↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
最弱の俺だけが、英雄たちの涙を覚えている  作者: 黒子丸
1章

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

11/17

10話 事件の翌日

翌朝、俺は目覚ましが鳴るよりも先に目を覚ました。


枕元に置いていたスマートフォンを手に取ると、画面には午前六時四十二分と表示されている。いつもなら、あと一時間は寝ていてもおかしくない時間だ。


「……早すぎだろ」


昨日はあれだけ疲れていたのに、夜中に何度も目が覚めた。ようやく眠れたと思ったら、今度は妙に早起きしてしまったらしい。


まあ、原因はわかっている。


鳴瀬スクエアでの事件だ。


大勢の買い物客が逃げ惑う姿。金属がひしゃげる音。すぐ近くで聞こえた男の怒鳴り声。思い出そうとしなくても、昨日の光景が勝手に頭に浮かんでくる。


「……勘弁してくれよ」


俺は枕に顔を埋めた。


せっかく事件が終わって、家に帰ってこられたというのに、寝ている間まで付き合わされるとは思わなかった。


もっとも、あれだけのことがあった翌日に、何事もなかったように眠れる方がおかしいのかもしれない。


しばらく布団の中でごろごろしていたが、どうにも眠れそうにない。仕方なく身体を起こし、スマートフォンを確認する。


ニュースアプリから、いくつか通知が届いていた。


その中に、見覚えのある施設の名前を見つける。


『鳴瀬スクエアで異能力者が暴走 容疑者は現在も逃走中』


「……は?」


思わず声が出た。


俺は慌てて記事を開く。


昨日、鳴瀬スクエアで設備を破壊していた男は、駆けつけた異常現象対策庁の職員によって追い詰められたものの、施設内の混乱に乗じて逃走したらしい。


幸い、命に関わる怪我をした人はいなかったようだが、避難中に転倒するなどして、複数の負傷者が出ているという。


「……逃げたのかよ、あいつ」


てっきり捕まったものだと思っていた。


昨日、俺が建物を出る直前には対策庁の人たちが駆けつけていたし、その後に神崎が外へ出てきたときも、それほど慌てている様子はなかった。


だから、もう事件は終わったものだと勝手に思い込んでいたのだ。


「……マジかぁ」


思わず天井を仰ぐ。


昨日あれだけ暴れていた男が、今もどこかをうろついているらしい。


それはさすがに怖い。


とはいえ、だからといって俺に何かできるわけでもない。警察と対策庁が捜しているというのだから、あとは専門家に任せるしかないだろう。


俺は記事を閉じ、ベッドから降りた。


「……とりあえず、朝飯だな」


腹が減っては何とやら、である。


冷蔵庫を開けると、卵と食パン、それから飲みかけの牛乳が目に入った。


……うん。いつもどおりだ。


俺はフライパンを取り出し、コンロに火をつけた。


***


午前七時半。


トーストと目玉焼きという、我ながら無難な朝食を食べ終えたところで、スマートフォンが震えた。


『おはよう! 今日は起きてる?』


陽菜からだった。


『起きてるぞ。しかも朝飯も食った』


『えっ、本当に!?』


『そんなに驚くことか?』


『だって朝倉だし』


……ひどい言われようである。


俺だって、やろうと思えば朝飯くらい作れるのだ。普段はその気になる前に二度寝してしまうだけで。


『今日は七時五十分くらいに出ようと思ってるけど、一緒に行く?』


時計を見ると、まだ二十分ほど余裕があった。


『おう。玄関前で待ってる』


『了解!』


俺はスマートフォンをしまい、食器を片づけ始めた。


それにしても、朝から自分で飯を作ったなんて、なかなか珍しいことをした気がする。


もしかして、今日はいい日になるんじゃないだろうか。


……いや、昨日の今日でそれはないか。


***


「おはよう、朝倉!」


約束の時間に部屋を出ると、隣の扉から陽菜が顔を出した。


「おう。おはよう」


「今日は本当に早いね。いつもこうだったらいいのに」


「たまに早起きしたくらいで、そんな無茶言うなよ」


「無茶なんだ……」


陽菜は呆れたように笑ったが、すぐに少しだけ表情を変えた。


「……昨日、ちゃんと眠れた?」


「まあ、途中で何回か起きたけどな。お前は?」


「私も、ちょっと寝つけなかった」


「……そっか」


陽菜は小さく頷いた。


いつもならもう少し軽口を叩くところだが、昨日のことを考えると、さすがに何も言えなかった。


俺たちは並んで階段を下り、学校へ向かう。


住宅街には、いつもどおりの朝が広がっていた。犬の散歩をする人や、駅へ急ぐ会社員。制服姿の学生たちも、特に変わった様子はない。


「……あ、そうだ。陽菜、ニュース見たか?」


「昨日の事件?」


「ああ。あの男、逃げたらしいぞ」


「……えっ?」


陽菜が足を止めた。


「捕まったんじゃなかったの?」


「俺もそう思ってた。でも、ニュースには逃走中って書いてあった」


スマートフォンを取り出し、記事の画面を見せる。


陽菜はしばらく黙って読んでいたが、やがて不安そうに眉を寄せた。


「……まだ捕まってないんだ」


「みたいだな」


「また誰かが怪我したりしないかな……」


「……どうだろうな」


適当なことを言って安心させるのも違う気がした。


昨日のあいつを見た限り、簡単に大人しくなるとは思えない。かといって、再び事件を起こすかどうかなんて俺にはわからない。


「まあ、警察も対策庁も捜してるんだろ。俺たちができるのは、変なところに近づかないことくらいじゃね?」


「……うん。そうだね」


陽菜は頷いたものの、まだ少し心配そうだった。


俺はスマートフォンをしまい、再び歩き出す。


「それに、昨日は神崎もいたしな」


「神崎さん?」


「ああ。あいつ、めちゃくちゃ強かっただろ」


「そうだね。……でも、神崎さんも怪我してたよ?」


「……あー、確かに」


昨日、陽菜が絆創膏を渡したときのことを思い出す。


右手の甲にできた、小さな擦り傷。


あれだけの能力を持っていても、怪我をしないわけじゃないらしい。


「……そういえば、神崎さんって結構有名なんだよ」


陽菜が言った。


「学校で?」


「うん。同じ二年生だし、能力のこともあるから」


「へえ。俺、全然知らなかったわ」


「昨日もびっくりしたよ。朝倉、本当に知らなかったんだね」


「他クラスの生徒なんて、そんなに覚えてないだろ」


「まあ、朝倉は休み時間に寝てること多いもんね」


「……それは関係なくないか?」


「あると思うよ?」


陽菜が楽しそうに笑う。


俺は返す言葉もなく、肩をすくめた。


そんな話をしているうちに、学校が見えてきた。


***


教室へ入ると、予想どおり昨日の事件が話題になっていた。


「なあ、犯人まだ逃げてるらしいぞ」


「マジで? 近くにいたらやばくね?」


「昨日あそこに買い物行こうと思ってたんだけど、行かなくてよかったわ」


あちこちから聞こえてくる会話に、俺は小さくため息をついた。


……まあ、そりゃそうだよな。


学校からそう遠くない場所で、あれだけの事件が起きたのだ。しかも、犯人はまだ捕まっていない。


俺だって当事者じゃなかったら、同じように話していただろう。


自分の席に座ると、近くにいた男子が声をかけてきた。


「おい、朝倉。お前、昨日鳴瀬スクエアにいたんだって?」


「……ああ」


「マジかよ! 大丈夫だったのか?」


「見てのとおり、ピンピンしてる」


「いや、そうじゃなくてさ。犯人とか見た?」


「……見たぞ」


「マジで!?」


男子が身を乗り出してくる。


「どんなやつだった?」


「でかくて、怖そうな男」


「……それだけ?」


「それだけって言われてもな。俺だって逃げるので精いっぱいだったんだぞ」


「そりゃそうか……」


男子は少し残念そうにしながらも、それ以上は聞いてこなかった。


俺は鞄から教科書を取り出し、机の上へ置く。


そのとき、教室の後ろから声が聞こえてきた。


「そういえば、昨日の事件に神崎がいたらしいぞ」


「神崎って、二年C組の?」


「そうそう。能力使って犯人と戦ったんだって」


「え、あいつそんなに強いの?」


「前からすごいって噂だったじゃん」


どうやら、神崎のことも話題になっているらしい。


俺は何となく窓の外へ目を向けた。


昨日、あんな危険な男と戦っていたことを考えると、すごい能力者だと噂されるのもわかる気がする。


ただ、本人はどう思っているのだろう。


……まあ、会ったら聞いてみるか。


そんなことを考えていると、担任が教室へ入ってきた。


「ほら、席につけー。ホームルーム始めるぞ」


俺たちは慌てて自分の席へ戻った。


***


午前中の授業が終わり、昼休みになった。


弁当を食べ終えた俺は、自動販売機で飲み物を買おうと教室を出た。


昨日の事件のせいで学校全体が落ち着かないのかと思っていたが、そんなことはなかった。昼休みになれば、みんな普段どおりに騒いでいる。


俺もその一人だ。


一階の自動販売機で缶コーヒーを買い、教室へ戻ろうとしたところで、廊下の向こうから見覚えのある少女が歩いてきた。


長い黒髪に、整った顔立ち。


神崎凛だった。


「あっ」


思わず声が漏れる。


神崎もこちらに気づいたらしく、足を止めた。


「……朝倉、だったわよね?」


「おう。昨日ぶり」


「ええ。昨日ぶりね」


神崎は小さく頷いた。


「……無事に学校に来られたのね」


「そりゃ来るだろ。別に怪我してないし」


「そう。ならよかった」


短い返事だったが、昨日のように険しい表情ではなかった。


「神崎は何してたんだ?」


「図書室に本を返しに行ってたの」


「へえ。真面目だな」


「……本を返しただけで?」


「俺なんて借りた本、返却日の前日に慌てて読むタイプだから」


「それ、最初から読む気がないんじゃない?」


「あるわ! 借りたときは!」


「……借りたときは、ね」


神崎は呆れたように首を振った。


その口元が、ほんの少しだけ緩む。


「……お前、意外と遠慮なく言うんだな」


「何が?」


「いや、昨日はもっと近寄りがたい感じだったからさ」


「……今も十分失礼なんだけど」


「悪い悪い」


「本当にそう思ってる?」


「半分くらい」


「……正直ね」


神崎はため息をついたが、怒っている様子ではなかった。


昨日は危険な男と戦っていたから、ずっと真剣な顔をしていた。こうして普通に話してみると、案外冗談も通じるらしい。


「そういえば、手は大丈夫なのか?」


俺が尋ねると、神崎は少し不思議そうな顔をした。


「手?」


「ほら、昨日怪我してただろ」


「ああ、これね」


神崎は右手を持ち上げた。


手の甲には、小さな絆創膏が貼られている。


「大丈夫よ。朝、貼り替えたから」


「ちゃんと手当てしたんだな」


「……あなた、私を何だと思ってるの?」


「いや、昨日あれだけ大したことないって言ってたから」


「大したことないのと、放っておくのは別でしょ。悪化したら面倒だもの」


「……意外と現実的だな」


「普通だと思うけど」


神崎はそう言って、絆創膏の端を軽く押さえた。


「そういえば、昨日一緒にいた子……小日向さん、だったかしら」


「ん? 陽菜がどうかしたか?」


「あの子にも、お礼を伝えておいてくれる? 絆創膏、助かったから」


「ああ、わかった」


「それと……心配してくれたことも」


最後の言葉は、少しだけ声が小さかった。


俺は思わず神崎の顔を見る。


「……何?」


「いや、ちゃんと礼言うんだなと思って」


「……失礼ね。私だってお礼くらい言うわよ」


「悪い悪い」


「……本当に一言多いわね、あなた」


呆れたように言いながらも、神崎は少し笑っていた。


「……そういや、ニュース見たぞ」


俺が話題を変えると、神崎の表情がわずかに引き締まった。


「昨日の事件?」


「ああ。あの男、逃げたんだってな」


「……ええ」


「てっきり捕まったもんだと思ってた」


「私たちも追い詰めたんだけど、最後に逃げられたの」


神崎は少し悔しそうに答えた。


「対策庁の人たちが追跡してるから、いずれ捕まるとは思うけど……」


「……そっか」


昨日、あれだけの戦いをした神崎でも、逃げられてしまったらしい。


まあ、相手も能力者だし、そう簡単にはいかないか。


「でも、神崎が無事でよかったよ」


何となくそう言うと、神崎が目を瞬かせた。


「……え?」


「いや、あいつの攻撃、めちゃくちゃ危なかっただろ。ニュース見て、もしかして怪我でもしたのかと思ってさ」


「……ああ」


神崎は一瞬だけ視線を逸らした。


「……ありがとう。でも、私は大丈夫よ」


「そっか。ならよかった」


俺が頷くと、神崎は少しだけ困ったような顔をした。


「……あなたって、変わってるわね」


「は?」


「いや、普通はもっと能力のことを聞いてくるから」


「……あー」


そういえば、朝から神崎の能力について話している連中もいた。


「『本当にあの男と戦ったの?』とか、『能力見せて』とか。今日だけでも何回か聞かれたわ」


「うわ、面倒くさそう」


「面倒くさいわよ。特に、能力を見せろって言われても、学校で勝手に使えるわけないでしょ」


「そりゃそうだな。うっかり校舎切ったら大惨事だし」


「……あなた、私がそんなことすると思ってる?」


「いや、しないだろうけど」


「だったら言わないで」


神崎が半眼でこちらを見る。


俺は思わず笑ってしまった。


「でも、能力のことは気にならないの?」


「気になるぞ。めちゃくちゃ」


「……そうなの?」


「ああ。昨日のあれ、すごかったしな。どうやって光の刃なんか出してんのか、正直聞きたいことは山ほどある」


「……じゃあ、どうして聞かないの?」


「いや、今は昼休みだし。それに、聞いたところで俺が使えるようになるわけでもないだろ?」


俺がそう答えると、神崎は少しだけ目を丸くした。


「……それは、そうだけど」


「まあ、そのうち教えてくれよ。嫌じゃなかったら」


「……ええ。機会があればね」


神崎は小さく頷いた。


その表情が、さっきより少しだけ柔らかくなった気がした。


「……それと、朝倉」


「ん?」


「昨日は、あの女性を助けてくれてありがとう」


思いがけない言葉に、俺は目を瞬かせた。


「……え?」


「年配の女性よ。私が備品を切ったあと、あなたが支えてくれたでしょ」


「ああ、あれか」


「私、あの人が転ぶところまでは防げなかったから」


神崎は自分の右手へ視線を落とした。


「切れば止められると思ったけど、破片の動きまでは抑えられなかった。……あれは私の判断ミスだったわ」


昨日のことを思い出す。


あのとき、神崎は男と戦いながら、周囲の人々まで守ろうとしていた。


正直、俺からすれば十分すごかったと思う。


それなのに、本人は助けきれなかった部分を気にしているらしい。


「……いや、お前が切ってくれなかったら、もっと危なかったと思うぞ」


「それでも、危険だったことに変わりはないでしょ」


「……まあな」


「だから、そこは反省してる」


神崎はそう言ってから、俺を見た。


「でも、あなたが支えてくれたおかげで、あの人は転ばずに済んだ。それは本当だから」


俺は少しだけ言葉に詰まった。


まさか、あの神崎凛からそんなことを言われるとは思っていなかった。


「……そっか」


「ええ」


「じゃあ、お互い様ってことにしとくか。俺だってお前に助けられたし」


そう答えると、神崎は一瞬だけ驚いたような顔をした。


それから、小さく笑った。


「……そうね。それでいいと思う」


そのとき、廊下に予鈴が鳴り響いた。


「あっ、やべ」


俺は壁の時計を見る。


昼休みが終わるまで、あと五分もない。


「……俺、そろそろ戻るわ」


「ええ。私も戻るところ」


「じゃあ、またな」


「……朝倉」


「ん?」


神崎は少しだけ迷うような顔をしたあと、口を開いた。


「……昨日のこと、あまり気にしすぎないでね」


「……え?」


「あなた、避難してるときに何度も謝ってたでしょ」


「ああ……まあ」


確かに、昨日はいろいろと失敗した。


あのときは必死だったとはいえ、もう少し落ち着いていれば、余計な混乱を招かずに済んだかもしれない。


「……次は気をつけるよ」


そう答えると、神崎は頷いた。


「ええ。それでいいと思う」


「……じゃあな」


「またね」


神崎は軽く手を上げ、廊下の向こうへ歩いていった。


俺はその後ろ姿を見送りながら、缶コーヒーを開ける。


一口飲むと、少し苦かった。


「……やっぱ砂糖入りにすればよかったな」


今さら後悔しても遅い。


俺は残りのコーヒーを片手に、教室へ向かった。


***


放課後。


帰りのホームルームが終わり、俺が鞄に教科書を詰め込んでいると、陽菜が声をかけてきた。


「朝倉、今日一緒に帰れる?」


「おう。特に予定ないぞ」


「よかった!」


俺たちは昇降口で靴を履き替え、校門へ向かった。


「そういえばさ、陽菜」


「ん?」


「今日、神崎に会ったぞ」


「えっ、神崎さんに?」


「ああ。昼休みに偶然な」


「へえ。元気そうだった?」


「おう。手の怪我もちゃんと手当てしてた」


「そっか。よかった」


陽菜は安心したように笑った。


「あと、お前にお礼言っといてくれってさ。昨日の絆創膏と、心配してくれたこと」


「えっ、そんなことまで?」


「ああ」


「……そっか」


陽菜は少し嬉しそうに頷いた。


「神崎さん、優しい人なんだね」


「優しい……かどうかは微妙だな」


「え?」


「いや、結構ズバズバ言ってくるぞ。俺、昼休みだけで何回失礼って言われたかわからん」


「……それ、朝倉が変なこと言ったんじゃないの?」


「なぜわかる」


「だって朝倉だし」


……何だよ、その絶対的な信頼は。


陽菜は楽しそうに笑った。


「でも、よかったね。少し仲良くなれたみたいで」


「まあな。思ってたより話しやすかった」


「……そっか」


陽菜は小さく頷いた。


「私も今度会ったら、ちゃんと挨拶したいな」


「いいんじゃねえの? 同じ学校なんだし」


「うん!」


そんな話をしながら、俺たちはいつもの通学路を歩いていった。


夕方の住宅街には、学校帰りの生徒たちの声が響いている。


昨日の事件が嘘だったみたいに、普段と変わらない光景だった。


……ただ、一つだけ違うことがある。


昨日、あれだけ暴れていた男は、まだ捕まっていない。


俺は何となく周囲を見回した。


もちろん、こんな住宅街にあの男がいるわけじゃないだろう。


……たぶん。


「朝倉?」


「ん?」


「どうしたの?」


「いや、何でもない」


俺は首を振った。


考えても仕方がない。


犯人を捕まえるのは、警察と対策庁の仕事だ。俺は普通に学校へ行って、飯を食って、陽菜とくだらない話をしていればいい。


そのはずだった。


ポケットの中で、スマートフォンが震えたのは、そのときだった。


「……ん?」


取り出してみると、見知らぬ番号からの着信だった。


普段なら無視するところだが、昨日、警察に連絡先を伝えている。もしかすると、その関係かもしれない。


「陽菜、ちょっと待って」


「どうしたの?」


「知らない番号から電話。昨日の件かもしれない」


「そっか。じゃあ、ここで待ってるね」


俺は頷き、通話ボタンを押した。


「……もしもし」


『朝倉悠真さんのお電話でお間違いないでしょうか』


聞こえてきたのは、落ち着いた女性の声だった。


「あ、はい。そうですけど」


『突然のお電話、失礼いたします。私、異常現象対策庁・鳴瀬支部の橘玲奈と申します』


「……対策庁?」


思わず聞き返す。


昨日、神崎と一緒に現場で動いていた人たちが所属する組織だ。


ニュースでは何度も聞いたことがあるが、まさか直接連絡が来るとは思わなかった。


『昨日、鳴瀬スクエアで発生した事件について、確認したいことがありまして。今、お時間はよろしいでしょうか』


「……あ、はい。大丈夫です」


『ありがとうございます。実は、昨日の避難状況について調査を進めているのですが――』


俺はスマートフォンを握り直した。


昨日の事件。


逃げた男。


そして、対策庁からの突然の電話。


……何だか、面倒なことになりそうだな。


俺は小さく息を吐き、電話の続きを聞いた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。