022話 ~ 廃都ガルデッド:指先を恐れる者
俺の中に見え隠れする、英雄王ラフィウスという名の残響。
そして、あの煤となったグリッチの奥底に感じた、禍々しくも巨大な「魔王」の気配。
いくら思考を巡らせても、両者は決して交わらない。
水と油なんて、生ぬるい。
本能が告げている。あれは、互いを許さない存在だと。
急速に冴え渡る知性が、二つの存在がぶつかり合う凄絶な光景を、まるで失われた歴史の断片のように脳裏へ映し出していた。
(……だが、薄すぎる)
ラフィウスへの転生先を、俺は取り違えたのか。
それとも――。
クラリスが「歴史書の中でしか息をしていない」と言った通り、今の世界にとって英雄王は、とうの昔に過ぎ去った伝説。
あるいは、語り継がれるだけのお伽話。
対して、俺が指先で触れた〝魔物〟の感触は――鮮明だった。
あれだけは、間違えようがない。
無へ帰すべき存在だと、この骨が知っている。
(……俺が、ラフィウスでいいのだろうか)
そう自問する俺の耳に、リーナの柔らかな声が届く。
「ポチぃ、何がしたいのか、言ってくれれば助けるよ」
その声は、どこまでも優しい。
だが、急速に回り始めた知性は、感情より先に答えを導き出していた。
最初に取り込んだ情報が、判断を歪めているのかもしれない。
魔物でもない。
英雄でもない。
ただの犬として得た、本能だけ。
その断片的な記憶が、リーナという存在に過剰な価値を与えている。
本来の〝英雄王〟としての目的。
そして、魔王という宿敵との対峙。
そこから逆算すれば、村娘である彼女は、この旅路においてあまりにも異質だった。
必要だから傍にいるのではない。
傍にいたいと、俺が錯覚しているだけだ。
(……そうか……彼女は、イレギュラーなんだ)
この骨の奥にこびりついた、犬だった頃の記憶。
誰かに懐き、寄り添い、守りたいと感じる――そんな単純な回路が、
今の俺の判断を、静かに狂わせていた。
(……塗り替えるしかない)
結論が出た瞬間、俺はもう走っていた。
グリッチのいる場所へ。
奴を倒し、触れ、情報を奪う。
そうすれば、次へ進むためのルートが見えるはずだ。
(やればいい。考えるのは、その後だ。)
リーナは追いかけてくるだろう。
クラリスも。
でも、俺は捕まらない。
いや、捕まるつもりがない。
〝縁〟だけを見ていれば、進むべき先は向こうから現れる。
骨だけの俺は、矢のように――
いや、違う。
獣のように駆ける。……仕方がない。
――その先で、ガルデッドの姿を捉えた。
この景色を、俺は知っている。
五百年前。ラフィウスの記憶で見た、城塞都市ガルデッドだ。
そびえ立つ城壁に並ぶ兵器。
あれは――俺を殺すために向けられたものだ。
(城へ辿り着くまでの勝負か。……グリッチ)
……この距離では構成言語は見えない。
視線を凝らした、その瞬間。
初撃――物理砲撃。
轟音。
狙いは――俺の真正面。
俺の全身よりも巨大な岩球が、空気を裂いて飛来する。
(……いける)
関節を繋ぎ止めている、磁力にも似た不可視の引力。
それを内側へ、内側へと極限まで引き絞る。
鋼鉄のバネを限界まで圧縮したような、凄まじい反発エネルギーが骨の芯に溜まっていく。
そして――一気に解放した。
次の瞬間、俺の体は弾丸のように跳んでいた。
巨大な岩球が、頬骨すれすれを通り過ぎる。
躱した後で、知性が追いつく。
風向。回転。慣性。着地点。
空中で崩れかけた軌道が、瞬時に修正される。
――まだ、速くなれる。
第二撃――魔導砲。
……間違いない。
城壁の砲門、その周囲に文字列が集約していく。
一行ずつ、命令文のように連なっていた。
収束。変換。放電。
次の瞬間、青白い閃光が俺を貫いた。
(……雷)
突き出した腕に、凄まじい熱と光が駆け抜ける。
だが――止まらない。
電流は骨を砕くことなく、関節を繋ぐ見えない引力を伝い、そのまま大地へと流れていった。
(……痺れるかと思ったが、骨だった)
足元の草が焼け、遅れて焦げた匂いが立ちのぼる。
背後では、雷撃がえぐた地面から白い煙が上がっていた。
立ち止まった足を、再び動かす。
第三撃――来ない。
……逃げたのか。
俺は迷うことなく壁に取り付いた。
骨だけの軽い体が、重力を無視するかのような速度で、垂直の壁を駆け上がる。
そこから見下ろした光景に、俺の思考は一瞬止まった。
外から見えた城壁こそ、かつてのガルデッドの栄華を思わせるほど綺麗に残っていた。
だが、その内側は――何一つ、戻っていなかった。
(……何に期待していたんだ、俺は)
見渡す限り、黒い瓦礫。
崩れた石畳。焼け落ちた塔。風に転がる煤。
見慣れた廃墟のはずだった。
だが、その感傷を噛み締める暇はなかった。
足元から、嫌な振動が伝わってくる。
(まずい)
次の瞬間、俺が駆けていた城壁の通路に、大きな亀裂が走った。
石材が砕け、崩れた破片が次々と内側へ落ちていく。
……構成言語が、消えた。
グリッチがいなくなったことで、この場所そのものが維持できなくなったのか。
俺は躊躇なく、崩れゆく城壁から身を投げた。
骨だけの体が、瓦礫の雨の中へと放り出される。
空中で体勢を捻る。
落下地点。
風向。
着地点。
骨の爪先が、瓦礫の隙間を捉える。
俺は、崩れ落ちる城壁を背に、黒い瓦礫の街へと着地した。
着地の衝撃を殺しながら、俺はすぐに視線を前へ走らせた。
――その時だった。
崩れたはずの瓦礫が、ひとりでに震え始める。
小石が跳ねる。
砕けた石柱が軋む。
次の瞬間、散らばっていた瓦礫が、何かに引き寄せられるように一斉に浮き上がった。
(……集まっている?)
石と石がぶつかり合い、砕け、削れ、それでも止まらない。
まるで見えない骨格でもあるかのように、瓦礫は次々と組み上がっていく。
脚。
胴。
腕。
そして、人を見下ろすほど巨大な頭部。
黒い城塞都市の瓦礫から生まれたそれは、まるで墓標そのものが立ち上がったようだった。
(……ゴーレム)
その胸部――組み上がりきっていない石の隙間に、黒い煤が流れ込むのが見えた。
風に消えたはずの、あの煤。
間違えるはずがない。
(グリッチ……!)
煤は、まるで中枢へ帰るように石の奥へ染み込み、次の瞬間、ゴーレムの両目に鈍い光が灯った。
その瞬間、理解する。
あいつは、俺の「指先」を恐れている。
直接触れさせないための外殻。
俺に触れられる前に、鎧を纏ったんだ。
「ああ、物理は苦手だ」
思わず呟いた。理由はない。
ゴーレム(グリッチ)の質量が唸る。
振り上げられた巨大な拳が、視界いっぱいに迫っていた。
躱せない。
判断より先に、両足が瓦礫を噛んでいた。
受けるしかない。
だが、分かっている。
どんなに踏ん張ったところで、この質量を正面から止められるわけがない。
次の瞬間――
衝撃。
俺の体は、砕けた瓦礫ごと後方へ弾き飛ばされた。
それでも――。
着地した時にはもう立っていた。
平衡を失うという概念は、俺には存在しない。
どれだけ振り回されようと、世界が回ろうと関係なかった。
痛みもない。
肉体を持たない――それが、俺の利点だ。
だが、ゴーレムも、さっきの場所にはいない。
視線を上げた瞬間、空が塞がった。
巨大な質量が、影となって俺に落ちてくる。
(……これだ)
横からじゃ、力が逃げる。
なら、下へ叩き込ませればいい。
俺がどうなるか……それはどうでもいい。
地面ごと挟み込めば、衝撃は逃げない。
(この骨が、岩なんかに砕かれるはずがない)
ゴーレムの拳が、俺の頭を地面へと押し込もうとする。
砕けた石材が弾け、地面が陥没する。
それでも、沈んだのは腰までだった。
(……入った)
今度は〝俺が〟ゴーレムの懐へと潜り込む。
そして、手を伸ばした。
グリッチに触れるために。
だけどその時だ――
キン!
(……頭から、何かが――)
その音を聞いた瞬間、俺の思考はすべて停止した。




