第四十七章 離れて暮らす人
冬が近づいていた。
朝、周が庭に出ると、地面が少し湿っていた。
夜のうちに雨が降ったらしい。
自転車のサドルにも水滴が残っていた。
周は袖でそれを拭いてから、自転車を出した。
市場へ向かう途中、李と会った。
「周さん、最近息子さん帰ってきた?」
「この前来たよ。」
「仕事、遠いんだろ?」
「うん。」
「じゃあ、なかなか帰ってこられないな。」
「そうだな。」
李は少し歩いてから言った。
「うちの甥も、来年はもっと遠くへ行くらしい。」
「仕事?」
「そう。今の会社を辞めて、別のところへ行くって。」
周はうなずいた。
「本人が決めたのか?」
「そうみたいだ。」
「じゃあ、いいんじゃないか。」
李は笑った。
「周さん、最近そういう言い方するようになったな。」
「そうか?」
「前だったら、もう少し聞いただろ。」
「何を?」
「給料はいくらだとか、会社は大丈夫なのかとか。」
周は少し考えた。
「聞いたって、俺には分からないからな。」
「それもそうだな。」
二人は市場の入口で別れた。
⸻
その日の午後、周の息子から電話があった。
「父さん。」
「どうした?」
「来月、少し忙しくなるかもしれない。」
「仕事?」
「うん。新しい仕事を任されるらしい。」
「そうか。」
周は少し間を置いた。
「大丈夫か?」
「まだ分からない。」
「そうか。」
以前なら、そこでいくつも質問をしていた。
どんな仕事なのか。
誰とやるのか。
残業はあるのか。
給料はいくらなのか。
続けられるのか。
けれど今日は、一つだけ聞いた。
「お前はどう思ってる?」
電話の向こうで、息子が少し黙った。
「……やってみようと思ってる。」
「じゃあ、やってみればいい。」
「うん。」
それだけだった。
電話が終わったあと、周は台所へ行った。
劉が野菜を切っていた。
「息子、何だって?」
「来月、忙しくなるらしい。」
「大丈夫なの?」
「分からないって。」
劉は包丁を止めた。
「それで?」
「やってみるって。」
「そう。」
劉はまた野菜を切り始めた。
しばらくして、言った。
「昔だったら、もっと聞いてたね。」
「そうだな。」
「私も。」
周は笑った。
「聞いたって、俺たちには分からないこともある。」
劉は少し考えてから、
「でも、心配なのは変わらないね。」
と言った。
「それは変わらない。」
二人はそれ以上話さなかった。
⸻
数日後、張が家に来た。
手には小さな箱を持っていた。
「これ、息子が送ってきた。」
中には地方のお菓子が入っていた。
「仕事先の近くの名物らしい。」
劉が一つ取り出した。
「おいしそう。」
張は笑った。
「電話では、仕事が忙しくて帰れないって言ってた。」
「そうか。」
「でも、こういうものは送ってくる。」
周は箱を見た。
「帰れないことと、何もしないことは違うからな。」
張は黙っていた。
しばらくして、
「そうだな。」
と言った。
三人でお茶を飲んだ。
誰も、子どもがどれだけ親を大切にしているかについて話さなかった。
ただ、送られてきた菓子を食べた。
味は少し甘かった。
劉は、
「これ、うちの息子にも教えてあげようか。」
と言った。
周は笑った。
「教えなくても、そのうち自分で見つけるだろ。」
「そうかね。」
「たぶんな。」
夕方、張が帰った。
周は玄関まで見送った。
外はもう暗くなっていた。
張は振り返って、
「また来るよ。」
と言った。
「うん。」
周は門を閉めた。
家の中へ戻ると、劉が残った菓子を袋に入れていた。
「何してる?」
「明日食べる。」
「全部食べないのか?」
「一日で食べたらもったいないでしょ。」
周は笑った。
それから椅子に座った。
遠くで車の音がした。
息子がどこで暮らしているのか。
今、何をしているのか。
毎日のことを全部知っているわけではない。
それでも、時々電話が来る。
何かが送られてくることもある。
帰ってくる日もある。
帰ってこない日もある。
周は、それでいいとも、悪いとも考えなかった。
ただ、自分の家の明かりを消してから、いつものように眠った。




