3話 最弱の日常
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「おっ、朝倉! 助かる!」
教室の後ろで声をかけると、学級委員の男子がほっとした顔をした。
足元には大きな段ボール箱が三つ。どれも上までぎっしりと資料が詰め込まれており、見るからに重そうだった。
「これ、どこまで運べばいいんだ?」
「講堂だよ。午後の学年集会で使うんだけど、先生から昼休みのうちに運んでおいてくれって頼まれてさ」
「講堂か……結構遠いな」
俺たちの教室がある二階から講堂までは、階段を下りて渡り廊下を通らなければならない。手ぶらなら何ともない距離だが、これだけの荷物を運ぶとなると話は別だ。
「ほかのクラスの分は?」
「そっちは各クラスで運ぶって。俺も誰かに頼もうとは思ってたんだけど、気づいたら昼休みになっちゃって」
「なるほどな」
つまり、まだ三箱とも手つかずというわけか。
俺は一番手前の箱にしゃがみ込み、底へ手をかけた。
「じゃあ、とりあえず一個持ってくわ」
「おう、頼む!」
膝を伸ばしながら持ち上げる。
「……っ、おも……!」
予想以上の重さに、思わず声が漏れた。
箱は床から離れたものの、腕にずっしりと負担がかかる。中に入っているのはただの冊子のはずだが、これだけ詰まっていると馬鹿にならない。
何とか腰の高さまで持ち上げたところで、学級委員が心配そうに声をかけてきた。
「大丈夫か?」
「……おう、余裕」
「顔、めちゃくちゃ険しいけど」
「元からこういう顔なんだよ」
我ながら苦しい言い訳だった。
しかも、箱を抱えて歩き出そうとした途端、底の部分がわずかにたわんだ。
「うおっ」
慌てて動きを止める。どうやら重さに耐えきれていないらしい。
このまま運んで底が抜けたら、廊下に大量の資料をぶちまけることになる。
……それはさすがに勘弁してほしい。
「朝倉、それ一回置いた方がいいんじゃない?」
振り返ると、いつの間にか陽菜が近くまで来ていた。
「いや、でも……」
「箱、破れそうだよ?」
「……だよな」
俺は大人しく箱を床へ戻した。
重さから解放された腕が、少しだけじんじんする。
たった数秒持っただけでこれか。
情けない話だが、この箱を抱えたまま講堂まで運ぶのは無理そうだった。
「中身、分けて運んだ方がよさそうだな」
「そうだね。箱も古そうだし」
陽菜が箱の底を確認する。角のあたりには、以前使われていたテープの跡が残っていた。
「先生、もう少し丈夫な箱にしてくれればよかったのに……」
学級委員がぼやいた。
そのとき、背後から声がした。
「何やってんの?」
振り返ると、同じクラスの男子が二人、こちらを覗き込んでいた。
事情を説明すると、そのうちの一人が段ボール箱に手を伸ばす。
「ああ、資料運び? だったら俺が持つよ」
「えっ、いいのか?」
「うん。これくらいなら平気だし」
そう言って、男子は箱の両側へ手をかけた。
持ち上げる直前、彼の腕に淡い光のようなものが走る。
次の瞬間、さっきまで俺が苦戦していた箱が、あっさりと持ち上がった。
「……おお」
思わず声が出た。
確か、この男子は自分の筋力を一時的に高める異能力を持っていたはずだ。
授業で聞いたことはあったが、こうして目の前で使われると、やっぱり驚く。
「すげえな。全然重そうに見えねえ」
「いや、普通に重いぞ。持てるってだけで」
男子は笑いながら答えた。
「それに、あんまり長く使いたくないしな。講堂まで一箱なら運べると思うけど」
「……そっか」
能力を使えば、俺には持てないものでも持ち上げられる。
けれど、その代わりに何かを失っている。
ついさっきの授業で聞いた話が、頭をよぎった。
「じゃあ、一箱だけ頼めるか?」
学級委員が尋ねる。
「おう。残りは誰かと分けて運んでくれ」
「わかった。助かる!」
男子は箱を持ち直した。
その姿を見ながら、俺は自分の両手を見下ろす。
さっきまであれだけ苦労していたのに、あいつは簡単に持ち上げてしまった。
能力が違うのだから、当たり前だ。
そんなことはわかっている。
それでも、ちょっと悔しい。
「朝倉?」
陽菜に呼ばれて顔を上げた。
「どうしたの?」
「……いや、何でもねえよ」
俺は残った二つの箱へ視線を戻した。
ここで落ち込んでいても仕方がない。
まだ荷物は残っているのだ。
「とりあえず、中身を減らすか」
「そうだね。私も手伝うよ」
「悪いな」
「ううん。みんなでやった方が早いでしょ?」
陽菜はそう言うと、箱の中から冊子を何冊か取り出した。
俺も隣にしゃがみ、資料を分け始める。
だが、十冊ほど抱えてみたところで気づいた。
……これ、何往復するんだ?
三つの箱には、それぞれ何十冊もの資料が入っている。
少しずつ運んでいたら、昼休みが終わってしまうかもしれない。
俺は積み重ねられた冊子を見つめた。
何か、もっと楽な方法はないものだろうか。
***
「……あっ」
ふと、あるものを思い出した。
「なあ、学級委員」
「ん?」
「台車って借りられないのか?」
「台車?」
「ほら、職員室の近くにあるだろ。掃除道具とか段ボール運ぶやつ」
「ああ、あれか!」
学級委員も思い出したらしい。
「でも、勝手に使っていいのかな」
「そこは先生に聞けばいいだろ」
「……確かに」
学級委員は一瞬考えたあと、手を打った。
「ちょっと確認してくる!」
そう言って教室を飛び出していく。
残された俺たちは、顔を見合わせた。
「……最初から台車使えばよかったな」
俺が呟くと、陽菜が笑った。
「朝倉も、最初から思いつけばよかったのにね」
「それを言うなよ。俺だって今気づいたんだから」
「ふふっ。でも、いい考えだと思うよ」
陽菜は取り出していた資料を箱へ戻した。
俺も作業を止め、学級委員が戻ってくるのを待つ。
しばらくすると、廊下の向こうから車輪の音が聞こえてきた。
「借りられたぞー!」
学級委員が台車を押して戻ってきた。
「先生に事情話したら、使っていいって!」
「おお、よかったな」
「あと、運ぶ前に資料の数を確認しておけって言われた。クラスごとに枚数が決まってるらしい」
「なるほど。じゃあ、先に数えるか」
俺たちは箱の中身を確認し、資料を種類ごとにまとめ直した。
同じ冊子でも、配布先のクラスによって数が違うらしい。適当に分けて運んでいたら、後で面倒なことになっていたかもしれない。
陽菜が冊子の束を揃え、学級委員が数を確認する。
俺は空になった箱を台車へ載せ、その上に資料を積み直していった。
「これで全部か?」
「うん。数も合ってる!」
「よし、じゃあ行くか」
学級委員と二人で台車を押し始める。
思ったよりも動きは滑らかで、少し力を入れるだけで進んでくれた。
これなら楽勝だ。
……と思ったのも束の間。
「……あ」
廊下の突き当たりにある階段を見て、俺は足を止めた。
そうだった。
講堂は一階にある。
つまり、この台車を下ろさなければならないわけだ。
「……どうする?」
学級委員が尋ねる。
「いや、さすがに階段は無理だろ」
「だよな……」
しばらく二人で階段を見つめる。
まさか、ここで行き詰まるとは思わなかった。
「ねえ、朝倉」
後ろからついてきていた陽菜が口を開いた。
「エレベーター、使えないのかな?」
「……あ」
そういえば、この校舎には荷物の運搬にも使えるエレベーターがあった。
普段、生徒が勝手に使うことはできないが、先生の許可があれば利用できるはずだ。
「……忘れてた」
「朝倉らしいね」
「今のは褒めてないだろ」
「うん」
「即答するな!」
陽菜は楽しそうに笑った。
俺たちは再び学級委員へ確認を頼み、職員室で許可を取ってもらった。
結局、エレベーターを使えることになり、荷物は思っていたよりも簡単に一階へ運ぶことができた。
そこから渡り廊下を通り、講堂の入口まで台車を押していく。
途中、小さな段差に引っかかる場面もあったが、三人で台車を支えながら慎重に越えた。
そして、ようやく講堂へ到着する。
「……よし、終わった!」
最後の資料を所定の場所へ置き、俺は大きく伸びをした。
学級委員もほっとした様子で息を吐く。
「いやー、本当に助かった。ありがとう!」
「いいって。俺もそんな大したことしてねえし」
「いや、台車のこと言ってくれなかったら、絶対もっと時間かかってたぞ」
「……そうか?」
「ああ。助かったよ」
改めて礼を言われると、少し照れくさい。
俺は曖昧に笑いながら、頭をかいた。
そのとき、最初の箱を運んでくれた能力者の男子が講堂の奥から戻ってきた。
「おっ、そっちも終わった?」
「ああ。お前もありがとな」
「どういたしまして。……って、台車使ったのか。そっちの方が楽だったな」
「だろ? 俺も途中で気づいたんだよ」
「最初から使えばよかったじゃん」
「……それ、今日何回言われるんだろうな」
俺がぼやくと、みんなが笑った。
まあ、確かにそのとおりなんだけど。
結局、能力者の力だけで全部を運んだわけでもなければ、俺が一人で何とかしたわけでもない。
誰かが箱を持ち、誰かが台車を用意し、誰かが資料の数を確認する。
そうやって役割を分けたからこそ、無事に終わったのだ。
……何だ。
案外、こういうものなのかもしれない。
***
教室へ戻る途中、陽菜が隣を歩きながら声をかけてきた。
「朝倉、さっきのよかったね」
「ん?」
「台車のこと。あれ、すごく助かったと思うよ」
「……まあ、結果的にはな」
「結果的に?」
「いや、最初は箱を持ち上げることしか考えてなかったからさ。もう少し早く思いつけばよかったなって」
陽菜は少し考えてから、首を傾げた。
「でも、途中で気づけたんだからいいんじゃない?」
「そうか?」
「うん。最初から全部うまくいく人なんて、そんなにいないと思うよ」
「……まあ、それはそうかもな」
実際、俺は最初の箱すらまともに運べなかった。
能力者の男子が持ち上げたときは、ちょっと悔しかったし、自分の非力さが情けなくもなった。
だが、だからといって、何もできなかったわけじゃない。
台車を使うことを思いついたのは俺だし、陽菜がエレベーターのことを教えてくれたおかげで、最後まで運べた。
それぞれができることをやっただけだ。
「……なあ、陽菜」
「ん?」
「俺、さっきちょっと悔しかったんだよな」
「悔しかった?」
「ああ。箱を持ち上げられなかったとき。あいつは簡単に持てたのに、俺には無理だったからさ」
自分で言っていて、少し情けなくなる。
別に勝負をしていたわけでもないのに、勝手に張り合って、勝手に落ち込んでいるのだから。
陽菜は少し意外そうな顔をした。
「そうだったんだ」
「……まあ、くだらない話だけどな」
「くだらなくはないと思うよ」
「そうか?」
「うん。でも、朝倉は朝倉で、ちゃんと役に立ってたじゃん」
陽菜はそう言って、小さく笑った。
「私、最初に台車のこと言われたとき、全然思いつかなかったもん」
「……エレベーターには気づいたけどな」
「それはそうだけど」
「じゃあ、お互い様ってことか」
「そうだね」
陽菜が頷く。
俺は少しだけ肩の力を抜いた。
何も持っていないから、何もできない。
そんなふうに考える必要はないのかもしれない。
もちろん、異能力者みたいに特別なことができるわけじゃないし、今日みたいに情けない失敗をすることだってある。
けれど、自分にできることを探すくらいなら、俺にもできる。
……まあ、だからといって、能力が欲しくなくなったわけではないけど。
「それにしても、朝倉」
「ん?」
「さっき、みんなにお礼言われたとき、ちょっと嬉しそうだったよね」
「……そうか?」
「うん。顔に出てたよ」
「お前、ほんと人の顔よく見てるな」
「朝倉がわかりやすいだけだよ」
「……悪かったな」
陽菜は楽しそうに笑った。
俺もつられて笑いながら、教室へ向かう。
昼休みは、もう残り少ない。
戻ったらすぐに午後の授業が始まるだろう。
「そういえば、放課後の買い物、忘れてないよね?」
陽菜が思い出したように尋ねてきた。
「忘れてねえよ。商店街の店だろ?」
「うん。ちょっと寄りたいところが増えたんだけど、いい?」
「別に構わないけど、どこだ?」
「鳴瀬スクエア。製菓材料のお店も入ってるし、ついでに見たいものがあるんだ」
「ああ、あそこか」
鳴瀬スクエアは、駅の近くにある大型商業施設だ。
飲食店や雑貨店、衣料品店などが入っていて、休日にはかなりの人で賑わっている。
確か、陽菜がよく行く製菓材料の専門店もあったはずだ。
「いいぞ。どうせ暇だし」
「ほんと? ありがとう!」
「ただし、あんまり重いものは買うなよ。今日だけで十分荷物運んだんだから」
「ふふっ。大丈夫だよ。そんなに買わないと思うから」
「……その言い方、信用していいのか?」
「えー? 信用してよ!」
陽菜は笑いながら、少しだけ歩く速度を上げた。
俺もその後を追いかける。
放課後は買い物か。
まあ、悪くない。
今日みたいに慌ただしい日には、のんびり店を見て回るのもいいだろう。
……もっとも、陽菜の買い物が本当に「ちょっと」で済むかどうかは、かなり怪しいところだが。
教室へ戻ると、午後の授業開始を知らせる予鈴が鳴った。
俺は自分の席へ向かいながら、軽く伸びをする。
さて、とりあえず、次の授業を乗り切るとしよう。




