010話 ~ 接続された名:ラフィウス
大通りにはレンガが敷き詰められている。
魔導光の街灯が、足元をぼんやり照らしていた。
だが、路地に入ると一気に暗い。
光が届いていない。
夜でも、酒場だけは騒がしい。
酔客の声が、石壁に反響していた。
「それじゃあ、ポチ。占い屋に行こうか」
リーナは迷いなく歩く。
理由が見えない。
頭蓋骨の中で「なぜ?」が転がる。
……拾えない。
(……待て、なぜ『占い屋』なんだ?)
宿探しでもなければ、食料の調達でもない。
あまりにも現実味のない提案に、俺は戸惑いを隠せなかった。
(占い……魔法の一種か?)
暗い路地の奥、古びた扉の前にリーナが止まった。
看板には、すり減って半分消えかかった太陽と月の絵。
酒場の喧騒はここまで届かず、重苦しい沈黙が周囲を支配している。
「えっと……ここだと思う」
リーナが躊躇なくその扉を叩いた。
……返事はない。
音が返ってこない。
静かすぎる。
リーナは迷わない。
そのまま扉に手をかけ、そっと引く。
鍵は掛かっていない。
軋む音を立てて、扉が開いた。
「アード村のリーナです。誰かいますか?」
声をかけながら、リーナは中へ入っていく。
俺は一歩遅れて足を踏み入れた。
中は、外の喧騒が嘘のように静かだった。
カビの匂い。
古い香料の匂いが混ざっている。
窓は塞がれている。
わずかな光が、宙の埃を浮かび上がらせていた。
(……誰もいないのか?)
視界を巡らせる。
棚には小瓶と本。
どれも埃を被っている。
放置されている。
だが、気配だけが残っている。
「じいちゃんからは、ここに来れば『わかる』って言われたんだけど……」
「なにか用なのかい?」
皺枯れた声。
目の前の椅子に、いつの間にか座っていた。
(……気づかなかった)
全身黒い衣服。
その顔にも、深い皺が刻まれている、老婆のようだった。
「あ、私はアード村のリーナ……」
「それはもう聞いたから、用件だけいいな」
「私はポチを助けたいんです。ポチは本当はポチじゃないから……」
リーナは両手を握っている。
(……俺のために)
「ここに来れば、正しい道を教えてもらえる。じいさんが言ってたから」
「まだ頑張っているようだね、あの子は。それで助けたいのは、その骸骨なんだね」
まじまじと俺の顔を見つめる老婆。
(冷や汗が一滴、頬に感じた)
「縁が見えないねぇ。……空っぽだ」
(なんだそれ。占いなんて、役に立った試しがないからいいけど)
「リーナ。お前さんも縁が薄いね。ただ、ラフィウスなんて言う仰々しい名前は、まさか骸骨のあんたなのかい?」
(ラフィウス……?)
微細な記憶を攫ってみるが、その名前は見当たらなかった。
「あ~、ポチぃ!」
突然の大声。
リーナが椅子から立ち上がり、俺の肩を強く掴んだ。
その勢いで俺の頭蓋骨がガタつく。
「わかった、わかったよ! あの消えかかってた名前。あれ『ラフィウス』って書いてあったんだ!」
彼女の瞳は確信に満ちて輝いている。
だが、言われた俺の方は、完全に思考がデッドロックだ。
俺には全く身に覚えがない。
「ふぉほほほ、そんなに興奮するもんじゃない。名前なんてのは、ただの目印に過ぎないよ」
「だって、その名前が大切だから。……ラフィウス」
リーナは少しだけ息を整えるようにして、続けた。
「ポチ、あの続きを言ってみるからね」
リーナは息を整え、静かに視線を落とした。
そして、まるで思い出すように――言葉を繋ぐ。
「ラフィウス。眠りの底で忘れられた名。
刻まれず、残らず、それでも消えなかったもの」
一拍。
「名を持たぬ器に、かつての影が触れるとき、
失われた輪は、もう一度だけ形を思い出す」
さらに一拍。
「――ラフィウス」
その最後の一音が落ちた瞬間だった。
(……来る)
頭蓋の奥で、何かが“噛み合う”。
カチ、と乾いた音。
(繋がったのか? いや、わからない)
ずれていた構造が、強制的に揃えられていく。
(……違う、これは)
ただの言葉じゃない。
意味そのものが、内部に流れ込んでくる。
失われていた“接続先”を探すように、奥がざわつく。
(……この名前を、知っている)
いや、知識ではない。
もっと深い場所に刻まれていたような違和感。
視界がわずかに揺れる。
骨の関節が、ひとつずつ遅れて追従するように鳴った。
カタ、カタ、と。
「ポチ?」
リーナの声が重なる。
その声に引かれるように、足が動く。
(……止まれない)
理由はない。
だが、“行くべき方向”だけが確かにある。
――バンッ。
扉が弾けるように開く。
俺はそのまま、夜の外へと飛び出した。
夜の空気は冷たいはずなのに、今の俺にはそれを「データ」として受け取ることすらままならない。
暗い路地を、足が勝手に地面を蹴っていく。
意志とは無関係に駆動するこの感覚。まるで、何者かに操作権を奪われたかのようだ。
(……止まれ、止まれって言ってるだろ!)
内部でいくら命令を送っても、骨の体は止まらない。
それどころか、背後から追いかけてくるリーナの声すら、遠いノイズのように削ぎ落とされていく。
街の死角、ゴミ溜めの匂いが漂う薄暗い広場に差し掛かった時。
脳の奥で、経験したことのない激しい不快感が跳ねた。
(……なんだ、この胸糞悪いノイズは)
言葉では説明できない。
ただ、生理的な嫌悪感と破壊衝動が、バックグラウンドで猛烈な勢いで増殖していく。
その「ノイズ」の源泉が、闇の中に立っていた。
「ほ、骨野郎。なぜこんな場所にいるんだよ」
男の背後に、どす黒い気配が揺れている。
(……お前は誰だ? 教えてくれ、お前を、お前を……!)
体中が痺れる。
外からじゃない。
頭の芯で、何かが震えている。
内側から突き上げてくる衝動に、抗えない。
喉が、勝手に鳴った。
「教えろ、お前を!」
「うぁあ、喋ったぁ!?」
軋んだ声。
低く、濁っている。
俺の声じゃない。
伸びた腕が、男の襟元を掴み上げる。
違う。
これは――男じゃない。
その皮の奥にある“何か”が、こびりつくように絡みついてくる。
思考が、乱される。
(……こいつの中にいる……お前は、誰だ?)
俺の指先に、力がこもる。
男の抵抗はすぐに弱まり、やがて完全に抜け落ちた。
「違う……?」
さっきまで頭を叩いていた不快な振動が、嘘みたいに途切れる。
だが、それで終わりじゃない。
「……まだ、ある」
視界の奥に、何かが残っている。形にはならないが、どこかへ続いているのだけは分かる。
言葉にしようとして、うまく掴めない。
理解はできないのに、目だけがそれを追っている。
指先の感覚は、やけに静かだった。さっきまでの衝動が嘘のように消えている。
代わりに残っているのは、妙に整った感覚。
(……俺が、脳を抜き取った。……いや、これは俺の意思じゃない)
考えるより先に終わっていた。迷いも躊躇もない。
ただ、そうするのが当然だったみたいに体が動いた。
(……なんだ、この感覚)
熱はある。だが暴れてはいない。
上から押さえつけているわけでもなく、最初から収まっている。
(……違うな)
抑えているんじゃない。
(……これが、基準か)
足元に転がる「それ」から視線を外し、俺は視界に残る“何か”を追うように歩き出した。
「ポチぃ、どこに行っちゃったのかと思ったよ」
背後から届いたその声で、それは唐突に途切れた。
(……リーナ)
霧が晴れるように、意識が一気に引き戻される。
さっきまで見えていたものが、どこにもない。
自分の手も、足元も、うまく認識できないまま、掠れた声が漏れた。
「俺は何していたんだっけ?」
「えっ、また声が違うんだけど、どうしたの?」
リーナが目を見開いて立ちすくむ。
彼女の視線の先にある自分の姿が、どうなっているのかは分からない。
ただ――何かが、ズレたまま戻ってきている感覚だけが残っていた。




