第五十二章 見ているもの
冬の朝だった。
周が起きると、劉はすでに台所にいた。
「寒いね。」
「今年は早いな。」
周は窓を閉めた。
食卓の上には、劉のスマートフォンが置かれていた。
画面には短い動画が流れている。
誰かが節約について話していた。
次の動画では、若い夫婦の生活が映っていた。
その次には、年金について説明する動画が出てきた。
周は少し見てから言った。
「最近、こういうのばかり出てくるな。」
「私がよく見てるからじゃない?」
「そうなのか。」
「一回見ると、また出てくるのよ。」
周は自分のスマートフォンを取り出した。
こちらには仕事の動画やニュースが多かった。
「俺のは違う。」
「何見てるの?」
「仕事の話。」
「同じスマホなのにね。」
「見るものが違うからだろ。」
劉は少し考えて、
「そうか。」
と言った。
⸻
昼前、近所の王がやって来た。
王は六十代で、最近スマートフォンを使い始めたばかりだった。
「周さん、これ見た?」
「何?」
王はスマートフォンを差し出した。
「今の若い人は、働かなくても金を稼げるらしい。」
画面には、若い男性が自宅で仕事をしている動画が映っていた。
「本当なのかな?」
周は動画を最後まで見なかった。
「分からない。」
「でも、動画で言ってたぞ。」
「動画で言ってるだけじゃないか。」
王は少し考えた。
「そうか。」
劉が横から言った。
「私も似たようなの見たことある。」
「じゃあ、本当なのか?」
「分からないよ。」
三人とも黙った。
しばらくして、王が笑った。
「昔はテレビで言ってたことを信じてたけど、今はスマホで言ってることを信じてるな。」
周も笑った。
「見るものが変わっただけかもしれない。」
「そうだな。」
王はスマートフォンをしまった。
「でも、何を信じればいいんだ?」
周は答えなかった。
⸻
その日の夜、息子から電話が来た。
「父さん、最近スマホで何見てる?」
「仕事の動画。」
「仕事?」
「うん。」
「何の?」
「機械とか工具とか。」
息子が笑った。
「父さん、昔からそういうの好きだよね。」
「役に立つからな。」
「俺は最近、ニュースより人の投稿を見ることが多い。」
「人の投稿?」
「仕事の経験とか、転職した話とか。」
「参考になるのか?」
「全部は信じないけど、いろんな人がいるのは分かる。」
周は少し考えた。
「昔は周りにいる人しか知らなかったからな。」
「今は遠くの人の話も見える。」
「便利だな。」
「でも、見すぎると疲れる。」
「それもそうだな。」
息子は少し黙ってから、
「父さん、前に張さんの息子の話してたでしょ。」
「うん。」
「ネットで仕事の話を見ても、結局その人の事情までは分からないんだよ。」
周は黙った。
「そうだな。」
「給料だけ見ても分からないし、会社名だけでも分からない。」
「人それぞれだからな。」
「うん。」
電話の向こうで、何か音がした。
「もう寝る?」
「まだ。」
「明日仕事?」
「うん。」
「じゃあ、早く寝ろ。」
「父さんも。」
電話が切れた。
⸻
翌日、劉は近所の女性から聞いた話を周にした。
「張さんの娘、仕事辞めたらしいよ。」
「そうなのか?」
「スマホで見たんだって。」
「本人から聞いたのか?」
「いや。」
「じゃあ、まだ分からないな。」
劉は少し笑った。
「そうね。」
以前なら、その話だけで二人の会話は長く続いていた。
なぜ辞めたのか。
次は何をするのか。
結婚はどうするのか。
親はどう考えているのか。
けれど今は、そこで止まった。
昼過ぎ、張本人が買い物から帰ってきた。
「張さん、娘さん仕事辞めたって聞いたけど。」
劉が何気なく聞くと、張は首を振った。
「辞めてないよ。」
「そうなの?」
「部署が変わっただけ。」
劉は少し驚いた。
「そうだったんだ。」
「どこから聞いた?」
「近所で。」
張は笑った。
「人の話って、早いな。」
劉も笑った。
「本当にね。」
張が帰ったあと、劉は周に言った。
「やっぱり、人の話はそのまま信じちゃ駄目ね。」
周は答えた。
「だから本人に聞かないと分からない。」
「でも本人に聞けないこともある。」
「そうだな。」
「じゃあ、どうする?」
周は湯呑みを持ち上げた。
「分からないことは、分からないままでいいんじゃないか。」
劉は少し考えて、
「それもそうね。」
と言った。
窓の外では、風で木の枝が揺れていた。
同じ町に住んでいても、見ているものは違う。
テレビを見る人もいる。
短い動画を見る人もいる。
新聞を読む人もいる。
誰かから聞いた話を信じる人もいる。
自分で確かめる人もいる。
そして、それぞれが違う情報を持ったまま、同じ場所で暮らしている。
周はスマートフォンを机の上に置いた。
劉が、
「夕飯、何にする?」
と聞いた。
「昨日の魚、まだある?」
「あるよ。」
「じゃあ、それでいい。」
「また魚?」
「嫌なら別のにする。」
「いいよ。魚で。」
二人は台所へ向かった。
スマートフォンの画面は、誰にも触られないまま暗くなった。




