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025話 ~ 首都パステリニウム

 助けたい――それだけじゃ、誰も救えない。

 この世界では、それが残酷なほど当たり前だった。


 だが、今のリーナは違う。


 彼女は、一目で重傷だとわかる住人たちのもとへ迷いなく駆け寄り、その光る手で次々と傷を塞いでいく。

 その手から放たれる光は、優しさなんて生ぬるいものじゃない。

 死の淵にある命を、無理やり現世へ引き戻すような――執念にも似た光だった。


 だが。


 それをしているのは、彼女ひとりだけだった。

 マダラス卿は慣れているのか、住人の安否に目を向ける様子すらない。


 ……あるいは、治癒魔法そのものが使えないのか。


 これだけの人間が瓦礫の中で生きていたのかと思うほど、あちこちに人影が見える。


 それでも。

 助けようと動く者は、誰ひとりいなかった。


「――この辺りの瓦礫は全て砕け! 欠片ひとつ残すな!」


 響き渡ったのは、クラリスの声だった。

 その眼差しにあるのは、瓦礫の下で喘ぐ命への慈悲じゃない。


「煤をこぼすなよ。ひとつひとつが貴重な資材だ。いいな――徹底的に回収しろ!」


 騎士たちが砕いている瓦礫の中には、さっき俺が崩した柱も混じっていた。

 だからだろうか。

 気づけば、多くの住人たちの視線が、俺へと向けられている。


 責めるような目でもない。

 感謝でもない。

 怯えですらなかった。


 ただ――じっと見ている。


 ……いや、違う。


 見られているんじゃない。

 観測されている。


 崩れた建物を見るように。

 突然現れた嵐を見るように。


 そこに意思なんて求めていない。


(……そうか)


 胸骨の奥が、かすかに軋んだ。


(きっと、災害なんだろうな――俺は)


 《……そんなの、どうでもいいからさ》


 肩の上で、白い小さな影がぶらぶらと足を揺らした。


 《早く行こうよ。どうせ僕がいなくなったら、野生の連中がここに流れてくるし、

 そしたら今度は、もっといっぱい死ぬよ?》


(……はぁ?)


 俺は思わず、肩越しにパッチを見る。


(じゃあ、今まであいつらが来なかったのは……お前のお陰だったのか?)


 《うん》


 パッチは悪びれもせず、小さく頷いた。


 《うざったかったから。ここは僕のテリトリーだって、教えてただけ》


 その無邪気な声に、胸骨の奥が妙な意味で冷えた。


(行くって言ってもな……)


 俺は遠くを見た。


(首都なんだろ。何もしなくても、いずれ連れていかれる場所だった)


「ポチ! これ、どかして!」


 リーナの声に視線を向ける。

 瓦礫の奥から、くぐもった唸り声が聞こえていた。


 ……まだ、生きている。


 俺は迷わず石畳を蹴った。


(とにかく、リーナと一緒にいよう)


 胸骨の奥に落ちた“助ける”という感覚は、まだ輪郭が曖昧だった。

 それでも――助けられるだけ、助ける。


 リーナの魔法は、辺境で生き抜くためのものだ。

 傷を塞ぎ、命を繋ぐ力ではある。

 だが――万能じゃない。


 それでもリーナは、大きく取り乱したりはしなかった。

 救えない命があることも、自分の限界も。

 きっと、最初から知っているんだろう。


(……パッチ)


 俺は肩の上の白い影に意識を向けた。


(お前、この街に溜まった魔力を使えるんだろ?)


 ……答えは、聞く前から分かっていた気がした。


 《この城は、何かを直すためには作られてないよ》


 その言葉が終わるより早く――

 羽ばたく音がした。


 ……いや。


 ひとつじゃない。

 何重にも重なったような羽音が、空気そのものを震わせていた。


 その場にいた誰もが顔を上げる。

 俺も、反射的に空を見た。


 空の色が変わっていた。

 瓶の底を覗き込んだ時みたいな、どこまでも深く、不気味に澄んだ色。

 羽音は響き渡り、もはやどこから聞こえてくるのかすら分からない。


 上か。

 後ろか。

 それとも、もっと遠くか。


 そんな混乱の中――


 影が現れた。

 爆音とともに、俺たちの頭上へ。

 巻き起こった衝撃に、ガルデッドに積もった煤が、一斉に空へ舞い上がる。


「――五つ星の聖騎士、ディザルド様だ!」


 爆音にかき消されながらも、その名前だけは耳に残った。

 そう、あの張り上げるような声は、クラリスだ。

 部下たちへ向けた号令なのだろう。

 その瞬間、騎士たちの空気が一変した。


 上空の物体から、見たこともない言語の文字列が、雨のように降り注ぐ。


 ……それだけじゃない。


 文字列の奥で、〝縁〟そのものに何かが触れてくる。


 絡まるような。

 書き換えられるような。


(……なんだ、これ)


 《……僕、知ってるよ》


 肩の上で、パッチがぽつりと呟いた。


 次の瞬間。


 騎士たちの姿が、光となって弾けた。

 クラリスも。

 最後まで、何か叫びながら――こっちを指差していた気がした。

 隣にいたリーナも、驚いた顔のまま光に飲まれていく。


 ……いや。


 違う。


 リーナが消えたんじゃない。


 消えていたのは――俺の方だった。


 光に包まれていた時間は、一瞬だった気もする。

 それか、長かったのかもしれない。

 時間の感覚そのものが、うまく掴めない。


 ただひとつ分かるのは――

 立ったまま棺桶に閉じ込められているような、不快な圧迫感だけだった。


 《うわぁ、懐かしいよ》


 肩の上で、パッチが楽しそうに声を弾ませる。


(何がだ……ここは、どこなんだ)


 ギィィィ――。


 重い音を立てて、目の前の扉が開いた。


 視界の先に広がっていたのは、赤と黒を基調とした豪奢な部屋。


 磨き上げられた床。

 重厚な装飾。

 そして、どこか血のような色彩。


 ギィィィ――。


 すぐ隣でも、もうひとつ棺桶の扉が開く。


「あ、ポチぃ!」


 聞き慣れた声。


「あはは、すごいね。これ、瞬間移動かも!」


 初めての体験に、リーナは純粋にはしゃいでいた。


 ……だが、俺は違った。


 この場所に満ちる〝縁〟の濃さに、意識が引き込まれそうになる。


 ポンッ。


 乾いた音とともに、空間そのものが裂けるように開いた。

 そこに立っていたのは――クラリスだった。

 相変わらず整った顔立ちだが、その目だけは妙に冷えて見える。


「骨君、リーナ嬢……君たちには関係ない話だが」


 クラリスは、淡々と続けた。


「……無知だった私は、降格したよ」


 その表情は変わらない。

 だが、声の奥には、僅かに硬さが混じっていた。


「辺境民である君たちの方が、〝魔物〟を知っていたとはね」


 ほんの一瞬だけ、クラリスの視線が俺に向く。


「……専門家、ディザルド様のもとへ案内しよう」


 わずかに間を置いて。


「――いいかな?」


(クラリス、覇気がないな)


 ……なんて、口に出せる空気じゃない。


 リーナも同じだったのか、何も言わない。

 俺たちは返事の代わりに、黙ってクラリスのあとを追った。


 四足の低い視界。

 目の前を歩くクラリスの足が揺れる。

 その隙間から、ようやく男の姿が見えた。


 ――騎士ディザルド。


 煌びやかだった。

 だが、その鎧は身を守るためのものには見えない。

 まるで、豪奢な棚に飾られた芸術品が、そのまま歩き出したみたいだった。


「ディザルド様。連れてまいりました」


 クラリスの声は、いつになく硬かった。

 ほんのわずかな沈黙。


 そして――


「……この者たちが、まさか、魔物なのですか」


 口にした瞬間。

 クラリス自身が、はっと息を呑んだ。


 ……今の問いは、本来なら口にしてはいけないものだったのだろう。


「魔物? ケケケ……そんな訳、ないない。気を揉むな」


 甲高い笑い声が、豪奢な部屋に妙に響いた。

 それが――ディザルドの声だった。


「……だが」


 そこで初めて、その視線が俺に向く。


「そちらの変わった方も、パステリニウムを見たいだろう?」


 口元だけが、にたりと吊り上がる。


「案内しよう。すぐにな」


(……パステリニウム)


 俺の、目的地の首都……。


 すると、重い扉がゆっくりと開いた。

 その隙間から漏れてきたのは、冷たい空気と――見覚えのある〝縁〟の気配。

 胸骨の奥が、嫌な音を立てた。


(……なんだ、ここは)


 俺は四つ足のまま、暗い廊下へと踏み出した。

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