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第18話足りないもの


 目を覚ました時、最初に見えたのは、知らない天井でした。


 白い天井。


 薄い色の壁。


 窓から入る朝の光。


 どこにいるのか分からないまま、しばらく見つめました。


 すぐ隣から、小さな寝息が聞こえました。


 床へ敷いた寝具の横で、結衣さんが眠っています。


 黄色い寝具には、誰もいません。


 結衣さんは夜中に一度目を覚まし、私の隣へ移ってきました。


 反対側の寝台では、悠人さんが眠っています。


 新しい部屋。


 直哉の住んでいる部屋。


 昨日から、私たちも暮らすことになった場所。


 少しずつ思い出しました。


 台所の方から、かすかに音が聞こえています。


 何かを切る音。


 器を置く音。


 私は静かに起き上がりました。


 結衣さんへ寝具を掛け直し、廊下へ出ました。


 居間を通ると、昨日作った積み木の道が残っていました。


 扉の前から始まり、食卓の手前で曲がっています。


 黄色い積み木は、道の両側に並んでいました。


 台所では、直哉が朝食を作っていました。


「おはよう、日向さん」


「おはようございます」


「二人は?」


「まだ眠っています」


「日向さんは眠れた?」


「はい」


 本当は、何度か目を覚ましました。


 子どもたちの様子を確認するためではありません。


 目を開けるたび、知らない部屋にいることへ驚いたからです。


「久世くんは、いつもこの時間に起きるんですか」


「だいたい。今日は少し早いけど」


「私も手伝います」


「もうできるよ。食器を出してもらってもいい?」


「はい。どこにありますか」


「そこの棚」


 扉を開けると、皿が並んでいました。


 大人用の皿。


 子ども用の皿。


 私は四枚を取り出し、食卓へ運びました。


 匙も四本。


 飲み物を入れる器も四つ。


 昨日使ったばかりなのに、どこに何があるのか、まだ覚えていませんでした。


「日向さん」


「はい」


「寝具、足りた?」


「足りました」


「子ども部屋に置いておいた方がいいかな」


「今夜も一緒に眠るかは、まだ分かりません」


「じゃあ、しばらく置いておこう」


「ですが、昼間は片付ける場所がありません」


「ああ」


 直哉が鍋を混ぜながら、少し考えました。


「寝具を入れるものが必要か」


「そうですね」


「昨日、洗濯物を入れるものもなかったよね」


「空いたケースを使いました」


「それも買わないと」


「必要なものが、まだありそうですね」


「生活してみないと分からないものもあるから」


 直哉は火を止めました。


「今日、一緒に見に行く?」


「私もですか」


「日向さんに聞かないと、何を選べばいいか分からないよ」


「必要なものを教えてもらえれば、久世くんだけでも買えます」


「置く場所も、使う人も日向さんたちなんだから、一緒に選んだ方がいいだろ」


 使う人。


 その中には、私も含まれているようでした。


「分かりました」


「二人も連れて、四人で行こう」


「はい」


 居間から足音が聞こえました。


 悠人さんが、眠そうな顔で立っていました。


「おはようございます」


「おはよう」


 悠人さんは直哉を見ました。


「久世さん、まだいる」


「いるよ」


「朝も?」


「ここに住んでるから」


「明日もいる?」


「いると思う」


「よかった」


 悠人さんは、それだけ言って食卓へ近づきました。


「何してるの?」


「朝ごはん」


「久世さんが作った?」


「うん」


「昨日も作った」


「今日も作ったよ」


「毎日作る?」


「毎日かは分からないけど、作れる日は作る」


 悠人さんは、私を見ました。


「日向さんは?」


「私は、お菓子なら作ったことがあります」


「ごはんは?」


「手順が分かれば、できると思います」


「思います?」


「まだ、あまり作ったことがないんです」


 直哉がこちらを見ました。


「そうだったんだ」


「お菓子は作れます」


「じゃあ今度、何か作ってよ」


「材料があれば」


「買ってこようか」


「今日は必要なものを買いに行くのでしょう」


「お菓子の材料も必要なものに入らない?」


「入りません」


 直哉が笑いました。


「じゃあ、それは今度だな」


「日向さんのお菓子、食べる」


 悠人さんが言いました。


「まだ作るとは決めていません」


「今度?」


「そうですね。今度です」


 悠人さんは満足したようにうなずきました。


「結衣さん、起こす」


「まだ待ってください」


「買い物行くよって言う」


「朝食ができてからにしましょう」


「もうできたよ」


 直哉が言いました。


「では、一緒に起こしに行きましょう」


 私と悠人さんが子ども部屋へ戻ると、結衣さんは私の寝具の上で起き上がっていました。


「日向さん、いない」


「台所にいました」


「いない」


「すみません。起こさないようにしたんです」


「どこ?」


「ここにいますよ」


 結衣さんは、私の服をつかみました。


 悠人さんが、その横で言いました。


「買い物行くよ」


「そと?」


「四人で」


「はな?」


「花もあるかも」


 結衣さんは、すぐに棚を見ました。


 黄色い髪留めが置かれています。


「まず朝食です」


「はな」


「食べてから付けましょう」


「いま」


「食事中は外します」


「あと?」


「あとです」


 朝食を終えると、必要なものを確認しました。


 寝具を入れるもの。


 洗濯物を入れる籠。


 子ども用のタオル。


 衣類を掛けるもの。


 台所で使う器。


 直哉が紙へ書いていきました。


「ほかには?」


「今のところは、それくらいだと思います」


「日向さんのものは?」


「私のものですか」


「部屋に何もなかっただろ」


「必要なものはあります」


「机と寝台しかないよ」


「衣類と日用品は持ってきました」


「それ以外」


「それ以外は必要ありません」


 直哉は、紙から顔を上げました。


「本当に?」


「はい」


「暮らしているうちに、必要なものが出てきたら言って」


「分かりました」


「今の返事、たぶん言わないやつだよね」


「必要なものがあれば言います」


「ならいいけど」


 直哉は、紙を折って服の中へ入れました。


 悠人さんは乗り物の絵本を持っていこうとしました。


「買い物に絵本は必要ありませんよ」


「車で見る」


「車の中で読むと、気分が悪くなるかもしれません」


「持ってるだけ」


「昨日も同じことを言っていましたね」


「じゃあ、今日も持ってる」


 結衣さんには黄色い花の髪留めを付けました。


「まっすぐ?」


「まっすぐです」


「日向さんは?」


「私は付けません」


「はな、ない」


「ありませんね」


「買う」


「買いません」


「こんど、買うって言った」


 私は言葉に詰まりました。


 センターにいた時、たしかに言いました。


 今度、お店で見ましょうか。


 結衣さんは覚えていました。


「見るだけですよ」


「かう」


「似合うものがあれば考えます」


「きいろ」


「色まで決まっているんですか」


「いっしょ」


 結衣さんは、自分の黄色い花を指しました。


「日向さんも黄色?」


 悠人さんが尋ねました。


「結衣さんは、そのつもりのようです」


「同じにしたら?」


「私には少し可愛らしすぎます」


「どうして?」


「大人ですから」


「大人は花つけないの?」


「付ける人もいます」


「じゃあ、つけられる」


 悠人さんまで結衣さんの味方になりました。


 直哉は笑いながら、車の鍵を取りました。


「行ってから決めればいいよ」


「久世くんは、どちらの味方ですか」


「似合うものがあるかもしれないっていう方」


「三人とも同じなんですね」


「三人?」


「いえ。何でもありません」


 四人で部屋を出ました。


 建物の外へ出ると、結衣さんが私の手を握りました。


 悠人さんは直哉の隣を歩いています。


「久世さん、どこ行くの?」


「生活用品を売ってる店」


「積み木もある?」


「たぶん」


「見る?」


「見るだけなら」


「買う?」


「昨日、大きい箱を開けたばかりだろ」


「見るだけ」


「本当に?」


「ほんと」


 その言い方が、結衣さんとよく似ていました。


 車に乗り、しばらく走りました。


 到着した店は、センターからの外出で行った店より広い場所でした。


 家具。


 台所用品。


 衣類。


 子ども用品。


 食べ物。


 いくつもの売り場が、一つの建物に入っていました。


 直哉が買い物用の大きな籠を取りました。


「僕が持つ」


 悠人さんが言いました。


「これは大きすぎるよ」


「持てる」


「じゃあ、一緒に持つ?」


「うん」


 直哉が片側を持ち、悠人さんが反対側へ手を添えました。


 ほとんど直哉が持っていましたが、悠人さんは自分も運んでいるつもりのようでした。


「最初は洗濯籠だね」


 売り場には、形や色の違う籠が並んでいました。


 直哉が二つを持ち上げました。


「どっちがいい?」


「どちらでも使えます」


「置く場所に入るのは?」


「どちらも入ると思います」


「日向さんは、どっちが使いやすそう?」


 私は二つを見比べました。


 一つは深く、幅が狭いもの。


 もう一つは浅く、横に広いもの。


「こちらの方が、結衣さんでも洗濯物を入れやすいと思います」


「じゃあ、こっちにしよう」


「きいろ、ない」


 結衣さんが並んだ籠を見て言いました。


「洗濯籠は黄色でなくてもいいんです」


「あお」


「青もありますね」


「悠人さんは青がいい?」


 直哉が聞きました。


「日向さんが使うから、日向さんが決める」


 悠人さんが答えました。


 私は少し驚きました。


「では、先ほどのものにしましょう」


「うん」


 自分で選んだ籠が、大きな買い物用の籠へ入りました。


 次はタオルを選びました。


 悠人さんは、端に青い線の入ったものを選びました。


 結衣さんは、小さな黄色い花が刺繍されたものから手を離しませんでした。


「これ」


「黄色ですね」


「はな」


「花もありますね」


 直哉は、棚の上から白いタオルを一枚取りました。


「日向さんは?」


「私は、家にあるものを使います」


「洗面所に置くなら、分かれていた方が使いやすいと思う」


「そうでしょうか」


「たぶん。僕もまだ、四人分の置き方は分かってないけど」


 私は並んだタオルを見ました。


 白いもの。


 薄い緑のもの。


 淡い桃色のもの。


「では、これにします」


 薄い緑のタオルを取りました。


「日向さん、みどり」


 結衣さんが言いました。


「緑ですね」


「日向さんの」


「はい。私のです」


 その言葉は、少しだけ不思議でした。


 寝具を入れる箱を選びました。


 衣類を掛けるもの。


 台所で使う器。


 子どもたちが持ちやすい、取っ手の付いた器も選びました。


 悠人さんは、青い線が入った器を選びました。


 結衣さんは、黄色い花が小さく描かれた器を選びました。


「日向さんは?」


「私は普通の器を使います」


「日向さんの、ない」


「家にありますよ」


「どれ?」


 すぐには答えられませんでした。


 昨日使った白い器があったはずです。


 けれど、それが私のものだとは、あまり思えませんでした。


 直哉が、落ち着いた色の器を二つ持ちました。


「このあたりなら、普段使いにもよさそうだけど」


 一つは白。


 もう一つは灰色でした。


「今あるものと変わらないのではありませんか」


「でも、日向さんが選べる」


「選ぶほどのものでも」


「毎日使うものだよ」


 毎日。


 その言葉を聞いて、私は器を見ました。


 朝も、昼も、夜も。


 食卓に出るもの。


 使って、洗って、また棚へ戻すもの。


「では、白い方にします」


「久世さんは?」


 悠人さんが尋ねました。


「僕はこっちかな」


 直哉は灰色の器を持ちました。


「四人分」


 悠人さんが言いました。


「はい。四人分ですね」


 青い線の入った器。


 黄色い花の器。


 白い器。


 灰色の器。


 色も形も、少しずつ違いました。


 それでも、買い物用の籠の中に並ぶと、ちゃんと一組のように見えました。


 必要なものは、ほとんど揃いました。


「これで全部かな」


 直哉が紙を確認しました。


「はい」


「はな」


 結衣さんが言いました。


「まだ覚えていたんですか」


「はな」


「見るだけですよ」


「うん」


 髪留めの売り場へ向かいました。


 花。


 リボン。


 色の違う髪留めが、いくつも並んでいました。


 結衣さんは、私の手を引いて黄色いものを探しました。


「これ」


 結衣さんが選んだのは、自分が付けているものとよく似た黄色い花でした。


「同じものがいいんですか」


「いっしょ」


「私が付けるには、少し可愛らしすぎませんか」


「かわいい」


「それは褒めているんですか」


「かわいい」


 結衣さんは、同じ言葉を繰り返しました。


「日向さん、これなら?」


 悠人さんが、別の髪留めを持ってきました。


 黄色い花が一つ付いた、少し落ち着いた形のものでした。


「こっちの方がいい?」


 直哉が尋ねました。


「まだ買うとは決めていません」


「付けてみたら?」


「ここでですか」


「鏡もあるよ」


 結衣さんが期待するように私を見上げています。


 断ることは難しそうでした。


 私は悠人さんが選んだ髪留めを受け取り、鏡の前で髪へ付けました。


「いっしょ」


 結衣さんが笑いました。


「形は少し違いますよ」


「日向さんも、はな」


「そうですね」


「似合う」


 悠人さんも言いました。


「本当ですか」


「うん」


 鏡の中の自分を見ました。


 センターへ入る前なら、選ばなかったかもしれません。


 少し可愛らしく見えました。


 けれど、嫌ではありませんでした。


「久世くん」


「何?」


「変ではありませんか」


 直哉は、鏡越しに私を見ました。


「似合ってるよ」


 すぐに答えました。


「そうですか」


「うん」


 私は髪留めへ触れました。


「では、これにします」


「やった」


 結衣さんが声を上げました。


「結衣さんが使うものではありませんよ」


「日向さんの」


「はい。私のものです」


 髪留めを外そうとすると、結衣さんが止めました。


「つける」


「会計が終わっていません」


「あとで?」


「会計のあとで、また付けましょう」


「ほんと?」


「本当です」


 必要なものを買い終え、店を出ました。


 悠人さんは器の入った小さな袋を持ちました。


 結衣さんには、黄色い花のタオルだけを持たせました。


「日向さんのは?」


「久世くんが持つ袋の中です」


「はな」


「髪留めも入っています」


「つける」


「車に乗ってからにしましょう」


 車へ戻り、私は約束通り、黄色い花の髪留めを付けました。


 結衣さんは自分の花へ触れ、そのあと私の花を見ました。


「いっしょ」


「形は少し違いますよ」


「いっしょ」


「では、一緒ということにしましょう」


 結衣さんは満足そうにうなずきました。


 直哉は運転席から私を見ました。


「そのまま付けて帰るんだ」


「約束しましたから」


「いいと思う」


「前を向いてください」


「まだ止まってるよ」


「これから運転するでしょう」


 直哉は笑い、車を動かしました。


 部屋へ戻ると、買ってきたものを一つずつ置きました。


 洗濯籠は洗面所。


 寝具を入れる箱は子ども部屋。


 衣類を掛けるものは、それぞれの棚。


 悠人さんと結衣さんは、自分のタオルを自分で置きました。


「ここ?」


 悠人さんが青い線の入ったタオルを持って尋ねました。


「もう少し右です」


「ここ?」


「はい」


 結衣さんは黄色い花のタオルを、悠人さんの隣へ置きました。


「はな」


「花のタオルですね」


「なくさない」


「タオルは使ったら洗いますから、同じ場所にない時もありますよ」


「かえる?」


「洗ったら帰ってきます」


「ほんと?」


「本当です」


 台所には、四つの器を並べました。


 悠人さんの器。


 結衣さんの器。


 私の器。


 直哉の器。


「これは、どこに置く?」


 直哉が尋ねました。


「今までの器と同じ棚でよいと思います」


「上と下、どっち?」


「子どもたちが自分で取るなら、下の方がいいですね」


「じゃあ、この棚を空けようか」


 中に入っていたものを移し、低い場所へ四つの器を並べました。


 悠人さんが順番を決めました。


「僕、結衣さん、日向さん、久世さん」


「どうしてその順番なんですか」


「座る順番」


「なるほど」


 直哉は、自分の器を一番端へ置きました。


「これでいい?」


「うん」


 必要なものを置き終えると、朝より部屋の中に物が増えていました。


 青い線のタオル。


 黄色い花のタオル。


 薄い緑のタオル。


 四つの器。


 洗面所には新しい籠。


 子ども部屋には寝具を入れる箱。


 どれも、小さなものでした。


 けれど、私たちが暮らすために選んだものでした。


 夜、入浴を終え、結衣さんの髪留めを外しました。


「はな」


「眠る時は外します」


「日向さんも」


「私も外しますよ」


 自分の髪から、黄色い花を外しました。


「ここ」


 結衣さんが棚の上を指しました。


 いつも自分の髪留めを置いている場所です。


「一緒に置くんですか」


「いっしょ」


 私は結衣さんの髪留めを置きました。


 その隣へ、自分の髪留めも置きます。


 形の少し違う、二つの黄色い花が並びました。


「日向さんの」


 結衣さんが片方を指しました。


「はい。私のものです」


「結衣さんの」


「こちらは結衣さんのものですね」


「いっしょ」


「一緒ですね」


 この部屋へ持ってきたものではありませんでした。


 センターから与えられたものでもありません。


 今日、三人と一緒に選んだものでした。


 この家に、私のものが一つ増えました。


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