第四十四章 同じ話を聞く
秋が深くなっていた。
周の家では、朝の食卓に温かいお茶が出るようになった。
劉は窓を閉めながら、
「今年は早いね。」
と言った。
「何が?」
「寒くなるのが。」
周は新聞をめくった。
「年を取ったからじゃないか。」
「それなら、毎年早くなるでしょう。」
「そうかもしれない。」
二人で笑った。
その日の午後、近所の李が来た。
一緒に張もいた。
二人とも、何か話したいことがあるようだった。
「どうした?」
周が聞いた。
張が先に口を開いた。
「息子が仕事を変えるって言ってる。」
「そうか。」
「今の会社、もう六年くらいいるんだ。」
「長いな。」
「だから、俺はもったいないと思って。」
李が横から言った。
「でも、本人が変えたいなら、変えてもいいんじゃない?」
張は李を見る。
「お前は簡単に言うな。」
「簡単には言ってないよ。」
李は笑った。
「うちの息子だって、仕事を変えたことがあるから。」
「何回?」
「三回。」
張は少し驚いた。
「三回も?」
「うん。」
「それで今は?」
「まだ働いてる。」
三人は少し黙った。
周が聞いた。
「何が一番心配なんだ?」
張はすぐには答えなかった。
「……辞めたあと、次が見つからなかったらどうするんだって思う。」
「それは心配になるな。」
「そうだろ?」
張は少し安心したように言った。
「でもな。」
周は続けた。
「心配だからって、辞めるなと言っても、本人が納得するかは別だろ。」
張は黙った。
「お前まで同じことを言うのか。」
「同じ?」
「最近、みんなそう言う。」
李が笑った。
「『本人が決めること』って?」
「そう。」
張は湯飲みを持ち上げた。
「でも、親だから心配するんだよ。」
「それは分かる。」
周は答えた。
「俺だって心配する。」
「じゃあ、どうする?」
周は少し考えた。
「俺なら、心配してるって言う。」
「それだけ?」
「それ以上は、本人が聞きたいなら話す。」
張は何も言わなかった。
しばらくして、
「俺は、昔からそういうのが苦手なんだ。」
と言った。
「何が?」
「何も言わずに見てること。」
李が笑った。
「俺もそうだった。」
「だった?」
「今も得意じゃない。」
三人で笑った。
その日の夜、周は息子に電話をかけようとした。
けれど、携帯電話を手に取ったところで止めた。
「何してるの?」
劉が聞いた。
「電話しようと思って。」
「何の話?」
「仕事のこと。」
「聞きたいことがあるの?」
周は少し考えた。
「いや。」
「じゃあ、いいんじゃない?」
「そうだな。」
周は携帯電話を置いた。
そのとき、息子からメッセージが来た。
『今度の異動、少し具体的になった。』
周は画面を開いた。
続けて、
『まだ決めてないけど。』
と届いた。
周は、
『そうか。考えてみればいい。』
と返した。
しばらくして、
『うん。』
と返ってきた。
それで終わった。
翌週、張の息子が実際に会社を辞めた。
張は近所の人たちに、
「若いから、すぐ次が見つかるだろ。」
と話していた。
けれど、家では何度も息子に聞いていた。
「次は決まってるのか?」
「まだ。」
「じゃあ、どうする?」
「探す。」
「いつから?」
「もう探してる。」
「本当に?」
息子は少し苛立った。
「何回聞けばいいんだよ。」
張は黙った。
妻が横から、
「毎日聞いても、仕事がすぐ見つかるわけじゃないでしょう。」
と言った。
張は、
「分かってる。」
と答えた。
でも、次の日も同じことを聞いた。
「何か決まったか?」
息子は、
「まだ。」
と答えた。
そのやり取りは、しばらく続いた。
一か月が過ぎた。
二か月目に入っても、まだ決まらなかった。
張は心配になった。
近所の人に、
「最近、あの子どうしてる?」
と聞かれるたび、
「探してるよ。」
と答えた。
ある日、張が周の家に来た。
「まだ見つからない。」
「そうか。」
「俺も、毎日聞かないほうがいいと思ってるんだけど。」
「うん。」
「でも、家にいるのを見ると、つい聞いてしまう。」
周は黙って聞いた。
「何もしないでいるように見えるんだ。」
「本人は?」
「探してるって言う。」
「じゃあ、探してるんだろ。」
張は苦笑した。
「お前は簡単に言うな。」
「そうかもしれない。」
周も笑った。
その夜、張は家に帰った。
息子は居間でパソコンを見ていた。
張は、
「どうだ?」
と聞きかけて、口を閉じた。
息子が顔を上げた。
「何?」
「いや。」
張は冷蔵庫を開けた。
「何か食べるか?」
息子は少し驚いた。
「いらない。」
「そうか。」
張は冷蔵庫を閉めた。
しばらくして、
「父さん。」
「ん?」
「心配してる?」
張は黙った。
「してる。」
「分かってる。」
息子も黙った。
「俺も心配してる。」
「そうか。」
「だから、毎日聞かれると、余計に焦る。」
張は椅子に座った。
「……分かった。」
それ以上、何も言わなかった。
次の日。
張は朝食を食べながら、息子に、
「今日は何か予定あるのか?」
と聞きそうになった。
けれど、
「気をつけてな。」
と言った。
息子は少し驚いた。
「うん。」
それだけだった。
張が周の家にその話をしに来たのは、その三日後だった。
「聞かなかった。」
「何を?」
「仕事のこと。」
周は笑った。
「それで?」
「一日くらいなら、なんとかなる。」
李もその場にいた。
「一日だけ?」
「今のところな。」
三人で笑った。
張は湯飲みを持った。
「でも、何もしないわけじゃない。」
「分かってる。」
「心配するのもやめられない。」
「それも分かる。」
張は頷いた。
「じゃあ、しばらくこのままやってみる。」
周は何も言わなかった。
人は、誰かに言われたから変わるわけではない。
自分で試してみて、うまくいかなければ戻ることもある。
一度できたことが、次の日にはできないこともある。
それでも、その一日だけは、張は息子に仕事のことを聞かなかった。
その日の夕方、張の息子は一件の求人に応募した。
張はそれを知らなかった。
そして、知らないまま夕飯を食べた。
「今日は何食べる?」
妻が聞いた。
「何でもいい。」
張は答えた。
テレビの音が居間に流れていた。
家族の誰も、未来のことをまだ決めていなかった。
それでも、その日の夜は、いつもより少し静かだった。




