第五十八章 電話の向こう
冬の初めだった。
周は朝から家の前を掃いていた。
風が強く、昨日まで庭に残っていた葉が、また道路の端に集まっている。
竹ぼうきを動かしていると、隣の李が門のところから声をかけた。
「周さん」
「ん?」
「この前話してた甥だけどな」
「家のことか?」
「うん。結局、買わないことにしたらしい」
周はほうきを止めた。
「そうか」
「しばらく今のところに住むって」
「本人たちが決めたなら、それでいいんじゃないか」
李は笑った。
「俺もそう思うようになったよ」
「前は違ったのか?」
「前なら、せっかく働いてるんだから家くらい買えって言ってたと思う」
李はそう言って、道路の向こうを見た。
「でも、あいつらにはあいつらの生活があるからな」
「そうだな」
二人はしばらく黙っていた。
向こうから自転車が一台走ってきた。
李が手を上げると、自転車に乗っていた女性も軽く会釈した。
「寒くなったな」
「うん」
それだけ話して、李は自分の家に戻っていった。
周はまた掃除を始めた。
⸻
昼過ぎ、周の息子から電話があった。
「もしもし」
『今、大丈夫?』
「大丈夫だ」
『この前言ってた部屋なんだけど、結局引っ越さないことにした』
「そうか」
『会社のほうが、来年から少し勤務時間が変わるかもしれなくて。今の場所のほうが便利だから』
「それなら、そのほうがいいな」
『うん』
少し間があった。
『それと、来月そっちに行けるかもしれない』
「そうか」
『まだ仕事次第だけど』
「決まったら教えてくれればいい」
『分かった』
電話はそこで終わった。
周はスマートフォンを置いた。
劉が台所から顔を出した。
「息子?」
「うん。来月、来るかもしれないって」
「じゃあ、布団を出しておかないとね」
「まだ決まってないぞ」
「分かってるよ」
劉は笑った。
「でも、来るかもしれないんだから」
周は何も言わなかった。
⸻
夕方、劉は買い物から帰ってきた。
袋の中には野菜と魚が入っていた。
「今日は安かったよ」
「何が?」
「白菜」
「それなら鍋にするか」
「そうしよう」
劉は台所に立った。
周は魚を冷蔵庫に入れた。
息子が来るかもしれないという話は、それ以上続かなかった。
来るかもしれない。
来ないかもしれない。
それだけだった。
⸻
その夜、張から電話があった。
「周か?」
「どうした?」
「ちょっと聞きたいことがあってな」
「何だ?」
「息子のことなんだけど」
周は黙って聞いた。
張の息子は、最近また仕事を変えることを考えているらしかった。
「まだ決めてないんだ」
「そうか」
「でも、本人はもう辞めたいと言ってる」
「今の仕事が嫌なのか?」
「それが、よく分からない」
張は少し黙った。
「前は、仕事が嫌なら辞めればいいと思ってた。でも、辞めたあとどうするのかと思うとな」
「そうだな」
「だから、つい聞いてしまうんだ。次はどうするんだって」
周はしばらく考えた。
「聞きたいことがあるなら、一回聞けばいいんじゃないか」
「一回?」
「ああ。一回聞いて、まだ考えてるなら、少し待つ」
張は笑った。
「お前も変わったな」
「俺も前は何度も聞いてたからな」
「そうだったか」
「そうだったよ」
二人とも笑った。
「じゃあ、今日は聞かないでおくか」
「それでいいんじゃないか」
電話を切ったあと、周はしばらく窓の外を見ていた。
街灯の下を、一人の人が歩いていた。
その人が誰なのかは分からなかった。
周はカーテンを閉めた。
⸻
翌朝、張は息子に電話をかけなかった。
息子も連絡してこなかった。
昼になっても、何もなかった。
夕方になって、息子から短いメッセージが届いた。
「今の仕事、もう少し続けてみる」
張は画面を見た。
「分かった」
それだけ返信した。
少しして、息子から返事が来た。
「ありがとう」
張はスマートフォンを机の上に置いた。
何か言いたいことはあった。
けれど、その日は言わなかった。
夕食の時間になり、張は妻に言った。
「飯、食うか」
「うん」
二人はいつものように食卓についた。
息子のことは、それ以上話さなかった。
⸻
同じ日の夜。
周の家でも鍋ができた。
白菜、豆腐、魚、きのこ。
二人で食べていると、劉が言った。
「来月、本当に帰ってくるかな」
「仕事次第だろ」
「そうだね」
「来たら来たでいいし、来られなかったらまた別の日に来ればいい」
劉は鍋の中を箸で少し動かした。
「昔だったら、もっと心配してたね」
「そうか?」
「してたよ」
周は少し考えた。
「今も心配だけどな」
「それはそうだね」
二人は笑った。
鍋の湯気が、部屋の中にゆっくり広がっていた。
外では風が吹いていた。
その風の音を聞きながら、周は魚を一切れ取って、劉の皿に入れた。
「食べろ」
「自分で取れるよ」
「冷めるぞ」
「はいはい」
二人はまた黙って食べ始めた。




