第五十五章 選ばなかった道
夏の終わり、周は久しぶりに昔の同僚と会った。
名前は陳だった。
二人とも若い頃に同じ現場で働いていた。
陳は今でも建築関係の仕事をしていたが、会社は何度か変わっていた。
「周さんは、もう仕事しないの?」
昼食を食べながら、陳が聞いた。
「しばらくはいいかな。」
「もったいないな。まだ動けるだろ。」
「動けるけど、前ほどじゃない。」
陳は笑った。
「俺も最近、若い人には負けるよ。」
「同じだな。」
二人は笑った。
しばらくして、陳が言った。
「うちの娘が大学に行ってるんだけどな。」
「何年生?」
「三年。」
「何を勉強してる?」
「最初は経済だったんだけど、今は別のことをやりたいって言ってる。」
「別のこと?」
「映像関係。」
周は箸を止めた。
「変えるのか?」
「本人は変えたいらしい。」
「大学三年で?」
「そう。」
陳はため息をついた。
「あと一年ちょっとしかないのに。」
周は何も言わなかった。
陳は続けた。
「俺は、卒業してから考えればいいと思ってる。」
「娘さんは?」
「今のうちにやりたいって。」
「そうか。」
「親としては、せっかく大学まで行ったんだから、そのまま卒業してほしいんだよ。」
周はうなずいた。
「分かる。」
「でも、本人は聞かない。」
「そういう年頃だろ。」
陳は笑った。
「周さんも、息子さんが大学に行った時は大変だっただろ。」
「大変だった。」
「何を勉強するかとか?」
「いろいろ聞いたよ。」
「今は?」
「今は、聞いても分からないことが多い。」
陳は少し笑った。
「俺もそうなりたいよ。」
⸻
その日の夜、周は息子にその話をした。
「知り合いの娘が、大学三年で勉強を変えたいらしい。」
「へえ。」
「父親は心配してる。」
「まあ、そうだろうね。」
「お前ならどうする?」
息子は少し考えた。
「俺なら、変えたい理由を聞くかな。」
「理由?」
「ただ嫌になったのか、本当にやりたいことが見つかったのかで違うから。」
周は黙って聞いていた。
「でも、聞いたからって親が決めることじゃないと思う。」
「そうか。」
「大学三年なら、時間のことも考えないといけないけど。」
「そうだな。」
「結局、本人が決めるしかないよ。」
周は笑った。
「お前も、前よりそういうこと言うようになったな。」
「俺もいろいろあったから。」
「そうだな。」
電話の向こうで息子が笑った。
⸻
数日後、陳が再び周の家へ来た。
「娘、結局どうすると思う?」
「知らない。」
「周さんまで。」
「俺が決められる話じゃないだろ。」
陳は苦笑した。
「そうなんだけどな。」
しばらく話したあと、陳は言った。
「昨日、娘と話した。」
「どうだった?」
「映像の仕事をやりたい理由を聞いた。」
「何て?」
「大学に入る前から興味があったらしい。でも、仕事になるとは思ってなかったって。」
周は黙っていた。
「それで、今のうちに試してみたいらしい。」
「そうか。」
「俺はまだ心配だよ。」
「そりゃそうだ。」
「でも、卒業をどうするかも含めて、自分で学校に相談してみるって。」
「それなら、まず話を聞いてみればいいんじゃないか。」
陳はうなずいた。
「そうだな。」
玄関へ向かう前に、陳が振り返った。
「周さん。」
「ん?」
「親って、何もしないほうが難しいな。」
周は少し考えた。
「何もしないんじゃないだろ。」
「じゃあ、何するんだ?」
「聞くくらいじゃないか。」
陳は笑った。
「それも難しいんだよ。」
「そうだな。」
二人とも笑った。
⸻
その夜、劉が聞いた。
「陳さん、何の話だったの?」
「娘さんが大学で勉強を変えたいらしい。」
「三年生で?」
「うん。」
劉は少し驚いた。
「もったいないね。」
周は黙っていた。
「どうしたの?」
「俺も昔なら、そう言ってたと思う。」
劉はしばらく考えた。
「今は?」
「分からない。」
「分からないの?」
「本人が何を考えてるか聞いてないからな。」
劉は笑った。
「そうね。」
二人はテレビをつけた。
ニュースでは、大学生の就職活動について話していた。
画面の中では、企業説明会の会場を歩く若者たちが映っていた。
黒いスーツ。
資料の入った鞄。
スマートフォン。
周はしばらく画面を見ていた。
自分たちの頃とは、仕事の探し方も違う。
大学へ行く人も増えた。
仕事を選ぶ時に見るものも変わった。
それでも、親が心配することだけは、昔からあまり変わらない。
周はテレビを消した。
「明日、何する?」
劉が聞いた。
「市場に行く。」
「一緒に行く?」
「うん。」
二人は翌日の予定を話し始めた。
その頃、陳の娘は大学の相談窓口で、自分がこれから何をするかを話していた。
まだ、決まってはいなかった。
大学をそのまま卒業するかもしれない。
別の勉強を始めるかもしれない。
思っていた通りにならないかもしれない。
それでも、その選択を考える時間は、本人のところにあった。




