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026話 ~ 総覧者の招待

 薄暗い通路の先に、光があった。

 網膜もないはずの視界に、勝手に情報が流れ込んでくる。

 距離。座標。高度。魔力濃度。


 ――そして現在地。


 パッチから流れ込んだ知識が、俺の認識そのものを書き換えていく。

 演算結果は、冷酷だった。

 俺たちはもう、ついさっきまでいたガルデッドから――二千キロも離れている。


 到達地点。


 首都パステリニウム。


(……まるで、実感はない)


 だが。


 戸惑っているのは、俺の意識だけだった。

 俺の内側にある何か――〝縁〟は、もうとっくにこの場所へ順応し始めている。


 いや。


 順応なんて生ぬるい。

 首都の中心部。

 都市そのものが刻んでいる巨大な鼓動に呼応するように、がらんどうのはずの胸骨の奥が熱を帯びていく。


 まるで――そこに、本物の心臓でもあるかのように。


「ポチぃ……ここが、パステリニウムって言うんだね」


 リーナの声に、俺も視線を合わせた。

 光源があるわけじゃない。

 なのに――都市そのものが輝いていた。


 幾つもの塔が、空を貫くようにそびえ立っている。

 磨き上げられた白亜の壁面が陽光を受け、まるで都市全体が発光しているみたいだった。


 城壁は見えない。

 いや――必要ないのだろう。

 路地のひとつひとつに至るまで、影すら見当たらない。


(……俺たちは、どこにいるんだ)


 あまりにも巨大すぎて、距離感も、大きさも、もう分からない。


 ただひとつ確かなのは――


 俺たちは今、高所にあった。

 さっきまでいた、あの赤と黒を基調とした部屋。

 その窓際から、首都パステリニウムを見下ろしていた。


「リーナ嬢には、これが支給されたよ」


 クラリスが、一枚のカードを差し出した。

 白い表面。

 そこに刻まれていたのは、俺が何度も見てきた文字列だった。


(……見える。首都そのものが、この言語で覆われている)


「これがあれば、首都にいるあいだ食事には困らない」


 クラリスは、少しだけ視線を逸らしながら続けた。


「……見た目は難があるが、味は悪くない」


 リーナは、よく分からないまま両手でカードを受け取ると、ぺこりと頭を下げた。


「ありがとうございます」


 だが、そのあと困ったようにカードを見つめる。


 ……どう使うのか分からないのだろう。


 それは、俺にも同じだった。

 しばらく眺めていたリーナが、ぽつりと呟く。


「……パンが食べたい」


 そう呟いた次の瞬間。

 リーナの手の中に、平べったい焼き色のついた物が現れていた。


「……え?」


 驚くリーナに、クラリスが小さく笑う。


「ふふ、それがパンだよ。見た目は少し違うが……香りは悪くないだろう?」


 ふわりと、焼きたてみたいな香ばしい匂いが広がる。

 だが、俺が見ていたのは別のものだった。


 リーナの声。

 その音が、この都市に認識される。


 変換。

 検索。

 照合。

 そして――転送。


 パンそのものは、この場で生成されたわけじゃない。

 どこか別の場所から、瞬時に移送されたのだ。

 その一連の処理が、俺には綺麗な文字列として見えていた。


(……ここでは、とても分かりやすい)


 白い塔も。

 人の流れも。

 魔力も。

 そして、この都市そのものが――


(……全て、見えるから……なのか)


「美味しいよ、これ」


 気づけば、リーナの手にあったパンはもう半分以上なくなっていた。


「私が魔法で出す食べ物より、美味しいかも」


 あっという間に平らげると、リーナは不思議そうにカードを見つめたまま、クラリスへ顔を向ける。


「もしかして――魔力がなくても、このカードを持てば誰でも魔法が使えるのよね?」


「さっきも言ったが、首都だけだ」


 クラリスは、少し呆れたように肩をすくめた。


「……持ち帰ろうとしたのか?」


 その言葉に、リーナは何も言わずうつむいた。


 ……やっぱりか。


 俺には、わかっていた。

 辺境でも、文字列そのものは存在していた。

 特にガルデッドでは、薄くても確かに“魔法”として機能していた。


 だからリーナは考えたのだろう。

 これが辺境でも使えれば――

 もっと多くの人を、助けられるんじゃないかと。


 リーナは俯いたまま、カードの表面に刻まれた文字を指先でそっと撫でていた。

 その手が止まる。


「それと――書かれているのは、骨君たちの部屋の番号だ」


 クラリスは、もう一枚のカードを俺へ差し出した。


「君も持っているといい。首都で働く者は、それで場所から場所へ転送できる。辺境に比べれば、ずっと楽だろう」


(……持てと言われてもな)


 俺はカードを見つめた。

 骨の身体に、収納なんて便利なものはない。

 とりあえず受け取り、しばらく考える。

 そして――そのまま口の中へ入れてみた。


 ……悪くない。


 カードは吸い寄せられるように上顎の裏――

 口蓋部へと貼り付き、そのまま歯列の付け根にぴたりと収まった。

 まるで最初からそこにあったパーツのように、落ちる気配もない。


 クラリスが、ほんの少しだけ眉を動かした。

 だが何も言わない。


「……しばらくは自由だ。好きにしてくれ」


 そう言い残して、クラリスは静かに部屋を出ていった。


「私も、部屋を見てくるね」


 そう言って、リーナも後を追うように出ていく。


 途端に、部屋には俺ひとりになった。


 ……することもない。


 俺は改めて、窓の外へ視線を向けた。

 光る塔。

 白く連なる街並み。

 どこまでも続く、高所の景色。


(……似ている)


 胸骨の奥が、わずかに熱を持つ。

 どこに仕舞われていたのかも分からない記憶。


 前世の――記憶だ。


 死ぬ、その直前まで見ていた窓の景色に。

 あまりにも、似ていた。

 じわりと、忘れていたはずの何かが滲み出してくる。


 このまま辿れば――

 もっと深い場所へ、繋がってしまいそうだった。


 ……もしかして。

 そばに、あるのか。


 《ああ、ごめんなさい、ちゃんと言ってなくて……》


 気づけば、パッチの姿は肩から消えていた。

 だが、声だけは直接響いてくる。

 どこかに隠れているのだろう。


 《ポチの体を盗んだのは――枢機卿プロトコル。大変だったんだよ》


 まったく……パッチが言っている大変とは、俺の体を盗んだことか。


 ……そういうことか。


 奪われた身体。

 断片化していた記憶。

 そして、この首都に満ちている違和感。


 バラバラだった情報が、ひとつずつ接続できる。


(……そして、わかった)


 首都を治める者。

 総覧者、枢機卿プロトコル。


 ……奴が持っているのか。

 俺の体を。


 《でも、あんまり繋がらない方が……。僕、隠れているよ》


 パッチの声が遠のく。

 だが、もう止まらない。


 鼓動が強くなる。


(なぜだ……それほど必要なのか)


 都市全体を循環する膨大な魔力。

 脈打つように、規則正しく流れていく文字列。


(……わかる)


 何度も見てきた演算式。

 だが、その中心にある識別コードだけが、妙に馴染んでいた。


(まさか――俺の〝心臓〟か)


 ……だめだ。


 ラフィウス由来の文字列が纏まり始めるたび、今の俺の言葉が停止していく。

 思考が重い。

 まるで、英雄王の理そのものに上書きされていくようだった。


(パッチ……いるのか? ラフィウスについての文字列は、もう残っていないのか)


 返事はない。

 だが、それでもわかる。

 答えは――〝魔物プロトコル〟から得るしかない。

 心臓を取り戻すのも、きっと同じだ。


 そのあと――

 プロトコルに代わって、俺が総覧者になること。

 ……ラフィウスが求めているのは、それなのか。


 演算が、うまく纏まらない。

 だからこそ――会いたかった。

 プロトコルに。


 そして。


『そんなに見たいなら、見せてやろう――お前の体を。ラフィウスよ』


 声が、直接頭の内側に響いた。

 次の瞬間。

 俺の周囲に、無数の文字列が展開される。


 何重にも保護された、異常な文字列。

 だが――抵抗はしない。


 読むまでもなく、理解していた。

 これは転送。

 視界が白く反転する。


 そして次に立っていたのは――


 首都の塔群すら見下ろす、高みの空だった。

 まるで、この都市の頂点そのものみたいに。


 ……総覧塔、その最上位区画アーカイブ

 そこにいるのは――奴だけだった。

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