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家にいる人  作者: 亀


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第四十五章 自分の生活

張の息子は、仕事を辞めてから三か月が過ぎていた。


毎朝、決まった時間に起きる。


朝食を食べ、パソコンを開く。


求人サイトを見る。


条件を入力する。


応募する。


返事を待つ。


返事が来ない日もあった。


面接まで進むこともあった。


そして、断られることもあった。


最初のころは、張も毎日聞いていた。


最近は、少し減った。


それでも、息子がパソコンを開いていると、張は何をしているのか気になった。


ある朝、張が新聞を読んでいると、息子が言った。


「今日、面接。」


張は新聞から顔を上げた。


「そうか。」


「午後から。」


「どんな会社?」


「前の仕事とは少し違う。」


「給料は?」


息子は少し笑った。


「まだ分からないよ。」


「そうか。」


張はそれ以上聞かなかった。


息子はしばらく父親を見ていた。


「聞かないの?」


「何を?」


「いろいろ。」


張は少し考えた。


「聞いても、俺には決められないだろ。」


息子は笑った。


「まあね。」


朝食が終わると、息子は部屋に戻った。


面接の準備をしている間、張は居間でテレビを見ていた。


妻が台所から、


「今日は面接でしょう?」


と聞いた。


「そうらしい。」


「何か言わないの?」


「もう言った。」


「何を?」


「そうかって。」


妻は笑った。


「それだけ?」


「それだけ。」


「変わったね。」


張はテレビを見たまま、


「そうかな。」


と言った。


午後、息子は面接に出かけた。


玄関で靴を履いていると、張が言った。


「気をつけて。」


「うん。」


「終わったら、連絡しなくてもいいからな。」


息子が振り返った。


「なんで?」


「疲れてるだろ。」


息子は少し笑った。


「分かった。」


面接は一時間ほどだった。


帰り道、息子は駅前のベンチに座った。


結果はまだ分からない。


面接では、前の会社を辞めた理由を聞かれた。


人間関係についても聞かれた。


次の仕事で何をしたいのかも聞かれた。


うまく答えられたか、自信はなかった。


けれど、以前とは少し違った。


仕事を見つけることだけを考えるのではなく、自分がその会社で何年も働く可能性も考えるようになっていた。


給料だけでは決められない。


家からの距離もある。


残業もある。


仕事内容もある。


人間関係は、入ってみなければ分からない。


それでも、面接で聞けることはある。


息子は携帯電話を取り出した。


父親には連絡しなかった。


代わりに、求人サイトを開いた。


帰り道にもう一件、気になる会社を見つけた。


その夜、家に帰ると、張は何も聞かなかった。


夕飯の途中で、息子のほうから話した。


「今日の会社、悪くなかった。」


「そうか。」


「まだ分からないけど。」


「うん。」


「もし受かったら、少し遠くなる。」


張は箸を置いた。


「どのくらい?」


「電車で一時間くらい。」


張は少し考えた。


「それなら通えるな。」


「たぶん。」


「引っ越すほどじゃないか。」


「まだ分からない。」


張は頷いた。


「そうか。」


妻が息子に聞いた。


「そこ、気に入ったの?」


「まだ分からない。」


「じゃあ、結果が出てから考えればいいね。」


「うん。」


食事が終わった。


息子は食器を片付けた。


張は何も言わなかった。


その夜、張は布団に入ってから妻に言った。


「もし、あいつが遠くに行ったらどうするんだろうな。」


「仕事が決まったら?」


「そう。」


「それなら、行けばいいんじゃない?」


張は黙った。


「寂しくないのか?」


「寂しいでしょう。」


「じゃあ……。」


「でも、寂しいからって、仕事を断らせるの?」


張は答えなかった。


妻は布団を整えながら、


「あなたも少し前まで、毎日仕事のことを聞いてたでしょう。」


「そうだな。」


「心配だったから。」


「今も心配だ。」


「それは分かってる。」


妻は灯りを消した。


「でも、心配することと、あの子の生活を持つことは違うでしょう。」


暗い部屋の中で、張は何も言わなかった。


翌朝。


息子の携帯電話が鳴った。


面接を受けた会社からだった。


採用の連絡だった。


息子は電話を切ったあと、しばらく画面を見ていた。


嬉しい。


けれど、少し不安だった。


本当にここでいいのか。


また辞めることにならないか。


今度こそ続けられるのか。


分からない。


居間に行くと、張が朝食を食べていた。


「父さん。」


「ん?」


「昨日の会社、受かった。」


張は箸を止めた。


「そうか。」


「うん。」


「いつから?」


「来月。」


「そうか。」


張は少し笑った。


「よかったな。」


息子も笑った。


「うん。」


しばらくして、張が聞いた。


「遠いんだろ?」


「少し。」


「じゃあ、通勤大変だな。」


「そうだね。」


張は考えた。


「無理だったら、また考えればいい。」


息子は父親を見た。


「うん。」


それだけだった。


その日の夜、張は周の家に来た。


「決まった。」


「おめでとう。」


「来月から働く。」


周も笑った。


「よかったな。」


張は湯飲みを持った。


「でも、遠いんだ。」


「そうか。」


「毎日通うらしい。」


「本人が決めたんだろ?」


「うん。」


張は少し笑った。


「だから、何も言わなかった。」


周は頷いた。


「それでいいんじゃないか。」


張は少し考えてから、


「でもな。」


「何だ?」


「本当は、近くにいてほしい。」


周は黙って聞いた。


「それくらいは、言ってもいいよな?」


「言っていいだろ。」


「でも、行くなとは言わない。」


「それも、張が決めればいい。」


二人はしばらく黙っていた。


「親って、難しいな。」


張が言った。


周は笑った。


「子どもも難しい。」


「そうだな。」


二人とも笑った。


家に帰ると、張の息子は自分の部屋で新しい会社について調べていた。


通勤時間。


仕事内容。


会社の規模。


口コミ。


給料。


休暇。


いろいろな情報を見ていた。


そして、紙に一つずつ書き出した。


父親に相談することもできる。


母親に聞くこともできる。


友人に聞くこともできる。


でも、最後に決めるのは自分だった。


それが分かっていたからこそ、不安だった。


自分で決めたことなら、結果も自分のものになる。


うまくいったときも。


うまくいかなかったときも。


息子はパソコンを閉じた。


まだ始まっていない。


だから、まだ何も分からない。


翌朝、張はいつも通り新聞を開いた。


息子は出勤の準備をしていた。


玄関で靴を履く。


張が言った。


「気をつけて。」


「うん。」


「今日も探すのか?」


息子は振り返った。


「もう決まったよ。」


張は一瞬黙って、それから笑った。


「そうだったな。」


息子も笑った。


「行ってくる。」


「行ってらっしゃい。」


ドアが閉まった。


張は新聞を開いた。


妻が台所から、


「今日は静かね。」


と言った。


張は、


「そうだな。」


と答えた。


家の中は少し静かになった。


けれど、それは息子が家から離れていくというだけではなかった。


それぞれが、それぞれの生活へ戻っていく。


張は新聞を読み始めた。


妻は朝食の片付けをした。


そして息子は、駅へ向かって歩いていた。


三人とも、同じ一日の中にいた。


けれど、それぞれ違う場所で、自分の生活を続けていた。

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