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家にいる人  作者: 亀


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第九十五章 帰る場所

三月に入ると、朝の寒さが少しずつ弱くなった。


周は朝食を終えて、庭に出た。


去年から育てている木には、小さな葉がいくつか開いていた。


「今年は早いね。」


劉が玄関から言った。


「そうか?」


「去年より早い気がする。」


周は木のそばまで行った。


「天気が違うんだろ。」


「そういうもの?」


「たぶんな。」


劉はそれ以上聞かなかった。


庭の隅には、冬の間に枯れた草が残っている。


周はそれを少しずつ抜いた。


全部抜くつもりはなかった。


手が疲れればやめる。


前なら、始めたことは最後までやろうとしていた。


今は、途中でやめても翌日に続ければいいと思うようになった。


昼前、近所の王がやってきた。


「周さん、いる?」


「いるよ。」


王は玄関から入ってきた。


「この前の息子の話なんだけど。」


「うん。」


「部署が変わったって言っただろ。」


「言ってたな。」


「昨日、家で話を聞いた。」


「どうだった?」


「俺が思ってたより、本人は何も困ってなかった。」


「そうか。」


「むしろ、新しい仕事のほうが合ってるらしい。」


周は笑った。


「それならよかったな。」


「うん。」


王は少し黙ってから言った。


「俺、本人が困ってると思って、いろいろ言ってたんだ。」


「そうだったのか。」


「でも、本人はそこまで困ってなかった。」


周は何も言わなかった。


王が続ける。


「心配って、相手が困ってることと同じじゃないんだな。」


「そういうこともある。」


「そうだな。」


王は庭を見た。


「この木、去年より大きくなったな。」


「そうだな。」


「何の木だった?」


「知らない。」


王が笑った。


「周さんが植えたんじゃないのか?」


「植えたのは俺だけど、何の木かは忘れた。」


「そんなことある?」


「あるよ。」


二人で笑った。


王が帰ったあと、周は庭の木をもう一度見た。


何の木なのか分からない。


それでも、葉が出ている。


名前が分からなくても、育っていることは分かる。


午後、周は市場へ行った。


魚を買おうとして、魚屋の前で足を止めた。


来月、息子が帰ってくる。


前に息子が食べたいと言っていた魚を思い出した。


「これ、いくら?」


「今日は安くしておくよ。」


周は値段を聞いて、少し考えた。


「じゃあ、それ一つ。」


魚を袋に入れてもらう。


店を出ると、以前会った李強が向こうから歩いてきた。


「周さん。」


「おう。」


「魚ですか?」


「そう。」


「息子さんが帰ってくるんでしたね。」


「来月な。」


「いいですね。」


「一泊だけだけどな。」


「それでもいいじゃないですか。」


李強は笑った。


「俺も、今度実家に帰ろうかな。」


「帰ればいい。」


「でも、仕事がまだ決まってなくて。」


「決まってからじゃないと帰れないのか?」


「そういうわけじゃないですけど。」


「じゃあ、帰りたいなら帰ればいい。」


李強は少し考えた。


「そうですね。」


「仕事は仕事。家に帰ることは家に帰ることだ。」


「周さん、最近、そういう言い方しますね。」


「何が?」


「昔より簡単に言う。」


「昔は難しく考えてたんだろ。」


李強は笑った。


「じゃあ、帰ってみます。」


「うん。」


二人はそこで別れた。


周は魚の袋を持って家へ戻った。


劉が玄関で迎えた。


「今日は魚?」


「そう。」


「来月のため?」


「違う。今日食べる。」


劉は笑った。


「そうだね。」


夕方、魚を焼いた。


食卓に二人分の皿を並べる。


息子が帰ってくるのは、まだ先だった。


それでも、魚は今日食べる。


「おいしい?」


劉が聞いた。


「普通。」


「またそう言う。」


「でも、悪くない。」


「じゃあ、いいね。」


二人で食べた。


食事の途中で、劉の携帯が鳴った。


妹からだった。


「もしもし?」


劉が電話に出る。


しばらく話してから、


「うん。分かった。」


と言って電話を切った。


「何だった?」


「妹が、来月また来たいって。」


「そうか。」


「今度は日帰りになるかもしれないって。」


「いいんじゃないか。」


「前より近くなったから、気軽に来られるって。」


周は頷いた。


家を出た人が、帰ってくる。


でも、昔と同じように戻ってくるわけではない。


生活する場所も違う。


仕事も違う。


会う頻度も違う。


それでも、帰る場所として残ることはある。


夕食のあと、周は食器を洗った。


劉が拭いていく。


「息子が帰ってきたら、何を食べさせる?」


「本人に聞けばいい。」


「魚って言ってたよ。」


「じゃあ魚。」


「それだけ?」


「何か他に食べたいものがあるか聞けばいい。」


「そうね。」


二人で食器を片付けた。


夜になって、息子からメッセージが届いた。


《来月、土曜日の昼くらいに着くと思う。》


周は、


《分かった。》


と返した。


少しして、


《日曜日は午後に戻る。》


と届く。


《気をつけて帰ってこい。》


そう返した。


それから少し考えて、もう一通送った。


《食べたいものがあったら、先に言っておけ。》


息子からすぐに返事が来た。


《魚。》


周は笑った。


《分かった。》


携帯を置く。


劉が横から画面を見ていた。


「魚だって。」


「知ってる。」


「何が食べたいって聞いたら、魚しか言わないんだね。」


「昔からそうだろ。」


「そうだったね。」


二人で笑った。


翌朝、周は市場へ行った。


魚屋の前を通ったが、昨日買ったばかりなので、今日は何も買わなかった。


店主が、


「また来月ですね。」


と声をかけてきた。


「そうだな。」


周は手を上げて、そのまま歩いた。


帰り道、公園の前を通る。


ベンチには、若い男性が座っていた。


電話をしている。


「うん。今帰る。」


周は足を止めなかった。


誰かが誰かのところへ帰る。


帰らない日もある。


帰りたいと思っても、帰れない日もある。


帰る場所があっても、そこに戻らない人もいる。


それぞれの事情は違う。


周には、全部は分からない。


ただ、自分の家に戻れば、劉がいる。


台所には朝の湯気が残っている。


庭には新しい葉が出ている。


棚の上には、息子が送ってきた写真がある。


それだけで、今の生活は続いていく。


家に着くと、劉が玄関を開けた。


「今日は早かったね。」


「市場だけだからな。」


「お茶、入れたよ。」


「うん。」


周は靴を脱いだ。


玄関の隅には、来月息子が使う予定の布団が置いてある。


まだ出してはいない。


必要になったら出せばいい。


周はそのまま台所へ向かった。


外では春の風が少し強くなっていた。


庭の新しい葉が揺れている。


来月のことは、まだ来月になっていない。


けれど、帰ってくる人がいることだけは決まっていた。


それ以上のことは、そのときになってから考えればよかった。

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