008話 ~ 資源取得:ワーム肉
「こ、これが俺の体なのか? で、でも……透けている」
視界に映る自分の体。
白骨の上に、何かが重なっている。
肉。
そうとしか思えない。
だが――薄い。
向こう側が、見えている。
「ねえポチ、また喋ってるね。その姿になると、ちゃんと声が聞こえるんだ」
リーナは不思議そうに、でも嬉しそうにしていた。
「え、どういう……あっ、声が出る!?」
喉から音が出ている。
昨日のそれとは違う。
これは――
(……この体から、出ている……?)
驚きに任せて喉のあたりに触れようとするが、指先が自分自身の「首」をすり抜ける。
見えているのに、触れられない。
(……なんだ、これ……)
「……あ、消えちゃう!」
「そ、そんな……」
急速に「肉」が薄れていく。
色彩が、視界から消えていく。
抗おうと手を伸ばしても、指先は虚空を掴むだけだ。
(……まだ、聞きたいことがあった。……いや、もう一回読んでもらえば――)
俺は、残念そうに肩を落とすリーナを見つめ、必死にお願いをした。
「……また、骨に戻っちゃったね、ポチ……え、なに?」
(リーナ、もう一回……今のを読んでくれ――)
「ワンワワワン……」
必死に訴えかける。
だが――犬の鳴き声で、本当に伝わるのか。
喉から零れたのは、意味を持たない音だけだった。
だが、リーナは俺の様子をじっと見つめ、ふっと表情を和らげた。
「わかるよポチ」
碑文と俺を交互に見つめる視線。
それだけで、彼女は俺が何を求めているのかを理解してくれた。
リーナは再び墓石の前に屈み込むと、掠れた文字列を指先で丁寧になぞり始める。
「えっと……『ここに眠るは――世界を動かす者』……だったよね?」
彼女が最初の一節を読み上げた瞬間、俺の視界に再び「それ」が走った。
ノイズ。
熱。
そして、情報が流れ込んでくる。
(……来る……!)
「……世界を動かす者……かな?」
再び、リーナの声が響く。
先ほどと同じように、俺の骨の上に「肉」が重なる。だが、やはりそれは向こう側が透けるほど薄く、不安定にチカチカと震えていた。
(……待てよ。なぜ、ちゃんとした姿にならない?)
俺は、リーナがなぞっている墓石の表面を凝視した。
そこにあるのは、風化し、削れ、ところどころ欠けてしまった文字の羅列だ。
(……読めていない部分がある……?)
欠けた文字列。
抜け落ちた名前。
(だから……俺も、こんな中途半端な……?)
「ポチってカッコいいんだね。えへへ」
不意に投げかけられたリーナの言葉に、俺は動きを止めた。
頬を赤らめて、夢見るような目で見つめてくる少女。
(俺が……この、薄っぺらい俺がか)
自分の頬に触れようとする。
だが、指先は「肉」を通り抜け、カチリと乾いた音を立てて顎の骨をなでるだけだ。
いくら外見を上書きしたところで、中身は変わらない。
(……まあ、そうだよな)
だが、リーナはそんなことを気にした様子もなく、ただ嬉しそうにこちらを見ている。
(……お前にそう見えるなら、それでいいのかもな)
俺は、消えかかっている透けた手で、リーナの頭をそっと撫でようとした。
感触は伝わらない。だが、彼女は嬉しそうに目を細めた。
「ねえ、ポチ。姿が薄いのは、もしかしてここが削れて読めないからかな?」
リーナが墓石の欠けた部分を、寂しそうに指でなぞる。
(……たぶん、そうだ。ソースがデータ・ロスしているせいで、俺は完全には――)
「でもね、私、少し前にこの詩を話している人を見たことあるよ」
(……何!?)
(そんな奴が、いるのか……)
俺は思わず、目を見開いた。
「その人のところに行けば、読めなかったところも教えてもらえるかもしれない。……行こう、ポチ! きっと、元に戻れるよ」
「……ワン」
(……そうか)
古ぼけた棺桶と、不完全な碑文をあとにした。
消えかかる幻影じゃなく――
ちゃんと、その手で。
浮島を繋ぐ風の道は、俺にはまだ見えない。
それでも、リーナに導かれ、どうにか地上へ戻ることは出来た。
足元に広がる土の感触だけが、今は確かなものだった。
(……何も、わかっていない)
なぜここにいるのか。
何者だったのか。
考えようとすると、思考が滑る。
「ポチ? ぼーっとして、どうしたの?」
リーナが不思議そうに覗き込んでくる。
(……まあ、いいか)
俺は小さく首を振り、彼女の少し後ろを歩き出した。
今はまだ、骨が鳴る音しか出せないけれど。
いつかちゃんと、元の記憶や肉体を取り戻したら。
その時は――この少女に。
(……何か返すべきなんだろう)
「ポチぃ、こっちいくよ」
リーナはもう振り向く必要はないと思えるほど真っ直ぐ歩いていた。
俺は浮島を見上げていて、違和感に気づいた。
……すぐに理由もわかった。
立っている。
それが、妙に落ち着かない。
足元が、不安定だ。
(……なんだ、これ……)
次の瞬間、
体が勝手に動いた。
手を地面につく。
そのまま、四つ足になる。
――しっくりきた。
立つよりも、こっちの方が自然だと、身体が理解している。
(……いや、なんでだよ)
その時だった。
草が揺れる。
風じゃない。
視線。
何かが、こちらを見ている。
「あ、ポチぃ、あっちに足の速い『リカル』がこっち見てるよ」
(名前は知らないが、ライオンのような動物の群れだ。見ているだけで、獣の気配がないはずの鼻をくすぐる)
リカルの群れは、飢えた目でこちらを値踏みしている。
だが、リーナは近所の野良猫を見る程度の緊張感しか示さない。
「リカルはね、足は速いけど魔法には弱いの。……ちょっと待っててね」
彼女が小さな掌をリカルたちに向ける。
パン、パンと手を叩き、小声で何かを呟くと、草原を駆ける風がリカルに向かって一直線に走っていった。
(リーナの入力で物理現象での出力か……やっぱりこれが、魔法だな)
「私じゃあまだ、これしか出来ないけど……」
再び手拍子。パン、パパン。
風が生まれ、駆けて行く。
見る限りではリカルに物理的なダメージを与えてはいない。
それでも、奴らは慌てたように逃げていった。
(……すごいな。魔法を使えるとしても、簡単なやつだと思ったな。俺の姿だけが魔法的だと思っていたが、魔法が当たり前の世界なんだろうな、ここは……)
「ああっ……うう」
突然リーナが呻きながらうずくまった。
……そうだ、空気が重い。
(なんだこれは。これもさっきのモンスターのせいか……?)
周囲を警戒するが、リカルはすでに逃げ去っている。
それでも、リーナには立っていられないほどの圧が漂っていた。
俺は彼女の前に立ち、四肢を踏ん張って周囲の「ノイズ」を睨みつける。
「ポチぃ、大丈夫。何とか出来ると思うよ」
蒼白な顔で、彼女は必死に微笑もうとする。
だが、その肩は震え、呼吸は浅い。どう見ても「大丈夫」には見えない。
(なにが起きているんだ……?)
リーナを押し潰さんとする、この見えない「重圧」。
俺は彼女の前に立ち、喉を震わせて周囲を威嚇した。
「ワン、ワン!」
「ポチぃ、落ち着いてね。一緒にジャンプするよ。下に撃つから、感電しちゃうよ」
どういうことだ?
何もわからず、俺は手を握られ、リーナのタイミングに合わせて思い切り地面を蹴った。
宙に浮いた視界。
そこで見たのは、眩いばかりに光り輝くリーナの腕だった。
(……!?)
彼女が掌を地面へ叩きつける。
刹那、青白い稲妻が俺たちの真下の地面へと伸びた。
轟音と共に、空気と土が焼ける匂いが鼻を突く。
直後、肉が焼ける嫌な臭いと共に、焼け爛れた肉塊が、無理やり押し出されるように姿を現した。
それは――巨大なミミズだった。
(……地中に潜んでいた、実体か。なるほど、ミミズ(ワーム)のはずだ。こいつは、この世界のシステムを食い荒らす不正プログラム(マルウェア)そのもののようだな)
「重圧」の正体は、この巨大な塊が移動する際に発生させていた振動。
――いや、もっと別の何か。
この世界そのものを軋ませるような圧。
リーナの放った雷撃は、地中に潜むその巨大な肉質を正確に焼き切っていた。
「……あ。ポチぃ、ごめん。ちょっと、びっくりしちゃった?」
着地したリーナは、肩で息をしながらも、俺の手を離さずに心配そうな声を出す。
腕の輝きは消え、またいつもの、魔法使いには見えない少女に戻っていた。
「びっくりした? ポチと一緒にジャンプしたの久しぶりだったよ」
(久しぶり……?)
彼女の言葉に引っ掛かりを覚えたが、思考を巡らせる余裕はなかった。
リーナは酷く疲れた様子だったが、横たわる焼けたミミズをまじまじと見つめていた。
「これ、食べると元気になるんだよ」
そう言いながら、彼女はまだ生焼けの肉を、手のひらから出した小さな炎であぶり始めた。
漂ってくるのは、なんとも言えない香ばしさ。
(……これを、食べるのか)
さっきまでの神々しい雷撃の余韻はどこへやら。
地面に座り込み、一生懸命に肉を焼く彼女の姿は、どこにでもいるお腹を空かせた少女そのものだった。
(……まあ、いいか)
俺は、どこにもない胃の蠕動を感じながら、カチリと骨の顎を鳴らした。
(どうやら、これがこの世界の『日常』というやつらしい)




