第八十三章 休んだ日
九月に入っても、昼間の暑さはまだ残っていた。
ただ、朝晩になると少し風が変わってきた。
周は朝食を食べたあと、庭の鉢植えを動かしていた。
夏の間に伸びた枝を切り、枯れた葉を取り除く。
「それ、もう切るの?」
劉が玄関から聞いた。
「枯れてるからな。」
「まだ緑のところもあるよ。」
「じゃあ、そこは残す。」
周は枝を少しずつ切った。
以前なら、一度に全部やろうとしていた。
今は、途中で腰が痛くなれば休む。
急ぐ理由もなかった。
午前十時頃、近所の李がやってきた。
「周さん、今ちょっといい?」
「どうした?」
李は手に封筒を持っていた。
「息子から送ってきた。」
「何?」
「仕事を休むっていう話。」
周は少し驚いた。
「仕事を辞めるの?」
「いや、辞めるんじゃない。少し休むらしい。」
「どうして?」
「疲れたって。」
李は封筒を開けることもなく、手に持ったまま話した。
「最初は俺も、若いのに疲れたなんて言ってたら駄目だと思ったんだ。」
周は黙って聞いていた。
「でも、電話で話してたら、本当に疲れてるみたいでな。」
「どれくらい休む?」
「一か月くらいだって。」
「会社が認めたのか?」
「うん。」
李は庭の椅子に座った。
「俺、最初は『そんなに休んだら仕事に戻れなくなるぞ』って言ったんだ。」
「息子は?」
「何も言わなかった。」
「それで?」
「昨日、もう一度電話した。」
李は少し俯いた。
「『休むなら休め』って言った。」
周は頷いた。
「それでいいんじゃないか。」
「でもな。」
李は続けた。
「休んでいる間に何をするのかとか、次はどうするのかとか、聞きたくなる。」
「分かる。」
「聞いても、本人が決めてないなら答えは出ないんだよな。」
周は庭の鉢を見た。
「そうだな。」
李はしばらく座っていた。
やがて立ち上がる。
「ありがとう。」
「俺は何もしてないぞ。」
「話を聞いてもらっただけでもいい。」
李が帰っていったあと、周はしばらく庭にいた。
劉が横に来た。
「李さん、何だったの?」
「息子が仕事を休むんだって。」
「病気?」
「疲れたらしい。」
劉は少し黙った。
「仕事、辞めるわけじゃないの?」
「違う。」
「じゃあ、いいんじゃない。」
周は妻を見た。
「そう思う?」
「休めるなら休めばいいでしょう。」
昔なら、劉も違うことを言っていたかもしれない。
若いうちは働いたほうがいい。
仕事を休んだら周りにどう思われる。
そんな話をしていたこともあった。
今は、そういう言葉が出てこなかった。
昼過ぎ、周は居間で新聞を読んでいた。
携帯が鳴った。
息子からだった。
「もしもし。」
「今、大丈夫?」
「大丈夫。」
「この前の問題、仕事で使ったよ。」
「そうか。」
「意外と覚えてた。」
「父さんは忘れてたけどな。」
息子が笑った。
「そうなんだ。」
少し話したあと、息子が言った。
「そういえば、知り合いが仕事を休むことになったんだ。」
「そうか。」
「一か月くらい。」
周は一瞬、李の息子のことかと思った。
しかし、別の人だった。
「本人が決めたのか?」
「会社と相談して決めたみたい。」
「じゃあ、休めばいいんじゃないか。」
「俺もそう思う。」
息子は少し黙った。
「でも、周りは色々言うらしい。」
「周りは本人の生活を全部見てるわけじゃないからな。」
「そうだね。」
「休んで戻る人もいるし、そのまま仕事を変える人もいるだろう。」
「うん。」
「まだ何も決まってないなら、今は休むだけでもいいんじゃないか。」
「そうだね。」
電話の向こうで、息子が何か飲んだような音がした。
「父さん、昔ならもっと色々言ってたよね。」
周は笑った。
「そうか?」
「うん。」
「昔のことは、あまり覚えてない。」
「俺は覚えてる。」
周は少し黙った。
「そうか。」
息子は笑わなかった。
「でも、今はいいよ。」
「そうか。」
それ以上、周は何も言わなかった。
電話を切ったあと、居間は静かになった。
劉が台所から顔を出した。
「息子?」
「うん。」
「何だった?」
「知り合いが仕事を休むって。」
「また仕事の話?」
「今日はそういう日みたいだな。」
劉が笑った。
夕方、周は近所を歩いた。
角の店では、内装工事が始まっていた。
以前の店とは違う色の壁が見えている。
職人が二人、入口で話していた。
その前を通り過ぎると、少し先の公園から子どもの声が聞こえた。
ベンチには何人かの親が座っている。
その中に、昼間見かけた李の妻がいた。
「周さん。」
「こんにちは。」
「さっき李から聞いたよ。」
「何を?」
「息子のこと、話したって。」
周は少し笑った。
「少し聞いただけだよ。」
「私も心配でね。」
「そうだろうな。」
「でも、休むって決めたのは本人だから。」
周は頷いた。
「そうだな。」
李の妻は公園のほうを見た。
「昔だったら、無理してでも働けって言ってたと思う。」
「今は?」
「今は、戻れるなら戻ればいいし、戻れないなら、そのとき考えればいいと思ってる。」
周は何も言わなかった。
少しして、李の妻が笑った。
「自分の子どものことになると、難しいね。」
「そうだな。」
二人はそこで別れた。
帰り道、周はゆっくり歩いた。
誰かが仕事を休む。
誰かが仕事を辞める。
誰かが続ける。
外から見ると、どれも簡単な一言で説明できそうだった。
けれど、本人の中では、その一言までにいくつものことが重なっている。
周には全部は分からない。
だから、分からないまま聞くこともある。
家に戻ると、劉が夕飯を作っていた。
「今日は歩いたね。」
「少しだけ。」
「疲れた?」
「大丈夫。」
周は手を洗った。
食卓には野菜と肉、それからスープが並んでいた。
二人で食べ始める。
しばらくして、劉が言った。
「明日、少し涼しくなるって。」
「じゃあ、庭の片付けでもするか。」
「無理しないでね。」
周は箸を止めた。
「分かってる。」
その言葉を言ってから、少し笑った。
昔、息子にも同じように言われた。
今度は、自分が言われる側だった。
それでいいと思った。
人の生活は、ずっと同じ形では続かない。
休む日もある。
働く日もある。
誰かに頼る日もあれば、自分で決める日もある。
周は味噌汁を一口飲んだ。
明日のことは、明日考えればいい。
今夜は、今夜の食事をする。
それだけだった。




