第四十六章 それぞれの事情
秋になった。
朝の気温が少しずつ下がり、周家の食卓にも、夏にはなかった上着が置かれるようになった。
周は朝食を食べながら、スマートフォンを見ていた。
近所の李が、町内のグループに短い動画を送ってきていた。
「最近の若い人は、仕事を選びすぎる」
そんな内容だった。
周は最後まで見なかった。
画面を消して、湯気の立つ粥を一口飲んだ。
「何見てるの?」
劉が聞いた。
「李さんが送ってきた動画。」
「また?」
「うん。」
劉も自分のスマートフォンを取り出した。
しばらく画面を見てから、言った。
「これ、張さんも送ってきたよ。」
「そうなのか。」
「最近こういうの多いね。」
周は少し考えてから言った。
「まあ、人によって事情が違うからな。」
劉は顔を上げた。
以前なら、二人でその動画について話し始めていただろう。
誰の息子が仕事を辞めた。
誰の娘が結婚しない。
誰の家は家を買った。
誰の子どもは給料が高い。
そういう話は、いくらでも続いた。
けれど最近、劉も前ほど話さなくなっていた。
「うちの子はどうなんだろうね。」
「知らない。」
周は笑った。
「聞いてないから。」
「聞けばいいじゃない。」
「仕事中かもしれないだろ。」
劉は少し黙った。
「そうだね。」
それだけ言って、スマートフォンを置いた。
⸻
昼過ぎ、周は近所の市場へ出た。
帰り道、張と会った。
「周さん。」
「おう。」
張は買い物袋を持っていた。
少し疲れた顔をしていた。
「息子さん、仕事決まったんだって?」
「うん。先月から行ってる。」
「遠いんだろ?」
「前よりは遠いな。」
張はうなずいた。
「うちの息子も、最近また仕事を変えたいって言ってる。」
周は張の顔を見た。
「そうか。」
「今度で三回目だよ。」
「三回目か。」
「どう思う?」
張はそう聞いた。
周はすぐには答えなかった。
以前なら、
「若いうちは安定したところにいたほうがいい」
と言っていたかもしれない。
けれど今は、その言葉が少し違って聞こえた。
「本人は何て言ってる?」
「給料が低いって。」
「それなら、変える理由はあるんじゃないか。」
「でも、次が決まってるわけじゃない。」
「それは心配だな。」
張は黙った。
周も黙った。
しばらくして張が笑った。
「結局、心配なんだよ。」
「そりゃそうだろ。」
「でも、何を言っても聞かない。」
「うちも同じだ。」
二人は笑った。
その笑いには、以前のような諦めだけはなかった。
「じゃあ、どうする?」
張が聞いた。
周は買い物袋を持ち直した。
「知らない。」
「知らないのかよ。」
「知らないよ。」
周は笑った。
「だから本人に任せるしかないんじゃないか。」
張は少し考えた。
「それが難しいんだよな。」
「俺もそう思う。」
二人はそこで別れた。
⸻
夜、周の息子から電話が来た。
「もしもし。」
「今、帰ったのか?」
「うん。さっき。」
「仕事どうだ?」
「普通。」
「慣れたか?」
「まだ完全には。」
周はテレビの音を小さくした。
「前のところより遠いんだろ。」
「そうだね。でも、電車一本だから思ったほどじゃない。」
「給料は?」
「前より少し上がった。」
「そうか。」
そこで会話が止まった。
周は何か言おうとした。
「無理するなよ。」
言ってから、少し考えた。
息子は笑った。
「分かってる。」
「仕事が合わなかったら……」
周はそこで止めた。
息子が待っている。
「……まあ、また考えればいい。」
「うん。」
「何かあったら言えよ。」
「分かった。」
電話が切れた。
周はしばらくスマートフォンを見ていた。
劉が聞いた。
「何て?」
「仕事は普通だって。」
「そう。」
劉は台所へ戻った。
「ご飯、もう少し食べる?」
「いや、いい。」
周はテレビを見た。
ニュースが流れていた。
若者の就職。
住宅価格。
高齢者の医療。
出生数。
どれも、画面の中では大きな数字になっていた。
周はしばらく見ていたが、テレビを消した。
「明日、畑行く?」
劉が聞いた。
「行く。」
「雨降るかもしれないよ。」
「じゃあ、朝見てから決めよう。」
「そうしよう。」
二人はそれ以上話さなかった。
翌朝になれば、また天気を見る。
畑へ行くかもしれない。
行かないかもしれない。
息子もまた仕事へ行く。
しばらく続けるかもしれない。
いつか変えるかもしれない。
周には、その先のことまでは分からなかった。
分からないままでも、朝は来る。
そして、それぞれの生活は続いていった。




