004話 ~ ユーザー名「リーナ」:登録完了
一歩足を踏み入れれば、目に入ったのは無惨に散らばった残骸だけだった。
扉は荒々しく開かれ、道にはめちゃくちゃに散らばった物が転がっている。
地面には――抵抗の虚しさを物語るように、動かなくなった村人たちが転がっていた。
「ポチ、大変だよう」
俺と少女は、倒壊した納屋の影に身を潜め、その様子を伺う。
奴隷商人の数は二十人近く。対して、枷をつけられた村人は五十人を超えているだろう。
(やばい……突っ込んだら死ぬ……引くしかない)
理性的には「逃走」が最優先のはずだった。
「……みんな、連れて行かれちゃう。どうしよう、ポチ」
その声が落ちた瞬間――
少女の震える声が響いた瞬間、俺の脳内に強烈な割り込み(インタラプト)が発生した。
足が動かない。
逃げろと命じているはずの理性が、どこかで引っかかっている。
少女の声を起点に、何かが切り替わる。
生き延びるための判断が、奥へ押し込まれていく。
代わりに前に出てくるのは――守れ、という単純で、重い命令だった。
(クソ……バグってやがる)
頭では逃げろって分かっている。
なのに、身体が勝手に戦闘準備を始めてやがる。
冷徹な計算機としての俺はどこへ行った。
視界が赤く染まり、喉の奥から自然と唸りが漏れる。
(……違うだろ。こんなの、俺の判断じゃない)
それでも――
足が、前に出る。
「ポチ、あぶないよ!」
少女が俺を案じて声を上げ、駆け寄ろうとしたその瞬間――
背後の闇から伸びた太い腕が、彼女の細い腰を無造作にさらい上げた。
「……おっと、こんなところに上玉が隠れてやがったか」
汚い笑い声とともに、ガタイのいい男が少女を宙に吊り上げる。
少女は悲鳴を上げる間もなく、男の剛腕に組み伏せられてしまった。
(――しまっ……!)
視界が、弾けた。
潜伏――
奇襲――
各個――
(……っ、待て)
組み上がりかけた思考が、途中で切断される。
(アボート……!?)
白く飛んだ視界のまま、何も選べない。
何も動かせない。
(どうにもならない……!)
「……な、なんだ、この化け物は……っ!?」
少女を抱え上げた男の顔から、一瞬で下卑た笑いが消え失せた。
松明の火に照らされたのは、肉も毛並みもない、白く乾いた骨の塊。カタカタと不気味な音を立てて動く、生ける屍――スケルトンだ。
男は少女を小脇に抱えたまま、忌々しげに剣を構える。
「……ちっ、気持ち悪い化け物だぜ!」
怒号とともに、鋭い剣閃が空を裂く。
「きゃあ!」
悲鳴が響いた瞬間、俺の意識を置き去りにして、視界が猛烈な速度で流れ始めた。
(――速すぎる……ッ!)
何も考えていない。
ただ、身体だけが前に出ていた。
(……割り込み(インタラプト)か……!?)
空振りに終わった剣の脇を、紙一重で通り過ぎる。
(……違う!)
止まれない。
地面を削る音だけが、やけに近い。
無理やり捻る。
だが減速しない。
円を描く。
一周――二周。
(回るな……ッ!)
その瞬間、脚が弾けた。
跳んだつもりはない。
気づいた時には、宙にいた。
(――やばい――)
次の瞬間、視界が潰れる。
ぶつかった。
「ぎ、がはっ……!?」
鈍い衝撃。
男の体が揺れる。
その腕から力が抜け、抱えられていた少女が地面へと転がり落ちた。
――それでも、止まらない。
流れるまま、身体が回る。
口が開く。
噛みついていた。
(――実行されてる……ッ!)
「が、ぁ……ッ!?」
何を噛んだのか、分からない。
ただ、硬い骨と、柔らかい何かが同時に歯に触れている。
(離せ――ッ!)
顎が、外れない。
男が暴れる。
腕が振られる。
視界が振り回される。
それでも、離れない。
(やめろ……やめろって……!)
――ぶつり。
嫌な音がした。
一瞬、抵抗が消える。
そのまま、俺の体が地面に叩きつけられた。
土埃。
骨の軋み。
数拍遅れて――静寂。
男は、動かなかった。
土埃が舞う中、俺は軋む骨の身体を強引に動かし、這いつくばるようにして起き上がった。
視界の端で、男の腕だった「それ」が転がっているのが見える。
(……やったのか?)
返答はない。
ただ、喉の奥で乾いた音が鳴る。
(……違う)
終わっていない。
(足りない……)
安堵より先に、粘つく感覚が這い上がってくる。
腹の奥――いや、そんな器官はないはずなのに、空洞が軋む。
(データが……)
視線が落ちる。
男の死体。
(……そこに、ある)
考えるより先に、指が動いた。
バキリ、と嫌な音が夜に響く。
抵抗のない頭蓋が、あっさりと歪む。
「ヒッ……!」
背後の音は、もう遠い。
割れた隙間から、柔らかいものが覗く。
(……これだ)
(アクセス……開始)
迷いはなかった。
俺は剥き出しの骨の指で、その脳髄に触れた。
(……壊すな)
ぐずり、と指が沈む。
柔らかい。
力を入れかけて、止める。
(雑にやるな。データが死ぬ)
両手で、掬う。
崩れる。
だが、完全には潰さない。
(……このくらいだ)
持ち上げる。
ぬるい感触が、指の間に残る。
(……早くしろ)
どこかが急かしてくる。
だが、焦るな。
眼窩へと運ぶ。
触れる。
(――ッ)
そのまま押し込むのではなく――
流し込む。
こぼさないように。
崩さないように。
ゆっくりと。
どろり、と。
(……入って、くる)
感触が消える代わりに、内側が満ちていく。
(――あ、が……ッ!)
視界が弾けた。
ノイズ。
一気に流れ込んでくる。
(……多すぎる……ッ!)
欲。
金。
酒。
断片が、順番もなく叩きつけられる。
(クソ……ッ、選べない……!)
濁流の中で、必死に掴む。
(……あった)
(グラニア王国……辺境……『商品』……)
言葉が浮かび上がる。
(……アーキテクチャが、見える……)
視界が歪む。
感覚が混ざる。
(……終わりか――?)
違う。
(……足りない)
顎が、鳴る。
(寄こせ)
顔を上げる。
残っている連中が、そこにいた。
(……まだ、ログがある)
俺は軋む骨を鳴らし、二本足でゆっくりと立ち上がった。
「ポチ……だよね?」
震える声が、俺のシステムを叩く。
(……言え)
喉の骨を擦り合わせる。
奪った知識を、無理やり音に変換しようとする。
「……ま、……」
違う。
「……だ、……」
出ない。
(違う、そうじゃ――)
「……ぽ、……ち」
音が、零れた。
一瞬、何が起きたのか分からない。
遅れて、自分の喉から出た音だと理解する。
砂を噛むような、掠れた声だった。
(……今のは)
(俺に……発声機能が……?)
思考が追いつく。
(いや――)
(俺の名前は……時史)
そこまで浮かんで、
止まる。
「……ぽち」
今度は、少しだけ滑らかに出た。
その音は、不思議としっくりきた。
(……まあ、いいか)
視線を上げる。
少女が、息を呑んだままこちらを見ていた。
俺は、喉の骨をもう一度鳴らす。
まだ不安定だ。
だが、さっきよりは――出せる気がした。
「……な、……まえ」
途切れる。
それでも、続ける。
「……きみ、の」
言葉が、繋がる。
(いける)
「……なまえ、は」
掠れた声が、ようやく形になる。
少女は、びくりと肩を震わせた。
俺を見て、目を見開く。
恐怖と――わずかな迷い。
「……え?」
一瞬、足が止まる。
それから、そっと。
一歩だけ、前に出た。
俺を確かめるように、覗き込む。
「……リーナよ」
小さく、でもはっきりと名乗った。




