第六十九章 戻らない話
息子が帰ってから三日ほど経った。
家の中は、また二人だけになっていた。
朝、劉が洗濯物を干し、周は庭の苗に水をやった。
「少し大きくなった?」
劉が聞いた。
「たぶん」
「たぶん?」
「昨日よりは大きい」
「毎日見てると分からないよ」
周は苗を見た。
確かに、昨日との違いはよく分からなかった。
「まあ、枯れてないからいいだろ」
「そうね」
劉は洗濯物を一枚ずつ干していった。
その日の昼過ぎ、王がやって来た。
手には何も持っていなかった。
「ちょっと座っていい?」
「いいよ」
王は椅子に座った。
しばらく黙っていた。
「娘から電話があった」
「そうか」
「この前のこと、少し話した」
周は黙って聞いた。
「俺が悪かったって言った」
周は王を見る。
「言えたのか」
「うん」
王は苦笑した。
「言ってみたら、そんなに難しくなかった」
「娘は何て?」
「『分かった』って」
「それだけ?」
「それだけ」
二人は笑った。
王は少し考えてから続けた。
「でも、全部解決したわけじゃない」
「そうだろうな」
「娘にも言いたいことがあるみたいだった」
「聞いたの?」
「聞いた」
王は湯飲みを両手で持った。
「昔のことをいくつか話された」
周は何も言わなかった。
「俺は覚えてないこともあった」
「そういうこともある」
「でも、娘は覚えてた」
王はしばらく黙っていた。
「自分では、そんなに大したことじゃないと思ってたんだよ」
「うん」
「でも、相手にとっては違うこともあるんだな」
周は窓の外を見た。
「そうだな」
王は立ち上がった。
「じゃあ、俺は帰る」
「もう?」
「仕事がある」
「分かった」
玄関まで送ると、王は振り返った。
「周さん」
「ん?」
「前に言ってたこと、覚えてる?」
「何?」
「心配することと、決めることは違うって」
周は少し笑った。
「そんなこと言ったか?」
「言った」
「忘れたな」
王も笑った。
「俺は覚えてた」
王が帰ったあと、周は玄関を閉めた。
劉が台所から顔を出した。
「王さん?」
「うん」
「何だった?」
「娘と話したって」
「そう」
劉はそれ以上聞かなかった。
夕方、周は庭に出た。
苗の横に、小さな雑草が生えていた。
周はしゃがんで、それを抜いた。
すると、土の中から細い根が出てきた。
「何してるの?」
劉が後ろから言った。
「草を抜いてる」
「花まで抜かないでよ」
「分かってる」
周は笑った。
夜になって、息子から電話があった。
「父さん、今大丈夫?」
「大丈夫」
「この前話さなかったことなんだけど」
周は少し黙った。
「仕事のこと?」
「うん」
息子は、自分の職場で最近あったことを話した。
人が一人辞めたこと。
その影響で仕事が増えたこと。
上司から新しい仕事を任されたこと。
まだ続けるかどうかは決めていないこと。
周は途中で口を挟まなかった。
「父さん、どう思う?」
そう聞かれて、周は少し考えた。
以前なら、すぐに答えていた。
「続けたほうがいい」
「無理するな」
「別の仕事を探したほうがいい」
今は、すぐに言葉が出てこなかった。
「俺には、全部は分からないな」
息子が笑った。
「まあ、そうだよね」
「ただ、体を壊すほど無理する必要はないと思う」
「うん」
「それ以外は、自分で考えればいい」
「分かった」
しばらくして、息子が言った。
「そういえば、前に俺が怒ってたこと、覚えてる?」
周は少し考えた。
「覚えてる」
「あのときのこと、母さんには言わないで」
「分かった」
「まだ話したくないから」
「分かった」
周は、それ以上聞かなかった。
電話を切ったあと、劉が尋ねた。
「何の話?」
周は一瞬考えた。
「仕事の話」
「そう」
劉はそれ以上聞かなかった。
周は携帯電話を机に置いた。
親子でも、知らないことはある。
昔は、それが不安だった。
今は、知らないままでもいいことがあると思っている。
すべてを知ることが、親子の近さを証明するわけではない。
話したくなったときに話せる。
聞いてほしいときに聞いてもらえる。
それだけでも、十分な日がある。
翌朝、周はいつもの時間に起きた。
劉は朝食を作っていた。
テレビからニュースの音が聞こえる。
庭の苗には、新しい葉が一枚出ていた。
周はそれを見て、
「増えたな」
と言った。
劉が窓から外を見た。
「ほんとだ」
二人はしばらく庭を見ていた。
昨日までなかったものが、いつの間にかそこにあった。
誰かが説明したわけでもない。
誰かが決めたわけでもない。
ただ、時間が過ぎて、少しずつ変わっていた。




