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021話 ~ 英雄王の名は、まだ骨の中にある

 光の牢に閉じ込められている俺。


 左には騎士メーディス。

 右には少年騎士レッシュー。

 二人の騎士は、俺の檻に近づきすぎない距離を保ちながら、その左右を歩いていた。

 閉じ込めた檻は地面から浮き、静かに運ばれている。


 前方では、同じように運ばれているグリッチが、夜明けと共に牢の中で丸くなっていた。

 今はもう、ただの黒い塊にしか見えない。


 太陽の光を嫌うのか。

 夜になれば、またあの不気味な子供の姿へ戻るのか。

 それとも、このまま消えるのか。


 グリッチも、キルと同じような知識しか持っていない可能性はある。


 それでも――


 俺の骨が、グリッチへの関心を強くしていた。

 この感覚……ラフィウスのものだと、分かる。


 だが――


 それなら、俺は。時史で、いいのか。


 記憶がない。


 それが、とても不安になる。


(……俺は、誰だ)


 ――でも平気だ。


 この言語は、読めるようになった。


 光の牢。


 違う。


 この槍は、砂糖だ。

 触れれば、ぽろぽろと崩れる。


 形を失った格子をすり抜け、俺は地面へと降りた。


 レッシューは、目を見開いたまま固まっている。

 メーディスは、今まさに剣を抜こうとしていた。


 もう遅い。

 俺はグリッチの元へと駆ける。

 砂糖に包まれた、黒い記憶素子。


(どうしても欲しいんだ……お前が)


 グリッチを運んでいた騎士二人も、わずかに俺の速さへ届かない。


 届く。

 俺は、そのまま飛びついた。


 砕けた砂糖と一緒に、動かないグリッチへ――

 夜明けと共に眠りについたはずの、あの小さな背中へ。


(――!?)


 掴み取ろうとした指先が、虚空を泳ぐ。


 手応えがない。

 あるはずの質量も、感触すらも、そこには存在しなかった。


(まさか…… 実体が、ない)


 グリッチに触れた瞬間、理解した。


 これはグリッチそのものではない。

 ただの、抜け殻としての「煤」だ。


 太陽で溶けた――違う。


 煤は、最初からそこに積もっていただけだ。

 俺は〝縁〟を確かめる為に、さらに意識を研ぎ澄ませた。

 その瞬間だった。


 トゥーン――。


 まるで鼓膜を突き刺すような、甲高い音が響いた。

 次の瞬間、世界が上下左右を失い、高速で回転しだす。


(……体が、ない)


 視界が激しく揺れ、自分がどこを向いているのかも分からない。

 頭蓋骨だけが放り出され、青い空の中をひとり回転しているような、奇妙な浮遊感に包まれる。


 回転は、少しずつ鈍っていく。

 回る視界の端で、首から下を失った俺の体が、必死に手を伸ばしながらこちらへ走ってくるのが見えた。自分の体が、自分の頭をキャッチしようと懸命に地を駆ける。

 滑稽だ。だが、必死だった。


(……やられたな)


 ようやく視線が水平を取り戻したとき。

 さっきまで「黒い塊」が丸まっていたはずの場所には、鋭い剣を構えたクラリスが立っていた。


 俺の頭が、地面に落ちた所で壊れるわけではない。

 だが、俺の体はきちんと頭蓋骨を受け止めていた。


 無意識のまま前後を確認していて気づく。

 いつの間にか、右腕も元通りになっていた。

 リーナの手元から飛んで来たのだろう。


「ポ、ポチ! 頭、切られて飛んでったよ。平気だよね? ……ね?」


 リーナが駆け寄ってくる。


 その背後で、クラリスは剣を鞘へ収めると、煤へ指先を伸ばした。

 そして、視線を逸らしてから俺に声を掛けてきた。


「骨君、私の手が届くのが遅かったおかげで、こいつの中身がわかってよかったな」


(……言い訳に聞こえる)


「グリッチ戦を考えて、主導権を握っておきたかったんだろ。俺自身、自分が何を求めているのか、まだよく分かっていない。あんたが俺を疑うのは、仕方のないことさ」


 言葉にしてみると、自分でも驚くほど整理されていた。

 急速に知性化している。

 クラリスの思惑も、適切な情報さえあれば、今の俺なら言語化できるのかもしれない。


「そうだな……。知性的なモンスターは、討伐の前に捕獲が優先だ。……とはいえ、君は犬だったようだからな」


 クラリスは、煤の付いた指先を眺めながら、小さく息をついた。


「一体、何なんだ。君は。……骨君」


 クラリスの問いには、答えられない。

 記憶もない。

 頼れる本能として、残っているのは犬だった頃だけだ。


「ラフィウス――の、はずだ……」


(もっと自信を持って言えればいいが……)


 自分でも驚くほど、その響きには迷いがあった。

 記憶が戻ったわけではない。

 ただ、急速に冴え渡る思考の奥底で、その五文字が奇妙に熱を持っていただけなのだ。


「ラフィウスとは?」


 問い返したクラリスの眉が、ピクリと動く。

 彼女の反応に、俺の方こそ一瞬戸惑ってしまった。

 知性化が進んだところで、俺にあるのは「今」と、わずかな犬としての本能だけだ。


「……伝説の英雄王、ラフィウスのことか?」


 クラリスが、探るような、あるいは試すような視線を投げてくる。

 その名は、辺境に忘れられた墓よりも遠く、今では歴史書の中でしか息をしていない存在なのだろう。


「でも、その名前でちゃんと反応してたよ」


 リーナが、迷いのない声で割って入った。


「私が最初に呼んだ時も、ポチ、ちゃんとこっちを見てたもん」


(リーナ……)


「たぶん……としか言えない。感覚だけだ。証明できるものなど、何もない」


 正直に答える俺を、クラリスはじっと観察していた。


 続いて、リーナにも視線を向ける。


「骨君が話してきたことを、すべて繋げて考えると――

 あの子供のようなグリッチも、君が殺したであろうキルも、〝魔物〟として説明はつく」


 クラリスは、そこで一度言葉を切った。


「……だが、話が綺麗に繋がりすぎる。そういう時ほど、疑った方がいい。」


 クラリスはそう言い残すと、俺やリーナを置いていくように、すぐさま騎士たちを集め、小規模な会議を始めてしまった。


(……魔物、か)


 その言葉自体に、俺の記憶は反応しない。


 だが、この骨の髄に刻まれた、あの不快で冷たい感触――

 本能が「敵」と判断した存在の気配を思い出せば、

 その〝魔物〟という言葉が持つ重みは、不思議なほど自然に腑へ落ちた。


 グリッチ、キル、そして今の俺。

 それらを繋ぐ〝縁〟。


 急速に知性化していく俺の思考は、クラリスが提示したその枠組みを、まるで欠けていた一片を埋めるように受け入れていく。


「ポチ……大丈夫?」


「リーナは魔物を知っているかい?」


 リーナの見た目は、パッチワークで出来た少女。

 それでも彼女は、俺のように立ち止まらない。

 迷っても、考え込んでも、最後には自分の感覚で前へ進んでしまう。

 少しだけ、羨ましかった。


「……魔の王に仕える者。私は、昔話に出てくる魔法王カラズのことだと思ってたけど……もしかして、ポチが考えているのと同じやつ?」


「それは、墓石に刻まれていた詩のことか」


「そう。あの文字、逆さからでも読めるし、組み換えると呪文になったりするんだよ。私はまだ、難しくて全部は読めないけど……」


 リーナはそう言って、小さく胸を張った。


(……逆さでも、組み換えても、か)


 その言葉に、俺の思考が静かに反応する。


 墓石の詩。

 グリッチ。

 そして――魔物。


 言葉と言葉が、頭の中で繋がっていく。

 魔物――そして、魔王。


 その文字を認識した瞬間。

 グリッチへと繋がる〝縁〟が見えた。

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