第22話 設計された絶望
海斗は勢いよく暁継の方を振り向いた。
「えっ!? 本気なの!? 行こう!」
一行は振り返って走り始めたが、暁継はふと、陽菜がついてきていないことに気づいた。
「陽菜さん! 何してるの!? 急がないと!」
陽菜はすでに動こうとしていた。だが、両足が言うことを聞かない。どれだけ必死に動かそうとしても、足は完全にその場に止まったままだった。以前、凪紗が使っていたものと同じエネルギーが陽菜の両足を取り囲んでいたが、それに気づいた者は誰もいなかった。薄く、ほとんど透明で、周囲の空気に溶け込んでいるかのようだった。
陽菜は暁継を見上げた。
「わ、私の足! 動かない! お願い、助けて!」
電話越しにすべてを聞いていた母親の声が、すぐにパニックへと変わった。
「陽菜! 何が起きてるの!? 来るってどういうこと!? 聞こえてる!? お願い、答えて!」
陽菜は前のめりになり、必死に這おうとした。両手が床についたが、それでも足は動かない。まるで床に接着されてしまったかのように、どれだけもがいても完全に微動だにしなかった。
「お、お母さん! 分からない! 分からないよ! ただ、家に帰りたい!」
暁継はすぐに陽菜のもとへ駆け下りた。
「陽菜さん、今行く!」
その言葉が口から出た瞬間、凪紗が微笑んだ。
そして――
ドォン!!
陽菜の背後にあった壁を、怪物の手が一直線に突き破った。その掌はすでに開かれており、巨大な顎もまた、大きく開かれたまま噛みつこうとしていた。
暁継の目が恐怖に見開かれる。陽菜へ向かって走り続ける中、時間がゆっくりになったように感じられた。陽菜を守ると約束したこと、彼女に自分を信じてほしいと頼んだこと、そしてほんの少し前にかけた言葉――それらがすべて、一気に脳裏へと蘇った。
陽菜は振り向き、全員が必死に逃げようとしていた、あの恐ろしい手を目にした。彼女の首が左右に震え始める。
「い、い、いや……死にたくない! こんなの嫌……!」
怪物の手が陽菜を掴み、その巨大な顎がすぐさま彼女の下半身へと噛みついた。陽菜は苦痛に絶叫した。
「いや! 離して!」
暁継は止まらなかった。陽菜へ向かって、まっすぐ走り続けた。
「陽菜さん!!」
だが、それ以上近づくより先に、海斗が後ろから駆け寄り、暁継を掴んで引き戻した。
「暁継! ダメだ! 危険すぎる! 死ぬぞ!」
暁継は海斗の腕を振りほどこうともがいた。怪物に近づいたら何が起こるかなど、考えていなかった。自分の身の安全のことも考えていなかった。ただ、陽菜を助けることだけを考えていた――自分が守ると約束した少女を。自分が責任を背負った少女を。
「海斗! 離せ! 陽菜さんが死ぬ!」
「止まれって言ってるだろ! 俺たちにはどうしようもない! お前まで死ぬぞ! 今すぐ逃げないと、本当に死ぬぞ、くそっ!」
怪物の手は、陽菜を掴んだまま、それ以上何もせずに止まっていた。まるで意図せずそこで止まってしまったかのようで、彼らには目の前で起きている恐ろしい光景の一部始終を目撃するだけの時間が残されていた。
陽菜は最後にもう一度、一行へ目を向けた。身体の半分はまだ怪物の中に閉じ込められたままだった。それでも、震える片手を彼らへ向かって伸ばす――特に、暁継へと。顔は想像を絶する苦痛に歪み、血が腹を伝って床へと滴り落ちていた。
涙が頬を流れ続け、すでに顔を覆っていた血と混ざっていく。
「お願い……お願い!! 誰か、助けて! 誰でもいい! どうして私たちは、こんなふうに見捨てられなきゃいけないの!? どうして私たちだけが、こんな目に遭わなきゃいけないの!? 私たちが何をしたっていうの!?」
電話はまだ繋がっており、母親もそのすべてを聞いていた。母親の声は震え、電話越しに叫び声を上げる。
「陽菜! 答えて! お願い! お願いだから、誰か何が起きてるのか教えて!!」
耐え難い痛みに苛まれながらも、陽菜はなんとかスマートフォンへ視線を戻した。
涙を流し続けながら歯を食いしばり、スマートフォンへ意識を集中させる。周囲の景色が次第にぼやけていき、意識がゆっくりと遠のいていった。
彼女は、かすかな声で話した。
「お母さん……家に帰りたい……」
その言葉を言い終えた瞬間、怪物の巨大な顎が陽菜の残された下半身を噛み砕き、身体を真っ二つに引き裂いた。残された半身が床へ落ちる。瞳の光が、ゆっくりと消えていった。
「私……ただ、生きたかっただけなのに……それさえ、望んじゃいけなかったの……?」
血が周囲へ飛び散り、その一部が階段の途中で凍りついたように立ち尽くしていた暁継の顔にもかかった。暁継は恐怖に目を見開いたまま、床に横たわる陽菜の身体を見下ろしていた。
暁継はゆっくりと自分の顔に触れ、付着した血を拭った。ほんの一瞬――それなのに妙に長く感じられる時間、手を覆う血を見つめ続けた。
歯が砕けてしまいそうなほど強く奥歯を噛みしめる。目の端に涙が滲み始めた。
また、失敗した……
「うああああああああああっ!!」
ついに限界に達した暁継は、叫び声を上げた。感情に突き動かされ、怪物の手へ向かって必死に駆け出そうともがく。
「くそっ……! くそおおおおっ!!」
海斗はなおも暁継を引き離そうとしていた。
「暁継!! 止まれぇぇぇ!! 逃げないと、俺たちまで死ぬぞ!!」
怪物の手が、二人の目の前で陽菜の残された身体を貪り始めた。
ついに海斗も堪えきれなくなった。暁継を止めるため、その頬を殴りつける。そして肩を掴むと、上へ向かって引きずるように連れていき、屋上へ続く階段を上り続けさせた。
海斗は凪紗へ目を向けた。
「川瀬! 何してるんだ!? 逃げるぞ!」
凪紗は二人の後を追い、彼らとともに屋上へ向かって走り続けた。
暁継は速度を落とすことなく走り続けた。もう前方の道さえ見ていなかった。ただ身体だけが前へ進み、意識は完全に別の場所にあった。
健太さん……そして、今度は陽菜さんまで。どっちのときも、俺は何もできなかった。あの少女の言葉に従って、階段の途中で立ち止まらず、そのまま上っていれば……。どうして? どうしてこんなことになってるんだ……!?
走る中で、健太と陽菜の最期の瞬間が何度も何度も脳裏に蘇った。暁継は限界へと近づいていた。自分自身で背負った責任を、決して背負いきることができない。その耐え難い重さに押し潰されそうだった。二人の家族のことを考えるたび、罪悪感はさらに強くなった。
二人の家族が、帰ってくるのを待っている姿を何度も想像してしまう。そして、帰ってくるはずだった二人の無惨な死を知らされるのだ。自分の家族について考えたときに感じる痛みと、二人の家族が感じているに違いない痛みを重ね合わせた。凪紗が、何もかも暁継のせいではないと言ってくれたことも思い出した。それでも、その言葉を受け入れることはできなかった。どれだけ努力しても、罪悪感を振り払うことができなかった。
暁継の表情が、苦しみに歪んだ。
二人はただ、家族に会いたかっただけなんだ。ただ、生きたかっただけなのに。それなのに、こんな最期を迎えた……。もし俺に力があったら。ほんの一瞬だけでもいい、力があったなら……何もかも違っていたかもしれない。それなのに、俺はまだこんなにも無力だ。まだ何もできない。どうして……
後ろを走る凪紗は、暁継の表情に現れるほんのわずかな変化さえ、すべて見つめていた。
彼女は微笑んだ。そして、一つの考えが頭をよぎる。
あと一押し。それで「例外」が、ようやく整うかもしれない。




