4話 小日向さんの買い物事情
放課後の教室には、いつもの賑やかさが戻っていた。
部活動へ向かう生徒や、友達と寄り道の相談をしている生徒たちが、次々と教室を出ていく。
俺はそんな光景を眺めながら、自分の席でスマートフォンをいじっていた。
『ちょっと友達に用事があるから、先に行かないでね!』
昼休みに陽菜から言われた言葉を思い出す。
別に急ぐ用事があるわけでもないし、待つこと自体は構わない。ただ、さっきから腹が減って仕方がなかった。
昼飯はちゃんと食べたんだけどな。
育ち盛りということにしておこう。
「朝倉ー! お待たせ!」
顔を上げると、教室の入口から陽菜が小走りでやってきた。
「おう。用事は済んだのか?」
「うん! ごめんね、待たせちゃって」
「別にいいけど。何してたんだ?」
「友達に、今度作るお菓子を食べてもらえないか聞いてたの」
「へえ。で、どうだった?」
「みんな楽しみにしてるって!」
陽菜は嬉しそうに笑うと、鞄から小さなメモ帳を取り出した。
そこには材料の名前や分量らしい数字が、細かい字でびっしりと書き込まれている。
「……ずいぶん本格的だな」
「買い忘れがあると困るからね。今日は何種類か試してみたい材料もあるんだ」
「何を作るか、もう決めたのか?」
「一応、候補はあるよ。でも、お店で材料を見てから決めようかなって」
「なるほど。じゃあ行くか」
「うん!」
俺たちは鞄を持ち、教室を出た。
***
鳴瀬駅の近くにある大型商業施設、鳴瀬スクエア。
地上四階建ての建物には、飲食店や衣料品店、雑貨店などが入っている。学校帰りの高校生にも人気の場所で、俺も何度か訪れたことがあった。
駅からのアクセスもよく、平日の夕方でもそれなりに人が多い。
「ねえ、朝倉。今日、何か予定あった?」
「ん? 特にないぞ」
「じゃあ、少しゆっくり見て回ってもいい?」
「いいけど、そんなに買うものあるのか?」
「買うものはそんなに多くないんだけど、参考にしたいものがあるんだ」
「参考?」
「うん。ほかのお店のお菓子とか、商品の並べ方とか」
そう言いながら、陽菜は施設の入口にある案内板へ目を向けた。
「最初に一階のお菓子屋さんを見たいな。そのあと材料を買って、時間があったら四階のカフェにも寄りたい」
「……結構回るな」
「嫌だった?」
「いや、別に。どうせ暇だし」
「よかった!」
陽菜は満足そうに笑うと、入口へ向かって歩き始めた。
どうやら今日は、単なる買い物では終わらなさそうだ。
まあ、こいつが楽しそうなら別にいいか。
***
最初に立ち寄ったのは、一階にある洋菓子店だった。
ショーケースには色とりどりのケーキが並び、焼き菓子の棚にはクッキーやフィナンシェがきれいに陳列されている。
陽菜は店に入るなり、ショーケースの前で足を止めた。
「わあ……!」
その声には、隠しきれない喜びが混じっていた。
「見て、朝倉! このタルト、すごくきれい!」
「おお、確かに」
陽菜が指さしたのは、苺がたっぷり載ったタルトだった。
表面には薄く艶がかかっており、果物の並べ方も丁寧だ。
値札を見ると、一切れにしてはなかなかいい値段がついている。
「……高いな」
「もう、そこ?」
「いや、だって一切れでこの値段だぞ?」
「材料も手間もかかってるんだよ。苺の大きさも揃えてあるし、クリームの絞り方もきれいでしょ?」
そう言われて、改めてショーケースを覗き込む。
確かに、ただ果物を載せただけではなさそうだ。
「……そう考えると、作るの大変そうだな」
「うん。私も一回作ってみたんだけど、タルト生地がきれいに焼けなくて」
「そうだったのか」
「焼き縮みしちゃったんだよね。味は悪くなかったんだけど」
陽菜は残念そうに笑った。
普段あれだけ手際よく料理をするこいつでも、思いどおりにいかないことはあるらしい。
「今度また作るのか?」
「うん。そのうちね。でも今日は焼き菓子の方かな」
そう言って、今度はクッキーの棚へ移動する。
陽菜は商品を手に取るわけでもなく、袋の形やラベルをじっくり眺めていた。
「……何見てるんだ?」
「包装。こういう袋だと中身がよく見えるし、シールも貼りやすそうだなって」
「なるほど」
「それに、友達に配るなら、持ち運びやすい方がいいでしょ?」
「確かにな。鞄の中で粉々になったら悲しいし」
「あはは。それは嫌だね」
陽菜はメモ帳を開き、何かを書き足した。
俺はその横顔を眺めながら、ふと思った。
こいつは、こういうことを考えているときが一番楽しそうだ。
学校で友達と話しているときも、俺をからかっているときも、よく笑っている。
けれど、料理やお菓子の話になると、それとは少し違う表情をする。
単に好きというだけじゃなく、本気で自分のものにしようとしているというか。
……うまく説明できないけど。
「朝倉?」
「ん?」
「どうしたの? ぼーっとして」
「いや、お前って本当にお菓子作るの好きなんだなって」
「えっ?」
陽菜は一瞬きょとんとしたあと、照れくさそうに笑った。
「うん。好きだよ」
それから、もう一度ショーケースへ目を向ける。
「でも、好きなだけじゃお店はできないからね」
「……そうなのか?」
「そうだよ。美味しいものを作れれば、それだけでいいってわけじゃないし」
陽菜は棚に並んだ焼き菓子を見ながら続けた。
「値段とか、材料のこととか、どれくらい日持ちするかとか。考えること、いっぱいあるんだよね」
「……大変だな」
「うん。でも、そういうのも面白いよ」
陽菜は笑った。
俺は思わず感心してしまう。
将来のことなんて、まだぼんやりとしか考えていない自分とは大違いだ。
「……お前、すげえな」
「えっ、急にどうしたの?」
「いや、本気で店やりたいんだなって思って」
「……うん」
陽菜は少しだけ視線を落とした。
「まだ、できるかどうかはわからないけどね」
その声は、さっきまでより少し小さかった。
俺が何か言おうとすると、陽菜はすぐに顔を上げる。
「でも、やってみないとわからないし!」
「……そうだな」
「だから、今のうちにいろいろ勉強しておきたいんだ」
「なるほどな」
俺は頷いた。
こいつがこんなに真剣に考えているなら、俺も適当に付き合うわけにはいかないだろう。
……まあ、できることといえば、試食して感想を言うくらいなんだけど。
「じゃあ、今日はちゃんと見て回るか」
「え?」
「いや、参考にしたいんだろ? だったら遠慮しなくていいぞ」
陽菜は一瞬驚いたような顔をしたあと、嬉しそうに笑った。
「……ありがと、朝倉!」
「おう。ただし、帰りが遅くなりすぎるのは勘弁な」
「わかってるって!」
……本当にわかっているのだろうか。
少し不安になったが、今さら言っても仕方がない。
俺は陽菜と一緒に、次の店へ向かった。
***
製菓材料の専門店は、同じ一階の奥にあった。
棚には小麦粉や砂糖、チョコレートなどの定番商品だけでなく、見慣れない材料も数多く並んでいる。
陽菜は入口近くで買い物かごを手に取ると、さっそく棚を見始めた。
「朝倉、ちょっとこれ見て」
「ん?」
「このチョコレート、前に使ったものよりカカオの割合が高いんだって」
「へえ。苦いのか?」
「たぶんね。でも、甘い生地と合わせたらちょうどよさそう」
「なるほど」
正直、細かい違いまではよくわからない。
ただ、陽菜が真剣に悩んでいることだけは伝わってくる。
「こっちの方がいいかな……でも、少し高いし……」
陽菜は二つの商品を見比べていた。
「予算とか決めてるのか?」
「うん。試作だから、あんまり材料費をかけすぎたくなくて」
「じゃあ、今回は安い方にしてみたらどうだ?」
「でも、味も比べたいんだよね」
「……なら、両方買うしかないんじゃねえの?」
「それだと予算オーバーなんだってば」
「難しいな、お菓子作り」
「でしょ?」
陽菜は苦笑しながら、もう一度商品を見比べた。
結局、今回は安い方を選ぶことにしたらしい。
「高い方は、もう少しレシピが固まってから試してみる」
「おう。それがいいんじゃないか」
そう答えると、陽菜は小さく頷いた。
買い物を続けるうちに、かごの中には小麦粉やチョコレート、包装用の袋などが増えていった。
「……結構買ったな」
「そうかな?」
「最初、そんなに買わないって言ってなかったか?」
「必要なものだけだよ?」
「……まあ、そういうことにしとくか」
陽菜は笑いながらレジへ向かった。
俺もその後ろについていく。
会計を終えると、陽菜は購入した商品を袋へ詰め始めた。
「はい、朝倉」
当然のように袋を差し出される。
「……やっぱり俺が持つのか」
「お願いしてもいい?」
「まあ、最初からそのつもりだったけどな」
俺は袋を受け取った。
昼休みに運んだ段ボール箱と比べれば、ずっと軽い。
これくらいなら問題ないだろう。
「ありがと!」
「おう。で、次はどこだ?」
「四階のカフェ! ちょっと気になるメニューがあるんだ」
「まだ行くのか……」
「さっき、ゆっくり見ていいって言ったじゃん!」
「言ったけどさ」
陽菜は楽しそうに笑いながら、エスカレーターの方へ歩き始めた。
俺もその後を追いかける。
途中、通路の向こうにある案内板が目に入った。
施設の奥へ続く通路には、一般客が立ち入れないよう、関係者専用の表示が出ている。
その先では、制服姿の作業員が何かを運んでいた。
「……ん?」
一瞬、作業員の一人が慌てた様子で奥へ駆け込んでいくのが見えた。
何かあったのだろうか。
そう思ったが、すぐに別の作業員が現れ、通路の扉を閉めてしまった。
まあ、仕事中なのだろう。
俺が気にすることでもないか。
「朝倉ー! 早くー!」
前方から陽菜の声がした。
「ああ、今行く!」
俺は足を速め、陽菜の後を追いかけた。
せっかくの放課後だ。
余計なことを考えるより、今はこいつの買い物に付き合う方がいいだろう。
そう思いながら、俺たちは四階へ向かうエスカレーターに乗った。




