第八十八章 朝の電話
十一月の半ば、朝の気温がかなり下がった。
周は布団の中で、いつもより少し長く横になっていた。
外はまだ薄暗い。
台所から湯を沸かす音が聞こえる。
「起きる?」
劉が聞いた。
「もう少し。」
「珍しいね。」
「寒いからな。」
劉は笑って、台所へ戻った。
しばらくして、周の携帯が鳴った。
朝の六時半だった。
こんな時間に電話が来ることは、あまりない。
画面を見ると、昔の仕事仲間だった。
「もしもし。」
「周さん、寝てた?」
「今、起きたところ。」
「悪い。ちょっと聞きたいことがあって。」
「どうした?」
「前に一緒に仕事してた老張、覚えてる?」
「覚えてる。」
「昨日、入院したらしい。」
周は少し黙った。
「どこが悪いんだ?」
「詳しくは分からない。家族から聞いただけ。」
「そうか。」
「今日、何人かで見舞いに行こうと思ってるんだけど、周さんも行く?」
周はすぐには答えなかった。
老張とは、以前同じ現場で何年か働いたことがある。
仕事が終わったあと、一緒に酒を飲んだこともあった。
その後、それぞれ別の仕事になって、何年も会っていない。
「病院、どこ?」
「市内の病院。」
「分かった。時間が決まったら教えて。」
「来られそう?」
「行ってみる。」
電話を切った。
劉が台所から顔を出した。
「誰?」
「昔の仕事仲間。」
「何かあったの?」
「老張が入院したらしい。」
劉は少し驚いた。
「前に一緒に仕事してた人?」
「うん。」
「重いの?」
「分からない。」
「見舞いに行く?」
「行くかもしれない。」
劉はそれ以上聞かなかった。
朝食を食べ終わると、周は少し厚い上着を出した。
鏡の前で袖を通す。
「その上着、久しぶりだね。」
「そうだな。」
「まだ着られる?」
「着られる。」
「よかった。」
昼前、電話が来た。
「一時に病院の入口で。」
「分かった。」
周は一人で行くことにした。
劉は、
「帰りに何か買ってきて。」
と言った。
「何がいい?」
「豆腐。」
「分かった。」
病院に着くと、入口の前に二人の男が立っていた。
どちらも周が知っている顔だった。
「周さん。」
「久しぶり。」
「久しぶりだな。」
三人で受付を確認した。
老張は個室ではなく、四人部屋に入っているらしい。
病室へ行くと、窓側のベッドに老張がいた。
以前より痩せていた。
「おう。」
老張が笑った。
「本当に来たのか。」
「電話が来たからな。」
「何年ぶりだ?」
「分からない。」
「十年くらいじゃないか。」
「そんなになるか。」
四人で少し話した。
昔の仕事の話が出た。
当時の現場のこと。
誰が遅刻したとか、誰が工具をなくしたとか。
老張は時々笑った。
「お前、昔から仕事が遅かったな。」
周が言うと、
「お前だって早くなかっただろ。」
と返ってきた。
三人が笑った。
病室の外から看護師が入ってきた。
「少し休ませてあげてくださいね。」
「分かりました。」
周たちは立ち上がった。
「また来る。」
周が言うと、老張は手を振った。
「暇ならな。」
「病院で暇って言うな。」
「そうだな。」
廊下に出る。
三人はしばらく黙って歩いた。
一人が、
「思ったより元気そうだったな。」
と言った。
もう一人が、
「でも、本人は何も言わなかったな。」
と返した。
周は何も言わなかった。
病気のことは、本人が話したい範囲で話せばいい。
外から聞いても分からないことがある。
病院を出ると、風が冷たかった。
「じゃあ、また。」
「うん。」
三人はそれぞれ別の方向へ歩いていった。
周は帰りにスーパーへ寄った。
豆腐を買い、ついでに白菜も買った。
レジの前で財布を出していると、後ろから声をかけられた。
「周さん?」
振り返ると、新しい食堂の店主だった。
「ああ。」
「こんにちは。」
「買い物?」
「はい。仕入れです。」
店主の買い物かごには、野菜や調味料が入っている。
「店、忙しい?」
「まだまだです。」
店主は笑った。
「でも、少しずつ常連さんが増えてきました。」
「それはよかった。」
「前のお店のお客さんも来ます。」
周は頷いた。
「そうか。」
「昔の店の話をしてくれる人もいます。」
「いろいろ聞く?」
「はい。」
店主は少し笑った。
「でも、私が知らないことも多いですから。」
「そうだろうな。」
「この町に長く住んでる人たちには、私の知らない時間がありますから。」
周はその言葉を聞いて、少し考えた。
「そうだな。」
会計を終える。
店主は、
「また食べに来てください。」
と言った。
「うん。」
スーパーを出る。
家に着くと、劉が玄関を開けた。
「遅かったね。」
「病院に寄ってきた。」
「どうだった?」
「思ったより元気そうだった。」
「よかった。」
「豆腐。」
周が買い物袋を渡す。
劉が中を見る。
「白菜まで買ったの?」
「鍋にするんだろ。」
「今日はそのつもりだった。」
「じゃあ、ちょうどいい。」
夕方、二人で白菜を切った。
鍋に豆腐を入れる。
テレビをつける。
ニュースが流れている。
周は病院で見た老張の顔を思い出した。
何年も会わなかった。
会わない間にも、それぞれの生活が続いていた。
仕事を変えた人もいる。
家族が増えた人もいる。
体を悪くした人もいる。
誰にも話さないこともある。
それを全部知る必要はない。
久しぶりに会ったときに、話せることを話せばいい。
鍋が煮えてきた。
「もういいかな。」
劉が聞いた。
「もう少し。」
「お腹空いた。」
「じゃあ、食べよう。」
二人で鍋を囲んだ。
食事の途中、周の携帯が鳴った。
病院へ一緒に行った仕事仲間からだった。
「周さん、さっき家族から連絡があった。」
「どうした?」
「今のところ、大丈夫だって。」
「そうか。」
「本人も、またみんなで飯を食いたいって言ってた。」
周は少し笑った。
「じゃあ、退院してからだな。」
「そうだな。」
電話を切った。
劉が聞いた。
「大丈夫だった?」
「今のところは。」
「そう。」
劉は白菜を一枚、周の器に入れた。
「食べて。」
「ありがとう。」
周は箸で取った。
外はもう暗い。
角の食堂には、今日も明かりがついている。
その向こうでは、以前の店のことを知っている人も、知らない人も、それぞれの生活をしている。
周は鍋の湯気越しに窓を見た。
今日会った人の明日のことは、まだ分からない。
自分の明日のことも、全部決まっているわけではない。
それでも、今夜は鍋がある。
それで十分だった。




