は人形を見つめながら、しばらく考えた。白髪の少女は何度も、彼らに屋上まで来るよう強く促していた。
「これを押したら何が起こるのかは分からない。でも、あの子がここに残したんだとしたら……このボタンを押すことが解決策なのかもしれない。これを使えば、俺たちは現実の世界に戻れるのかもしれない」
海斗は目を見開き、暁継の言葉を理解しようとしていた。
「え、待てよ!? 本当に――」
だが、言い終える前に暁継が素早く片手で海斗の口を塞ぎ、声を潜めて言った。
「海斗、何度言えば分かるんだ。自制してくれ。ここでは、何がきっかけで俺たちが殺されるか分からない」
「ご、ごめん、ごめん。ちょっと興奮しちまった。でも、もし本当なら、やっとこの悪夢から出られるんだよな」
「うん」
海斗は安堵したようだったが、すぐにその表情には迷いが混じり、喜びの奥にわずかな悲しさが浮かんだ。
「これがいい知らせなのは分かってる。でも……なんでここなんだ? こんなことが起きる前に、俺たちに渡してくれてもよかったはずなのに」
暁継も同じことを考えていた。彼もまた困惑していたが、もう他に選択肢は残されていなかった。
「それについては分からない。俺だって答えが欲しい。でも……あの子は最初から俺たちを助けてくれてる。俺たちを騙す理由があるとは思えない。ここ、この場所に残したってことは、まだ俺たちには分からない理由があるはずだ」
「うん。分かった」
暁継は、激しい雨の向こうで今もかろうじて見えている屋上の扉の方へ身体を向けた。
「今すぐ川瀬さんのところへ戻ろう。どういう仕組みなのか分からないから、全員が揃うまでこれを押すのはやめておきたい」
「そうだな。行こう。これなら川瀬もかなり安心するだろ。ずっとみんなを落ち着かせようとしてたし。今度こそ、俺たちがここから出られるチャンスだ。」




