第四十一章 それぞれの負担
夏が近づいていた。
周の腰は、以前よりよくなっていた。
朝起きたときに少し重く感じることはあったが、歩くことには問題がなかった。
医者から言われた運動も、できる範囲で続けていた。
ある朝、劉が新聞を見ながら言った。
「最近、病院のお金も高くなったね。」
「そうか?」
「薬もあるし、検査もあるでしょう。」
周は湯飲みを持ったまま、少し考えた。
「まあ、年を取ればそういうものだろ。」
「そういうものって言っても、お金はかかるわよ。」
「分かってる。」
周は財布を開いた。
中には、銀行のカードと少しの現金が入っていた。
「まだ大丈夫だ。」
「今はね。」
劉はそう言った。
二人とも、それ以上は話さなかった。
その日の夕方、近所の張が訪ねてきた。
張は最近、息子とよくお金の話をしているらしかった。
「うちの息子が、毎月少し送ってくれるんだ。」
「そうか。」
「でも、俺は別にいらないって言ってる。」
劉が聞いた。
「なんで?」
「自分の生活があるだろ。」
張は笑った。
「家のローンもあるし、子どももいるし。」
「じゃあ、送ってくるの?」
「そうなんだよ。」
張は少し困ったような顔をした。
「返すって言っても、いらないって言うし。」
周は黙って聞いていた。
「俺たちの親も、似たようなことを言ってたな。」
張が言った。
「自分で食べていけるうちは、自分でやれって。」
「そうだったな。」
周も頷いた。
張はしばらく考えてから、
「でも、子どもが何もしないのも、ちょっと寂しいんだよな。」
と言った。
劉が笑った。
「結局、難しいのよ。」
「そうなんだよ。」
三人で笑った。
張が帰ったあと、劉は台所で夕飯の準備を始めた。
「毎月いくら送るとか、そういう話になると、家族でも難しいね。」
「そうだな。」
「もらうほうも、もらったら何か返さなきゃって思うし。」
周は少し考えた。
「昔、俺も親に金を渡したとき、そんなこと考えたな。」
「何を?」
「これくらい渡せばいいかな、とか。」
「今は?」
「今は……」
周は言葉を止めた。
「息子が自分で決めればいいと思う。」
劉は振り返った。
「本当に?」
「たぶんな。」
「たぶん?」
「俺だって、いつも同じ考えじゃないからな。」
劉は笑った。
「それはそうね。」
その夜、息子から電話があった。
「父さん、最近どう?」
「元気だ。」
「病院は?」
「もう大丈夫だ。」
「そう。」
少し話してから、息子が言った。
「今度、生活費のことで少し考えてるんだけど。」
周は黙って聞いた。
「何の?」
「毎月、少しだけそっちに送ろうかなって。」
周はすぐに答えなかった。
「どうして?」
「別に。父さんたちもこれから病院とか増えるだろうし。」
「お前の生活は大丈夫なのか?」
「今は大丈夫。」
「今は、だろ?」
息子は少し笑った。
「父さんも同じこと言ってたじゃん。」
周も笑った。
「そうだったな。」
「だから、送るかどうかは俺が決めるよ。」
周は一瞬黙った。
昔なら、
「そんなものはいらない。」
と言っていたかもしれない。
あるいは、
「じゃあ、毎月いくら送れるんだ?」
と聞いていたかもしれない。
けれど、その日は違った。
「分かった。」
それだけ言った。
息子が聞いた。
「いいの?」
「お前が考えて決めたならな。」
「分かった。」
電話を切ったあと、周はしばらく座っていた。
劉が聞いた。
「何だったの?」
「金を送るって。」
「そう。」
「毎月少しだけ。」
劉は黙った。
「どうする?」
周が聞いた。
「何を?」
「受け取るか。」
劉は少し考えた。
「必要になったら使えばいいんじゃない?」
「でも、あの子の生活もある。」
「だから、あの子が決めるんでしょう。」
周は頷いた。
「そうだな。」
二人は金額について、それ以上話さなかった。
数日後、息子から最初の送金があった。
金額は大きくなかった。
周は銀行の明細を見て、
「本当に送ってきた。」
と言った。
劉が横から見る。
「使う?」
「とりあえず置いとく。」
「何のために?」
「病院とか、何かあったとき。」
劉は頷いた。
「それならいいんじゃない。」
周は明細をしまった。
その週末、周は買い物に出かけた。
スーパーで、少し高い魚を見つけた。
以前なら、値段を見て別のものに変えていた。
しばらく考えたあと、その魚を買った。
家に帰ると、劉が驚いた。
「今日、魚なの?」
「そう。」
「高かったでしょう。」
「ちょっとな。」
「どうしたの?」
周は袋を置いた。
「息子が送ってきた金で買った。」
劉は笑った。
「じゃあ、今日は食べましょう。」
「そうだな。」
二人で魚を食べた。
特別な料理ではなかった。
ただ、いつもより少しだけ値段の高い魚だった。
食事の途中で、劉が言った。
「でも、全部貯めておく必要もないわよね。」
「そうだな。」
「子どもが送ってくれたからって、全部病院のために取っておくのも変でしょう。」
周は箸を止めた。
「そうかもしれない。」
食事が終わるころには、魚はほとんどなくなっていた。
夜、周は息子に短いメッセージを送った。
『魚を買った。うまかった。』
しばらくして、
『よかった。』
と返ってきた。
それだけだった。
息子は、送った金が何に使われたのかを細かく聞かなかった。
周も説明しなかった。
翌月も、息子は少しだけ送金した。
その翌月も送った。
周と劉は、それを全部使うわけではなかった。
必要なときに使い、残った分はそのままにした。
ある日、劉が言った。
「これ、将来どうするの?」
「分からない。」
「じゃあ、今は考えなくてもいいか。」
「そうだな。」
二人は窓の外を見た。
庭の草が伸びていた。
そろそろ刈らなければならない。
周は立ち上がった。
「明日、草を刈るか。」
「暑くなる前にね。」
「一人でやる。」
「私も手伝う。」
「腰が痛くなるぞ。」
「あなたよりは大丈夫。」
「そうか。」
二人は笑った。
子どもから送られてくるお金も、
自分たちで働いて得るお金も、
病院に使うお金も、
食事に使うお金も、
全部同じ生活の中にあった。
親子だからといって、すべてを一つにする必要はない。
別々に暮らしていても、必要なときには支え合うことができる。
支えたからといって、その先の人生まで決める必要もない。
周はそんなことを考えながら、庭に出た。
伸びた草を一本、手で抜いた。
思ったより簡単には抜けなかった。
「これ、根が深いな。」
後ろから劉が言った。
「だから、二人でやるのよ。」
周は笑った。
「そうだな。」
夏の風が、庭の草を揺らしていた。




