参 私たちしか見えないんでした.....
「はやい! ねえ、またおうちあった!」
長野へ向かう新幹線の窓際で、ライラックが跳ねた。
九十九神帖の八十三番、大陀羅踏地。その所在をオモイカネから聞いた凪たちに、彩心も同行することになった。
流れていく景色を追いかけ、赤い軸がまた跳ねる。彩心は転がりかけたライラックを押さえ、そっと窓から離した。
「迷惑になるから。もうちょっと静かにね」
「なんで?」
「ほかの人もいるでしょ」
声を潜めて通路の方を見る。少し離れた席では、男の人が目を閉じていた。前の席からは、新聞を捲る音が聞こえる。
「その子の声なら、気にしなくていいよ」
向かいからキュウさんが言った。膝には長野の観光本が開かれている。
「ここにいる大抵の人には、聞こえてないからねえ」
「……声も、ですか?」
「姿も声もさ。普通は、私らがそこにいるとは気づかないんだよ」
彩心は手の中のライラックを見た。筆先が窓へ向いたまま、忙しなく揺れている。
「私も、この子が喋るまでは分からなかったです」
「今までにも、会ってたかもしれないねえ」
彩心は車内を見回した。荷物棚に鞄が並び、座席の背に上着が掛かっている。どれも普通の物にしか見えなかった。
「有神者になると、分かるようになるんですか?」
「ああ。それか、付喪神の方から働きかけるかだね。向こうから話しかけてきたりすれば、契約してなくても気づくことはあるよ」
「じゃあ、ライラックが黙ってたら、私もずっと……」
「でも、おはなししたかったもん!」
ライラックが振り向いた。
「……うん。おかげで、今こうなってるんだけどね」
軸を指で撫でると、ライラックはまた窓へ向き直った。
「キュウさんみたいに、人の姿になってても同じなんですか?」
「姿と、見えるかどうかは別さ。今の私も、ほかの人には見えてないよ」
「えっ」
彩心は向かいの席を見直した。狐面に和服姿のキュウさんは、ごく普通に観光本を捲っている。
「切符代も馬鹿にならないからねえ」
「……そういう理由ですか」
「浮いた分で、おいしいものでも食べようじゃないか」
人の通る気配に、キュウさんが足を引いた。通路側の席に浅く腰掛け、いつでも立てるようにしているらしい。
「誰かが座ろうとしたら、どうするんですか?」
「退くよ。見えないからって、座られて平気なわけじゃないからね」
言いながら、通り過ぎる乗客を見送った。
「ただ、彩心」
「はい?」
「お前さんの声は、皆に聞こえてるよ」
彩心は口を閉じた。
通路を挟んだ席の人が、こちらをちらりと見て、手元へ視線を戻す。
「……先に言ってください」
「静かにしようとしてるところへ、口を挟むのも悪いかと思ってねえ」
少しも悪いと思っていなさそうな声だった。
彩心はライラックを窓際に落ち着かせ、スケッチブックを取り出した。鉛筆も出して白い頁を開くと、ライラックが筆先を寄せてきた。
「なに描くの?」
「凪さんたち」
今度は小声で答えた。
向かいでは、キュウさんが観光本を眺めていた。片方の手で頁を押さえ、時折、写真のそばへ指を滑らせる。
その隣の凪は、スマホを見つめたままだった。親指で画面を送り、止め、また少し戻す。
彩心は二人の輪郭を描き始めた。揺れる車内では線が少しぶれるけれど、何度か重ねるうちに形になっていく。
キュウさんの袖を描いてから凪を見ると、まだ同じ姿勢だった。熱心に何を読んでいるのだろう。
尋ねようとしたところで、観光本の向こうから声がした。
「道中くらい、九十九神帖ばっかり眺めるんじゃないよ」
凪の指が止まる。
「……今、途中」
「さっきも途中だったろう」
凪は画面へ目を落としたまま、少しだけスマホを膝へ下げた。
「スマホでも読めるんですね」
彩心が言うと、凪はこちらを向いた。
「うん。写してあるから」
「ずっと見てますよね。家でも、よく」
口にしてから、責めるように聞こえただろうかと気になった。彩心は鉛筆を止めた。
「あの、気になってたんですけど」
「……何?」
「どうして、九十九神に会いに行くんですか?」
凪はスマホの画面を消し、隣のキュウさんへ顔を向けた。
「話すなら、まず……キュウさんと会った時のことからで、いいかな」
キュウさんは観光本から顔を上げ、頷いた。
「ああ。そこから話しておやり」
「十歳の時に、知らない男の人から渡されたの」
凪は消えたスマホの画面へ指を置いた。
「キュウさんと、九十九神帖を」
「二つ、一緒にですか?」
「うん。フードを被ってて、顔はよく見えなかった」
彩心は鉛筆をスケッチブックの上へ置いた。
「その人が、前の持ち主だったんでしょうか」
「それも、分からない。キュウさんも、覚えてないから」
キュウさんが観光本を閉じた。
「凪と会う前のことは、さっぱりなんだよ。どこにいたのか、誰といたのか。自分がどうして生まれたのかもね」
「……記憶が、ないんですか?」
「ああ。昔話を聞かせてやれないのが残念だねえ。長く生きてりゃ、面白い話の一つくらいありそうなもんなのに」
彩心は狐面を見つめた。これまで、分からないことを尋ねれば、たいていキュウさんが答えてくれた。そのキュウさんにも、知らない自分のことがある。
「それから、ずっと一緒に?」
「うん」
凪が頷いた。
「キュウさんと九十九神帖を貰った日に、家族がいなくなって。それからは、一緒に暮らしてる」
彩心は返事をしかけて、口を閉じた。
窓の外を建物が流れていく。車輪の音が、急にはっきり聞こえた。
「……いなくなったって」
「皆、行方不明。どこへ行ったのかも、何があったのかも分からない」
凪の指がスマホの縁をなぞった。
「だから、探してる」
彩心は膝のスケッチブックへ目を落とした。描きかけの二人が並んでいる。
「すみません。私……」
「ううん」
凪が首を振った。
「一緒に来てもらうんだから、話しておかないとって、思ってた」
彩心は小さく頷いた。
「当時の四十七傑には、随分世話になったよ。十歳の子供と、何も覚えてない面だけじゃ、どうにもならないことも多かったからねえ」
「その人が、オモイカネ達を後継に選んだの」
凪が言った。
「私たちの事情も、引き継いでくれてる」
「それで、九十九神を探してくれてるんですね」
「うん。家族のことと、あの男の人のことも……何か分かったら、教えてほしいって頼んでる」
凪はスマホを持ち直し、画面をつけた。細かな文字と絵の並ぶ頁が現れる。
「これとキュウさんを渡されて、その日に家族が消えた。何か繋がってるかもしれないし……ここに載ってる誰かが、知ってるかもしれない」
「キュウさんの、昔のことも?」
「うん。だから、一体ずつ会って、聞いてる」
「今までにも、会ったことがあるんですよね?」
彩心が画面を覗き込んだ。
「うん。私たちの事情を知って、協力してくれてる相手もいる」
「じゃあ、皆さん、話を聞いてくれるんですか?」
「皆じゃないけど……普通に、人の中で暮らしてるのもいるよ。気難しい職人みたいなのとか」
「人の中で?」
「仕事もしてる。話してる途中でも、気になる彫り跡を見つけると、そっちへ行っちゃうけど」
「腕はいいんだよ。愛想まで期待しなけりゃねえ」
キュウさんが付け足した。
「でも、話ができる相手ばかりじゃない」
凪は頁を送る指を止めた。
「凶暴な鬼もいた。あの時は……討伐するしかなかった」
彩心が顔を上げる。
「倒したんですか?」
「……うん。放っておけなかったから」
キュウさんが彩心へ顔を向けた。
「力を貸してくれる奴もいれば、人間みたいに暮らしてる奴もいる。九十九神って呼ばれてても、色々さ」
「会うまで、分からないんですね」
「そういうこと。だから、今回も用心はするよ」
凪が頷いた。
「危ない時は、私たちから離れないで」
「……はい」
彩心の指先に、ライラックが触れた。窓から戻ってきて、スケッチブックの上に転がっている。彩心はその軸をそっと押さえた。
「今まで会った中に、ご家族のことを知ってる人は……」
「まだ、見つかってない」
凪は画面を伏せた。
「でも、今回の相手が何か知ってるかもしれないから」
彩心は少し迷ってから、凪へ顔を向けた。
「私にできることがあったら、言ってください」
「……いいの?」
「できることは少ないですけど。絵を描いたり、何か残したりなら、できると思うので」
「……ありがとう」
「頼もしいねえ。その子の出番も、ゆっくり考えていけばいいさ」
キュウさんに言われ、彩心は頷いた。
話が途切れたところで、ライラックがキュウさんの膝へ筆先を向けた。
「ねえ、それなに?」
「これかい?」
観光本が持ち上がる。閉じかけの頁に、野沢菜おやきの写真が覗いていた。
「おいしそうなの、あった!」
「さっきから見てたの?」
彩心が尋ねると、ライラックが跳ねた。
「あった!」
キュウさんが本を開き直した。
「長野に着いたら、何を食べようかと思ってねえ」
「見せてもらってもいいですか?」
「もちろん。ほら、この辺なんかどうだい」
彩心がスケッチブックを閉じ、本へ身を寄せる。ライラックもその手の中から覗き込み、写真が変わるたびに声を上げた。
凪は二人を見てから、伏せていたスマホへ目を落とした。
ほとんど旅行気分だ。
そう思ったが、口にはしなかった。
「せっかく行くんですし、おいしいものも食べたいですね」
彩心が言った。さっきまでより、少し明るい声だった。
「いいこと言うじゃないか。寄れるところは寄っていこう」
「これも!」
ライラックが写真へ筆先を伸ばす。
「それ、さっきも見たでしょ」
「こっちも!」
「そんなに食べられないよ。……でも、これもおいしそうですね」
「だろう? こっちの頁も見てごらん」
凪は本を覗き、それから通路を挟んだ席へ目を向けた。
乗客が彩心を見ていた。彩心が笑うと、その視線がキュウさんのいる席へ移り、また彩心へ戻る。
「あの……」
「凪さんも、気になるのありました?」
顔を向けられ、凪は少し迷った。
「……ううん」
彩心は楽しそうに、本へ視線を戻した。
キュウさんのいる席は、ほかの乗客には空席に見えている。
そのことを彩心が思い出したのは、長野に着く、直前。
野沢菜の話題で盛り上がっている時の東雲凪の内心
「……野菜なのに、なんで二人ともそんなに楽しそうなんだろう。」
(嫌いなもの 野菜)




