第15話 安全な場所はない
一行はゆっくりと教室を出て、廊下を進んでいった。健太は最後に教室の外へ出たが、まだ震えていて、明らかに出たがっていなかった。いつあの怪物が現れてもおかしくないと思うと、怖くて仕方がなかった。陽菜は凪紗のすぐそばを離れず、彼女に寄り添いながら、周囲に広がる血や割れた窓を見つめていた。
少し進んだところで、暁継は割れた窓の一つから外を覗いた。そして、突然足を止めた。これまであまり気にしていなかったことに気づいたのだ。
「暁継? どうしたの?」
「外の様子がおかしい。静かすぎると思わないか? あれだけ巨大な怪物がいるのに、騒ぎもなければ、何の反応もない。まるで、俺たちしかいないみたいだ」
一行は窓から外を見た。街の一部が見えていたが、車も、明かりも、通りを歩いている人もいなかった。辺りは完全な静寂に包まれていた。
海斗の表情がさらに険しくなった。
「本当だ……。これって、どういうことなんだ?」
「分からない。川瀬さんが言ってたアノマリー……人が消えたっていう現象の一部なのかもしれない」
誰もいない街が意味することに気づいた凪紗は、陽菜を抱き寄せたまま口を開いた。その声には、初めてはっきりとした不安が滲んでいた。
「じゃあ……学園の外にいた人たちも、消えたってこと?」
「そう……。でも、どうしてこんなことが起きたのかは説明できない。ここから出る方法が見つかったら、そのときに確かめよう」
学園の外にいた人たちのことを聞いて、凪紗はさらに不安そうになった。
暁継はすぐにそれに気づいた。これまでずっと、彼女は冷静でいようとしていたからだ。
「川瀬さん、大丈夫?」
「うん、ただ……家族のことを考えてるの。これが学園だけじゃなくて、街全体に起きてるんじゃないかって心配で」
「分かるよ。俺も、こんなことが起きる前から家族のことを考えてた。だから、川瀬さんの気持ちは分かる」
海斗は一行を見回し、張り詰めた空気を和らげようとした。
「みんな心配なのは分かる。でも、まずは移動したほうがいいと思う。何が起きたのかは、俺たちが生き残ってから調べればいい。小声で話してるだけでも、まだ窓の近くにいるんだ。あの化け物がいつまた現れるか分からない」
暁継は頷いた。
「海斗の言う通りだ。外で何が起きてるのかは確かにおかしい。でも、今の俺たちに選択肢はない。今は移動しよう」
凪紗は表情を引き締め、陽菜の歩くのを手助けしながら頷いた。
「うん、行こう」
それから一行は廊下を進み続けた。破壊された教室を一つ、また一つと通り過ぎるたび、その惨状を目にすることで、自分たちが置かれている状況の重さがさらに増していくように感じられた。それでも、彼らは歩き続けた。
やがて、一行は先ほど暁継と海斗が通った、静まり返った廊下へとたどり着いた。血で床や壁が汚れておらず、まだ無事な学園の一部を目にすると、そこだけ別の場所のようにさえ感じられた。
健太はそれを見た瞬間、目を見開いた。
「待って……なんで、ここでは何も起きてないんだ?」
「変だろ? ここを通ったとき、俺と暁継も同じことを思った」
暁継は、先ほど囁き声を聞いた教室の前で足を止めた。
「ここは何もされてない。それもおかしいけど、もっと変なことがある。この教室から囁き声が聞こえてきたのに、中を見たら何もなかった」
暁継はもう一度、教室の入口から中を覗き、声が聞こえないか注意深く耳を澄ませた。
「でも、声はもう聞こえなくなってるみたいだ」
陽菜はさらに怯えた様子を見せた。
「さ、ささやき声……? ゆ、幽霊までいるの? まさか、音を立てなければ安全ってわけでもないの? こんなの、聞いてた話と違うよ……」
「俺が約束したのは、音を立てなければ外の怪物に殺されないってことだ。悪いけど、今の俺には状況を全部理解できてない。だから、それ以上のことまで大丈夫だなんて約束はできない」
健太は、今にも幽霊が現れるんじゃないかと思っているかのように、怯えながら周囲を見回した。
「お、俺……やっぱり教室に残ってればよかった……」
凪紗は陽菜を少しだけ強く引き寄せた。
「落ち着いて、陽菜さん。大丈夫だよ。ちゃんと無事に帰れるから。今は少しだけ我慢しようね」
陽菜はためらいながら頷いた。それから凪紗は健太へ視線を向けた。
「健太くんもね」
健太はまったく納得していない様子だったが、それ以上は何も言わなかった。
凪紗は廊下の先を見つめた。その表情が変わった。まるで、突然何かを思い出したかのようだった。
「この廊下……人が消えたとき、私はここにいた」
「たぶん、それでここは何もされてないんだ。怪物が襲ったのは、人が消えなかった教室だけ。今の俺たちに分かってるのは、音が何か関係してるってことくらいだ」
海斗が続けて、はっきりと言った。
「それなら、鍵のかかる場所を見つけて、電波が戻るまで中にいれば、助けを呼べるかもしれない。もしかしたら、そのまま救助が来るまで待てるかもしれない」
「さっきの考えは、やっぱり現実的じゃないと思う」
「どういうこと?」
「怪物がどこまで音を感知できるのか分からない。ここが無事だったのは、そもそもここには音を立てる人がいなかったからだ。ここなら音を立てても安全だっていう意味じゃない。それに、仮に安全だったとしても、電波がいつ戻るのかも分からないことを忘れないでくれ」
暁継は、誰もいない教室の閉ざされた扉を見つめた。
「外にいた人たちが本当に消えたのかは、まだ分からない。でも、少なくとも中にいた人たちが消えたことは分かってる。それに、正直に言えば、ここに長く留まっていたら、俺たちも学園にいた他の人たちみたいに消える可能性がある」
「俺たちが消える? どうやって?」
「分からない。でも、今はおかしなことがたくさん起きてる。これまで見てきたことを考えたら、俺たちにはそんなことが起きないって、どうして決めつけられる?」
健太は首を横に振り、その可能性を受け入れようとしなかった。
「嫌だ……。俺、消えたくない。凪紗さんがただ見間違えてただけかもしれない。そ、それか……凪紗さん自身がアノマリーの一部で、俺たちを教室から出させて殺そうとしてるのかもしれない」
海斗は眉をひそめ、拳を握りながら健太へ一歩近づいた。
「本気で言ってるのか? お前、どうかしてるんじゃないか? 川瀬はずっと、お前らが落ち着いていられるようにしてくれてたんだぞ。なんでそんなことを考えつくんだよ」
暁継は海斗を止めた。
「海斗、落ち着け。今、俺たち同士で争ってる場合じゃない」
海斗は叫びたかったし、健太を殴りたくもなった。でも、できなかった。大きな音を立てたらどうなるかは、誰もが分かっていた。
凪紗は二人を見つめた。健太の言葉を聞いても、まったく気を悪くした様子はなかった。それどころか、弱々しく微笑んだ。
「そう思わせちゃったなら、ごめんね。でも、私は本当にみんなに無事でいてほしかったの。本当に……」
陽菜はためらいながら凪紗と目を合わせた。
「全部見てきて、怖い……。何を信じればいいのか分からない。でも、私は凪紗さんを信じたい。だから、お願い……ここから出よう?」
「信じてくれてありがとう、陽菜さん」
暁継は凪紗のもとへ歩いていった。
「川瀬さん、二人を落ち着かせてもらえる? 俺は海斗と一緒に、これからどうするか考えてくる。今のところ、ここは安全そうだから」
「うん、分かった」
暁継は頷き、海斗に後についてくるよう合図した。二人は一行から少し離れたところまで歩いていった。
「暁継、どうすればいいと思う? あらゆる可能性を考えたら、実際、安全にいられる場所なんてないんじゃないか?」
ここから出ることもできないし、教室の一つに留まっていれば安全だとも言い切れない。それに、恐怖のせいで、みんなが今の状況をどう捉えるかまで変わり始めてる気がする。
「それにしても……あいつ、凪紗にあんなこと言うなんて、まだ信じられない」
「今は、あいつを責められないと思う。ここにいると、息が詰まりそうになってくる」
海斗は顎を強く引き締め、振り返って一行のほうを見た。
「なんか、俺までどんどん不安になってきた。外から誰も助けに来ない。アノマリーが起きたとき、シグナの部隊がこんなに長く来ないなんて今までなかっただろ。いったい何してるんだ?」
暁継はその場に立ったまま、今の状況で何をするのが一番いいのかを考えていた。そして、しばらくして口を開いた。
「一つだけ、できることがあると思う。みんなと合流しよう」




