拾肆 絵空事はカケル
五日目の朝、彩心は朝食の皿を下げる前に、窓の外へ目を向けた。
庭には、昨日使った目印がまだ並んでいる。今日は少し間隔を狭くしてみようか。そう考えていると、向かいからカンペが差し出された。
『今日は外に出てみようか』
「外、ですか?」
芙梨が頷く。
隣では心叫が最後の一口を飲み込み、空いた皿を重ねていた。芙梨に肩を叩かれると、カンペへ目をやる。
「もう行くのか」
芙梨が手を差し出した。
長い黒髪が縮み、男の姿が黒い拡声器へ変わる。芙梨はそれを受け取り、口元へ寄せた。
「ここでは、随分できるようになったでしょう。そろそろ、相手がいるところでも試してみようかと思って」
「……実戦、ですか」
「うん。ただ、昨日までとは違うからね」
彩心は膝の上で手を重ねた。
動かない目印なら、描き損ねても待ってくれる。ライラックと話し合って、もう一度やり直せる。
長野の山では、そんな時間はなかった。
「怖かったら、今日はまだ練習でもいいよ」
芙梨は、こちらの返事を待っていた。
彩心は窓から目を戻す。
「やってみたいです」
「大丈夫そう?」
「怖くないわけじゃ、ないですけど……」
椅子の背に掛けた鞄から、付箋のついたスケッチブックが覗いている。
この四日間、開いて、描いて、何度も書き直した。自分とライラックに何ができるか、少しは分かってきた。
「今なら、何もできずに終わることはないと思います」
隣でライラックが浮き上がった。
「ぼくもいるよ」
「うん。一緒にお願いね」
芙梨が小さく頷いた。
「分かった。私もそばにいるから。難しそうなら、その時はちゃんと言って」
「はい」
彩心が皿を持って立ち上がると、芙梨もスマホを手に取った。
「じゃあ、聞いてみようか」
*
食器を片づけて戻ると、芙梨は窓際で心叫を握り直していた。
「届けて、心叫」
「誰にだ」
「別荘の持ち主」
芙梨がスマホを操作し、机へ置く。
呼び出し音が鳴る間も、唇は動いていた。けれど、心叫から声は聞こえてこない。
彩心が向かいへ座ったところで、呼び出し音が途切れた。
『電話をかけている最中に、話し始める奴があるか』
「……おはようございます」
彩心が挨拶すると、スマホの向こうの声が少し張った。
『おはよう、彩心。どうだ。俺が選び抜いた環境での修練は』
「はい。おかげさまで、色々と試せました」
『そうだろう。あれだけの敷地と蔵書を揃えられる者など――』
芙梨の唇が動く。
オモイカネが言葉を切った。
『分かっている。今、聞いた』
芙梨は気にした様子もなく、心叫を口元へ寄せたまま待っていた。
彩心はスマホと芙梨を見比べ、声を挟まずにおく。
『近くに一件ある。ちょうど、誰かを向かわせようと思っていたところだ』
芙梨の目が細くなる。
『自転車の付喪神だ。ママチャリだな。今は人の姿で、トンネルの辺りを走り回っている』
「自転車……」
『姿は年寄りの女だが、脚は達者だ。見かけで判断するなよ』
彩心は、先ほどまで考えていた庭の目印を思い出した。
今度の相手は、待っていてはくれない。
『今朝、持ち主を亡くしたらしい』
オモイカネが続けた。
『まだ誰も襲ってはいない。ただ、あの調子で走り続けていれば、そのうち事故になる。まずは止めて、話を聞いてやってほしい』
「……分かりました」
芙梨がこちらへ顔を向けた。
「走る相手なら、昨日までの練習も使えそうだね。ただ、止める時は気をつけよう。向こうも落ち着いてないだろうから」
「はい」
『場所を送る。何かあればすぐに連絡しろ。頼れる目を持つ俺がいるんだ、遠慮はいらん』
電話が切れると、彩心は鞄を膝へ引き寄せた。
スケッチブックを確かめ、ライラックへ手を差し出す。
「今日は、芙梨さんたちも乗るからね」
「うん。ゆっくり、曲がる!」
芙梨がスマホに届いた地図を開いた。
「それじゃ、案内は私がするよ」
庭へ出ると、彩心はスケッチブックを開いた。
二人で座れる幅を確かめながら絨毯を描き、ライラックを握り直す。
「描こう、ライラック」
「今日は、みんなで乗るんだね!」
頁から広がった絨毯が、芝生の上へ下りた。
彩心が前へ座り、芙梨がその後ろへ乗る。二人分の重さがかかっても、絨毯は傾くことなく庭を離れた。
「このまま、あの道に沿って行ける?」
「はい。ライラック、お願い」
赤い筆が前へ出た。
絨毯の先がわずかに持ち上がり、木々の間を延びる道に沿って曲がる。彩心もその動きに合わせて体を傾けた。
「乗り心地、どうですか?」
「いいよ。落ち着いて乗れる」
「揺れてないですか?」
「うん。心叫は?」
「悪くない」
彩心は少し笑い、握っていた絨毯の端から片手を離した。
風が髪を後ろへ流していく。地面からこれだけ離れていても、初めて乗った時ほどの怖さはなかった。ライラックがどこへ向かおうとしているのか、絨毯の動きから分かる。
体の疲れも、思ったほどではなかった。
二人を乗せられる大きさだから、もっと消耗するかもしれないと考えていた。けれど、厚みのある動物を出していた時より、ずっと楽だった。
彩心は膝の下の薄い布へ目を落とした。何を描くかで、まだ知らない違いがありそうだった。
「彩心。前、見てて」
「あ、はい」
顔を上げる。
道が緩く曲がった先に、山肌へ開いた暗い穴が見えた。
「あれですか?」
「うん。入口の手前で降りよう」
ライラックが速度を落とす。
木々の上から道へ下りていく途中で、芙梨のスマホが鳴った。
「……オモイカネ?」
芙梨が電話に出るのと同時に、彩心はトンネルの前に人影を見つけた。
大きな鞄を肩から下げた、小柄な女だった。
絨毯が路面へ下りる。
彩心は芙梨に続いて地面へ足をつき、ライラックへ声をかけた。
「ありがとう。もう消していいよ」
「うん」
足元の絨毯が消えた。
彩心は女へ目を戻す。
この人だろうか。
年寄りの姿だと聞いていたけれど、そうは見えなかった。
『そこに見知らぬ女がいる。今すぐ離れろ!』
電話の向こうの声が、彩心にも聞こえた。
芙梨が顔を上げる。
「彩心、戻って」
呼びかけられた時には、女の向こう側が見えていた。
トンネルの壁際に、灰色の髪をした老婆が座り込んでいる。女はその腕を掴み、もう片方の手を添えていた。
細い筒が、光った。
老婆の腕へ、針が刺さっている。
女の親指が注射器の端を押し込むのを、彩心は見てしまった。
「え……」
針が抜かれた途端、老婆が身を仰け反らせた。
甲高い叫びがトンネルへ響き、奥から幾重にも返ってくる。老婆は腕を振り払い、壁に手をついて立ち上がった。脚がもつれ、肩がコンクリートへぶつかる。
彩心は一歩後ずさった。
ライラックが肩のそばへ戻ってくる。
「何をしたの!」
芙梨の声に、小柄な女が振り返った。
手にはまだ、空になった注射器を持っていた。
「あれ。お客さん?」
老婆がまた叫んだ。
胸元を掻きむしり、その場で細かく路面を蹴っている。女は肩越しにそれを見て、注射器を鞄へしまった。
「ああ。私のお薬で、ラリってるんだよねぇ」
隣で、芙梨が電話を耳から離した。
スマホをポケットへ滑り込ませ、心叫の口を女へ向ける。
「その人に、何を入れたの」
「元気になるやつ。ちょっと効きすぎたかなぁ」
女は老婆を眺め、鞄の口を閉じた。
老婆の脚は止まらない。壁へ肩を擦りつけながら、喉の奥から声を絞り出している。
「戻せるんでしょう」
「さあ。まだ試してるところだし」
芙梨が心叫を握り締めた。
女は気にする様子もなく、こちらへ歩いてくる。
「じゃ、私、もう行くねぇ」
彩心は身を強張らせた。
女が二人の脇を通り過ぎる。芙梨はその動きに合わせて体を捻り、心叫を向け続けた。
「彩心、こっちへ」
芙梨に促され、彩心も一歩下がった。
女から距離を取ろうとしたところで、その足音が止まる。
「でも、やっぱり」
女の手が、開いた鞄から抜けた。
「見られてるのは、まずいか」
小瓶が飛んできた。
「避けて!」
芙梨が彩心の腕を引き、一緒に道端へ飛び退いた。
小瓶は二人のいた場所へ落ち、砕けた。白い煙が噴き出し、路面へ手をついた彩心に迫る。
芙梨が片膝をついたまま、心叫を構えた。
此処で生きる者の代弁者
握りから中指が外れる。
「退け!」
声が煙を押し流した。
白い塊が路面を這い、女の方へ返っていく。女は横へ跳び、鞄を抱えて煙の外へ逃れた。
「うわ。うるさ」
彩心は咳き込みながら立ち上がった。
背後で、靴底が路面を蹴った。
「彩心、後ろ!」
振り向いた時には、灰色の髪が迫っていた。
芙梨が腕を掴み、彩心を横へ引く。老婆はすぐ脇を駆け抜け、そのまま女の方へ突っ込んでいった。
「ちょっとぉ!」
女が道端へ飛び退く。
老婆は三人を通り過ぎても止まらず、曲がり角で大きく体を傾けた。靴底を擦る甲高い音が響く。
彩心は、その背中を目で追っていた。
向きが変わる。老婆の顔が、再びこちらを向いた。
「戻って――」
「左右に分かれて!」
芙梨の手が離れた。
彩心は道の端へ跳んだ。反対側へ退く芙梨との間を、老婆が突き抜ける。上着が風に引かれ、彩心は足をもつれさせながら踏み留まった。
老婆はトンネルへ駆け込み、暗がりの中で叫んだ。
足音が幾重にも重なる。彩心が振り向くと、入口の向こうで、その姿がまたこちらへ向き直ろうとしていた。
「そっちも元気になったねぇ」
外の道から、女の声がした。
芙梨が彩心のそばへ戻りながら、心叫をそちらへ向ける。女の指には、もう別の瓶が挟まれていた。
トンネルの中では老婆が地面を蹴り、反対側では女が瓶を揺らしている。
芙梨は両方へ目を配りながら、彩心を道端へ寄せようとした。
彩心は鞄からスケッチブックを引き抜いた。
指先が滑ったが、頁を開く。
「芙梨さん。後ろは、私に任せてください」
芙梨がこちらを見た。
「一人で?」
「止めます。あの人を」
彩心はトンネルへ目を向けた。
声にすると、喉が少し震えた。それでも、開いた頁を閉じる気にはならなかった。二人とも芙梨に任せていたら、描く時間さえなくなってしまう。
ライラックが彩心の手へ収まった。
「彩心、来るよ」
老婆が加速していた。
路面を蹴る音が、見る間に近づく。
「分かった。無理なら、すぐ呼んで」
「はい!」
芙梨が女へ向き直った。
彩心は道の中央から離れながら、白い頁へ筆を走らせる。
大きく開く口。踏ん張るための脚。
昨日、何度も描いた形だった。
背後で瓶の割れる音がした。
芙梨の声が、それを押し潰す。
彩心は振り返らず、描き終えた頁を前へ向けた。
「フーフー狼!」
灰色の狼が頁から飛び出し、路面へ四肢をついた。
胸が膨らむ。噴き出した風が老婆を捉え、灰色の髪を後ろへ流した。
老婆の上体が仰け反った。
それでも脚は止まらず、靴底が音を立てて路面を擦る。
「ああああっ!」
叫びが風に混じった。
老婆は片手で頭を掻きむしりながら、もう片方の腕を振り回した。目を閉じたかと思うと、急に見開き、狼を睨む。
彩心は息を呑んだ。
老婆の口が歪み、引きつった笑い声が漏れる。その姿が、風の脇へ逸れた。
「ライラック、横!」
狼が首を向ける。
その顔へ、老婆の手が食い込んだ。
灰色の体が持ち上がり、路面へ叩きつけられた。
耳が潰れ、脚が折れる。老婆はその上へ何度も踵を打ち下ろした。狼の輪郭が崩れ、足の下から消えた。
彩心の筆が止まった。
遠くで、芙梨の声が響いた。
道の向こうに白い煙が上がり、その端を小柄な女が走っている。芙梨も女を追って動いていた。ここからでは、何を叫んだのかまでは聞き取れない。
老婆が顔を上げた。
今度は、彩心を見ていた。
「……っ、ライラック!」
頁をめくる。
老婆が走り出した。彩心は道端へ退きながら筆を走らせたが、顔を上げた時には、もう目の前だった。
「もこもこ羊!」
白い毛の塊が、二人の間へ飛び出した。
老婆の肩が突っ込み、毛が深く沈む。羊の体が押し流され、彩心は逃げようとした足をもつれさせた。
背中がトンネル脇の壁へぶつかった。
息が詰まる。
羊の向こうで、老婆が腕を振り下ろしていた。
何度も、何度も。白い毛に手を突っ込み、掴んで引き裂こうとしている。
「やめて……!」
老婆がこちらを見た。
涙と涎で濡れた顔が、毛の向こうから迫る。
甲高い笑い声とともに、白い体が壁へ押し潰された。
彩心は横へ身を投げ出した。すぐ背後で鈍い音が響き、頬へ細かな破片が当たる。
振り返ると、羊はもういなかった。
老婆の拳が、壁に食い込んでいる。
彩心は膝を引き寄せ、立とうとした。
脚が震える。スケッチブックの角が路面に引っかかり、開いた紙が折れた。
「彩心、描いて!」
手の中でライラックが呼んだ。
彩心は紙を押さえ、赤い線を引く。丸い背中と、長い耳。その隣へ、もう一匹、もう一匹。
老婆が壁から腕を抜く音がした。
「アチアチ兎!」
三匹の赤い兎が、老婆の足元へ跳んだ。
炎が脚へ触れ、老婆が悲鳴を上げる。蹴り飛ばそうとした足の脇を一匹が抜け、別の一匹が反対側へ回った。
彩心は立ち上がった。
背中が痛む。息を吸うと脇腹まで引きつったが、止まっていられなかった。
老婆が兎を追って足を振り下ろす。その間に、彩心は入口の前へ回り込んだ。
「こっち……来ないで」
兎たちが彩心の前へ戻る。
老婆は火を避けて下がったかと思うと、突然、横から駆け込んできた。
彩心は壁際へ逃れた。
肩を掠めた腕が服を引き、布の裂ける音がした。老婆は止まりきれず、トンネルの中へ走り込んでいく。
その先に、出口が見えた。
真っすぐな道が、明るい穴へ続いている。
彩心は新しい頁を開いた。
昨日、どうしても曲がらせられなかった。
速すぎて、ライラックが止めようと思った時には、もうそこを通り過ぎていた。
今なら。
黄色を置く。
長い脚から胴へ、首から頭へ。筆を急がせるたび、擦りむいた指が痛んだ。
老婆がトンネルの中で向きを変えた。
入口へ走ってくる。その顔を見て、彩心の手が止まりかけた。
「ライラック、兎!」
一匹が正面へ跳び、残る二匹が左右へ広がった。
老婆は顔を庇って身を捩る。壁際へ抜けようとすると、そこにも赤い火が回り込んだ。
老婆が叫び、腕を振り下ろした。
兎の体を指が掠め、火が散る。その脇から別の兎が跳び上がり、老婆を押し戻した。
あと少し。
彩心は最後の線を引いた。頁を持ち上げる。
腕が震え、紙の向こうで老婆の顔が揺れた。
「落雷黄馬!」
黄色い光が紙から溢れた。
前脚が伸び、大きな胸が現れる。彩心の頭を越えたところで首が起き上がり、たてがみが青白く弾けた。
毛並みはなかった。幾筋もの稲妻が絡み合い、馬の形を作っていた。
膝から力が抜けた。
彩心は壁へ肩を預け、スケッチブックを支える。
老婆の笑い声が途切れた。
光る巨体を見上げ、身を翻す。兎にも彩心にも目を向けず、トンネルの奥へ全速力で逃げ出した。
「行って!」
馬が路面を駆ける。
黄色い閃光が走り、逃げる背中を貫いた。
老婆が絶叫した。
馬の頭も胴も、その体を通り抜けていく。両腕が引きつり、脚が伸びきった。老婆は前へ倒れ込み、勢いよく路面を滑っていく。
雷鳴がトンネルを満たした。
馬はその先へ駆け抜けたが、出口へ届く前に脚の形がほどけた。胴が裂け、たてがみが散り、光の筋が壁を照らして消える。
彩心は壁にもたれたまま、奥を見つめた。
老婆は動かなかった。もう叫び声も、走る音もしない。
「……彩心。止まったよ!」
ライラックの声に、ようやく息を吐いた。
膝が折れ、彩心はその場へ座り込んだ。入口に残っていた赤い兎たちも、輪郭を失い、火の粉になって消えていく。
彩心は描いた狼の上へ、考えた名前を書き添えた。
「暴風の咆哮」
「……ぼう?」
ライラックが文字の前で止まった。
「強い風を吹く、ってことだよ」
「フーフーする狼?」
「うん。そうなんだけど」
向かいから芙梨が覗き込む。
「フーフー狼。覚えやすくていいね」
「そっちですか?」
「何をするか、すぐ分かるし」
「ぼく、そっちがいい!」
彩心は書いた文字を見つめ、その横へ『フーフー狼』と書き足した。
「じゃあ、次は羊ですね」
「これは、もこもこだろ」
心叫が言った。
「まだ何も説明してないんですけど」
「見れば分かる」
「もこもこ羊!」
ライラックが嬉しそうに繰り返す。
彩心は用意していた名前を口に出さず、白い羊の下へ書き込んだ。
「兎は?」
芙梨が次の頁を指した。
「火でできてて、触ると熱いので……」
「アチアチ?」
「アチアチ兎!」
芙梨の言葉を、ライラックがすぐに拾った。
彩心はペンを止め、二人を見た。
「……もう決まりましたね」
「彩心は、何てつけるつもりだったの?」
「いえ。分かりやすい方が、いいですから」
書き終えた三つを、ライラックが順に読んでいく。
さっきは首を傾げていたのに、今度は一度も間違えなかった。
彩心は最後の頁を開いた。
黄色い馬の上には、既に四文字が並んでいる。
「これは?」
「落雷黄馬。らくらいこうば、です」
芙梨が絵へ顔を寄せた。
「これだけ、ずいぶん強そうだね」
「凪さんたちを思い浮かべながら描いてたので……名前も、そんな感じにしたくて」
大きな白い背と、山を駆け上がる姿。
思い出しながら描いた脚は、何度も線を引き直していた。
「らくらい、こうば」
ライラックがゆっくり繰り返した。
「らくらいって、雷?」
「うん。雷が落ちること」
「速そう!」
「実際、速すぎるくらいだしね」
芙梨が笑った。
「長くても、呼べればいいだろ」
心叫の声に、ライラックが筆先を上げる。
「落雷黄馬!」
「うん。それ」
彩心は笑い、馬の名前をなぞった。
そのまま前の頁へ戻り、狼の横に残っていた最初の名前へ線を引く。
「暴風の咆哮も、私は好きだけどね」
芙梨が言った。
「……もう少し、早く言ってほしかったです」




