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最弱の俺だけが、英雄たちの涙を覚えている  作者: 黒子丸
1章

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4話 小日向さんの買い物事情

放課後の教室には、いつもの賑やかさが戻っていた。


部活動へ向かう生徒や、友達と寄り道の相談をしている生徒たちが、次々と教室を出ていく。


俺はそんな光景を眺めながら、自分の席でスマートフォンをいじっていた。


『ちょっと友達に用事があるから、先に行かないでね!』


昼休みに陽菜から言われた言葉を思い出す。


別に急ぐ用事があるわけでもないし、待つこと自体は構わない。ただ、さっきから腹が減って仕方がなかった。


昼飯はちゃんと食べたんだけどな。


育ち盛りということにしておこう。


「朝倉ー! お待たせ!」


顔を上げると、教室の入口から陽菜が小走りでやってきた。


「おう。用事は済んだのか?」


「うん! ごめんね、待たせちゃって」


「別にいいけど。何してたんだ?」


「友達に、今度作るお菓子を食べてもらえないか聞いてたの」


「へえ。で、どうだった?」


「みんな楽しみにしてるって!」


陽菜は嬉しそうに笑うと、鞄から小さなメモ帳を取り出した。


そこには材料の名前や分量らしい数字が、細かい字でびっしりと書き込まれている。


「……ずいぶん本格的だな」


「買い忘れがあると困るからね。今日は何種類か試してみたい材料もあるんだ」


「何を作るか、もう決めたのか?」


「一応、候補はあるよ。でも、お店で材料を見てから決めようかなって」


「なるほど。じゃあ行くか」


「うん!」


俺たちは鞄を持ち、教室を出た。


***


鳴瀬駅の近くにある大型商業施設、鳴瀬スクエア。


地上四階建ての建物には、飲食店や衣料品店、雑貨店などが入っている。学校帰りの高校生にも人気の場所で、俺も何度か訪れたことがあった。


駅からのアクセスもよく、平日の夕方でもそれなりに人が多い。


「ねえ、朝倉。今日、何か予定あった?」


「ん? 特にないぞ」


「じゃあ、少しゆっくり見て回ってもいい?」


「いいけど、そんなに買うものあるのか?」


「買うものはそんなに多くないんだけど、参考にしたいものがあるんだ」


「参考?」


「うん。ほかのお店のお菓子とか、商品の並べ方とか」


そう言いながら、陽菜は施設の入口にある案内板へ目を向けた。


「最初に一階のお菓子屋さんを見たいな。そのあと材料を買って、時間があったら四階のカフェにも寄りたい」


「……結構回るな」


「嫌だった?」


「いや、別に。どうせ暇だし」


「よかった!」


陽菜は満足そうに笑うと、入口へ向かって歩き始めた。


どうやら今日は、単なる買い物では終わらなさそうだ。


まあ、こいつが楽しそうなら別にいいか。


***


最初に立ち寄ったのは、一階にある洋菓子店だった。


ショーケースには色とりどりのケーキが並び、焼き菓子の棚にはクッキーやフィナンシェがきれいに陳列されている。


陽菜は店に入るなり、ショーケースの前で足を止めた。


「わあ……!」


その声には、隠しきれない喜びが混じっていた。


「見て、朝倉! このタルト、すごくきれい!」


「おお、確かに」


陽菜が指さしたのは、苺がたっぷり載ったタルトだった。


表面には薄く艶がかかっており、果物の並べ方も丁寧だ。


値札を見ると、一切れにしてはなかなかいい値段がついている。


「……高いな」


「もう、そこ?」


「いや、だって一切れでこの値段だぞ?」


「材料も手間もかかってるんだよ。苺の大きさも揃えてあるし、クリームの絞り方もきれいでしょ?」


そう言われて、改めてショーケースを覗き込む。


確かに、ただ果物を載せただけではなさそうだ。


「……そう考えると、作るの大変そうだな」


「うん。私も一回作ってみたんだけど、タルト生地がきれいに焼けなくて」


「そうだったのか」


「焼き縮みしちゃったんだよね。味は悪くなかったんだけど」


陽菜は残念そうに笑った。


普段あれだけ手際よく料理をするこいつでも、思いどおりにいかないことはあるらしい。


「今度また作るのか?」


「うん。そのうちね。でも今日は焼き菓子の方かな」


そう言って、今度はクッキーの棚へ移動する。


陽菜は商品を手に取るわけでもなく、袋の形やラベルをじっくり眺めていた。


「……何見てるんだ?」


「包装。こういう袋だと中身がよく見えるし、シールも貼りやすそうだなって」


「なるほど」


「それに、友達に配るなら、持ち運びやすい方がいいでしょ?」


「確かにな。鞄の中で粉々になったら悲しいし」


「あはは。それは嫌だね」


陽菜はメモ帳を開き、何かを書き足した。


俺はその横顔を眺めながら、ふと思った。


こいつは、こういうことを考えているときが一番楽しそうだ。


学校で友達と話しているときも、俺をからかっているときも、よく笑っている。


けれど、料理やお菓子の話になると、それとは少し違う表情をする。


単に好きというだけじゃなく、本気で自分のものにしようとしているというか。


……うまく説明できないけど。


「朝倉?」


「ん?」


「どうしたの? ぼーっとして」


「いや、お前って本当にお菓子作るの好きなんだなって」


「えっ?」


陽菜は一瞬きょとんとしたあと、照れくさそうに笑った。


「うん。好きだよ」


それから、もう一度ショーケースへ目を向ける。


「でも、好きなだけじゃお店はできないからね」


「……そうなのか?」


「そうだよ。美味しいものを作れれば、それだけでいいってわけじゃないし」


陽菜は棚に並んだ焼き菓子を見ながら続けた。


「値段とか、材料のこととか、どれくらい日持ちするかとか。考えること、いっぱいあるんだよね」


「……大変だな」


「うん。でも、そういうのも面白いよ」


陽菜は笑った。


俺は思わず感心してしまう。


将来のことなんて、まだぼんやりとしか考えていない自分とは大違いだ。


「……お前、すげえな」


「えっ、急にどうしたの?」


「いや、本気で店やりたいんだなって思って」


「……うん」


陽菜は少しだけ視線を落とした。


「まだ、できるかどうかはわからないけどね」


その声は、さっきまでより少し小さかった。


俺が何か言おうとすると、陽菜はすぐに顔を上げる。


「でも、やってみないとわからないし!」


「……そうだな」


「だから、今のうちにいろいろ勉強しておきたいんだ」


「なるほどな」


俺は頷いた。


こいつがこんなに真剣に考えているなら、俺も適当に付き合うわけにはいかないだろう。


……まあ、できることといえば、試食して感想を言うくらいなんだけど。


「じゃあ、今日はちゃんと見て回るか」


「え?」


「いや、参考にしたいんだろ? だったら遠慮しなくていいぞ」


陽菜は一瞬驚いたような顔をしたあと、嬉しそうに笑った。


「……ありがと、朝倉!」


「おう。ただし、帰りが遅くなりすぎるのは勘弁な」


「わかってるって!」


……本当にわかっているのだろうか。


少し不安になったが、今さら言っても仕方がない。


俺は陽菜と一緒に、次の店へ向かった。


***


製菓材料の専門店は、同じ一階の奥にあった。


棚には小麦粉や砂糖、チョコレートなどの定番商品だけでなく、見慣れない材料も数多く並んでいる。


陽菜は入口近くで買い物かごを手に取ると、さっそく棚を見始めた。


「朝倉、ちょっとこれ見て」


「ん?」


「このチョコレート、前に使ったものよりカカオの割合が高いんだって」


「へえ。苦いのか?」


「たぶんね。でも、甘い生地と合わせたらちょうどよさそう」


「なるほど」


正直、細かい違いまではよくわからない。


ただ、陽菜が真剣に悩んでいることだけは伝わってくる。


「こっちの方がいいかな……でも、少し高いし……」


陽菜は二つの商品を見比べていた。


「予算とか決めてるのか?」


「うん。試作だから、あんまり材料費をかけすぎたくなくて」


「じゃあ、今回は安い方にしてみたらどうだ?」


「でも、味も比べたいんだよね」


「……なら、両方買うしかないんじゃねえの?」


「それだと予算オーバーなんだってば」


「難しいな、お菓子作り」


「でしょ?」


陽菜は苦笑しながら、もう一度商品を見比べた。


結局、今回は安い方を選ぶことにしたらしい。


「高い方は、もう少しレシピが固まってから試してみる」


「おう。それがいいんじゃないか」


そう答えると、陽菜は小さく頷いた。


買い物を続けるうちに、かごの中には小麦粉やチョコレート、包装用の袋などが増えていった。


「……結構買ったな」


「そうかな?」


「最初、そんなに買わないって言ってなかったか?」


「必要なものだけだよ?」


「……まあ、そういうことにしとくか」


陽菜は笑いながらレジへ向かった。


俺もその後ろについていく。


会計を終えると、陽菜は購入した商品を袋へ詰め始めた。


「はい、朝倉」


当然のように袋を差し出される。


「……やっぱり俺が持つのか」


「お願いしてもいい?」


「まあ、最初からそのつもりだったけどな」


俺は袋を受け取った。


昼休みに運んだ段ボール箱と比べれば、ずっと軽い。


これくらいなら問題ないだろう。


「ありがと!」


「おう。で、次はどこだ?」


「四階のカフェ! ちょっと気になるメニューがあるんだ」


「まだ行くのか……」


「さっき、ゆっくり見ていいって言ったじゃん!」


「言ったけどさ」


陽菜は楽しそうに笑いながら、エスカレーターの方へ歩き始めた。


俺もその後を追いかける。


途中、通路の向こうにある案内板が目に入った。


施設の奥へ続く通路には、一般客が立ち入れないよう、関係者専用の表示が出ている。


その先では、制服姿の作業員が何かを運んでいた。


「……ん?」


一瞬、作業員の一人が慌てた様子で奥へ駆け込んでいくのが見えた。


何かあったのだろうか。


そう思ったが、すぐに別の作業員が現れ、通路の扉を閉めてしまった。


まあ、仕事中なのだろう。


俺が気にすることでもないか。


「朝倉ー! 早くー!」


前方から陽菜の声がした。


「ああ、今行く!」


俺は足を速め、陽菜の後を追いかけた。


せっかくの放課後だ。


余計なことを考えるより、今はこいつの買い物に付き合う方がいいだろう。


そう思いながら、俺たちは四階へ向かうエスカレーターに乗った。

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