第九章 それぞれの考え
中学校に入って二年目になると、子どもの生活はさらに忙しくなった。
朝早く学校へ行き、夕方遅く帰ってくる。
帰宅してから食事をして、宿題をする。
試験が近くなると、夜まで机に向かうこともあった。
周は、そんな子どもの姿を見るたびに思った。
「もう少し頑張れば、もっといい学校へ行ける。」
その考えは、周の中では自然だった。
子どもが疲れているかどうかより、今どれだけ勉強しているかのほうが気になった。
ある夜、子どもが机に向かっていると、周が部屋へ入ってきた。
「まだ終わらないのか?」
「もう少し。」
「何をやってる?」
「数学。」
周はノートを見る。
「ここ、違う。」
子どもは顔を上げた。
「どこ?」
周が指差す。
「ここから計算が違ってる。」
子どもはノートを見直した。
「本当だ。」
「だから、最初からやり直せ。」
子どもは黙って消しゴムを取った。
しばらくして、周が言った。
「高校、どこを受けるつもりだ?」
子どもは手を止めた。
「まだ決めてない。」
「先生とは話したのか?」
「まだ。」
「早めに決めたほうがいい。」
「うん。」
周は続けた。
「できれば、少し上の学校を狙え。」
子どもは答えなかった。
周は子どもの顔を見る。
「聞いてるか?」
「聞いてる。」
「なら、ちゃんと考えろ。」
「分かった。」
周は部屋を出た。
子どもはしばらくノートを見ていた。
そして、ため息をついた。
翌週、学校で進路について先生と話す機会があった。
帰宅した子どもに、劉が聞いた。
「先生、何て言ってた?」
「いくつか学校を見てみろって。」
「どこがいいの?」
「まだ分からない。」
夕食のとき、その話が出た。
周が聞く。
「どこを考えてる?」
子どもは学校名をいくつか挙げた。
周は聞き終わると、一つの学校について言った。
「そこはいい。」
「どうして?」
「進学率が高い。」
「でも、遠い。」
「通えるだろ。」
「毎日?」
「高校生なら、それくらいできる。」
子どもは黙った。
劉が言った。
「本人がどうしたいかも聞いてあげたら?」
周は答えた。
「聞いてる。」
「今のは、あなたが決めてるだけでしょう。」
周は箸を置いた。
「じゃあ、どうするんだ?」
「本人に考えさせればいい。」
「まだ子どもだ。」
「でも、もう高校を選ぶ年齢だよ。」
周は何も言わなかった。
子どもは二人の会話を聞いていた。
「僕、自分で決めたい。」
周が顔を上げた。
「何を?」
「高校。」
「だから、俺はお前のために言ってる。」
「分かってる。」
「なら、何でそんなことを言う?」
子どもは少し考えた。
「お父さんが決めた学校に行って、あとで嫌になったらどうするの?」
周は黙った。
「それは、お前がちゃんと頑張ればいい。」
「でも、僕が選んだわけじゃない。」
その言葉に、周の顔が少し硬くなった。
「じゃあ、自分で責任を取れるのか?」
子どもは黙った。
周は続けた。
「学校に行く金も、生活する金も、全部ただで出てくるわけじゃない。」
子どもは下を向いた。
「分かってる。」
「分かってない。」
周の声が大きくなった。
「俺がどれだけ働いてると思ってる?」
劉が口を挟んだ。
「もういいよ。」
「よくない。」
周は立ち上がった。
「自分で決めたいって言うなら、自分で何が必要なのか考えろ。」
子どもは何も言わなかった。
その夜、周は外へ出た。
家の近くを歩いた。
冷たい風が吹いていた。
自分でも、なぜあれほど腹が立ったのか分からなかった。
子どもが自分の意見を持つことは、悪いことではない。
むしろ、それくらいの年齢になったのだと思う。
それでも、
「自分で決めたい。」
という言葉を聞くと、自分が否定されたような気がした。
自分がこれまでしてきたことまで否定されたように感じた。
翌朝、周は何も言わずに仕事へ出た。
子どもも学校へ行った。
劉だけが家に残った。
昼頃、劉は周から電話を受けた。
「昨日は、ちょっと言い過ぎた。」
「そう思うなら、帰ってきてから話せばいいでしょう。」
「分かってる。」
「あなたも、あの子も、どっちも自分のことばかり考えてる。」
周は電話の向こうで黙った。
「家族だからって、同じ考えになるわけじゃないよ。」
劉はそう言って電話を切った。
その夜、周が帰ってくると、子どもはまだ起きていた。
周は少し迷ってから言った。
「昨日のことだけど。」
子どもが顔を上げる。
「うん。」
「高校のことは、もう少し考えていい。」
子どもは驚いたように父親を見た。
「自分で考えろ。」
「うん。」
「ただし、金のことも考えろ。」
子どもは少し笑った。
「分かった。」
周も少し笑った。
それだけだった。
謝ったわけでもない。
何かを約束したわけでもない。
ただ、昨日より少しだけ話し方が違った。
その後、子どもは学校の先生と何度か相談した。
いくつかの学校を調べた。
成績。
通学時間。
学費。
卒業後の進路。
家から通えるかどうか。
周も一緒に資料を見た。
「ここは学費が高い。」
「うん。」
「ここなら通える。」
「そうだね。」
以前なら周が先に決めていた。
今回は、二人で話した。
それでも意見が合わないことはあった。
子どもが行きたい学校を、周が心配することもあった。
「遠すぎる。」
「でも、ここで勉強したい。」
「毎日通うんだぞ。」
「分かってる。」
「本当に続けられるのか?」
「やってみたい。」
周は黙った。
最後には、
「分かった。」
と言った。
その言葉を口にするまでに、周は何度も考えた。
自分が正しいと思う道と、子どもが選びたい道が違うことがある。
そのことを、周は少しずつ知り始めていた。
ただ、全部を受け入れられたわけではなかった。
子どもが学校へ進学すると、生活費はまた増えた。
教材。
交通費。
制服。
食費。
試験代。
周は仕事を増やした。
平日は本業。
休みの日には修理や内装の仕事を引き受けた。
疲れて帰ってきても、子どもの学校の話を聞いた。
「今日はどうだった?」
「普通。」
「何かあったか?」
「ない。」
「本当に?」
「うん。」
周は、それ以上聞かなかった。
以前なら、
「学校で何をした。」
「誰といた。」
「先生は何を言った。」
と細かく聞いていた。
今は少し待つようになった。
子どもが自分から話すのを待つ。
話さない日は、それ以上聞かない。
それでも、ときどき我慢できなくなる。
「最近、勉強してるか?」
「してる。」
「成績は?」
「まだ。」
「遊んでばかりじゃないだろうな。」
子どもが顔をしかめる。
「してないよ。」
「ならいい。」
そんなやり取りも残っていた。
周はまだ、完全に変わったわけではなかった。
劉も同じだった。
近所の人が、
「あなたのところの子、今どこに通ってるの?」
と聞けば、つい話してしまう。
「勉強はまあまあよ。」
「うちの親戚の子は、もっといい学校に行ったけどね。」
家に帰ってくると、その話を子どもにしてしまうこともあった。
「今日、張さんのところの子の話を聞いたよ。」
子どもは聞き流す。
「そう。」
「大学もいいところに行ったんだって。」
「へえ。」
劉はそこで気づく。
子どもの顔が少し硬くなっている。
「別に、あなたと比べてるわけじゃないよ。」
「分かってる。」
けれど、その言葉は以前より短かった。
夜、劉は一人で台所に立っていた。
昼間に言ったことを思い出した。
自分はただ話しただけだった。
悪気はなかった。
けれど、子どもにとっては、そうではないかもしれない。
劉はそのことを少しだけ考えた。
翌日から、すぐに何かが変わったわけではない。
また近所の話をする日もあった。
また昔のことを持ち出して、周と口論になる日もあった。
周も、仕事から疲れて帰ってくると、ちょっとしたことで不機嫌になることがあった。
家族だから、毎日うまくいくわけではない。
それでも、三人は同じ家で暮らしていた。
そして、それぞれが少しずつ、
「自分と相手は違う。」
ということを覚え始めていた。
それは、家族が離れていくこととは少し違った。
むしろ、同じ家で暮らし続けるために必要なことだった。
周はまだ、家族を守ることと、家族の人生を決めることの境目を完全には分かっていなかった。
子どももまだ、自分で決めたことの責任をすべて引き受けられるほど大人ではなかった。
劉もまた、二人の間で自分の考えをうまく伝えられないことがあった。
三人とも、まだ途中だった。
そして、その「途中」は、これから何年も続いていくことになる。




