↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
家にいる人  作者: 亀


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

93/301

第九十三章 知らないまま

春が近づいていた。


朝の冷え込みはまだ残っていたが、昼になると庭に差す日が少し長くなった。


周は朝食のあと、玄関の前に出た。


去年植えた苗木を見る。


枝の先に、小さな芽がいくつか出ている。


「出てきたね。」


後ろから劉が言った。


「そうだな。」


「去年より早いんじゃない?」


「去年のこと、覚えてるのか?」


「覚えてるよ。」


周は笑った。


二人でしばらく庭を見ていた。


そのとき、向かいの家から車が出てきた。


王だった。


「周さん。」


窓を開けて声をかける。


「どこ行く?」


「病院。母親の付き添い。」


「そうか。」


「今日は検査だけ。」


「気をつけて。」


王は手を上げて、そのまま車を出した。


劉が言った。


「お母さん、悪いの?」


「検査だけだって。」


「でも病院でしょう。」


「それ以上は聞いてない。」


「聞けばよかったのに。」


「本人が言ってないからな。」


劉は少し考えた。


「前なら、すぐ聞いてた?」


「たぶんな。」


「変わったね。」


「そうか?」


「うん。」


周は返事をしなかった。


病院に行くことも、検査を受けることも、それだけで大きな問題だとは限らない。


けれど、何かあったのかもしれない。


分からない。


分からないなら、分からないままでいい。


昼過ぎ、王から連絡はなかった。


周も電話をしなかった。


夕方になって、王が一人で歩いてきた。


「終わった?」


周が聞いた。


「終わった。」


「どうだった?」


「今のところ、特に問題ないって。」


「そうか。」


王は椅子に座った。


「心配して損したよ。」


「心配するのは仕方ないだろ。」


「そうなんだけどな。」


王は湯呑みを手に取った。


「病院で待ってる間、いろんなこと考えた。」


「何を?」


「母親のこととか、自分の仕事とか。」


「そうか。」


「それで、息子のことも考えた。」


周は黙って聞いていた。


「俺、息子が最近何してるか、あんまり知らないんだ。」


「仕事のこと?」


「仕事もそうだし、生活も。」


「聞いてないのか?」


「聞いてない。」


「本人から話さないなら、そうなるな。」


王は湯呑みを机に置いた。


「でも、前はそれが不安だった。」


「今は?」


「今も不安だよ。」


周は笑った。


「じゃあ、変わってないじゃないか。」


「いや、少し違う。」


王はしばらく考えた。


「知らないからって、すぐ聞かなきゃいけないとは思わなくなった。」


周は頷いた。


「それなら十分だろ。」


王は笑った。


「周さんも同じだな。」


「何が?」


「息子のこと、知らないことが多いだろ。」


「多いよ。」


「心配じゃない?」


「心配だよ。」


「でも聞かない。」


「必要なときは聞く。」


それ以上は言わなかった。


王が帰ったあと、周は台所へ入った。


劉が野菜を洗っている。


「王さん、どうだった?」


「検査は大丈夫だったって。」


「よかった。」


「うん。」


「息子さんの話もした?」


「した。」


「何て?」


「知らないことが増えたって。」


劉は水を止めた。


「うちもそうだね。」


「そうだな。」


「昔は何でも知ってた。」


「一緒に住んでたからな。」


「今は電話しても、全部は話さない。」


「そういうものだろ。」


劉は少し笑った。


「昔なら、私はもっと聞いてたと思う。」


「今も聞くときは聞くだろ。」


「そうだけど。」


劉は洗った野菜を籠に入れた。


「聞かないことも、気にしないこととは違うんだね。」


周は答えなかった。


その夜、息子から電話が来た。


「父さん、起きてる?」


「起きてる。」


「今、仕事終わった。」


「遅かったな。」


「今日は少し遅い。」


「ちゃんと食べたか?」


「食べた。」


「そうか。」


少し話したあと、息子が言った。


「そういえば、来月の予定だけど。」


「うん。」


「やっぱり土曜日に帰れそう。」


「そうか。」


「一泊して、日曜の午後には戻る。」


「分かった。」


「魚、まだ食べたい。」


「また魚か。」


「この前のやつ、おいしかったから。」


「じゃあ買っておく。」


「ありがとう。」


電話を切ったあと、劉が聞いた。


「帰ってくるの?」


「来月。」


「今度は魚だね。」


「そうみたいだ。」


劉は笑った。


「じゃあ、買い物の日を忘れないようにしないと。」


「まだ一か月あるぞ。」


「分かってる。」


翌日、周は市場へ行った。


魚屋の前を通る。


店主が声をかけた。


「今日は何にします?」


「今日は見てから。」


「息子さん、また帰ってくるんですか?」


「そう。」


「じゃあ、何かいい魚を取っておきましょうか。」


「まだ先だからいいよ。」


「そうですか。」


周は魚を眺めた。


その場では何も買わず、野菜だけ買って帰った。


家に戻ると、劉が聞いた。


「魚は?」


「買わなかった。」


「どうして?」


「まだ早い。」


「そうね。」


劉は笑った。


来月の予定は決まっている。


それでも、今日の生活とは別だった。


今日の魚を買い、今日の飯を食べる。


来月の魚は、来月になってから考えればいい。


昼過ぎ、周は庭に出た。


苗木の芽が昨日より少し開いていた。


手で触ることはしなかった。


ただ、しばらく見ていた。


以前なら、成長しているかどうかを確かめるために、枝を動かしたかもしれない。


今はそのままにしている。


芽が開くのを、こちらが急がせる必要はない。


家の中から劉の声がした。


「お茶、入れたよ。」


「今行く。」


周は庭を離れた。


玄関を閉める前に、もう一度だけ振り返った。


小さな芽は、風の中で静かに揺れていた。


まだ葉にはなっていない。


それがいつ開くのかも、周には分からなかった。


分からないままでも、毎日は続いていく。


それで困らないことも、少なくなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。