009話 ~ 二足歩行の適用
いつまでも続くような草原。
気が付けば、馬車の轍が大きく刻まれた街道に交じり合っていた。
どうやらリーナは、大きな街を目指しているようだった。
さっき手に入れた大量の肉を、歩きながら乾燥させている。
当然だが、俺の背中にも肉が引っ掛けられていた。
(……効率的だから、まあいいだろう)
当たり前だが、街道ですれ違う商人のキャラバンに度々出会う。
大概は、俺を見ても怪しげな目を向けるだけで、そのまますれ違っていく。
だが中には、興味を持ったのか、馬車の速度を落として声を掛けてくる者もいた。
「おい、そこのお嬢ちゃん。……と、その……従者? の旦那」
馬車の御者台に座った、恰幅のいい商人がこちらを覗き込んでいる。
彼の視線は、俺の顔――頭蓋骨と、そこからぶら下がっている「ミミズ肉」の間を何度も往復していた。
「……ワン(なんだ?)」
俺が短く鳴くと、商人はびくりと肩を揺らした。
だがすぐに、商売人らしい好奇心が勝ったようだ。
「珍しい『骨』だな。いや、そっちの肉のことだ。……いい匂いをさせているよな。たぶんだが『グランド・ワーム』の肉じゃないか?」
「うん、そうだよ。安くするから買ってくれる?」
「ちょっと味見はいいかい」
リーナはポーチから小型のナイフを取り出し、自分の持っている肉をスライスした。
それを商人の男に渡すと、男はしっかりと味わうように何度も噛みしめる。
「これはミルキー系だな。こいつは滅多に見ない、苦みがほとんどないワームだ」
俺は、このやり取りの行き先が読めず、不安を覚えていた。
男も「むむう」と唸りながら考え込んでいるが、それはどうやら商売の計算らしい。
(値を測っているのか。それとも、足元を見ているだけか……)
商人は最後の一片を飲み込むと、真剣な眼差しでリーナを見た。
「お嬢ちゃん、これはいい代物だ。街のギルドに持ち込めばそれなりの値はつくが……どうだい、今ここで俺が全部引き取らせてもらえないか?」
「全部? いいよ! ポチ、これでお金持ちになれるかな?」
リーナが天真爛漫に笑い、俺の背中をポンと叩く。
干し肉がカサリと音を立てた。
「ああ、もちろんだ。……ただし、一つ条件がある。この『ミルキー・ワーム』が獲れた場所を教えてほしい。それから、もしよければ――」
商人は言葉を切り、俺の頭蓋骨をじっと見つめた。
「この骨の旦那、ただの動く骨じゃないだろ? 意思があるような動きをする。……もしかして、そっちも『商品』だったりしないかい?」
(……俺も商品になるのか。……一体、いくらの値が付く)
「ポチは売り物じゃないからダメ。それにこのワームはどこかに住み着く性質じゃないって、じいちゃんが言ってたよ。……たぶんね、音で誘い出せばいいんだと思う」
「音……本当かい? ……まあいい、買わせてもらうとするよ」
見覚えのある丸い硬貨。そんな気はするが、気のせいだろうか。
俺の背中からはすっかり肉の重みが消え、代わりにリーナのポーチが心地よい重さを立てるようになっていた。
「もしかして渡した金が少ないと思うかもしれないが、これからしばらくは上手く乾燥させないとならないからな。わかっているだろうけどな」
そんなことをわざわざ言わなくてもいい。
ただ実際、相場よりは少なかったのかもしれない。男は別れ際に、独り言のように俺たちに注意を促してきた。
「ラデーヌギルドが、お前たちを探しているかもしれないな」
去っていく馬車を見送りながら、俺はその「ラデーヌ」という単語を脳内のデータベースにインデックス登録した。
「ポチぃ、どうする? ラデーヌって私たちの村を襲った奴らだよ。誘拐してお金を要求したり、そのまま他の大陸まで連れていっちゃうんだからね」
そう、リーナだけならまだ紛れ込めるだろうが、俺のこの姿では、連中に一発で特定される。
碑文の情報を追う以上、街に入る必要がある。
このままでは、目的と生き残ることが、ぶつかっている。
「……ワン(参ったな)」
俺は自分の骨の手を見つめ、脳内で回避策を組み立て始めようとした時だ。
「そうだポチっ。私がそのボロっているフードとマントにそこの植物でパッチをしてあげるよ。ちょうど暗くなる頃にチイルズ町に入るだろうし、それで体を隠せばいいと思うよ」
今の俺の考えが役に立たないことは、数秒で理解できた。
俺が想定していた修正とは、層が違う。
思考を回すより先に、解決されていた。
「……ワンっ(ありがとう)」
でも、これもリーナのおかげだ。
彼女は道端の蔓や葉を器用に手にとると、俺のボロボロな作業着の隙間を埋めるように編み込み始めた。
キラキラとした指先で編み上げていく。 これも、リーナの魔法だろう。
「これなら、暗がりの門番さんなら騙せるよ。……ポチ、あんまり動いちゃダメだよ。中身がカチャカチャ鳴ったらバレちゃうからね」
「クゥ(了解した)」
リーナが植物で器用に補強してくれたおかげで、俺のシルエットは「大柄な旅人」に見えるようになった。ただ、これだけのことをしてもらったのに、四つ足で歩いては元も子もない。
(……そうだ。意識すれば、二本足で歩けるんだった)
骨だけの足が不自然に軋まないよう、バランスを整えながら上体を起こす。
視界がぐんと高くなった。
(なんだ、それが当たり前だろ)
自分を「ポチ」という名の犬として処理していた。
だが、この体の作りは、人間と同じだ。
二足歩行という機能を使いこなせば、大男のフリもそれほど難しくはない。
「わあ、ポチが立った! すごい、本当に大きな人みたい!」
リーナがはしゃいで俺の隣に並ぶ。
俺はフードを深く被り直し、カチャカチャと音が鳴らないよう、慎重に重心を移動させながら歩き出した。
二本足で歩く。
無意識にこなしていたはずの動作だが、いざ「大男」を演じながら実行してみると、重心を保つのが意外に難しい。
(……意識すると難しいぞ)
少しずつ感覚を合わせながら歩いていた。
そうすると、背後から規則正しい蹄の音が聞こえてきた。
「……ポチ、端っこに寄って、騎士ぽい」
リーナが小声で指示を出す。
振り返れば数騎の馬が現れた。
街道ですれ違う商人の馬車とは、放っている圧力が違う。
磨き上げられた鎧に、背に負った長槍。
(……騎士、か)
立ち止まった俺たちの横を通り過ぎていった。
だが、最後尾の一騎だけが、ふと手綱を引いて振り向いた。
「仮面にしては、随分とリアルだな。フードを脱いでくれないか」
声は高い。女性か。
向こうから俺の顔を見たいと言ってきたのは初めてだ。
(……どうする)
その騎士は首元から何かを外し、こちらに放った。
反射的に、俺はそれを右手で受け止めていた。
(これはシンボルマークか……。俺のことをアンデッドか、確かめているのか?)
聖印や魔除けの類であれば、俺のような存在には何らかの拒絶反応が出るはずだ。
だが、骨の掌に触れているそれは、ただ冷たい金属の質感しか返してこない。
異常はない。
俺は無言のままその騎士を見つめ、反応を待った。
騎士はしばらく俺を凝視していたが、やがてふっと口角を上げた。
「あはっ、珍しいものもいるものだな」
その声に、敵意はない。
むしろ、面白がっているように聞こえた。
彼女はそれ以上何も追求することなく、鮮やかな手綱さばきで馬を躍らせると、仲間のもとへと早足で行ってしまった。
「……ワン(行っちまった……)」
手元には、彼女が首元から外したシンボルのネックレスがそのまま残されている。
「ポチっ、平気だよね?」
俺は元気よくワンと鳴いた。
異常はない。
ただ、手のひらに金属の冷たさを知覚できている理由がわからない。
「よかったね。珍しい騎士がくるなんて。あの人たちもチイルズの町へ行くようだし、ラデーヌギルドをやっつけに行くんじゃないのかな?」
リーナは楽観的な予測を口にし、再び歩き出した。
もし彼女の言う通りなら、あの騎士たちは俺たちにとって敵対対象ではないことになるが、そんな単純な構図とも思えない。
「……ワン、ワンヮ(せめてこの世界で生きていく力が欲しい)」
俺は手の中の銀の鎖を握りしめ、チイルズ町を囲む巨大な壁を見上げた。
夕闇に沈むその街並みは、俺の姿を隠すには十分な暗さだった。




