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最弱の俺だけが、英雄たちの涙を覚えている  作者: 黒子丸
1章

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17/19

16話 思い出せない顔

月曜日の朝。


俺は学校へ向かう道を歩きながら、大きなあくびをした。


「……眠い」


「朝からそればっかりだね」


隣を歩く陽菜が呆れたように笑う。


「仕方ないだろ。月曜日なんだから」


「月曜日じゃなくても眠いって言ってる気がするけど」


「気のせいだ」


「絶対気のせいじゃないよ」


昨日は結局、買ってきた漫画を読み終えたあと、気になる場面を確かめようと前の巻まで読み返してしまった。気づけば日付が変わっていて、慌てて寝たものの、当然ながら睡眠時間は足りていない。


……まあ、後悔はしていない。


面白かったし。


「そういえば朝倉、昨日買った漫画どうだった?」


「めちゃくちゃ面白かったぞ。今回、主人公が結構追い詰められてさ」


「へえ、そうなんだ」


「最後の展開がまたすごくてな。敵だと思ってたやつが――」


「待って待って!」


陽菜が慌てて俺の話を遮った。


「それ、ネタバレじゃない?」


「……あ」


「私もいつか読もうと思ってたのに」


「悪い。危なかった」


「もう。朝倉って、好きなものの話になると止まらないんだから」


そう言いながらも、陽菜は楽しそうに笑っていた。


俺たちはそのまま学校へ向かう。


いつもの通学路。いつもの時間。周囲には同じ制服を着た生徒たちがいて、友達同士で話しながら歩いている。


そんな光景を眺めていると、昨日の出来事がふと頭をよぎった。


駅前で見かけた、黒い上着の男だ。何度も後ろを振り返りながら歩いていた姿が、妙に頭に残っている。


結局、あれからも誰に似ていたのか思い出せなかった。


「……なあ、陽菜」


「ん?」


「昨日、駅前で俺が立ち止まったとき、いた男覚えてるか?」


「ああ、知り合いに似てるって言ってた人?」


「そうそう」


陽菜は少し考えるように首を傾げた。


「うーん……ごめん。私はちゃんと見てなかったかも」


「そっか」


「どうしたの? 知り合いだった?」


「いや、それが思い出せなくてさ」


「そんなに気になるの?」


「……まあ、ちょっとな」


俺が曖昧に答えると、陽菜は不思議そうな顔をした。


「朝倉が、そこまで気にするなんて珍しいね」


「何だよ、それ」


「だって、入学してしばらく同じクラスの子の名前覚えてなかったでしょ?」


「……それは」


「ふふっ」


反論できなかった。


実際、俺は人の顔や名前を覚えるのが得意というわけではない。特に、普段あまり話さない相手となると、顔を見たことがあっても名前が出てこないことはよくある。


昨日の男にしても、顔をはっきり見たわけではなかった。それなのに、急いで歩いていく後ろ姿に、どこか見覚えがある気がしたのだ。


……まあ、勘違いかもしれないけど。


「考えてないときに、急に思い出したりするんじゃない?」


「……そうだといいけどな」


「私も、何か忘れたと思ってたら、寝る前に思い出すことあるよ」


「それ、次の日までに必要なやつだったら困るだろ」


「うん。だから、そのときはちょっと焦る」


陽菜は苦笑した。


そこで話は終わり、俺たちはいつもどおり校門をくぐった。


***


午前の授業は、特に何事もなく終わった。


数学では途中から先生の説明についていけなくなり、英語では当てられた問題に答えられず、クラスの何人かに笑われた。


……おかしいな。


別にふざけていたわけじゃないんだけど。


「朝倉、さっきの英語すごかったね」


昼休みになり、弁当を取り出していると陽菜が話しかけてきた。


「……何が?」


「先生に『もう一度お願いします』って三回も言ってたところ」


「だって何言ってるかわかんなかったんだよ」


「最後、日本語で説明してもらってたもんね」


「……あれは助かった」


陽菜は肩を震わせて笑っている。


人が真剣に困っていたというのに、随分と楽しそうだ。


「そんなに笑うなら、今度お前も当てられればいいんだ」


「私はちゃんと予習してるもん」


「……裏切り者め」


「何で!?」


くだらないやり取りをしながら弁当を食べていると、陽菜がふと顔を上げた。


「そういえば、今日って神崎さんとお昼一緒に食べられるかな?」


「ああ、どうだろうな」


先週、三人で話すようになってから、陽菜は随分と神崎を気に入ったらしい。


もっとも、神崎の方も嫌がっている様子はない。金曜日の訓練でも普通に話していたし、昨日も偶然会ったときには楽しそうだった。


「連絡してみれば?」


「うん。そうしてみる!」


陽菜はスマートフォンを取り出した。


しばらくして、画面を確認した陽菜が嬉しそうに笑う。


「神崎さん、今日は購買でパン買ってから来るって!」


「へえ。じゃあ、先に食ってるか」


「うん!」


近くの生徒に声をかけ、使っていない椅子を一つ借りる。俺たちは弁当を食べながら、神崎が来るのを待つことにした。


数分後、教室の入口から見覚えのある黒髪の少女が顔を覗かせた。


「小日向さん、朝倉。お邪魔してもいいかしら?」


「神崎さん! こっちこっち!」


陽菜が手を振る。


神崎は軽く会釈してから、俺たちの席へやってきた。


「悪いな、わざわざこっちまで来てもらって」


「別に構わないわ。購買の帰りだし」


そう言いながら、神崎は空いている椅子に腰を下ろした。手にはサンドイッチと小さな紙パックの飲み物を持っている。


「……神崎、それで足りるのか?」


「え?」


「昼飯。それだけ?」


「ええ。今日はあまりお腹が空いていないから」


「マジか。俺だったら五時間目まで持たねえな」


「あなたと一緒にしないでちょうだい」


即答された。


陽菜が笑う。


「朝倉、昨日は朝ご飯がお昼近くだったもんね」


「……ちゃんと食ったぞ」


「十一時に起きたって言ってたでしょ?」


「休日だったんだから仕方ないだろ」


神崎が呆れたように俺を見る。


「それで、今朝は眠そうにしていたの?」


「……夜、漫画読んでたら遅くなって」


「本当に、生活習慣を見直した方がいいと思うわよ」


「……はい」


何だか、最近説教してくる人間が増えた気がする。


俺は残っていた卵焼きを口へ運んだ。


***


昼食を終えたあとも、俺たちはそのまま教室で話していた。


陽菜が昨日買ったお菓子の型の写真を見せると、神崎が興味深そうに画面を覗き込む。


「これが、昨日話していた型なのね」


「そうなんです! 今度、これで小さなケーキを焼いてみようかなって」


「素敵ね。完成したら見てみたいわ」


「よかったら、神崎さんにも食べてもらいたいな」


「いいの?」


「もちろん!」


陽菜は嬉しそうに頷いた。


「朝倉にも試食してもらってるんですけど、もっといろんな人の感想を聞きたくて」


「なるほどね」


神崎が俺の方を見る。


「朝倉は、ちゃんと感想を伝えられているの?」


「……何で疑うんだよ」


「あなた、何を食べても『美味い』って言いそうだから」


「……否定できない」


二人が笑った。


……まあ、実際そうなんだけどな。


「でも、一昨日はちゃんと違いを教えてくれたんですよ」


陽菜が言った。


「甘めの方が好きだって。何個でも食べられそうって言ってくれたの」


「あら、意外ね」


「……意外って何だよ」


「褒めてるのよ」


「絶対嘘だろ」


神崎は楽しそうに笑った。


その笑顔を見て、俺もつられて笑ってしまう。


少し前までは、廊下ですれ違っても名前すら知らなかった相手だ。それが今では、こうして昼休みに一緒に話している。


……まあ、悪くないな。


そう思っていたところで、神崎がふと口を開いた。


「そういえば、昨日はあのあと、どこかへ寄ったの?」


「はい! 途中でコンビニに寄って帰りました」


陽菜が答える。


「神崎さんは?」


「私は、そのまま帰ったわ。買った参考書を少し見ておきたかったから」


「……ちゃんと開いたのか」


「買っただけで終わりにするつもりはないもの」


神崎に言われ、俺は口を閉じた。


本棚へ入れたまま、ほとんど開いていない問題集が家にある。


何となく、そのことまで見抜かれた気がした。


「……朝倉」


「ん?」


「昨日、交差点で何か見ていたでしょう。知り合いだったの?」


……ああ。


あの男のことか。


「いや、まだ誰なのか思い出せてないんだよ」


「そう。少し気にしていたみたいだったから」


「朝も、その話してたんです」


陽菜が口を挟む。


「見覚えがある気がするんだけど、誰に似てるのかわからないって」


俺は、昨日見かけた男について説明した。


黒い上着を着ていて、肩には小さなバッグをかけていた。何度も後ろを振り返りながら歩いていて、その後ろ姿に見覚えがある気がしたのだ。


「……なるほど」


話を聞き終えた神崎は、少し考えるように顎へ手を当てた。


「顔は見えたの?」


「ほんの一瞬だけ。しかも結構離れてたし、顔には覚えがなかったんだよな」


「それなら、勘違いかもしれないわね」


「だよな」


俺もそう思っている。


ただ、何となく引っかかるのだ。


「……もしかして」


陽菜が小さく声を漏らした。


「ん?」


「鳴瀬スクエアで見た人だったりしない?」


その言葉に、俺は思わず顔を上げた。


「……え?」


「ほら、一昨日のニュースで、管理区域に誰かが入ってたかもしれないって言ってたでしょ?」


「……ああ」


「朝倉、前にその通路へ入っていく人を見たって話してたよね。後ろ姿って言ってたから、もしかしたらと思ったんだけど」


あの日の光景を思い返す。


陽菜と店を回っている途中、関係者専用の表示が出た通路を見た。その奥へ、誰かが急いで入っていったのだ。


顔は、はっきり見ていない。服装も、作業員のようだったという程度の記憶しかなかった。


ただ、足早に通路へ向かっていく後ろ姿は、何となく頭に残っている。


昨日の男も、人の間を抜けるように歩いていた。


「……あれ?」


似ていた、気がする。


けれど、本当に同じ人間だったのかと聞かれれば、答えられなかった。今の話を聞いて、そう思い始めただけかもしれない。


「朝倉?」


神崎が声をかける。


「……いや、もしかしたらって思っただけ」


「どういうこと?」


「鳴瀬スクエアで見たやつと、昨日の男。何となく似てる気がしてさ」


神崎は少し表情を引き締めた。


「……同じ人だったの?」


「わかんねえ。そもそも、あのときも顔はちゃんと見てないし」


「そう……」


陽菜も、少し困ったように眉を寄せた。


「じゃあ、別の人かもしれないね」


「ああ。その可能性はある」


俺は頷いた。


急いで歩いている人間なんて、珍しくない。わざわざ事件と結びつけるのは、考えすぎなのかもしれない。


「……でも」


神崎が静かに口を開いた。


「もし気になるなら、橘さんに伝えてみてもいいんじゃない?」


「……え?」


「前に、通路で見た人のことを聞かれたんでしょう?」


「ああ、まあ」


「だったら、昨日こういう人を見たって伝えるだけでもいいと思うわ」


俺は少し考えた。


確かに、連絡するだけなら難しいことではない。ただ、相手がまったく関係ない人間だったらどうする?


俺の曖昧な記憶のせいで、余計な仕事を増やすことになるかもしれない。


「……でも、勘違いかもしれないぞ?」


「それも含めて伝えればいいじゃない」


神崎は落ち着いた声で言った。


「同じ人だったと決めつける必要はないわ。見たことと、そう感じたことを分けて話せばいいのよ」


「……なるほど」


確かに、それならいいのかもしれない。


陽菜も頷いた。


「うん。私もそう思う。朝倉が一人で確かめようとするより、橘さんに任せた方がいいよ」


「いや、さすがに追いかけたりはしねえよ」


「なら、いいんだけど」


陽菜は少し安心したように笑った。


俺も弁当箱の蓋を閉めながら、もう一度考える。


自分で同じ人物だと確かめる必要はない。昨日見たことを伝えて、あとは任せればいいのだ。


「……わかった。あとで連絡してみるわ」


***


放課後。


帰りのホームルームを終えた俺は、鞄を持って教室を出た。


陽菜は日直の仕事が残っているらしく、先に昇降口で待っていてほしいと言われている。


階段を下りたあと、廊下の端へ寄ってスマートフォンを取り出した。連絡先には、以前電話をかけてきた橘玲奈の番号が残っている。


……さて。


本当にかけていいものか。


昼休みには連絡しようと思ったものの、いざ電話するとなると少し緊張する。


相手は異常現象対策庁の職員だ。逃げた犯人のこともあるし、忙しいに決まっている。


そんな人に、「似てる気がしたんですけど」と伝えるのは、さすがに気が引けた。


……やっぱり、やめとくか。


画面を閉じかけたところで、一昨日のニュースを思い出した。


施設の管理区域に、関係者以外の人物が立ち入っていた可能性がある。


もし、本当に同じ人物だったら。


俺が何かできるわけではないにしても、黙っているのは何となく落ち着かなかった。


「……ええい、もういいや」


俺は通話ボタンを押した。


数回の呼び出し音のあと、電話がつながる。


『はい、橘です』


「あっ、えっと……朝倉です。朝倉悠真です」


『朝倉さん?』


電話の向こうで、少し驚いたような声がした。


『どうされましたか?』


「あの、前に鳴瀬スクエアのことで電話もらったじゃないですか」


『ええ。覚えています』


「それで、ちょっと気になることがあって……今、お話ししても大丈夫ですか?」


『はい。大丈夫ですよ』


俺は昨日の出来事を説明した。


駅前で男を見かけたこと。その男が何度も後ろを振り返りながら歩いていて、どこかで見たような気がしたこと。


そして、今日になって陽菜と話し、鳴瀬スクエアで見かけた人物かもしれないと思ったことも伝えた。


話しているうちに、自分でも随分と曖昧な説明をしていると思った。


「……すみません。結局、同じ人かどうか全然わかんないんですけど」


『いえ。ご連絡ありがとうございます』


橘さんの声は落ち着いていた。


『念のため、いくつか確認してもよろしいですか?』


「あ、はい」


『その人物を見かけたのは、昨日の日曜日ですね。時間帯は覚えていますか?』


「えっと……三時前くらいだったと思います」


『場所は、駅前のどの辺りでしょうか?』


「ショッピングセンターから出て、駅の方に向かうところの交差点です」


『その人物は、どちらへ歩いていきましたか?』


俺は昨日の光景を思い出した。


「……横断歩道を渡って、そのまま駅とは反対側の通りに入っていきました」


『なるほど』


電話の向こうから、何かを書き留めるような音が聞こえた。


『服装についてはどうでしょう?』


「黒っぽい上着と、暗い色のズボンだったと思います。あと、小さいバッグを肩にかけてました」


『顔や年齢は?』


「……すみません。そこまでは」


『わかりました』


橘さんは短く答えたあと、少し間を置いた。


『鳴瀬スクエアで見かけた人物と似ていると感じたのは、どういったところでしょうか?』


「急いで歩いてる後ろ姿、ですかね……。でも、具体的にどこがって言われると、上手く言えなくて」


『同じ人物だと判断できる、はっきりした特徴までは思い当たらない、ということでしょうか』


「……はい。正直、そうです」


俺は空いている方の手で、鞄の持ち手を握り直した。


「友達に言われて、そうかもしれないって思っただけなんで、勘違いかもしれません」


『わかりました。ただ、見かけた場所と時刻がわかるだけでも、確認できることはあります』


「……そうなんですか?」


『ええ。必要であれば、周辺の防犯カメラなども調べられますから』


なるほど。


そういうものなのか。


『それと、朝倉さん』


「はい?」


『もし今後、似た人物を見かけても、追いかけたり声をかけたりしないでくださいね』


「……ああ、はい」


『今回の人物が事件と関係しているかは、現段階ではわかりません。ただ、万が一ということもありますから』


「わかりました」


『ご協力ありがとうございました。いただいた情報はこちらで確認します』


「あ、はい。よろしくお願いします」


『それでは、失礼します』


通話が切れた。


俺はスマートフォンを見下ろし、大きく息を吐いた。


「……緊張した」


ただ電話しただけなのに、妙に疲れた。


まあ、これで気になっていたことは伝えられた。あとは橘さんたちに任せればいいだろう。


俺はスマートフォンをポケットへしまい、昇降口へ向かった。


***


「お待たせ、朝倉!」


しばらくして、陽菜が小走りでやってきた。


「おう。日直終わったのか?」


「うん! 黒板消して、日誌を先生に出してきたよ」


「お疲れ」


「ありがとう。……あれ、朝倉?」


「ん?」


「何か疲れてない?」


「……まあ、ちょっとな」


俺は先ほど橘さんに電話したことを話した。


すると、陽菜は少し驚いたように目を丸くした。


「えっ、もう連絡したの?」


「ああ。帰る前に済ませとこうと思って」


「そっか……」


陽菜はそう言って、少しだけ笑った。


「よかった」


「……何が?」


「ちゃんと話せたならよかったなって。朝から気にしてたでしょ?」


「まあな。でも、結局同じ人だったのかはわかんねえぞ」


「それでも、気になってたことは伝えられたんだし、いいんじゃない?」


「……そうだな」


俺たちは靴を履き替え、校門へ向かった。


外はまだ明るく、グラウンドでは運動部の生徒たちが練習している。その掛け声を聞きながら歩いていると、陽菜がふと思い出したようにこちらを向いた。


「そういえば、朝倉」


「ん?」


「来月の試験、そろそろ勉強始めないとね」


「……やめろ」


「えっ?」


「せっかく電話終わって安心したのに、もっと怖い話を持ち出すな」


「もう! 試験は怖いものじゃないでしょ!」


「俺にとっては十分怖いんだよ」


陽菜は声を上げて笑った。


俺もつられて笑う。


事件のことは専門家に任せたが、試験の方はそうもいかない。


今日の数学だって、黒板の式を写すので精いっぱいだった。あれを試験前日に全部理解しようとするのは、さすがに無理がある気がする。


「……なあ、陽菜」


「ん?」


「今度、勉強教えてくれないか?」


「いいよ!」


陽菜は即答した。


「でも、ちゃんと自分でも勉強するんだよ?」


「……善処します」


「もう、その返事!」


陽菜の笑い声が、夕方の通学路に響いた。


***


その日の夜。


鳴瀬支部の執務室で、橘玲奈は一枚の報告書に目を通していた。


夕方、朝倉悠真から受けた連絡をまとめたものだ。


男を見かけたのは、日曜日の午後三時前。場所は駅前の交差点付近だったという。


黒い上着に暗い色のズボンを身につけ、肩には小さなバッグをかけていた。服装だけなら、特に珍しいものではない。


悠真は鳴瀬スクエアで見かけた人物に似ていると感じたものの、同じ人物だと判断できる特徴までは覚えていなかった。


「……朝倉悠真、か」


玲奈は小さく呟いた。


以前の聞き取りでも、この少年は曖昧な記憶を無理に断定しようとはしなかった。今回も、自分が実際に見たことと、あとから知人と話して考えたことを分けて説明していた。


ただ、それで記憶の正しさまで保証されるわけではない。


玲奈は報告書を机へ置き、端末に保存された監視映像を開いた。


鳴瀬スクエアの管理区域へ通じる廊下が映し出される。


再生すると、一人の人物が現れ、急ぎ足で通路の奥へ進んでいった。


顔は確認できない。服装もありふれており、この映像だけで身元を特定するのは難しかった。


ただ、通路へ入った時刻は、大柄な男が一階で騒ぎを起こす少し前だった。


玲奈は映像を停止し、施設側から提出された出入りの記録を開いた。画面の時刻と、資料に記された内容をもう一度見比べる。


「……やっぱり、おかしいわね」


その時間帯に、該当する通路を使用したと確認できる従業員の記録はなかった。


もちろん、記録漏れの可能性もある。だが、施設側への確認でも、まだこの人物の身元はわかっていなかった。


玲奈は椅子の背もたれに身体を預けた。


大柄な男が騒ぎを起こす直前、別の人物が管理区域へ入っていた。


二つの出来事が偶然重なっただけなのか、それとも何か関係があるのか。今の段階では、どちらとも言えない。


机の上の報告書へ、もう一度目を向ける。


悠真が昨日見た男が、映像の人物と同じだとは限らない。それでも、目撃した場所と時刻がわかっているなら、確かめておく価値はあった。


玲奈は端末へ向き直り、駅前周辺の映像確認を依頼する文面を作成した。


目撃場所と時刻、男が進んだ方向を書き込み、人物の同一性は未確認であることも添える。


送信を終えると、停止したままの監視映像へ目を戻した。


通路の奥へ向かう後ろ姿を、しばらく見つめる。


「……どこへ行ったのかしらね」


玲奈は小さく呟き、映像の続きを再生した。

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